(4)
「ごめんくださ~い」
「はい、いらっしゃい。ゆっくり、見ていっとくれ」
徴収するような器物が存在しないことを確認すると、桜はそっと米田に耳打ちした。
「米田少尉、先ほどのようにあのご老人から情報を引き出してくれ」
小さな声で囁くと、米田はくすぐったそうに肩をすくめる。
「~~っ! ……了解。米田少尉、いたします」
少し頬を赤らめた米田は上官に倣い、桜の耳元に小声で囁いた。フゥっと耳にかかる米田の吐息に、桜は思わず飛び上がる。
「なっ! 近いっ!! ゾワゾワするから、もっと離れろ!」
「だって、ご自分もやったじゃないですか!」
「私は耳に息なんかかけてない!」
桜は顔を真っ赤にして叫ぶと、米田も赤い顔のまま反論する。
本人たちは真剣だったが、傍から見るとイチャイチャしているように見えたらしい。
「はっはっはっは、若いっていいねぇ。新婚さんかい?」
意図せず向こうから話しかけてきたことを二人は素直には喜べず、お互い赤い顔のまま「はい」と仲良く声を合わせ頷いた。
「お騒がせしてすみません。俺は神田で万葉堂って骨董屋を始めた米田と申します。あ、これ、つまらないものですが」
米田は挨拶をするとさらりと饅頭を渡し、ご隠居にこの店に来た経緯を簡単に説明した。
「なにかい、ウチのおみよの兄さんのご近所かい。そりゃ、こちらも邪険にするわけにはいかないね。けど、生憎とおみよも倅も外に出ちまっててね、ドレ、このジイさんでよければなんでも聞くがいいさ――まぁ、お上がりよ」
ニコニコと笑いながらご隠居は帳台の奥の小さな座敷に招いてくれた。
「へえ、そうかい。あの古鏡をお探しと。やれ、若いのに酔狂なこって……」
ご隠居は自分で淹れた茶を啜り、一息ついた。
「その古鏡は帝都の古物商のあいだじゃ知らねぇ者がないくらい評判になっちまったみたいでね。実はウチにも持ち込まれていろいろと難儀したよ」
「それは、買い取った品物が消えて損をした、という意味でしょうか」
真面目な顔の桜にご隠居は首を横に振った。
「いや、違う。その古鏡を買い取った晩から店に幽霊が出てさ……夜な夜な白い影みたいなのがべそかきながら家中うろうろするんだよ。けど、月の明るい晩を境にフッと幽霊もろとも古鏡が消えちまって……」
「~~ひっ」
米田は絶句して、サッと青ざめた。
「その幽霊をご主人は見られましたか?」
にこりともしない桜にご隠居は生ぬるく笑うと小首を傾げる。
「あぁ、そのへんフラフラする奴さんに出くわしたよ。最初は泥棒かと思って肝を潰したが、幽霊だったから逆に安心したくらいさ。でも仕舞いには古鏡盗られちまったな」
ご隠居の笑えない冗談に米田がプルプルと震えだす。対照的に桜は身を乗り出すほど、ご隠居の話に食いついていた。
「その幽霊、具体的にはどんな姿をしていましたか? 女だったとか男だったとか……どんな装束をまとっていたとか」
「そうさなぁ、白い着物で……といっても死装束じゃないよ。白い洋装に白いほっかむりの……たぶん女だとは思うけど、なんせ顔がなかったもんでね」
「……顔がない、ですか?」
「そうさ、顔がなかった。目も鼻も口もない、……のっぺらぼうみたいに」
「ぎぃっ!」
桜とご隠居二人の会話に、米田は恐怖のあまり奇妙な悲鳴を上げてしまう。
米田の怖がり様をご隠居は可笑しそうに笑うと、温くなり始めた茶を啜った。
「まぁ、商売柄、たまにそんな曰く付きにあたることもあるのさ……この話が奇妙なのはこっからでね。幽霊が出て品物が消えるなんざ、どういうわけだと売主に談判しに行ったんだよ。そしたら先様は、何も言わねェうちから銭を丸ごと返してくれてよ。『品物が帰ってきたので金をもらうわけにはいかない』ときた――結局
「確かに……奇妙なお話ですね」
桜は相槌を打つと、唇に指を当て考えている。
「古鏡を売ったのは、お金のためではない……もっと別の理由ってことですね」
桜の小さな呟きにご隠居は頷いた。
「そこよ……幽霊騒ぎまで起こして勝手に戻ってきたなんて代物をあっさり引き揚げて、代金まで返す。金子が要り用っていうなら、ほっかむりしてとぼけりゃ済むし、邪魔っけだったらそんなおっかないモノ無理にもアタシにおっつけるだろ?」
ご隠居も考えながらもう一口茶を啜った。
「
米田は青くなりながらもそう述べ、ようやく終わった怪談話に安心したのか、お茶を啜り出されたあられをかじった。ご隠居は米田の感想にクスリと笑う。
「まぁ、それだね、『誰も損をしなかった』。だからこの話は業界でも大して騒ぎにならなかった。実際にブツを扱った店はウチの他に二?三軒ってとこみたいでね。ただ『実はこんな話があってね』ってお客さんをちょいと脅かすにはぴったりのネタだったから……。評判になるほどみんなしゃべくっちまったんだな」
ご隠居もあられを口に放り込む。ニコニコとあられを頬張る二人をよそに、桜は難しい顔で考え込んでいた。
「その古鏡の姿の写しは取られましたか?」
「まだ写しはとっちゃいなかったが……、箱を注文するのに寸法やらと箱書き用の文言を書き付けといたから、たしかこの辺に……」
ご隠居は棚を漁り一冊の分厚い台帳を取り出し、頁をざっとめくると、
「ここだ、ここだ」
達者な筆書きで古鏡の詳細が記してあった。
「円形、唐草葡萄文様、半円鈕孔、渡り六寸八分、一斤八十匁」
指でなぞりながらご隠居が読み上げると、桜は目を閉じその形を想像してみた。
青く錆びた円形の銅鏡、裏面には蔦のように絡まる葡萄が刻まれて真ん中に半円状の紐通し穴がある、両掌よりも若干大きく、ずしりと手に重い。
「年代はいかほどに見立てられましたか?」
「アタシの見たとこ、江戸の初期、寛永年間あたりだね……鏡面は完全に曇っちまってたが文様の状態は良かったよ。丁寧な仕事はしてたが元禄にしちゃそっけない図案だったからさ」
十七世紀中期の作の文様の美しい鏡。
ご隠居の見立てが確かならば、件の鏡は作成からすでに二百年は経過している。付喪神が発現していてもおかしくはない。
「……ご主人、古鏡の所有者を紹介していただけませんか?」
桜は思い切ってご隠居に申し出てみた。
顧客の名簿は骨董商の命ともいえる。犯罪者でもない限り、その情報は同業者といえども共有しない。
古鏡の持ち主は確かに要注意人物というくくりかもしれない。
しかし、骨董商の組合にまだ入ってもいない桜たちに情報を開示してくれるかどうかは、ご隠居の胸先三寸だ。
最悪、軍の名を出してでも聞き出そう。桜が穏やかではない方法について検討していると、ご隠居は小首を傾げしばし考え、手元の紙に?町の住所と黒岩善次郎という名前を書き付けた。
「いいんですか?」
ご隠居の行動に、申し出た桜のほうが驚き戸惑ってしまう。
「はっは。先様も古鏡を処分したがってたし、お二人さんが引き取ってくれるなら願ったり叶ったりさ。――アンタたちが店に入ってきてから骨董どもがやかましい。連中に好かれる性質なら、悪い人ってこともなかろうね」
ご隠居は二人を見ていたずらっぽく笑っていた。
「けどね、あの古鏡に関わっても儲けにゃならねえようだから、気をつけな。ほれ、これを先方に見せるがいいよ」
ご隠居はそう言って紙をもう一枚取り出し、『知り合い故どうぞ宜しく』と一言書くと『冥加屋
「一応、アタシからも黒岩様に知らせておくよ。そのくらいして、やっと饅頭ひと箱分のお代ってとこかね」
「「ありがとうございます!」」
米田と桜は声を合わせお礼を言う。ぴったりと合ったタイミングに二人は顔を見合わせ、互いに照れ笑いをした。
「仲のいいこって……」
ご隠居は楽しそうにつぶやき、包みを開けると、中の饅頭をひとつ取り出しパクリとかじった。
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