(1)

 翌朝はさくらのお説教から始まった。


「まったく……何もなかったからよかったようなものの……、あの古鏡は『力が強い』と再三言いましたよね。もし、攻撃的な反応をしたら、どうするつもりだったんです!? 何か対応策は用意しての行動だったのですか? 後先のない思いつきの行動は慎んでください。こんなことが続いたら、私の心臓が持ちません!」


 一晩経っても大変ご立腹な桜は、眉を吊り上げ米田よねだを叱る。

  興奮しすぎているのか、いつもの軍人らしい言葉遣いは消え、素のようだ。


「申し訳ありません……本当に、ごめんなさい」

  素直に謝る米田だが、桜の怒りは収まらない。

「私は誰かの心配をするのが苦手ですし、嫌いなんです! ああいう無茶なこと、もうしないでください! 部下であれ夫であれ、私と一緒にいたいなら、それをちゃんと守ってください!!」


  桜は頭から湯気が出そうなくらい怒っていたが、彼女が説教するほど米田の顔はだらしなく崩れる。


  ――それって、俺のことすっごい心配してくれてるってことだよね? 無茶苦茶気にかけてくれてるってことだよね!


  深く反省はしているが、どうしても笑みが浮かんでしまう。米田は頬の裏側を噛んで、やにさがるのを我慢した。


「何をニヤニヤしているのです! もっと反省しなさい!!」

「ひゃい、反省してましゅ」


 桜の叱責に、米田は血が出る勢いで歯を食いしばった。



 ようやく怒りが収まった桜と頬の内側を口内炎のように腫らした米田は、引き続き古鏡の周辺及び来歴調査に出かけた。


 黒岩くろいわ邸のおまさから聞き出した、元女中がしら・おきよ四谷見附よつやみつけにある住まいは昔ながらの棟割長屋むねわりながやで、年老いた彼女はそこに独りで暮らしていた。

 いきなり訪ねてきた見ず知らずの二人に、至極当然だがお清は隠すことなく訝しげな表情を向ける。


 米田は無礼を詫びつつ、骨董屋としての自己紹介を簡単にし、早速本題を切り出した。

「私どもは黒岩様からお品を引き取らせていただきましたが、黒岩様もお屋敷の皆様も来歴をご存知なく……。こちらとしても素性のわからぬ物は価値が落ちてしまうので、何かお話を聞くことはできないかと、先様に長く仕えておられたというお清さんをお訪ねした次第にございます」

 米田が丁寧に頭を下げると、お清は少しだけ警戒を解いた。


「立ち話もなんです、お上がりください」

 お清は二人を家に上げ、茶を振る舞う。

 女中頭を務めただけあって、お清はまるで武人のように隙がない。何か声をかけるべき隙がないかと米田が窺っていると、お清は口を開いた。

「骨董のことと言われましても、旦那様が蒐集を始めたのは、お屋敷を建ててから。私は麹町こうじまちに移って一年も経たぬうちにお暇を頂いたので、何も存じません」


 取り付く島がない。

 あまりにもバッサリと会話の緒を断ち切られ、米田は一瞬反応できなかった。


「いえ、私どもは、黒岩様が古くから所有されていた、銅の鏡について教えていただきたいのです」

 桜の助け舟に米田は気を取り直し。乗った。

「え……ええ、そうです。あの古鏡にはなかなかの価値があるので、来歴を調べてもう少し作者や謂れを知りたいと思った次第で、す……」

 慌てて話を本筋に持っていくと、お清は一瞬、苦い表情になった。


「旦那様は……やっと鏡をお売りになるのですね」

 お清は小さくつぶやいた。複雑な色合いが含まれた声は、安堵しているような、惜しんでいるような。疲れた響きがあった。


「あの鏡について何かご存知なのですね」

 お清を見据え、すかさず桜は質問ではなく確認をした。するとお清の顔は強張り、すっと目を伏せて桜と米田からの視線を避けた。


「あの鏡から幽霊が出るという話はお聞きになりました?」

 桜が問い直すと、お清は目を伏せたまま何も答えない。

「白いヴェールを被った女の幽霊が、夜な夜な何かを探しさまようのです。そのようなこともあって、黒岩様は古鏡を手放すことにしたと私どもはお聞きしました」


 淡々とした桜の口調にお清は深く俯く。

 彼女は古鏡に関し、何か後ろめたい思いがある。――桜はそれを確信し、イチかバチかでお清に迫ってみた。

「お清さんは、黒岩様にあの鏡を贈った人物とお知り合いですよね。――その人物と黒岩様の因縁も……」


 お清の肩がびくりと跳ねた。ごまかしようのない反応にしばらく視線をさまよわせたのち、しかし首を横に振る。

「いいえ、何も存知上げません」

 そう答えるとお清は以降、口を閉ざした。



 万葉堂まんようどうに帰ると、米田はきんつばを皿に盛り、作戦会議と称するおやつの支度をした。


「あの人、絶対いろいろと知ってますよね」

「ああ、そうだな……」

 米田の話に生返事をしながら、桜は考えていた。


  古鏡は二十年も前から黒岩氏の手にあった。しかし幽霊が出たのは一~二年前から。それ以前の騒ぎはない。

 お清が仕事を辞めた時期を境に、怪奇現象が始まった。時系列的にはそういうことになる。


 ――お清さんが幽霊を封じていた?

 桜はその姿を思い出してみた。彼女からは霊力は感じなかった。

 しかし、確かにわかったこともある。


「お清さんは確実に、古鏡を黒岩氏に贈った人物を知っている」

 桜は声に出して言ってみた。すると米田が首をひねる。


「……つまり黒岩氏とお清さん、二人とも古鏡の送り主を知りながら隠している。ということになりますね」

「そうだな……。前の持ち主に関する情報を知られたくない。ではなぜ?」

 米田は唸って、情報を明かさない理由をひねり出してみる。


「例えば……実は黒岩氏とお清さんが共謀して盗み出したものである、とか……」 「そうしたら、下手に隠さずに『代々伝わる品である』とか『どこの誰それから買い受けた』ととぼけたほうが得策だ。中途半端に事実を語る意味がわからない」

「……じゃあ、二人は旧所有者との関係を伏せたい、とか?」

「それも、適当な嘘でごまかせば……あ、罪悪感……!」


 桜は黒岩氏が口にした違和感のある単語を思い出した。

「罪悪感が……二人の口を閉じさせる」

「……なんすか、それ?」

「前の持ち主に対する、二人の感情」


 そう言ったきり黙って考え込む桜に米田は少し笑って肩を竦めると、茶葉を替えるため席を立った。



 その夜も深まると、古鏡から白い女が現れ店の中をさまよい始めた。

 あらかじめ待ち構えていた桜と米田は昨晩と同様に棚の陰に身を潜め、白い女の様子を窺う。


「今宵も大丈夫でございますよ。昨夜と同じく小箱と主様の二重の結界が張ってありますゆえ、あの者では打ち破れますまい」

 小箱の自信満々な物言いに、米田は顔を曇らせた。


  昨晩のあの痛々しい行為をまた繰り返すのだろうか……。できれば、そんなことはしてほしくない。

 米田は祈るような気持ちで白い女の背に目を向けた。


 桜たちの監視中、白い女は一通り店をさまようと、戸口ではなく棚が置いてある西端の壁際に歩んでいく。

 初めて見る動きに、桜の表情が険しくなった。

「昨日と、違う」


 白い女が手を伸ばし、指先で西端の棚に触れると結界の障壁が発動した。

 チリチリと火花を散らし、白い女の指先を拒むも、その手は弾かれることなく、見えない壁を抜けていく。


「あやつ、結界の結び目を見切りおったわ! 主様、結界を編み直しますゆえ、足止めを願います」

 小箱の言葉に頷き、桜は捕縛の符を白い女の背に飛ばした。

 符は蜘蛛の巣に姿を変え、白い女を包み込む。網となった蜘蛛の糸は、そのまま白い女を搦め捕る。


「動かないで! おとなしくすれば、それ以上は――」

『邪魔しないで……私は行かなくちゃ……』


 明瞭な発音で桜の申し出を拒否する。

 口がないはずの白い女のはっきりとした声――桜は硬い表情で女の背を睨んだ。

「……その力は、どこで手に入れたのです」

 桜の厳しい声に、捕縛を物ともせず白い女は振り返った。


『あの人の……傍にいかなきゃ……』


 その女には「顔」があった。ぽっかりと開いた眼窩がんこうに青白く輝く目玉、耳まで裂けた口はやはり青白い不気味な光を放っている。

 化け物じみた顔になった女の目からは、赤い血が涙のように溢れ出していた。


「ヒィッ!」


 あまりの異様な容貌に米田は悲鳴を漏らした。

 無理やりこじ開けたくぼみに嵌められている青白い瞳は、白い女の力を枯渇させんばかりに吸い上げ、過剰な霊力に変えている。


「そんなもの……あなたには似合わない」

 桜は苦く呟くと、紙人形をばらまく。


「封ぜよ!」


 紙人形たちは一斉に襲いかかり白い女の顔に張りつく。女はよろめきながら顔に手をやりもがきだした。


「みんな、押さえて!」


 桜の号令に棚に身を潜ませていた小さな付喪神たちがキィキィと騒ぎながら、白い女に飛びついた。


「米田少尉も手伝う!」

「は、はひッ!」


 桜に押し出された米田も慌てて加勢する。

「女性に……申し訳ない!」

 謝りながらも米田は白い女を押し倒し馬乗りになった。

 顔を封じた紙人形のおかげで、白い女は無力化している。桜は急いで女の許に駆け寄った。


「押さえていろ、すぐに済ませる!」

 桜は白い女の傍に膝をつくと、紙人形にくるまれたその顔に手をかざす。

「ごめんなさい……すごく痛いです」

 そのまま桜は女の顔に手刀を突き刺した。


「~~~~~~ッ!!」


 桜は手を女の顔にめり込ませ、何かを掴むと一気に引き抜く。

「……こんなひどいこと、私にさせないでください!」

 怒りに満ちた声で呟くと、その手を開いた。


 桜の掌からフワリと蛍が飛び立つ。ぼんやりと青白い光を放ちながら、蛍は桜の周りを飛び回り、やがて姿を消した。

 蛍の青白い光が消えると、白い女の顔から紙人形たちがカサカサと音を立て剥がれていく。


 まだぽっかりと眼窩を空けたままの女はうわ言のように、塞がっていく裂けた口で黒岩氏の名を呼んでいた。


『善次郎様、善次郎様……私を許して、善次郎様』


「俺、伝えますから! だから、あなたの名前を!!」

 咄嗟に叫んだ米田に白い女は消えそうな声で答えた。


『……三鈴……』


 それを最後に眼窩と口は完全に塞がり、白い女は元ののっぺらぼうに戻った。

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