12.サロンにて、細工士は憂う
シェリーがアレックスを送りだしている間、ルードヴィッヒはひとり静かに次の人間が連れてこられるのを待っていた。
アレックスのいうように、果たしてアドルフ氏が何か企んでいたとして、夕食会を開くというときにわざわざ旧聖堂へ向かうだろうか。それとも、何か旧聖堂へ向かう決定的な理由でもあるのだろうか。
どうしてもこの日に、人目を忍んで旧聖堂へ向かわなければならない理由があったのか。
――そもそも……。
ルードヴィッヒは眉を寄せた。
首を振る。
気を取り直すように顔をあげると、
「遊戯室はどこにあるんですか?」
隅でじっと微動だにせずにしていたローマンに尋ねると、彼はすぐに答えをくれた。
「二階にございます。ちょうどこの部屋の真上になりますよ」
ありがとうとだけ答え、あとは黙り込んだ。
耳を澄ませ、外からの足音が聞こえてこないかどうかを確かめるために。
時計の針だけが几帳面に時を刻んだ。かすかに人の声が聞こえたかと思うと、次第に近づき、やがてぶっきらぼうなノックの音が響いた。ルードヴィッヒが返事をする前に、扉は開け放たれた。
「次のお客さんだ」
シェリーが後ろにいる人物を示した。
その顔は、屋敷に帰ってきた時にテオバルトに何らかの”進言”をしていた男だった。背はひょろりと高く、スーツに包まれた体はややがっしりとしているにも関わらず、猫背なせいかくたびれた柳のような印象を受ける。皺が刻まれ頬骨が張った面長な顔は、馬を連想させた。要は馬面なのだ。白髪の混じる髪は後ろへ撫でつけられている。
「フランク・オーウェン。さっきも会ったろ」
シェリーはつまらなそうに言うと、もはや定位置のようになったソファに腰を下ろした。
「まったく、アレックスのおっさんにも困ったもんだ。せめて女を送り迎えしたいもんだね。だいたい、送り届けてる間もぎゃあぎゃあ喚いてるんだからな」
肩を竦める。
「それで? 次はいったい何を聞きだそうっていうんだ」
胡散臭そうに見つめるシェリーから視線を外し、ルードヴィッヒはフランクを見つめた。フランクはそわそわと指先を組んだり離したりしている。
「フランクさん、でしたね」
ルードヴィッヒは軽く咳払いをした。
「あ、ああ。フランク・オーウェンだ。君が探偵……なのか」
「はい。ルードヴィッヒ・エインと申します。テオバルトさんかの依頼を受けて、事件の調査をしています」
フランクはやや信じられないという目でまじまじとルードヴィッヒを見つめた。
「それで、いったい私に何を……?」
ルードヴィッヒはフランクをじっと見返してから、急に肩の力を抜いて言った。
「フランクさんは、アドルフ氏の専任細工士だそうですね。どんな作品を作られるのですか?」
向けられた言葉が意外だったのか、彼は少し戸惑い目線を彷徨わせた。しかし、吸血鬼の話題ではないことにいささか安心したようだ。
「ゴブレットや大皿なんかを作っていたよ。私はそれほど腕の良い職人ではなかったと思うがね」
「おや、御謙遜を。あなた自身はそう思っていないでしょうが、専任となるにはきちんと名も知れていたのでしょう?」
「いやいや! もちろん作品も作ってはいたけどね」
フランクはかぶりをふった。
「アドルフの専任細工士になったのも、彼とそこそこ面識があって、この街の細工士が今は私ひとりだということの他に、大した理由はないのさ。今も工房は開いているが――私はむしろ金の保管や鑑定のほうが主な仕事でね」
「保管や鑑定? 鑑定はともかく、保管もなさっていたのですか」
この老人も口が温まってきたのか、次第に落ち着きを取り戻していった。
「ここは銀行が無かったから、かつてそうだったように、我々が貸金庫もやっていたんだ」
まだこの世界に蒸気機関と鉱石燃料が存在しなかった頃。中世よりも以前、今のようにはっきりとした銀行というものは成立していなかった。紙幣という便利な道具も存在せず、銀行がいまだ存在しない田舎でも多少の紙幣を持っている現状とは程遠かった。そんなころ、ぱりっとしたスーツを着た行員の代わりに、その役割を担ったのが金細工職人だったのである。
彼らは細工用の金属を盗まれないよう頑丈な保管庫を持っていた。その保管庫で、他の人々が所有する金を預かることをはじめたのである。そして代わりにさしだした預かり証が、現在の紙幣の原型となった。
「田舎なら今でも銀行が無いところなんてたくさんある。どこだって同じようなものだ。でも、理由はそれだけじゃない。金の発見によって、もともといた細工士たちが色めきだった。鉱夫になって直接向かうものたちもいた。細工士をしていた家には元々保管庫があったから、近所の人たちが集めてきた金を一時的に預かったんだ。急激な発展に対して、様々なものが間にあわなかったのもある」
フランクは昔を懐かしむように表情を緩める。
「なぜ、細工士たちがそんなにたくさんいたかというと――」
だが、表情はすぐに堅く結ばれた。
「銀細工だけは既に存在したからね――あの吸血鬼のおかげで」
ああ、とルードヴィッヒは思った。
「当時の職人たちのルーツは、吸血鬼討伐のために集められ、討伐後も銀を売るために居残った幾人かから始まったんだ。この街の人々は、吸血鬼を恐れていた……」
フランクは青ざめ、かすかに声を震わせた。
吸血鬼事件が起こったのが百年前。
しかし、はたして百年前の出来事を自分のことのように実感できる者がどれだけ存在するだろう。フランクほどの年であっても――見たところ、アドルフと同じくらいの年齢だろう――もはや百年前のできごとは生まれる前の話であって、現実味すらなかったのではないか。ルードヴィッヒはそう思っていた。
「だが、そんな町の状況のおかげで、細々と続いていただけの商売が爆発的に忙しくなった。その頃にはこの街にみきりをつけて外へ出ていった若い職人も戻ってきた。彼らにくっついて、鉱山で働くべくやってきた若者たちも大勢いた……」
吸血鬼騒動のおかげで集められた職人たちは、金の発見によって息を吹き返したのだ。町の発展に伴って。
ゆえに、吸血鬼は今でも恐れられる存在なのだ。
むろん吸血鬼騒動がなければ、金の発見ももっと早かったかもしれない。それはそれで、町の歴史そのものが違っていただろう。
それならば、一時的ににぎわった街がまたこうして緩やかな破滅に向かっている現状を、当のアドルフや職人たちはどう思っていたのだろう。
ルードヴィッヒはそこで思考を振り切った。
「だがもはや残っているのは私だけだ」
「金が減ってきたからですか」
「そうだ。かなり前から危惧されたことだが、金の産出量はそれを永遠にできるほどではなかった。集まった若い者はさっさと都会へ出て行ってしまった」
「では――この町で細工を行えるのはもはやあなた一人だと。鑑定なども?」
フランクはうなずいた。
「ああ、呼ばれれば金の鑑定もした。すっかり姿を変えてしまった装飾品もあったからね」
老人の声は弱弱しかった。
「これでわかったかね。私はアドルフの専任細工士ではなく、彼の鉱物の保管をしていたのさ。それも、私が優秀なのではないと。今じゃ――手慰み程度さ。金の産出量も減っているし、どこか景色のいいところに引っ越すのもありかもしれないね」
その目の奥には寂しさが浮かんでいるようだった。
「しかし、その前に問題を解決してしまいましょう。ご協力願えますね?」
「ああ、もちろん」
フランクは姿勢を正した。
「それでは、フランクさん。あなたは昨夜、どうしてこのお屋敷に?」
「たぶんもう聞いてると思うが、夕食会のためだよ。来たのは大体五時半頃だったかな。ちょうどもうそろそろ準備が整うぐらいだった。ローマンたちも忙しそうだったから、先に食堂に入っていたよ。すでに席は用意されていたからね。夕食会の間に、特にこれといった話はなかった。ただの小規模なパーティといった風だったよ。ああ、神父様を紹介した時に、旧聖堂を売ってくれたという話はしたかな。だが、ほとんどそれだけだった」
それから、とフランクは前置きした。
「九時前かそのへんに解散して、神父様とシスターは帰っていった。そのあとビリヤードに誘われて、一時間かそこらやっていたよ。彼――アドルフはゲームには加わらずに引っ込んだかな。そこからずっと見ていない。朝はローマンに起こされた。そして、そこで事件を知った……」
フランクは懐からハンカチを取り出すと、汗をぬぐった。広げて、もう一度畳み直す。懐の中にしまいこむと、顔をあげた。
「さっきアレックスが喚いているのが聞こえたよ」
声には同情が籠っていた。
「大変だったろう? 彼がテオバルトも吸血鬼だと言いだしたんだ。今にもそのう――殺してしまわんばかりの勢いだった。シェリーがいなければどうなっていたかと思うね」
フランクはちらりとシェリーのいるソファを眺めた。つられるようにそちらを見ると、シェリーは無言で口の端をあげていた。
「あんたは俺が口を出すことにひとり反対していたな」
シェリーはじっとフランクを見つめる。
「きみが介入することについてじゃない。いずれにしろまともな死体ではなさそうだったけれど、吸血鬼の死体なら、早く神父の手に引き渡して焼いてしまったほうがいいと思ったんだよ」
「だが、いずれにしろそれも早くはできなかっただろうな。第一発見者があれなんだし。おそらく山場は今夜だ。テオバルトが本性を現すか、それとも何も起こらないか、あるいはまったく別のところから何かが起こるか」
シェリーは今度はルードヴィッヒを睨んだ。
「お前がちんたらやっている間に時間はなくなっていくんだぞ」
「承知しておりますよ」
ルードヴィッヒはそれだけ言って向きなおる。
「そういえばフランクさん。先ほどテオバルトさんに何かおっしゃっていたようでしたが、あれはどうされたのですか?」
「先ほど……? ああ、食堂で会ったときのことか。大したことじゃないんだ。ただ――」
フランクはシェリーをちらりと気にしてから続けた。
「ただ、この家を離れたほうがいいんじゃないか、とね……」
彼はすぐに顔をあげ、シェリーとルードヴィッヒのどちらかが何かを言いかける前に口を開いた。
「この屋敷が一時期、吸血鬼のものだったのは知っているだろう? アドルフがこの屋敷を買ったのは、吸血鬼への恐怖に縛られた町を人間の手に取り戻す宣言だった。だけどこんなことになった。すべてこの家を買ったからなんてことは言わないが、悪いことがあったような家など捨てて、やり直したほうがいいんじゃないかと思ったんだ。もちろんそれに私も協力は惜しまないと言った。彼はまだ若いし、なんとかなる」
フランクは早口でまくしたてた。
一瞬張り詰めた空気が落ち着き、シェリーは乗りだした身を再びソファの背に預けた。
「あなたは、テオバルトさんは吸血鬼ではないと思っているのですか?」
ルードヴィッヒは尋ねる。
「アドルフに関しては――死体の状況を聞いたら信じないわけにはいかないだろう。みんなだってきっとそうだ」
「そうだろうな」
シェリーがそっけなく答える。
「だからといってあんたがテオバルトの肩を持とうとするのはなぜだ?」
フランクは視線を彷徨わせ、わずかに険しい表情になった。
「それに、吸血鬼だったらこそ、この屋敷に執着するのではないかと思ったんだ。アドルフがこの屋敷を買った理由を言っただろう。でもそれが表向きの理由で、実は自分の屋敷を買い戻すためだったら――」
「そしてテオバルトはそれを拒否したわけか」
フランクは息を吐いた。
答えはなかったが、それはイエスと同じだった。
ローマンはもとより、全員が黙り込んだ。
「少なくとも私はテオバルトの事は信じていたんだ。彼の母親――アドルフの妻のことだが――知っているかね?」
「地主の娘だったことと、現在は離婚協議中ということぐらいですが」
じじつ、ローマンからもそれぐらいしか聞いてはいない。
「二人の仲は冷めきっていたらしいが、少なくともテオバルトのことは我が子として愛していたと思う。家を出て行ったのも、彼女の両親が亡くなってから、テオバルトが成人してからだ。心配をかけないようにしていたんだろう」
「何が言いたい? 惚れてでもいたのか」
シェリーが畳みかけたが、フランクは困ったように声を詰まらせた。
「彼女の家系は、そのう……吸血鬼退治に参加した村人のひとりだったというから……」
無条件の信頼。
この町にかつて住みついた吸血鬼は、あらゆるところに何かをもたらした。それは恐怖だけではなかったようだ。
「それだけか」
「はい」
シェリーはルードヴィッヒに目線をやった。もう良いか、との意味を含んでいるようだった。ルードヴィッヒは視線を受け取ると、フランクに頭を下げた。
「ここまでです。ご協力、ありがとうございました」
フランクは一瞬ほうけたように瞬きをした。ようやくその言葉の意味を飲みこんだのか、表情をやわらげた。
「いや、お役に立てたかどうかはわからないがね」
彼が立ち上がるのと同時に、シェリーも膝を叩きながら立ち上がった。
ルードヴィッヒの灰色の瞳が見送りかけたが、ふと思いついたように声をかけた。
「フランクさん」
向けられた声に、フランクは立ち止まって振り返る。
「もしアドルフさんが本当にただの人間だったらどう思われます?」
途端、フランクは真っ青になった。
「……そんな、ありえないだろう? 人間が刺されただけで焼け焦げるなんて」
「それもそうですね」
ルードヴィッヒは答えたが、フランクは相変わらず真っ青になったまま、シェリーに連れられて部屋に戻っていった。
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