(3)

 二人は倉庫の整理と目録作りにはげむ。


「室町時代に記されたという付喪神つくもがみ絵巻の冒頭には『陰陽おんみょう雑記にふ。器物百年をて、化して精霊を得てより、人の心をたぶらかす、これを付喪神と号すといへり』と記されている。付喪神発現の条件は、奇しくも骨董の定義と同じだ。百年を経ることが骨董と呼ばれる条件であり、付喪神の依代よりしろとなる条件でもある。我々は骨董商として怪しまれぬよう活動して、より多くの骨董を集め判定し、野に眠る付喪神憑きの古器物を徴収するのだ」

「え~っと、つまり、骨董屋として名を上げて、流通を活発にすると多くの骨董と接する機会が増えるから商売も頑張れ、って意味ですか?」

「……まぁ、そういうことになるな」


 キィキィと騒ぐ小さな付喪神たちに囲まれ、さくらは帳面付けにいそしんでいる。

 思いのほか早く運び出し作業は終わり、在庫を種類ごとに仕分けると米田よねだにはやることがなくなってしまった。


「俺も手伝います」

 と、見よう見まねで品目を書き記し始めると、先ほどの神主かんぬしらしき男がどこからともなく現れ、米田の手元を覗き込んだ。


「あなや! なんと乱雑な! これは字ではなく毛虫の写生に違いありません! 見ているだけで気分が悪くなりまする。主様、あやつの文、私に収めることなどゆめゆめなきよう、しかとお頼み申しますぞ」

「なっ!? なんなんですか?」

 いきなりの失礼すぎる物言いにムッとして男の顔を見ると、逆に呪うような険しい顔で睨みつけられる。


「生意気な若造が……!」

「す、すみません……」

 条件反射で謝ると、男は勝ちほこった顔で桜のもとに駆けていった。


ぬし様ァ~、あやつ、ほんに情けのう男にございますよ。当世の男子おのこ斯様かような軟弱者ばかりでございましょうか?」


 甘えた声で訴える男に、目録を書いていた桜は大きなため息をつくと、彼に目録の帳面を押しつけた。

「小箱、遊んでないで少しは手伝って」

しかながら、命が下っておりませんゆえ」


 首を傾げかわい子ぶった男の仕草に、傍観者の米田はイラッとしてしまう。


「ならば命じましょう。小箱よ、筆を持ちて、名を記すことをゆるす」

御意ぎょい


 小箱と呼ばれた男は、桜からうやうやしく筆を受け取ると恐ろしい速さで文字を認め始めた。

 到底人間には不可能な筆運びに、米田は彼が人間ではないことにようやく気づく。


「草薙少佐……彼は一体……」

「小箱は文箱の付喪神だ。長く書に関わっていたため、あのようなこともできる」

「ほへぇ~~、すごいっすねぇ」

 庭で蝶を追って遊んでいる計を横目に米田が感心すると、小箱は得意げに微笑んだ。


「この小箱めは、平安の昔より伝わる黒漆螺鈿流水紅葉蒔絵文箱。宮中にて雲上人の御手からなる書を収めた由緒正しいお道具にございますゆえ、斯様な南蛮渡りの新参カラクリと比べられても……それこそ酷というもの。器物にも持ち主に相応しい格というものがございますからなぁ」

「これ小箱こばこ、口が過ぎますよ」

 皮肉な口調で計と米田を馬鹿にする小箱を、桜は怖い顔で叱りつけた。

「申し訳ございません、主様。久方ぶりの筆に、小箱は少々はしゃぎすぎたようにございます。許してたもれ。――そこな、小僧もすまんな」

 シュンとした小箱は桜に甘えながらへりくだり、米田には吐き捨てるように詫びる。形だけの謝罪を済ますと、小箱はニコニコと桜の隣で記録を続けた。


 ――字が汚いくらいで、なんであんなに敵視されてんの!?


 恐ろしく嫌われたらしい米田は、腹は立ったが桜の手前文句もつけられず「気にしてませんよ」と口の中でモゴモゴ言うだけだった。



 その夜、米田はまったく眠れず、落ち着かないでいた。


 万葉堂は小さな二階建ての町家だ。一階は玄関と店舗、奥に上がりの帳場と茶の間に奥座敷。台所などの水回りと土間で、珍しく内風呂がついている。二階に上がると襖で仕切られた六畳間が二つ。

 夫婦ふたりが暮らすにはちょうどいい、こぢんまりとした造りだった。


 二階の二間をそれぞれの自室として割り当てられ、米田は少ない荷物を解く。

 布団や箪笥はあらかじめ用意されていたので、それもすぐ終わってしまったが。

 出来合いで簡単に晩ご飯をすませ、風呂に入るとすっかり夜も更けていた。


「明日も引き続き仕分けと環境整備を行う。起床は六時。何かあったら、すぐに声をかけるように。――それでは、消灯!」


 昼間と変わらぬ口調でそれだけ言うと、桜はピシャリと襖を閉める。

 つまり、ふすま一枚に隔たれ、米田は桜と眠ることになるのだ。

 襖の向こうから聞こえる衣擦れの音に耳を澄まし、米田は何度も寝巻きの襟元を直しては布団の上で座り直す。


 ――も、もしかしなくても……今日は、初夜というやつでは……!


 これはとても真面目な任務で、そんなことを考えている場合ではない! と理解はしていても、米田は健康な若い男子である。否応いやおうなく高まる期待の中で、襖の向こうにいる桜の気配に全神経を注ぐ。


 ――ずっと思ってたけど、やっぱり『草薙少佐』って呼び方おかしいよな……だいたいこれって極秘任務なんだから、軍人ってことも隠さないといけないし。なんといっても俺たち夫婦だし!!


(いくら可愛いからって桜ちゃんには手ぇ出すなよ? あくまでも任務上の夫婦の『フリ』だからな!)

 鳥山中将のありがたいご忠告がすっかり抜け落ちた頭で、米田は初夜の行動計画を入念に策定していた。


 ――草薙少佐だって若い女の子で絶対に緊張してるはずだから、まずは優しく声をかけて……く、口吸い、いや英国風にいうキスをして、それから……あぁ~~~!! 俺のほうが緊張する!! うまくできるのか? とりあえず、桜って優しく呼ぶ練習をするか!!


「さ、さくら……さ、桜、桜……桜! 桜ァ!!」


 大真面目な顔で発声練習をしていると、魅惑の襖がカタンと動く。スルスルと開くと、そこには麻の葉柄の浴衣姿の桜が無言で立っていた。

 湯上がりの長い黒髪は濡れた輝きに満ち、白い肌は真珠のように艶めいている。


「さ、桜ぁ!!」


 転がるように桜に駆け寄り感極まって名前を叫ぶと、彼女の眉間に深いシワが刻まれた。


 「無駄吠えをするな、ウルサイ! さっきから桜桜と何度も何度も……『さん』くらい付けろ、この駄犬がッ!!」

「グェッ……」

 

 本日二度目の鳩尾みぞおちへの衝撃で米田は波乱の一日を終え、安らかな夢の世界へと旅立つのであった。



 畳の上に倒れ伏した米田を見下ろし、桜は大きなため息をついた。


「まったく……若い男子というものは、こうも落ち着きがないものでしょうか。何を考えているのやら……私にはわかりません」

 軍人らしいキリリとした表情と口調を緩め桜が呆れてつぶやくと、小箱は憤慨して、眠る米田を睨みつけた。


「主様のように美しいおなごを嫁にして舞い上がらぬ若い男子など居りますまい。此奴こやつめ、これ以上不埒な振る舞いをしようものなら、この小箱が成敗してくれるわ……。ほんに、このようなチンクシャが主様と同じ屋根の下……まして婿など……あな憎し……呪うてやる……」

「小箱、落ち着いて。これは任務。たかが同居に何を騒ぐことがあるのです」


 嫉妬に震える小箱を宥め、桜はもう一度ため息をつく。


市井しせいに潜んで暮らすのは軍命としても、結婚に関しては完全にこちらの事情……米田少尉を恨んでも仕方ないでしょうに……」

「しかし! おなごにとって、結婚は一大事。それをこのように……あな、悔し」

「何にせよ任務とあらば、遂行するだけ。夫婦であれと言うならば、この草薙桜、完璧な妻を演じてみせましょう」


 桜は寂しく笑い米田の傍に膝をついて、その頬に指先だけで触れた。米田の温かな体温を感じる。


 初めて彼を見た時、柴犬のようだと思った。

 癖のある柔らかそうな髪と、豊かな表情。

 健康で真っ直ぐな精神を示すように、彼を包む空気は穏やかで清い。


 桜は彼が昼間見せた懐中時計の付喪神・計への柔らかな視線を思い出し、ほぅっと息をついた。


「きっと、いい人なんでしょうね。健やかで、温かな……優しい目をしているから」

 桜は小さく微笑み、書机の上に置かれた懐中時計に語りかける。

「時計さん、私はあなたのご主人を危険な目に遭わせるかもしれません……。先に謝っておきます。本当にごめんなさい」

 桜の声に応えるように書机の上で懐中時計は仄かに光り、青いドレスの計が姿を現した。


『ご心配召されるな、主様は強きマスラオにございますユエ! 野良猫やカラスから計を何度も守りましたユエ!』

 計の語る米田の武勇伝にクスリと笑い、桜は傍まで寄ってきた計の頬を優しく撫でる。


「ありがとう。あなたもご主人と同じにお優しいのですね。おやすみなさいませ、計殿。どうか、ご主人の眠りをお守りください」

 桜の美しい手に計は頬を染め、嬉しそうに頷いた。


「まずは、一夜。今宵を無事過ごすことに集中しましょう。――小箱、行灯に火を入れて。これより三日、絶えることのないように番を立ててちょうだい。米田少尉には隠形の法で気配を悟られぬように」

「御意。式神どもに陣を張らせましょう」


 主人に恭しく礼を取ると、小箱の姿は掻き消える。残された桜はもう一度米田の頬に触れ、聞こえぬほど小さな声で囁いた。

「三日間を乗り切れば……この儀式が成立したら……その時はちゃんと」

 その先を思うと……桜はひどく悲しく微笑む。


「ごめんなさい。明日からは妻らしく尽くしますからね――旦那様」


 桜は気を失った米田に布団をかけてやると、厳しい表情に戻り襖を静かに閉めた。

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