(3)


「ちゃんと答えてくれるだろうか……」

「わかりません。しかしなんらかの反応はあるでしょう」


 二人は洋館を見上げ「骨董商の夫婦」の顔を作ると、屋敷の扉を叩いた。

 鏡の包みを持ってきたさくら米田よねだを見ると黒岩くろいわ氏は落胆したのか、呆れたといわんばかりの顔になった。


「やはり君たちも、『幽霊が出るのでお返ししたい』というやつかな?」  

 嘲笑を含んだ意地の悪い口調でそう言うと、古鏡を見て怯える女中を下がらせた。


「いえ、本日は黒岩様にお尋ねしたいことがあって参りました」

 米田はにこりともせず切り出すと、単刀直入に尋ねた。


「黒岩様は『三鈴』という名前の女性に心当たりはありませんか?」


「――なっ!?」


 三鈴という名に黒岩氏は顔色を変えた。

 それまでの気怠く厭世的な表情が消え、怒りを含んだ険しいものになる。


「……誰から聞いた? お清か? アイツがしゃべったのか? 君たちが私の周辺を探っていることなど、知っているんだぞ……」

 ギラギラとした目で睨む黒岩氏に米田は冷静なまま答える。


「信じてはいただけないかもしれませんが、私どもはこちらの古鏡から直接聞いたのです」

「ハハ……バカバカしい、嘘をつくならもっとうまくつけ!」

「こちらのお屋敷に戻ろうとするこの古鏡を引き止めた際『善次郎様、私を許して』、と」

「私に……許せ、だと?」


 その瞬間、黒岩氏の顔がぐにゃりと歪んでいく。


「何を許せと言うんだ! この裏切り者がッ!!」

 黒岩氏は古鏡を掴み立ち上がると、叫びを上げ床に叩きつけようとする。

 米田は咄嗟にその腕を押さえ阻止すると、古鏡を取り上げ桜に渡す。

「現在この品物の所有権は私どもにあります。手荒な扱いはご容赦を」  


 珍しく米田が厳しい声を出し、黒岩氏を睨んでから掴んでいた腕を離した。


「……モノに罪はないだろう。もっと優しくしてやれよ」


 白い女・三鈴が必死に帰ろうとする姿や悲しい声を思い出すと、米田の目つきはどうしても鋭くなってしまう。

 黒岩氏は柔和な物腰の米田が突然牙を向いたことに驚き青ざめ、掴まれた腕をかばいつつ彼を睨んだ。


「コホンッ! 旦那さま、お静かに」

 桜は咳払いし、頭に血を昇らせた米田に注意をすると改めて場を仕切り直す。


「黒岩様もご承知でしょうが、来歴が不明だと骨董の価値が下がることがあります。――話してはいただけませんか? 古鏡の前の持ち主のことを」

 落ち着いた声で桜が促す。黒岩氏は剥き出しになった古鏡の曇った鏡面を見つめ、ポツリポツリと口を開いた。



「この古鏡の前の持ち主は、三鈴という女だ」


 黒岩氏は昏い目をしたまま「三鈴」という名を告げた。

「私が若い頃共に暮らしていた女だ。彼女とは結婚の約束もしたが、その頃私は駆け出しの実業家で欧州と日本の行き来が多く……長く家を空けることもあった」

 愛していた女を語るには苦い顔のまま、黒岩氏は話を続ける。


「ある日、長い洋行から帰ると家に三鈴の姿はなかった。もう一緒に暮らせない、そんな書き置きだけが残されていた。随分と行方を捜したが結局見つからず、そうして数年経った頃、突然これが届いた――添え書きには、遠くに越すから代々伝わるお守りを譲ると……三鈴とはそれっきりだ」


 そうして恋人は去り、黒岩氏の手元には古鏡のみが残った。


「構ってやれなかったから……寂しくさせたから……そう言われれば私が悪いのだろう。しかし、何も言わず出て行って、紙切れ一枚で縁を切られて……それを恨んではいけないのか? 裏切りだと感じては……いけないのか? しかもなぜ今さら古傷を抉るんだ」


 肩を落とし俯いた黒岩氏に米田も桜も何も言えなかった。 黒岩氏はいまだに独身だ。女性に不信を抱いているからかもしれない。しかし、恨みであれ未練であれ、三鈴のことが忘れられないのは確かだ。

 桜は鏡を優しく撫でてみた。


「それでも……あなたの許に帰りたいと」

 桜の小さな声に、黒岩氏は乾いた声で笑った。

「それは私にとって迷惑なんだ……わかってはもらえないかな?」


 米田は沈痛な面持ちの桜を静かに促し、黒岩氏の屋敷を後にした。



 万葉堂まんようどうに帰ると、二人は言葉少なに途中となっていた店の片付けに手をつける。


「黒岩氏に鏡のことを聞くのは酷でしたね。俺、あの人に悪いことしたような気がします」

「……ああ、私たちが踏み込む話ではないようだな」

 米田の言葉に桜は同意し、ため息をついた。


 古鏡が名乗った三鈴という名は前の持ち主の名であった。彼女と黒岩氏は内縁関係にあったが、三鈴の側から一方的に清算している。

 黒岩氏は別れの理由すら告げられていない。そんな彼に三鈴の真意を問い質すのはただの拷問だろう。――彼は本当に何も知らない。知りたいと思っても、知ることができなかったのだから。


 桜は米田が棚から出した箱の中身を確認し、分類ごとに仕分けていく。


 ――人間の三鈴さんは何を思い、家を出ていったのかしら。古鏡の三鈴さんはあんなに帰りたがっているのに……。


 桜はぼんやりとそんなことを考え、何気なく米田を見つめた。

 棚の中を拭いている彼の広い背中。いつの間にか彼が傍にいる風景を当たり前のように感じていた。


 ――いつも一緒にいないのは寂しいことかもしれないけど……別れてしまうのは、もっと寂しいことじゃないかしら? だって、そんなことしたら一緒にいる理由までなくなってしまうもの。私なら……絶対、手放したくない。


 自分の物思いの内容に、改めて顔を赤くする。


「べ、べべべべ別に、そんなんじゃありませんから!」

「へ?」


 突然真っ赤になって叫びだした桜に米田はわけがわからずポカンとしている。


「ど、どうしたんです?」

「なんでもない! 米田少尉はそちらに並べたものを虫干ししてくるように!」

「? はい、致します?」


  唐突にご機嫌斜めな桜に首を傾げながら、米田は箱を抱え虫干しをするため裏から出て行った。



 庭ではかりを遊ばせながら、ムシロを敷き骨董を並べていく。


『ヤレ、眩しや、眩しや!』

『久方ぶりのお天道てんとうさまじゃ、ありがたやありがたや』


 小さな付喪神たちはワイワイ騒ぎながら、日光浴を楽しんでいる。


『チョウチョが飛んでオリますゾ! あるじサマ、計が捕らえてご覧にいれますユエ!』

「いいよ、さすがに蝶々捕まえて喜ぶ年じゃないから……」


 米田は縁側に座り、はしゃぐ付喪神たちをぼーっと眺め、突然怒りだした桜のことを考えていた。


  ――なんで不機嫌になったかはわかんないけど、黒岩氏の話聞いたらいろいろ考えて複雑になるよな。あの人、きっと今でも三鈴さんのこと好きで忘れられないんだろうなぁ。じゃなきゃ二十年もこれ持ってないもん。


 ついでに持ってきた古鏡を見つめ、米田は寂しくため息をついた。


「人間の三鈴さんは今頃どうしてるのかな……もう『善次郎ぜんじろうさん』のこと忘れて、どこかで暮らしてるのかな。古鏡の三鈴みすずさんは……こんなに善次郎さんが好きなのに」

『好きでも一緒にいられないことありますユエ。悲しいことでございますレバ』


 いつの間にか隣に座っていた計は前を見たまま、小さな声で言う。

 米田は大叔父の枕元に座っていた計の姿を思い出し、金の髪を優しく撫でた。


「計も大叔父さんのこと、今でも好き?」

 米田の問いに計はいつもよりも大人びた顔で笑った。

『我ら付喪神はあるじサマとお呼びした方、皆大好きにございますユエ。どの主様も忘れられぬ大事な方にございますレバ』

 計はそう言うと縁側からぴょこんと飛び降り、また蝶を追いかけだした。


「そっか……大好きか……。そうだよな、好きじゃなきゃ仕えていても全然楽しくないもんな。今、俺、毎日すごく楽しいし……そういうことだよな」


 たまに赤くなる桜の頬を思い出し、米田は幸せを噛みしめ日向ぼっこをする。

 遊んでいる付喪神たちを見ているうちに、子供の頃を思い出し古鏡を手に取った。


「こうやって、塀に光を反射させて映して……計が喜んで追いかけてたよなぁ」


 昔やったように、古鏡に陽の光を集め板塀に円い反射光を映してみた。

 影になった位置に浮かぶ白く円い光を見つめ、米田は驚きにかすれた声を漏らす。


「……なんだ、これ。……これって、まさか!?」

 米田は慌てて立ち上がると、古鏡を抱え急いで桜の許に走っていった。



「とにかく庭に来てください!」

 店に駆け込んできてそう叫んだ要領を得ない米田に、桜は首を傾げる。

「どうかしたのか? できれば台帳のこの頁を書き終わるまで待ってほしいのだが……って、ええ?」

「そういえば小僧、障子の桟に埃が残っておったぞ! まったく、掃除一つ満足にできぬとは、当世の男子はだらしがないのぉ……って、話を聞かぬか!」


 桜の手伝いをしていた小箱は意地悪な姑ばりの嫌味を言うが、とりあえず無視して桜もろとも引っ張って、庭へ出た。

 米田は困惑している桜と小箱に古鏡を示して、板塀を指差した。


「あのあたりを見ててください。――いきますよ」


 そう言って鏡面に陽の光を当てる。


「~~っ! これって……」


 板塀には円い反射光が映っていた。しかし白く輝くそれには、ぼんやりと影が交じり込んでいる。

 驚く桜に米田は頷き、鏡をゆっくりと動かす。どこに映しても反射光の中には影があり、板塀の木目や染みではないことを証明した。


「この影、人形じゃありませんか? 何か被った人の輪郭に……」


 米田の言葉どおり、反射光の中に映り込む影はヴェールを着けた女性の形をしているように見えた。

 婦人の顔の部分は他に比し不鮮明ではっきりしない。――あの白い女の幽霊のようにのっぺらぼうだ。

 小箱は反射光をじっと見てから口を開く。


「これは鏡像と同じ類のものにございますな」

「鏡像……って何?」

「鏡面に線彫りした御仏のことじゃ。光を反射させ、その中に浮かぶお姿をありがたく拝むもの」

 小箱の説明に米田は改めて古鏡の鏡面を注意深く見つめた。

「いや、表面には彫り物なんかないよ。曇ってるけど、つるっとしてるし……」

 不思議そうに古鏡をかざす米田の隣で、考え込んでいた桜はようやく口を開く。


「これは……魔鏡だ。――鏡を」

「……魔鏡って……すでに名前が怖いですが」


 一連の幽霊騒動を思い出し米田が顔色を悪くし古鏡を差し出すと、桜は受け取り鏡面をじっと見た。


「鏡の表面に微細な凹凸を作り、日光のような強い光を反射させると、凹面の部分は光を収束して明るく、凸面の部分は散乱して暗くなる。この明暗を利用して文様を浮かび上がらせる。この仕組みを持つ鏡を魔鏡というのだ。本当にわずかな歪みだから、一見普通の鏡にしか見えない。漢の時代から作られていたぐらいだ、歴史はとても古い。別に恐ろしいものではない」

「……漢、ですか」


 米田は感心して桜の手元のある古鏡を改めて見つめた。

「すごい鏡ですよね……しかし、あの像はなんでしょうね……観音様とか?」

 米田の素直な感想に、桜は黙り込む。

 桜は真剣な表情で唇に指先を当て、じっとしたまま長考に入った。


 ――やだ、少佐が可愛い。真剣な横顔を頬を染め見つめる米田をよそに、桜は思考を走らせる。


(制作時期は十七世紀中期、経過年数に見合わぬ強すぎる霊力、葡萄の文様、白いヴェールとドレス、魔鏡、そして――長崎)


 桜の脳裏にすべての単語を繋げる数式がようやく浮かぶ。


「なぜ、思いつかなかったのか……答えは最初からあった」


 桜は愕然とし呟くと、顔を上げ米田を見た。


「米田少尉、すぐに香取秘書官に連絡を!」

「はい、米田少尉、致します!」


 米田は姿勢を正すとさっと敬礼をし、敬愛する上官の命に従った。

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