17.銃弾は密かに狙う

 空は薄暗くなっていた。


 夕暮れの光も今は遠く、宵闇のヴェールが光を覆っている。だが地上は空の緩やかさとは違う。広々とした鉱山入口前の広場は、古びた建物が寂しくたたずんでいた。忘れ去られた廃墟のごとく、ただ朽ちるのをまっている。名残惜し気な気配は微塵もない。かつてのにぎわいは二度と訪れることはないのだ。

 町へと続く道は暗く陰鬱で、闇の中へと堕ちていくようだった。来たときの、まだ夕方の日が出ていたときと違って、不気味な色すら漂っている。灯りはひとつとしてない。まだ明るい町のほうへと帰るはずだというのに、その事実がよけいに不安を煽る。

 周りにそびえる木々は、空にわずかに残った光さえ締め出してしまっている。道端に積まれたガラクタは、すでに闇の中に隠れていた。なんとか慣れた目さえ持っていなければ、お互いの姿を簡単に黒々とした影にさえ変えてしまう。

 ルードヴィッヒはペンライトを手に辺りを照らそうとしたが、ペンの光ではすべてを映し出すことは不可能だった。せいぜい足元を照らして転ばぬようにするのが関の山。それほどまでに闇は深かったのである。


「遅かったな」


 道の向こうから声が聞こえた。

 シェリーの声だ。

 ルードヴィッヒは立ち止まると、目を瞬かせた。

 シェリーは町側の道からぶらぶらと近づいてきた。宵闇から姿を現す彼は、眩しげに目を瞬かせた。片手をポケットに、もう片手で軽く振っている。


「シェリーさん」


 ルードヴィッヒは頭を下げることで応じた。やがてシェリーは二人の前で立ち止まった。


「どちらさまだ?」


 管理人の男はぶっきらぼうに言った。だが、声色にわずかながらの怯えが混じっている。


「この方は吸血鬼ハンターの方ですよ。シェリー・アッカーソンさんです」


 ルードヴィッヒは紹介をした。管理人の男はようやく安堵した。吸血鬼を向こうにまわす探偵と、さらに専門の敵としているハンター。これ以上心強い布陣はないだろう。

 シェリーのほうはというと、いぶかしげに二人を睨んだ。


「そいつは? いったいどうしたんだ?」


 明らかな警戒を含んだ声だ。

 横にいる管理人の男は、安堵の表情から一転、気まずそうに小さく頭を下げる。


「……俺ァ、グースってもんで。鉱山の管理をしとります。さっきそこでちょいとヘマしちまいましてね。ギヨーム爺さんのところに行ったほうがいいと」


 ルードヴィッヒはこの管理人――グースが騒ぎ出すのではないかと一瞬緊張したが、むしろグースのほうがルードヴィッヒが真実をいわないかと恐れているようだと思った。

 グースはいまだハンカチで頭の傷口を当てたままだった。少しだけハンカチを浮かせて、血のついた内側を見せる。シェリーはようやく合点がいったようだった。


「しかし、鉱山の事務所みたいなところはないのか? 傷薬のひとつふたつ、置いてるだろう」

「それが、ほとんど期限がきれちまってて……」

「管理がなってねぇな」


 シェリーはあきれた声で言った。

 返す言葉もないに違いなかった。グースはまたハンカチで頭を抑えたまま、一歩引いたところで黙り込んでしまった。


「シェリーさんは? もうよろしいのですか」


 反対に尋ねると、シェリーはじろりとルードヴィッヒを眺める。


「ああ。あんたが何か変なことをしないように見にきたんだ」


 口調は冗談めいていたが、目は本気だった。

 どこまでが本気なのやら、とルードヴィッヒは思う。


「まめですねえ」


 だが、ルードヴィッヒは冗談めいて返した。ここで下手にやりかえしても何の得もない。

 シェリーのほうは、ルードヴィッヒがのってこないので拍子抜けしたようだ。


「それで、どうなったんです? 護衛のほうは」

「まあ待て、ひとつずつ説明してやる。夜になったら冷えてくるし、医者のところに行くならその道すがら話そうじゃないか」


 それもそうだ。

 ルードヴィッヒはうなずいた。シェリーが踵を返して歩きだす。グースを伴い、無言のままシェリーの後ろを歩きだした。固まって歩きだしても、まだ灯りは見えてこない。暗くなると本当に心許ない場所だ。

 誰が何を言うでもなく、重苦しい空気が満ちる。ひどく気まずい。

 少なくとも、こんな不気味なところからは早いところ抜けてしまいたいと、誰もが思っていたにちがいない。

 この中でただの一般人でもあるグースの足が一番気持ちばかり早まっていた。だが、シェリーを追い越すことはなかった。少なくとも横を探偵に、前を吸血鬼ハンターに囲まれた状況のほうが安心だと思ったのだろう。

 ルードヴィッヒはシェリーの後ろ姿を追うように、同じペースで行く。

 どこかで草が揺れる気配がした。


 ――なんだ?


 ルードヴィッヒの足が止まりかけたそのとき、突然に小さな、乾いた音が響いた。

 銃声だ。

 目の前を歩いていたシェリーの足が止まる。


「うわあああっ」


 だが、シェリーは叫び声をあげていた。その場に倒れ込んで縮こまる。

 グースが顔を真っ青にしてひきつった。死んだと思ったのか、ほうけたように固まってしまっている。

 ルードヴィッヒは力強く地面に足をつき、発砲音が響いたあたりへ目をやった。夜の森からかすかにがさがさいう音が聞こえ、何かが足早に遠ざかっていく。

 ルードヴィッヒはとっさにグースを睨み、その肩を掴んで引き寄せる。


「いいですか、シェリーさんをお願いします」


 引き寄せた肩を離して、背中を叩く。だが、当のグースは腰を引かし、ぶるぶると震えあがっていた。


「アドルフだ!」


 彼は走りだそうとするルードヴィッヒにすがりつき、恐怖で顔をゆがめた。


「秘密を喋ったから! 奴が怒っているんだ!」


 ルードヴィッヒは目を丸くした。

 急いで森の方へと目をやる。音はどんどん遠ざかっていく。土地感は向こうのほうが有利だ。

 そのままグースを振りほどこうとしたが、なおもグースは腕を掴んですがってくる。ぴんと張った緊張の糸が銃声によって完全に断ち切られてしまった。


「お、お、お願いだ、後生だ、助けてくれ!」


 ルードヴィッヒはグースをなんとか振りほどくと、片手でその肩を掴んだ。


「落ち着け!」


 頬をひっぱたく。

 グースはぽかんとしたが、やがてぶつぶつと何事か呟きながらもうなずいた。

 ルードヴィッヒはもう一度グースの背中を叩いてやると、そのまま走りだした。ガラクタの合間を無理やりに縫い、森の中へと足を踏み入れる。音はもうどちらから聞こえていたのかわからない。たださわさわと風が葉を揺らす音が聞こえてきた。


 ――確かに蒸気銃の音だった。おそらくは小型の……!


 耳を澄ませ、懸命に物音がする方向を探る。


 ――どっちだ?


 町か、鉱山か。

 それともまったく違うところからか。

 ペンライトの灯りを最大まで落としてから、懐にしまう。代わりに手にしたのは黒い銃だった。黒い銃身に、金の装飾が彩られたシンプルな回転式拳銃で、もはや時代遅れの代物だ。だが狙撃犯が使ったであろう、歯車と蒸気タンク式の蒸気銃と比べても遜色はない。

 木々の合間に隠れて進みながら、相手がどこからか撃ってきやしないかと神経を研ぎ澄ませる。しかしもう相手は遠ざかってしまったのか、どれだけ進んでも音が聞こえてくることはなかった。最初は草を掻き分けるような音がしたのだから、どう考えても蝙蝠に変身したなんてことは考えられないだろう。森の夜闇に隠れ、ガラクタが犯人の味方をし、蒸気銃を手にこのあたりで待ち構えていたのだ。

 ルードヴィッヒはため息をつき、来た道を戻った。あまり離れても、今度はシェリーの傷がどうなるかわからない。

 元の場所に戻ると、案の定、おろおろするグースと、息を荒げているシェリーがいた。

 シェリーの近くでしゃがみこみ、どこに傷を負っているのかまじまじと見つめる。シェリーは足をかばって、うう、とか、ああ、とかうめいていた。


「大丈夫ですか?」


 目が慣れているとはいえ、しゃがみこむとよけいに自分の影でよく見えない。


「あ、足が……」

「足ですか?」


 視線を足のほうへとやる。銃をしまい、代わりにペンライトを取り出す。光で照らすと、茶色のブーツに穴が開いていた。


「グースさん、何か布を……いや、木切れのようなものがあればそれを」


 今度こそ、グースは簡単な指示も聞いてくれた。

 その間にルードヴィッヒはブーツを脱がそうとしたが、結局ナイフで切り裂くことになった。真っ二つになったブーツを申し訳程度に謝りながら外す。銃創を確認。一発だけ撃たれたのが見事に命中したようだ。運が良いのか悪いのか――おそらくここにいる三人にとっては運の悪いできごとだろう。そのうえ、少なくともここでは処置できない。ルードヴィッヒは続く狙撃がないかという不安を抱えながら、自分のネクタイを外した。

 グースがひろってきた木切れの中で、どうにか使えそうなものをひとつ選別する。ネクタイで縛りあげて止血したのち、さらにその木切れをさしこむ。ひねって強くねじあげる。

 懐中時計をとりだして時間を確認すると、時刻は八時半すぎだった。どうにもあの鉱山で時間を潰してしまったらしい。

 ルードヴィッヒは懐中時計をしまいこみ、グースへ向かって言った。


「とにかく、この道を抜けてしまいましょう。ギヨーム老のところへ急がねばならなくなったようですしね」


 怯えるばかりのグースの背中を軽くさすってやってから、その背を叩いた。ルードヴィッヒはしゃがみこんだまま背中をさしだす。グースははっとしたようにハンカチをしまいこんだ。シェリーに肩を貸してやると、ルードヴィッヒが彼を背負うのを手伝った。

 一行は逃げるように町への道を急いだ。

 ルードヴィッヒはちらりと森のなかへと目をやったが、音は既に聞こえない。今の間に狙撃犯どれほど離れてしまったのかを思って悔やんだ。だが、とやかく言ってもいられない。どうしようもないことだ。今はこの不運な吸血鬼ハンターを医者に見せることのほうが先決だろう。それに、もしかしたら狙撃犯がまた撃ってこないとも限らない。

 三人がようやく町の灯りに吸い寄せられると、ラインマー警察署長がにこにこしながら近づいてきた。だが、すぐにその異様なありさまに気が付いたらしい。笑みを浮かべた顔は次第にひきつり、真っ青に血の気が引いている。慌てて走り寄ってきて、いったい何があったのか、シェリーどのは大丈夫なのかと喚いた。


 ルードヴィッヒは答えをすべて後回しにして、いいから医者のところに案内しろと一喝した。

 ラインマーはその剣幕に押されてとってかえすと、わけがわからないまでも先導した。そういうところは職務にまっとうで良かったと思わざるをえない。

 キングズ・ストリートをまっすぐ町の入口のほうへと戻り、町の中心あたりで横道に入った。昔は住宅街か何かだったのだろうが、今はやや薄暗く、大通りに対しても灯りが少ない。灯りのついている家がいっそ目立つくらいだった。

 そこから大して行かぬ間に、ラインマーがある家の前まで走りより、ドアを叩いた。強烈なノックを何度も繰り返す。

 あまりのことに住人は苛立たし気に返事をしながら、勢いよくドアが開けた。


「いったいなんだ!」


 白衣に白髪の老人は声をあげてから、改めてドアの外にいる面々の顔を見て、顔を顰めた。

 警察署長に鉱山の管理人、そしておそらく初対面の探偵に、それに背負われている吸血鬼ハンター。これで驚くなというほうが無理だろう。


「吸血鬼ハンター殿が襲撃されたのです、どうか、どうか診てやってもらえませんか!」


 ラインマーの切実な声がなくとも、ギヨーム老はドアを全開にして、急いで準備に取り掛かろうとしていた。

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