(2)

 古い石灯籠いしどうろうの火口のあいだから向こうを覗くと化け物が見える。そんな話を聞いた。

 灯籠の礎石そせきに足をかけ背伸びをしさっそく試してみたが、いつもと変わらぬ庭が見えるだけだ。

 がっかりして下りると、いつの間にか隣に白い水干すいかんを着た自分と同じ年頃の男児が立っていた。


「そんなところを覗くより、もっと面白いものがあるよ」


 そう言って笑う古風な装束の男の子に手を引かれる。


「どこに行くの?」

「すぐそばのハザマだよ」


 ハザマってどこのおうちだろう。


 男の子に連れられ、あたりを囲む山茶花さざんかの生け垣を出た。

 金色の空がすごく綺麗な、とても愉快なところだった。細かなことはあまり覚えていないが、楽しかったということは覚えている。


 遊び疲れて家に帰ると、なぜかひと月が経っていたのだ。

 唐突に庭の石灯籠の前に座っていた自分を見て、母は泣き崩れた。半狂乱で行方ゆくえを捜していた我が子の帰還に、母は泣きながら潰れるほど自分を強く抱きしめた。


「お母さん、縁側でちっちゃいネズミのおじいちゃんたちが日向ひなたぼっこしてる。猫の背中に乗って旅をしてるんだって!」


 あの綺麗な金色の空の国から帰ってきても、あそこで遊んだ愉快な友人たちの姿はそこかしこにある。みんなの話はいつも面白おかしくて、大好きだ。

 しかし、奇妙で愉快な友人たちのことを話すと、大人たちは困った顔をして、母は泣いてしまう。

「あの子は神隠しに遭って気が触れてしまった。おかしなまぼろしの話ばかりしているらしい」

 大人たちが自分のうわさをしていた。


 周囲の言葉に傷つき、塞ぎがちになった自分は、奇異な目を向けない愉快な友人とだけ話すようにした。

 そんな自分を家族は怖れ、一族の間でも変わり者扱いだった大叔父の家に行儀ぎょうぎ見習いの名目で預けられていた。


 十数年前まで英国に留学していたという大叔父は、奇妙な友人の話を面白がって聞いてくれた唯一の大人だった。

「なるほど、その庭石の上には蝶のはねえたご婦人が座っていらっしゃるのか。それでは『お会いできて嬉しい、不調法者ゆえ貴女あなたの美しい翅を賛美さんびできぬことがとても残念だ』と伝えてくれないか?」

 彼は自分の言う奇妙な友人のことを一度も否定しない。彼が大好きだった。


 そんな大叔父は病臥びょうがすることが多くなる。布団の中で彼は、時折英国時代に手に入れたという懐中時計を見せてくれた。

「雅彦、これは私がロンドンにいた時に英国の友人がくれた時計だよ。彼曰く、この時計には青い妖精が憑いていて、日本に行ってみたいと言っていると。私には見えないが、日本に来た感想を一度聞いてみたいものだよ」

 そう懐中時計を優しく撫でる大叔父の枕元には、いつも青いドレスを着た金髪の幼女が座っていた。


あるじ様、日本は楽しゅうございますユエ! 早くやまいを治されて、主様ともっといろいろなところに行ってみとうございますユエ! 主様のおそばにいとうございますレバ!』


 結局、大叔父はとこについたまま、青いドレスの幼い妖精の願いをかなえることもなく亡くなった。

 葬儀の日、預けられていた自分を母が迎えに来た。

 久方ぶりに会った母は、後ろめたいような悲しいような顔でこちらを見ている。

 大叔父の形見として受け取った懐中時計を握りしめ、愉快な友人たちと話すことをやめると決めた。


   ◆ ◆ ◆


 痛む脇腹を押さえ寝返りを打ち、ぼんやりと目を開けると庭先に寝転がっていた。

 はて、こんなところで昼寝でもしたのだろうか? 顔を横に向けると、烏帽子えぼしをかぶり真紅しんく狩衣かりぎぬを着たスラリとした優男やさおとこが自分を覗き込んでいた。


「……神主かんぬしさん?」

「あなや、小僧が目を覚ましおった。――ぬし様、主様~」


 神主のような姿の男が声を上げると、さくらはムッとした顔をしながらも小走りで現れた。

 彼女の不機嫌そうな顔を見つめ、ようやく米田よねだは庭に寝転んでいる理由を思い出す。

 すっぽりと腕の中に収まる彼女は、細くて柔らかくいい匂いがした――不埒ふらちな感想を考えていると、桜はゴミを見るような目で米田を見下ろした。


「あのようなふざけた真似、二度とするなよ!」

 嫌悪もあらわに吐き捨てる桜に、慌てて米田は釈明する。

「申し訳ありません、しかし不可抗力です! 急にねずみが大量に現れて……ねずみ? いやコウモリ的な? むしろ虫っぽい?」


 果たしてあれはねずみや虫の類だったのだろうか? 米田は言い立てながら自分が見た「小さな生き物」の姿を思い出そうと試みる。


 ――ねずみよりも小さいのもいたし、猫くらいの大きさのも……そもそも見たことないような生き物だった気がする。……こう、茶碗とかに足が生えた感じの……。


 自分が見たものを説明しようとすれば、恐ろしく非現実な描写びょうしゃになってしまうことに頭を抱えていると、桜はヒョイと手を伸ばし何かを掴む。

「これのことか?」

「そうそう、そんな感じの――ええぇぇ~~ッ! 何なのそれぇ~~ッ!?」


 桜の白い指がつまんでいるのは、お猪口ちょこにバッタのような脚が生えた、なんとも奇妙な生き物だった。


「お猪口っぽい虫? 虫っぽいお猪口? いやいやいやいや動いてるし、なんなの!?」

 お猪口虫(米田命名)に興奮していると、桜はそれを逃がしてから答えた。


「今のは可杯べくはいだ。下に高台がないため自立しないさかずきで、酒を注ぐと置くことができず、手で持ち続けないとあふれてしまう。つまり置きたかったら注がれた酒は全部飲み干せ、というなんとも厄介な盃だ。そのためか可杯の付喪神つくもがみもあのようにじっとしていられない」


 桜の手から逃れたお猪口虫改め可杯バッタは、ぴょんぴょんとバッタのように跳ね回っている。

 米田は呆気に取られたまま可杯バッタが物陰に隠れるのを眺めるだけだった。


「付喪神って……本当に?」

鳥山とりやま閣下かっかに任務の概要をお聞きしなかったのか? 我々の使命は強い付喪神の依代よりしろである骨董を探すことだと」

「聞きました! 聞きました、けど……まさか、本当に付喪神なんて……」


 改めて異形の存在を突きつけられ、米田は動揺する。

 あれらは「いないもの」のはずだ。家族は誰ひとり、あれらを見ることができなかった。あれらを「いる」と言えば、周囲にはホラ吹きだと笑われ、母には泣かれた。


「だって……そんなの、みんなはいないって――」


 不安定な米田の声に桜の胸はズキリと痛んだ。

 彼の怯えはそのまま桜の怯えでもあった。異能ゆえの孤独、それはその力をあがめられ重用された桜からも消えることはない。


 ――この人は私と同じ形の寂しさを知っている。同じ孤独を味わった仲間なんだ。


 だからこそ――桜は彼の目をじっと見つめ口を開いた。


「いる」


 米田の言葉をさえぎり、桜はきっぱりと言い切った。


「確かに付喪神は万人ばんにんに見えるものでもないし、受け入れられるものでもない。この任務が極秘ごくひなのはそういった理由もある。でも、彼らは存在している。だから、自分がえることを否定しなくてもいい。――ちゃんと私も視えている」


 彼らは存在している。ちゃんと私も視えている。――彼女の口から出た力強い言葉は、大鉈おおながとなって米田を縛っていた「普通」というくさりを叩き切った。

 他人が視えぬモノが視えてしまう。そのことをひたすら隠し続け、視えぬふりをして自分をいつわってきた。どんなに偽っても偽りが真実になることはなかったが……。

 そんな自分を苦しめた「異端であること」が、桜の言葉で許されたのだと思えた。


 米田はようやく胸元の隠しから金の懐中時計を取り出し、その表面を撫でる。

「じゃあこれも、俺の妄想もうそうじゃないんですね」

 いつの間にか米田の足元にいた幼女に桜は微笑ほほえんだ。


「お初にお目にかかる。時計の付喪神殿。青いドレスがお似合いですね」

 桜の言葉に青いドレスを着た西洋人形のような金髪の幼女はぴょこんと飛び上がり、ほおを染めた。


『あるじサマ、美しき女人がはかりのドレスをめてくだされたユエ! そこな女人はできた方でありますユエ!』


 自分の幻覚が生んだ存在だと言い聞かせてきた『見えないお友達』の計が他人に認められる。米田は喜ぶ計の姿に、不覚にも少々涙ぐんでしまった。

 視えることを否定し続けた米田に、存在を否定されながらも計は寄り添い続けてくれた。悲しい時も嬉しい時も、米田の隣にずっと一緒にいた家族のようなものでもある。


「俺、この任務、頑張ります。あいつのこと見えないふりをしなくていいなら、俺……」


 そこで言葉を切った米田はしゃがんで、『お友達』だった頃の目の高さに合わせる。すると計は満面の笑みを浮かべ、かつてのように彼の頭を撫でた。

 そんな米田と計を見て、桜はにこりとゆっくり笑った。

 初めて見せた彼女の微笑みの美しさに、米田の頬は自然と赤くなってしまう。


――俺、この任務、本当に頑張ろう!


 彼の決意を知ってか知らずか、桜はまた冷たいまでに静かな表情になると、黙々もくもくと作業に没頭するのであった。

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