15.いくつかの事実と歪曲

「さあ、もう用事は無いな?」


 シェリーが急に立ち上がり、リエールがびくりと肩を震わせた。


「お嬢さんはお部屋に戻る時間だ。ただでさえ何が起きるかわからないんだからな! 探偵、あんたももういいだろう? わかったのはアドルフが外へ出かけた、おそらくそのときに旧聖堂へ向かったんだろう。ただそれだけだ」

「そうなんですかね?」


 ローマンに尋ねると、彼はうなずいた。


「この屋敷の使用人は全員が住みこみで働いております。使用人のための部屋も、今では余っているほどですから。同室の使用人同士でも、きちんとプライベート空間を確保できるだけの余裕があります」

「そうかい」


 シェリーがそっけなく言う。


「そりゃあ大層なことで。それで?」

「朝は中から鍵を開けますし、外から鍵をかけることは滅多にございません。ご旅行などでも留守を預かる者は必ずおりました。キーボックスは玄関にございます。倉庫の鍵なども一緒に入っておりますので、開けて玄関の鍵がないのであればすぐにご報告させていただいております」

「では、メインの鍵はそこに?」

「……いいえ。旦那様、アドルフ様です。お部屋でご自分の鍵を管理しておりました」


 ため息が漏れた。

 ふと見ると、さきほどまで困惑の表情を浮かべて立つかどうか迷っていたリエールが、目を煌めかせながら見ているのに気が付いた。宿屋の女主人でもあるまいし、おしゃべりな猫が増えてもこちらが困る。ルードヴィッヒはシェリーに寝床までの護送を頼んだ。

 ――そうなると。

 アドルフが持っているはずの鍵は二つあるはずだ。この屋敷の鍵と、旧聖堂の鍵。もしかすると、あのぐちゃぐちゃになったスーツの内ポケットにいまだ入っているのかもしれない。……血にまみれたまま。

 ルードヴィッヒはかぶりをふった。テーブルに手を伸ばしていたローマンに近づき、それよりも早くテーブルに手をかける。ローマンが手をとめ、腰を伸ばす。


「手伝います。その間、吸血鬼の話を聞かせていただけませんか」

「わかりました――この屋敷がもともと領主の避暑地であったことはお話いたしましたね」


 ローマンの動きが鈍くなった。


「聞いた話ですので、私もところどころは正確ではないと申し上げておきます」


 だが話のトーンは変わらず、何がしかの理由を作ろうとしているようだ。


「領主が代替わりしてからは利用されなくなり、不在の間を任されていた一族がそのまま管理しておりました。城に城主がいないまましばらくすぎたころ、城を住居として買いたいという男が現れました」


 テーブルを一旦どかし、敷かれた絨毯の毛並みを戻す。


「管理人は金を積まれ、城をただの屋敷として売ってしまったそうです。それ以後――村の中では、若い女性が衰弱していくという事件が起こり始めたそうです。昼間もぼんやりとして目の焦点があわず、伝染病かと思われた矢先、その首筋に噛まれた跡があるのが見つかりました。やがて、夜中にそれらの女性の部屋にいる城の男の存在が囁かれるようになり……」


 息を吸いこむ。

 サロンに一瞬、空白が満ちた。


「人々は噂しました。城の男は吸血鬼だと。村には蝙蝠がそれまで以上に飛びまわり、被害者の家には奇妙な霧が……ああ!」


 ローマンは急に手をとめた。


「そういうことなのですね?」


 確かめるようにルードヴィッヒを見つめる。


「この話は、この町に伝わる吸血鬼の話です。被害者の家にまとわりついた霧は吸血鬼の変化したものだったのですね?」


 ルードヴィッヒはうなずいた。

 その後は、この地に伝わるナイフの話と、フランクが話した細工職人たちの話を補強するものだった。


「神父をまじえた相談の結果、当時の銀細工職人たちが呼ばれました。旧聖堂に祀られたありったけの銀を溶かし、銀のナイフを作りました。職人たちは、当時は順当に貴重であった金の細工も掘りこみました。男たちは昼も夜もなく被害者たちを守り、夜ごと訪れる蝙蝠を蹴散らし、時にやられることもありました。女たちはそんな男たちを支え、懸命に祈ったといいます。それでも、その間も被害は続き、ようやく完成したナイフを持って、数名の男たちが昼間のうちに屋敷に乗りこんだそうです。地下の礼拝堂で棺桶を見つけ、吸血鬼を打ち負かしました。その中のひとりが、奥様のおじいさまだったとか」


 淡々と語られる昔話は、おそらく事実なのだろう。そうでなければ、その後も金の採掘でにぎわった町に、これほど吸血鬼への恐怖がいまだに満ちているはずはないのだから。

 探偵もハンターも存在せず、当時の大衆の人々だけで行われた吸血鬼退治。当時の規模から考えれば、ほとんどの村人が関わったのだろう。そして血と恐怖に満ちたその出来事は、本来であれば忘れ去られるはずの出来事は、あろうことかこの町の礎となった。


「地下の礼拝堂は現在もここに?」

「いいえ。この屋敷を買った時に取り潰しました。アドルフ様は最初、屋敷を人間の手に取り戻したのだとおっしゃいました。しかし――、私は、取り潰すことを進言いたしました。あとにも先にも、旦那様に意見したのはそれだけです。……場所をご案内することもできましょう。不必要な空間があって、多少不自然ですからな。他にも古くなった水道やキッチンなどに手を入れましたので、工事業者もお伝えできます」


 先んじて語られる事実に苦笑するしかない。困ったように口の端をあげる。


「……では近年、当時のような事件は?」

「起きておりません。少なくとも私の耳には入っておりません。そのような事が起きれば、この家の風聞に関わりますからな。しかし、そもそも若い女性そのものが減っておりますし、騒ぎになるのが先でしょう」


 最後の椅子を設置し終わると、ノックもなしに扉が開いた。


「なんだ、まだやってたのか?」

「今終わったところでございます」

「ふうん」


 シェリーはそっけなく部屋を見回した。


「これでいいな?」


 鋭く牽制するような問い。


「僕はもう少し歩いて回りたいですがね、せっかくだからあとで鉱山も見てみたい」

「見物人気取りか!? まあいい、もう勝手にしろ。あとはテオバルトだけだしな」

「それにしても、シェリーさん。ここまで吸血鬼であると疑われて、なぜテオバルトさんはいまだに父親も自分も人間であると主張するのでしょう? むろんその謎を解いてほしいがために探偵協会へ連絡をつけたのはわかりますがね」

「そりゃあ、この屋敷が自分のものだからだろう」


 シェリーは、自分という言葉に吸血鬼という意味を当てはめたようだった。


「それと」


 ルードヴィッヒが言うと、シェリーは憤りを隠しもせずに振り返った。


「先ほど、リエール嬢がおっしゃってらしたことは本当ですか?」


 その言葉が自分に向けられたものではないとわかると、シェリーはルードヴィッヒを指しかけた人差し指の行方をしばらく探した。とぼけるような顔で手を下ろし、ローマンへと視線を向ける。

 ローマンはしばらくむっつりと黙っていた。

 考えるほどの時間を過ぎても何も口にすることはなく、シェリーが肩を竦めて部屋から出て行った。ルードヴィッヒも出ていこうとしたとき、背後から小さな声が響いた。


「……お嬢様の話に付け加えることは、なにもございません」


 絞りだすような、遠回しなイエスだった。

 無言のまま廊下に出ると、背後でローマンが扉を閉めた。


「俺はお嬢さんとあのでぶのおっさんと話をつけてくる」


 シェリーはさっさと客室棟の二階へと上がっていく。取り残されたようにぽつんと突っ立った二人は、どちらともなく本棟へと向かった。屋敷はどこもかしこもしんと静まり返っている。人はいるはずなのに、あえて誰も物音を出さないようにこそこそと隠れて過ごしているのだ。

 足は自然と食堂へと向かった。二人が同じ方向へ向かっているわけではなく、ルードヴィッヒが進む方向へとローマンはついてきているのだった。食堂にはテオバルトがひとり、ここに呼びだされたときと同じ姿勢で座っていた。


「ずっとここにいらっしゃったのですか」

「そうするように言われている」


 つとめて冷静におさえるつけるような声だった。誰に、というのは愚問だろう。生理現象以外では、大した娯楽もないこの部屋でじっと耐えているのだろう。ただ、目の前には新聞紙が一枚だけ置かれてあり、目線はその紙に注がれていた。


「何かお淹れしましょうか」

「……水を頼む。ルードヴィッヒさんには紅茶を」

「僕も水で結構ですが」


 だが、おそらく聞こえる前にローマンはキッチンへと下がってしまった。

 気まずい空気が流れる。

 それ以上に、部屋の中は冷えていた。暖炉がなくとも過ごせるだろうが、三月にしては気温は低めだ。ここでじっと耐えるのにも限界はあるだろう。おまけに、そんな暖炉に誰も薪を入れぬまま時が過ぎたのだ。家の中が冷え切っているようだ。

 ルードヴィッヒはテーブルに沿ってゆったりと暖炉に歩み寄った。右手に置かれた火かき棒を抜きとり、積もった灰を平坦にならす。昨日の夜に燃え尽きてからそのままに違いない。

 ふと横に目をやると、その先に燃えた跡のある白い紙が見えた。目が見開いた。奇妙な感情に突き動かされ、うしろを向いているテオバルトに気付かれないように手にとる。畳まれたそれを開くと、短いメモのようだった。

 ――”今夜十二時に、私の部屋へ。”

 ルードヴィッヒはこのメモが燃えなかったことに感謝した。あるいはこのメモを受け取った人間は、急いでこのメモを暖炉に放り込んだのだろう。

 それをそっと懐へと入れると、立ち上がった。


「まだ今日は燃やしていないのですか」


 テオバルトに言うと、彼はその言葉の意味を理解するのに少しかかった。だが、降り返ってルードヴィッヒが火かき棒を手にしているのを見ると、ようやく合点がいったようだ。


「ああ……、普段なら誰かが毎朝、灰もかきだしているはずなんですがね」


 普段ならば小言を言われても仕方のないことだろう。だが、それも諦めているようだった。

 ルードヴィッヒは椅子のひとつに座り、紅茶が来るのを待った。


「ところで――、ルードヴィッヒさん。先ほど、メイドがもってきたものですが」


 テオバルトは、先ほどから目の前に置いていた紙を寄越した。それは数時間前にも見せてもらった号外の、続きだった。




 探偵対吸血鬼ハンター!


 文責/マルク・オベール

 ノースウェア発、三月五日。

 吸血鬼事件が我々に与えた衝撃から数時間。まだ一夜も明けぬうちに、事態は新たな方向へ動きだした。この事態の収拾に名乗りをあげたのは、吸血鬼狩り〈ヴァンパイアハンター〉シェリー・アッカーソン氏。偶然この町にとどまっていたという彼は、皮肉にもその仕事を奪われるはめになった。

「先を越されてしまったようだ。しかし、気にしてはいないさ。憎むべき敵を誰が倒そうと、あまり変わりはないんだから」

 シェリー氏はこのように語った。その心中がいかばかりかは察するほかない。だがいまだ誰が吸血鬼を斃したのか定かではない。それとも町に流れる噂のように銀のナイフに宿った聖なる力が働いたのだろうか? そのためシェリー氏はアドルフ氏の遺体を囮に、吸血鬼がいまだ存在していないかどうかを探るつもりであると語った。

 だがシェリー氏の登場から、今度は新たな存在が明らかになった。

 その人物こそ、グリム探偵協会より派遣されたルードヴィッヒ・エイン氏である。

 吸血鬼疑惑そのものに異議を唱え、自らもまた疑いをかけられている、他ならぬアドルフ・ヴェンデルス卿の子息、テオバルト氏によって、かの専門家は召喚された。

 グリム探偵協会とは、知る人ぞ知る魔法事件専門の探偵が集う組織である。魔女を筆頭に吸血鬼や人狼といった存在だけでなく、魔術が絡んだ事件を主に引き受けている。

 かたや既に吸血鬼の討伐に乗り出しているハンターと、かたや吸血鬼であることそのものに意義を唱える探偵の闘いは、新たな火種となるだろう。

 ルードヴィッヒ氏はこの事件について多くは語っていないが、記者独自の取材によると、ルードヴィッヒ氏もまたこの事件はやはり吸血鬼が絡んでいると考えているようである。

 アドルフ・ヴェンデルスとして知られた人物が吸血鬼であったことはもはや疑いようがなく、時間の問題である。

 だが探偵氏は調査を続けており、その真意は闇の中だ。テオバルト氏のもとにある財力ないしは権力によって、魔法事件専門家のモラルが問われるような事態にはなってほしくないものである。

 我々は探偵氏の聡明なる判断と品位に期待し、続報を待っている。




「なるほど」


 ルードヴィッヒは一人ごちた。


「”ノー・コメント”という言葉は、此方ではこのように変換されるらしい」


 何の感情もこめずに言えただろうかと、言った後で思った。テオバルトは何も言わずに姿勢を崩さずにいる。朝のように激しく怒鳴ることもなく、ただ、どことなく疲れたように目を伏せていた。


「記者というのはどこも変わらないでしょう。お気にせぬことです」


 ローマンが紅茶を運んできた。ルードヴィッヒの前に必要最低限の音を立ててカップを置き、テオバルトの前には水を入れたコップが置かれた。


「あなたは冷静ですね、ローマンさん」

「たいていのものには慣れてしまいました」


 カチコチと時計の音が静かに鳴る。時刻は五時を少し回ったところだ。紅茶をすする音が妙に響く。できるだけ静かにカップをソーサーに戻そうとしたが、予想以上の音がした。ただの数秒のことだというのに、ずっと長い間そうしていたように思える。


「申し訳ありませんが、今のところご報告できることはありません」

「……そうですか」


 報告とも言えぬそれに対し、テオバルトは失望とも落胆ともとれぬ声で答えた。


「しかし、調査はもちろん続けますよ。どんな小さなことでも良いのです。たとえば、金がとれたという鉱山の場所や、そうですね……あなたのお母さまのこともお聞かせ願えますか。なんでも、吸血鬼退治に参加された村人の家系だとか」


 テオバルトは困惑を隠しもしなかったが、それでも希望にすがりたかったのだろう。思い直したように顔をあげると、壁際でひかえていたローマンに目くばせした。


「わかりました。迷うことはないと思いますが、地図を書かせましょう。ローマン」

「かしこまりました」


 ローマンが紙とペンを取りに下がるのと同時に、テオバルトは少し言いよどんだ。


「……母に関しては……現在、別居しています」


 それから続いた話は、聞かされた話とほとんど同じだった。


「母と父の関係が冷え切っていたのは、子供心に気付いていました。母は私に惜しみなく愛を注いでくれましたが……夫婦関係については、政略結婚でしたから、両親に迷惑をかけまいと我慢していたようでした」


 テオバルトはそこで水をひとくち含んだ。


「しかし、私が成人したことと、二年ほど前に祖父も亡くなり……葬儀を終えたころ、母は私にだけ別れの言葉を告げました。それから、叔父の家族が住むメクレン州の州都へと移りました」


 手に持ったコップを弄び、テオバルトはかみしめるように言う。


「……母が吸血鬼だったとはとうてい思えませんけどね。事実、町の人々も、私のことはともかく母のことにはひとことも触れていないではないですか」


 ジョークにしては笑えなかったが、それはテオバルトにとって小さな希望でもあったに違いなかった。

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