(3)

 一番初めに古鏡の噂を聞いた八百屋に立ち寄り、米田よねだは親しげにおかみさんに声をかけた。


「おかみさん、さっきは人参ありがとう。いい糠床ぬかどこが手に入ったからさっそく漬けてみるよ。――あと、こちらが家内」

「初めまして、近くで万葉堂まんようどうという骨董屋をいとなむ米田のつ、つ、妻の、さくらにございます。このご町内のことはまだ何も存じませんので、ご迷惑をおかけしますがお、おっ……お、夫共々どうぞよしなに」


 新妻らしくしようとするも悪戦苦闘する桜のぎこちない挨拶に、米田はぽっと赤くなる。それを見たおかみさんは「新婚さんはいいねぇ」と米田をからかった。


「コホンッ。えっとですね、ウチも骨董屋をやってるもんで、さっき聞いた古鏡の話が気になって。……曰く付きって言うんだから、実は名品かもって家内とも話してて……本当にあるものならお目にかかりたいと。――で、おかみさん事情通っぽいし、何か知らないかなぁって聞きに来たわけですよ」

 ほどよく人懐っこく米田が尋ねると、おかみさんは少し声を潜めて話し始めた。

「アタシもあの話は又聞きなんだよ、けどあの鏡の話は帝都の古道具屋のあいだじゃ、ちょっと有名な話なんだってさ。大枚叩いて買い取ったお宝が夜中になると姿を消しちまうってんだから、商売あがったりだろ。だから今じゃあ古鏡って聞いただけでどこの店もお断りらしいよ。アンタんとこも気をつけるんだね」


 ふむ、と桜は唸り考え込んでから口を開く。

「又聞きだと仰いましたが、奥方様はそのお話をどなたからお聞きになりましたか?」

 奥方様と呼ばれた八百屋のおかみさんは「アタシゃ、奥方様なんて初めて呼ばれたよ」とケタケタおかしそうにひとしきり笑い、ようやく答える。

「すぐそこの酒屋の嫁さんさ。なんでも、旦那の妹が古道具屋に嫁入りして、そっちからの話っていうんだから、本当っぽいだろ?」

 有益な情報を提供してくれたおかみさんにお礼を言って、米田と桜は目と鼻の先にある酒屋を訪ねることにした。

 しかし。生憎あいにくと若奥さんは不在で、帳場にはつまらなさそうな顔をした旦那さんが座っているだけだった。


「どうも、近くに越してまいりました。万葉堂って骨董屋の米田と申します。以後お世話になりますので、どうぞよろしくお願いします――酒屋さんに祝い酒持ってくるわけにもいかないんで、饅頭なんですが」

 米田はニコニコと挨拶をして、店番をしていた旦那さんに饅頭の包みを差し出すと、いぶかしむ隙も与えず、やや強引に押しつけた。

 すると、米田のことを「見知らぬ余所者」から「町内の若い衆」に格上げしたらしく、いい暇つぶしの相手が来たと旦那さんの表情は明るくなる。

 どこから越してきたのか、酒は飲むのかと、興味津々の旦那さんに米田は調子よく答え、まるで以前からの知り合いのように親しげな会話が弾む。


「――で、オイラがその修羅場に一升瓶四本抱えて駆けつけたって寸法だ」

「大将、さすが江戸っ子だなぁ。俺なんか、喧嘩って聞くとどうにも腰が引けて」

 大いに盛り上がる二人に、桜は米田の手腕に呆れるやら感心するやら……。


 ――それにしても、ついさっきまでは見も知らなかった人間と、少尉はよくおしゃべりできるわね。……私だったら二~三言話したら、もう続かなくなってしまうわ。


 米田の人懐っこさに嫉妬じみたものを感じつつ、桜は彼の斜め後ろで新妻らしくしようと、必死にひきつった微笑みを浮かべ二人の様子を見つめていた。

 しかし、調査から遠のいた関係のない話ばかりが続くことにしびれを切らし、桜はこっそりと米田の脇腹をつつく。


「あっ、と……そうそう、そこの八百屋のおかみさんに聞いたんだけど、大将の妹さん、ウチとご同業なんだってね。近所のよしみってことで紹介してもらえないかな? 正直、このあたりの同業者とまったくつてがなくて困ってるんだ。こういう商売、横の繋がりがないと何かと厄介でさ、大将、助けてくれないかなぁ」

 米田がそう言って手を合わせると、旦那さんは「合点だ」と笑い、桜が拍子抜けするほどあっさりと妹の嫁ぎ先の屋号と住所を教えてくれた。

「困った時はお互い様よ。うちも贔屓にしてくんな」

 旦那さんは米田に小ぶりの徳利を持たせ、店を出る二人を機嫌よく見送っていた。

 片手に徳利を提げた米田と桜も挨拶をして店を出ると、二人は並んで歩きだした。


しば冥加屋みょうがや、か……場所柄からして、それなりに古くからある古道具屋だと推測されます。一応、特殊器物の有無も併せて調査することとしよう」

「了解しました。――芝だからちょっと距離があるなぁ。この酒を置きに戻ったほうがいいのかなぁ」

 のんきな米田の呟きを聞き流し、桜はぼんやりと彼のことを考えていた。


 ――この人は、どうしてこうも簡単に人の懐に入ってしまうのかしら。なんの躊躇もなく笑顔で話しかけて、他人が怖くないのかしら?


 隣を歩く米田の横顔を盗み見して、彼の経歴を思い出してみた。

 帝都の霊的防衛強化計画を進めるにあたり、任務遂行適任者の条件に「幼時に神隠しを経験していること」との要項がある。


 米田も六歳の頃、ひと月ほど行方不明になっていた。失踪した場所や帰還時の状況からして、彼は高い確率で神隠しに遭ったと思われた。

 神隠しに遭うとなんらかの霊的能力に目覚めることが多い。家族などの証言から推察すると、彼は霊視と対話の能力が備わったようだ。

 帰還後、人には見えぬモノと対話するようになった彼が、周囲と距離ができ孤立したことぐらい桜にも容易に想像できた。

 それなのになぜ、彼は疎外感に打ちのめされ、他人との間に壁を作らなかったのだろう――桜がそうであるように。


 ふと桜が歩を緩めると、米田は少し立ち止まってから足取りをのんびりとしたものにする。

 自分よりも頭ひとつ分背の高い彼が、桜の歩幅に合わせゆっくりと歩いていることにようやく気づき、耳が熱くなっていくのを感じた。

 恥ずかしいような、照れくさいような。苛立つような、嬉しいような。


「……嫌な人」

桜は聞こえないようにつぶやいて、彼の気遣いなど素知らぬ顔のまま歩を速めた。



 神田から芝までそこそこに距離もある。二人は馬車鉄道に乗ることにした。

 停車場で米田は桜の顔を見てから少し考え、口を開く。


「一等車を待って、それに乗りましょう」

「いや、二等車で!」

 桜は慌てて彼を止めると、まだ車両も見えないうちから手を挙げた。

「二等車に乗ってみたいから」

 桜は珍しく年頃の娘らしく屈託なく笑い、期待に満ちた目で馬車鉄道が来るのを待っている。

「二等車、狭いし座席も悪いですよ?」

「だが、初めて乗るなら二等車がいい! あの屋根がない夏用車は涼しげで、景色もよく見えるだろうからな」

「もしかして、馬車鉄道自体が初めてなんですか!?」

「ああ、いつも自宅の馬車だったものでな……」

 自分がとても世間知らずなことを明かすようで、語尾がだんだん弱くなる。


 深窓の令嬢。そう言えば聞こえはいいが、桜は実質軟禁のような生活を強いられていた。多くの人間に囲まれ、物質的にも満たされていたが、いつも息苦しくどこか不自由だった。

 そんな桜には、市井しせいの人々が乗る屋根のない二等車はとても眩しく見えたのだ。

 桜の言葉に米田は少し驚いた顔をしたが、すぐに笑顔になった。


「じゃあ、俺はその記念すべき第一回目の同乗者ってことですね――次来る車両、夏用車両だといいですね」

 米田は桜に微笑み、桜と一緒に手を挙げ、馬車の鐘の音を待つことにした。

しばらくすると、軽快な鐘と蹄の音を響かせ馬車鉄道が到着した。生憎と二人の期待を裏切るように、車両は屋根のある普通の二等車両だった。


「次の車両を待ってみますか?」

 落胆した表情の桜に米田が苦笑いすると、彼女は首を横に振る。

「いや、このまま行くとする」

 そう言いつつも桜は行先とは逆の浅草方面に走る夏用車を、残念そうに見送っていた。


「今度」

 米田は桜の手を取りステップに上がると照れた笑みを浮かべる。

「今度、また一緒に馬車鉄道に乗りましょう。次は時間を気にせず夏用車両を選んで乗って日本橋にでも行ってみましょうよ」

 

桜の手を握る米田の手に少しだけ力が籠った。それがとてもくすぐったく感じて、桜は返事もせず、頷くことしかできなかった。

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