9.ヴェンデルス邸にて

 ようやくヴェンデルス邸に戻ってきたとき、シェリーはすっかりご機嫌だった。

 当然だろう。一つとして聞き漏らすまいというような態度の主人を相手に延々と自慢話をし続けていたのだから、機嫌も良くなるというものだ。

 しかしそれというのも、何もかも自分の話へと道をつなげてしまう女将を追いやった上でのことなのだから、きっと彼も女将のおしゃべりには辟易していたのだろう。そう思うと、ルードヴィッヒはおかしさを隠しきれなかった。


 あの従僕の出迎えを期待して扉を開けると、意外なことにすぐには迎えられなかった。

 それでも二人が廊下を進み始めたときに、ようやくたたらを踏むようにして食堂から従僕がのっそりと出て来た。困惑したような足取りは、それでも足をとめた二人に気が付くと、すぐさま姿勢を正した。客人の前の態度としては――まずい所を見られたといったような顔をして――油断していたに違いなかったが、それも一瞬で消えた。


「お二人とも。お帰りなさいませ」


 どことなくほっとしたような表情に見えたのは、おそらく今も食堂の中からかすかに聞こえている声のせいだと思われた。少なくともルードヴィッヒはそう思った。


「よお、爺さん」


 シェリーは軽く片手をあげ、そのままローマンへと近づいた。

 ルードヴィッヒは気が付かなかったふりをして、同じようにその後ろからついていった。


「何かあったんですか?」


 尋ねながら、今しがた出て来た食堂の中へ目をやる。

 そこには食堂の椅子に座るテオバルト・ヴェンデルスと、その横に立ち、彼を諭すように懸命に語りかける老人がいた。

 一見すれば親密な話でもしているのかという距離だ。


「だから、わたしはきみのためを思って言っているんだ。これ以上きみがこんな所にいたら、きみ自身も吸血鬼として断罪されてしまう」


 だが飛んできたのは意外な言葉だった。

 老人はひょろりとした背の高い痩身の男で、ぱりっとしたスーツを着こなしている。髪の色はすっかり白くなっているが、年の頃は六十くらいだろう。アドルフよりやや年上といった風で、テオバルトからすれば自身の知り合いというよりも父親の友人という意味合いの方が強いようだ。


「ですが、唐突にそんなことは――できません」


 テオバルトは静かに告げた。しかしテーブルに置かれた彼の指先は、音が出ないほどに小さくテーブルを叩いていた。

 シェリーは食堂の中へずかずかと入りこんだ。


「一体どうしたんだ?」


 二人ははっとしたように振り返った。

 シェリーの存在にも気が付かなかったほどらしい。ばつが悪そうな表情をして、初老の男はテオバルトから離れた。視線を逸らして、咳払いをする。シェリーの後ろから食堂に入ったルードヴィッヒを見つけると、テオバルトが早口で言い添えた。


「とにかく、結論を出すのはまだ早いと思われます。でも、考えてはおきますよ」


 それで何もかもが終わった。

 シェリーは鼻で笑い、ルードヴィッヒは何も言わなかった。男は二人へと視線をやると、再び咳払いをした。


「あなたは確か……シェリーさんでしたね」

「ああ。部屋にいてくれと言ったはずだぜ、フランクの爺さん。何が起きるかわからねえんだからな」


 シェリーはちらりとテオバルトを見て言った。


「も、申し訳ない。私はただ――その」


 もごもごと言い訳でもするように口の中で紡がれた言葉は、耳に入ることはなかった。それよりも先に、フランクと呼ばれた彼はルードヴィッヒを見つけると、純粋な疑問を胸にしたように目を瞬かせた。


「ええと、そちらは……?」


 ルードヴィッヒはシェリーを追い越し、前に立つ。


「ええ、はじめまして、僕は――」


 名乗ろうとした瞬間、上の階から突然音がした。扉を叩きつけるような音で、全員の視線がお互いから離れ、やがて階段を駆け下りてくる音へと集中した。音の主はわざと音を立てるように一直線にやってきたかと思うと、食堂の中に飛びこんできた。


「ローマン! ローマンはいるの!」


 若い女性が声を張りあげて姿を現した。甲高い声は耳を劈き、非難の言葉をナイフにして襲ってくる。それを受け止める役目を一身に背負ったのが、入口付近でひかえていた哀れな従僕だった。


「もう、いい加減にして! いったいいつまであたしを小さな子供みたいに部屋に閉じ込めておくつもり? お父様はどこへ行ったのか白状してもらうわよ。あたしがいったい何をしたっていうのかきちんと説明してもらうまで部屋へ戻らないからね!」


 矢継ぎ早に繰り出される攻撃に、ローマンは彼女を落ち着かせるべく両手で制した。ルードヴィッヒは視線を宙へ逸らしながら片手で顔を覆い、テオバルトは額を撫で、シェリーは肩を竦めた。まだ名も知らぬ男は首を横に振っている。

 男たちの冷めた目線をはねのけ、彼女は大きく腰に手を当てた。だが、誰もが黙り込んで一旦収まったようだった。彼女は怒らせた肩をしぼませていった。ローマンから視線を外すと、食堂にいる全員を睨みつける。


「何があったの」


 鋭く端的な言葉は、みなの喉を詰まらせるのに充分だった。シェリーはその衝撃からいち早く回復し、にこやかに笑いながら近寄っていった。


「やあ、お嬢さん」

「あなた、誰? 昨日はいなかったようだけど」

「シェリー・アッカーソンだ。だけどそんな事を聞いて、きみが納得するとは思えないな! まあ落ち着いてくれ。ちょっとした事故が起こったんだ。俺はその事故を復旧しに来た専門家ってところさ」

「そう、それで? その事故とやらはいつ復旧するのかしら」

「俺の予想では近いうちにだ。明日には解決しているはずさ! 俺の見立てではそうだ。余計なことが行われて狂わなければな」

「余計なこと?」


 シェリーは大仰なそぶりで彼女に背を向け、ローマンへと指先を動かした。ローマンは僅かな狼狽とともに彼女への説得に回ろうとしたが、それよりも早く彼女の視線はルードヴィッヒを捉えた。


「新顔がもう一人ね。あなたは誰?」


 明るいミルクティー色の髪を編みこんだ髪は清潔そのものだったが、結い上げてはおらず、肩にかかっていた。おそらく一も二もなく部屋に閉じ込められたあげく、メイドによって手を入れられることなく放っておかれたのだろう。これも彼女を憤慨させるのに充分役立ったのだろう。深い緑色の目はつりあがっていた。ベージュのシンプルなワンピースドレスに、桃色のストールを羽織っただけの恰好だったが、どちらも随分と質の良さそうな見た目をしている。

 彼女がテオバルトの言っていた客の一人、リエール・ブラウムだというのは容易に想像がついた。


「申し遅れました、僕はルードヴィッヒ・エインと申します。失礼ですが、あなたはリエール・ブラウム嬢で間違いはありませんか?」

「ええそうよ、それであなたはいったい何かしらね。もう一人の専門家? それとも工事担当かしら」

「調査員で、探偵です」


 ルードヴィッヒははぐらかさずに答えた。だがリエールの方はそれをジョークと受け取ったようで、微かな笑い声を漏らした。


「へえ、そう! それじゃいったい何の調査にきたっていうの? 工事の専門家に調査員ときたら、新しい鉱脈でも発見された? それとも鉱山の先で新たな文明の足跡でも見つかったのかしら。もしくは……そうね、大衆向けの下品な小説みたいに、死体が発見されたとかどう?」


 男たちはぎょっとして目を剥いた。

 さすがにシェリーもぎくりとしたようで、続く言葉に迷ったようだ。リエールはそれを非難と受け取ったらしく、罰の悪い顔をしたものの、すぐに制するように言った。


「冗談よ、何を本気になってるの?」


 それでも誰もが黙ったままでいるのを見ると、肩を竦めた。


「それで?」


 腰に手を当て、改めて一同を見回す。


「本当のところはいったいなんなの?」


 彼女としては空気を変えたかったのだろうが、それは叶わぬ願いだった。

 彼女は姿勢を変えぬまま、目だけがみるみるうちに大きくなっていき、やがて眉間に皺が寄った。


「……本気なの?」


 リエールの口から出た言葉に、シェリーがサッと動いた。大仰に片手を広げて、リエールへと迫る。


「お嬢さん、これ以上は――」

「あなたにもお話をお伺いしたいですね」


 ルードヴィッヒはシェリーの言葉を遮り、動かぬままに言った。静かな声だったのにも関わらず驚くほど響いた。今度こそ全員の視線がルードヴィッヒに集まった。食堂の中の、単なる空間という意味にとどまらず、そこに集ったすべての人々の耳を通り抜けて精神にも響いたようだった。

 全員が休符に従うなか、リエールだけがそれを破った。物珍しそうに、まじまじと目の前にいる探偵と名乗った男を見つめる。


「あなたは? 本当はいったい何?」

「調査員で、探偵です。ルードヴィッヒ・エイン、グリム探偵協会から派遣されて参りました」


 リエールは口をあんぐりと開けた。とうてい信じられない出来事が冗談ではなく本気だったのだと気付いた時、たいていの人は言葉を失う。リエールもその例に漏れず、口をあんぐりと開けたままとうとう休符に従った。

 彼女はすぐさまシェリーを振り返った。

 シェリーはため息をつき、仕方なくといった風に名乗った。


「シェリー・アッカーソン。俺は探偵じゃないけどな」


 それだけにとどめようとしたようだが、リエールが見つめたままだった。他の誰も何も言わなかったせいで、シェリーはため息をつきながらも身元を明かすことを余儀なくされた。


「吸血鬼狩りだ」


 リエールはその言葉を咀嚼するだけの時間を手にいれたあと、「なんてことなの!」と叫んだ。

 ルードヴィッヒはまだ何か言いたげなリエールを無視して、振り返った。


「テオバルトさん」


 声をかけると、彫像のように硬直していたテオバルトははっとしたように見上げた。


「そういうわけでして、この館の中にいらっしゃる方々にもお話をお伺いしたいのですが、よろしいでしょうか」


 ようやく我に返ったばかりのテオバルトは、どうやら頷くしかなかったらしい。

 何度も余韻のように頷いたが、それを揶揄する声はなかった。


「ありがとうございます。よろしければ、アドルフさんのお部屋も拝見したいのですが」

「ちょっと待て、探偵。今それを決めるのはあいつじゃない、俺だ」


 シェリーが声をあげた。


「俺は今、この屋敷において吸血鬼を調べる役目も持ってる。何なら依頼主に聞いてくれてもいい。そしてテオバルトも同意している」

「つまり?」

「勝手なことは許さないってことだ」


 シェリーは一拍おいてから自信たっぷりに言い放つ。

 しかし、ルードヴィッヒはまったく表情を変えずにいた。


「ならばあなたにもちゃんと許可を求めますよ、シェリーさん。でも、いずれにせよ前後の状況を聞くことはあなたにとっても有益になることだと思いますけどね。何しろ、失礼ながら――僕の雇い主であるテオバルトさん自身が吸血鬼かもしれませんから。むろん、そうでないなら疑惑は晴らさねばなりません」

「だがそれは……可能性の話だろう」


 声は先ほどよりやや沈んでいた。


「それだけならいくらだって考えられる」

「おや、ヴァンパイアハンターともあろう方が考える前に捨ててしまうのですか?」


 そこでシェリーが更に何か言いかけたが、ルードヴィッヒは歌うように介入をはねつけた。


「死んだアドルフさんだってそうでしょう。元から吸血鬼だったのならばまだしも、いずれかのタイミングで変化していた可能性もあります。そうなればアドルフさんを噛むなり何なりした吸血鬼が――いわゆる始祖がいたはずですし、これまた失礼ながら、アドルフさんが吸血鬼に転じるような恐ろしいことをしたかもしれません。それとも、あなたは何らかの方法で、既にアドルフさんがどのような吸血鬼だったのか突きとめているのですか。それならばお尋ねしたいところですが」


 全員の視線がシェリーを射抜き、彼が一瞬言葉を失ったことで、みなその真意に気付いた。

 ルードヴィッヒは彼から視線を外し、再び一同を見回した。


「更なる可能性としては」


 そこで天井へと視線を向ける。

 まだ見ぬ二階から何からすべてを透視するような目に、今度は誰も介入しなかった。


「……いえ、可能性だけならどれだけでも言えてしまいますからね。これ以上はやめましょう。それに、あなたがたのお話をお伺いできれば、僕にとってはその可能性も一つずつ潰すことができます。そこで何をもってしても否定できなかったものが真実です。違いますか」


 テオバルトは一瞬目を剥いたが、それ以上何も言うことはなかった。シェリーもまたそんな彼をちらりと見てから肩を竦めた。言葉はなかったが、返事はそれだけで充分だった。ルードヴィッヒはなんとかうまく丸め込めたと確信した。

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