(2)

 夕飯が終わると、さくらはちゃぶ台に古鏡と文献を並べ調べる。


 古代より鏡には神聖な力が宿るとされ、御神体として祀る神社も数多くあり、特に名高いのは伊勢神宮の八咫鏡やたのかがみである。

 黒岩氏の所有していた古鏡の制作年代は十七世紀中期、江戸時代に入ってからだ。

 制作年代や様式から見て、嫁入り道具などの、少し贅沢に作られた日常雑器の部類であろう。


 ――いくら思い入れがあったとして……二百年ほどしか時を経ていないモノが、千年からなる付喪神の小箱こばこを退けるほどの強い結界を張れるものなのかしら?


 桜が考え込んでいると、米田よねだは温かいお茶と一緒に落雁を盆に載せやってきた。

「甘いもの食べると、疲れが取れますよ」

 その言葉に桜は書物から顔を上げ、休憩を挟むことにした。


 米田は自分で座布団を敷くといつもの位置に座り、桜が読んでいた文献を覗き込む。古語で書かれたそれらを見て、手伝いますという言葉を呑み込んだ。


「しかし、この古鏡さんはなんであのお屋敷に帰るんでしょうね。あのお屋敷の何にこだわっているんでしょう?」

 米田のもっともな疑問に桜も振り出しに戻って考えた。

「……持ち主と相互に信頼と愛着があり、互いに呼び合っている。そういった関係であればモノが物理的に動くような強い力が生じることもあるかもしれない。この場合、モノだけでなく持ち主の力も共鳴するからな……。しかし、黒岩くろいわ氏に古鏡に対する愛着があるようには見えない」

「そうですよねぇ。そうなると、一方的に古鏡が帰りたいと思って、実行していることになりますよね」

 米田の同意に桜はますます考え込んでしまう。


「付喪神の力は経た時間の長さと持ち主の思いの強さに比例する。強い思いが込められたモノは、時に古い付喪神の力を上回ることがある。しかし、それは稀なことだ。どんなに持ち主が強く思っても、一人や二人の思いの丈では千年という年月に打ち勝てない」


 千年という月日を経たという事実はとても重いものだ。

 それは千年間途切れることなく、慈しみ、大切に扱い、時には修復を重ね、子々孫々がそれを守り伝える。千年の間大きく形を損なわずにモノが存在することは、そういった歴史をつなげた証だ。

 長い年月、人々に愛され続けた、それが付喪神の力の源でもある。


「う~~ん……そうすると、たくさんの人にものすごく大事にされたモノかもしれないってことですよね」

「この古鏡は日常の中の生活雑器だ。いくらなんでも二百年そこそこで、それほど所有者を替え、しかもその全員に強く思われるものだろうか? 持ち主に愛着が生まれなければ強い思いも生まれない。――だからこそ、この古鏡の力の強さは不自然なんだ」


 桜は曇った古鏡を見つめてみた。確かに細工の美しい鏡で骨董としての価値はある。しかしそれだけだ。


「じゃあ逆に、どんな状態だと短い年月で力の強い器物ができるんですか?」

 米田の問いにいつの間にか茶の間に現れた小箱が答えた。

「それは霊力の高い人間が作ったモノじゃ。霊力を注がれ自分の魂を削り作られたモノには最初から強い御霊みたまが宿る。いにしえの刀鍛冶や絵師などにそういった人物が数人おったが、当世には少ないのぉ。あとは御神体として多くの人に崇められると、祈りの力で強い神性を帯び本物の神になることがある――どちらにしても、千年からなるこの小箱を超える条件としては難儀じゃのぉ」


 小箱の物言いには多分に優越感が含まれている。しかし、その嬉しそうな顔を見ると、米田には文句が言えなかった。

 小箱は千年間人に愛されたことを誇りにしている。だからこそ桜に愛や喜びを持って仕えているのだろう。


「小箱……お前って結構、可愛くていい奴なんだな」

「……なんだ、突然……気色悪い」


 男同士の妙なやり取りは放っておいて、桜は古鏡の強い力の謎について考えていた。

 小箱の言ったように、初めから念が宿るよう作ったと仮定する。

 この鏡は製造年代から推定して、土にヘラを押し当て文様を入れた型を作り、そこに溶かした銅を入れ鋳造ちゅうぞう。その後鏡面を研磨し保護のためすずなどを鍍金ときんして作られる。

 いわゆる「一点物」のような製造過程では霊力を込めやすいが、鋳造という工程を持つ再元性の高いものに強い念を込めるのは難しい。たとえ込めたとしても、同じ型を使うほどに霊力が散り、弱まってしまう。


 ――型を一度しか使わなかった。としたら……文様に特異性もないし、制作年代の技術から考えても、あえて型を一回しか使わなかった理由も見当たらない……可能性は低いですね。


 もうひとつ、ご神体であった可能性も考えてみた。

 しかし、その目的で作られたものにしては文様が葡萄だけで、神獣などの図像もない。

 ただの生活雑器を御神体と崇めるような逸話がこの古鏡にあったと仮定し、制作時期が江戸の初期という時代の若さを補うほどの信仰があったしても、黒岩氏の許に至る郵送という雑な手段と結びつきにくい。


「……何にせよ、謎が多すぎる」

 桜は思考に行き詰まりを感じ、改めてため息をつく。

「まぁ、思い詰めずに、落雁でも食べて。――ただ、わかることはこの古鏡はあの屋敷にいたいってことですよね。何をしようと、あの屋敷にいなきゃいけない。そういう理由がこの古鏡さんにはあるってことですよね」

 皿を差し出す米田から落雁を受け取り、小さくかじる。口いっぱいに広がる甘味に桜は表情を和らげ、鏡を見つめた。


「そこに存在したい理由、か……」


 ふと桜は自分にそんな場所があるのか自問してみる。すると、瞬間的に今いる茶の間が思い浮かんでいた。


 ――まだ、三日しか経ってないのに。


 のほほんとした顔で菓子を頬張り茶を啜る米田を見ると、わけもなく照れくさくなる。

 桜は前髪で顔を隠すように俯き、また落雁を口にした。




 夜更け、パシリと大きな家鳴りが響いた。


「じ、地震!? 雷!?」


 米田は慌てて飛び起き、部屋を出る。すると、廊下には同じように飛び起きたらしい浴衣姿の桜がいた。


「下だ」

 短く言うと、桜は機敏に階段を下りる。米田も急いで彼女の後を追い、階下の店舗に向かう。


「主様、古鏡が顕現けんげんしておりまする」

 そこにはすでに小箱が待機していた。桜は頷き、息を整える。

 廊下を進み、店舗を覗くと――


「~~~~~ギィッ!!」

「シッ! 声を立てるな」


 悲鳴を上げかけた米田の口元を強引に塞ぎ、桜は彼の手を引き棚の陰に隠れた。

 白いヴェールを深く被り、丈の長い白いドレスの裾を引きずる白い女は、ゆらゆらと揺れてさまよう。

 白い女の影は何かを捜すように、店の中をゆっくりと歩いていた。


「……白いヴェールに洋装……あれが古鏡の幽霊か」

 ひどく冷静な桜のつぶやきに、米田は震えながら何度も頷く。

 白い女の幽霊はフラフラと店の中を廻ると、戸口へと向かっていく。


「で、出て、……いっちゃいますよ?」

「この敷地には私と小箱、二重の結界が張ってある。よほどのことがない限り破られることはないだろう。――小箱、結界の強化を」

「御意。――箱よ、閉じよ」

 小箱は姿を消し、顕現するための力を結界に注ぎ込んだ。

 とは言ったものの、絶対の保証があるわけではない。桜は結界が破られることも想定し、攻撃で足止めできるよう懐に忍ばせた符を取り出した。


 白い女の幽霊が戸口に近づくと、結界の障壁が発動し弾き返す。白い女は何度も拒まれながらも、外に出ようともがく。

 幽霊が痛みを感じるのかはわからない。それでも弾かれよろめきながらも前に進もうとする姿は、痛々しいものがあった。


「もう、やめなよ! 傷ついたりするの、痛いよ? もうやめようよ……。今はここから出してあげられないんだ、ごめんね。できれば、あなたが帰りたい理由、教えてくれないかな? 何か、力になれるかも――」

 米田は白い女に話しかけながら無防備に近づいていく。


「~~ッ! 米田少尉、下がれ!」

 不用意な米田の行動に桜は符を構え声を上げる。すると、白い女は振り向き、米田を見上げた。


『待っテ……イラれ……ゴメ……ナ……い』


 雑音のようなくぐもった声を漏らし、白い女は顔を押さえ俯くと、溶けるように姿を消した。

 米田は白い女のいた場所をじっと見つめたまま動かない。


「米田少尉ッ!?」

 桜が駆け寄ると、米田は引きつった笑顔を浮かべたまま、唇を震わせ口を開いた。


「か、かかかかか、かお、顔が……なぃ」


 それだけ言うと、米田は腰を抜かしてその場にしゃがみ込み、「ヒィィィィィ」と情けない声を上げそのまま気絶した。



 真っ暗な店の中を一匹の蛍がフワフワと舞っていた。

 結界の壁に触れぬようゆっくり飛び回ると、やがて蛍は古鏡の包みに留まり、はねを休ませる。


其方そなたノ願イ、叶エテヤロウ』


 蛍の青白い光に呼応し、古鏡がカタカタと震え音を立てる。


『あの人の苦しみが……れるように……』


 声にならぬ悲しい音はやがて青白い光に染まり、古鏡を包んだ。

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