(4)

本部まで駆け付け香取かとり秘書官を呼び出すと、彼は恐ろしく迷惑そうな顔で米田よねだを見下ろした。

「米田、私を気軽に呼び出すとは……いい度胸だな」


 だから、なんでこの人いちいち怖いの!?


 米田はビクビクしながらも桜の言葉を伝えた。

「お、お忙しい中、申し訳ありません。草薙くさなぎ少佐から香取秘書官に、ご愛顧の腕のよい研師を紹介してほしいとのことで……」

 研師という単語に香取秘書官は険しく眉を寄せた。

「……嫌だ」

 吐き捨てるように言うと踵を返してしまう。

「ちょっ! お待ちください! あと、草薙少佐がこれを届けるように、と」

 米田は慌てて追いかけ、風呂敷で包んだものを香取秘書官に押しつけ粘る。


「しつこい! まいないなど受け取らんぞ」

「蒸し羊羹二さおです。お納めください」


 蒸し羊羹という言葉に香取秘書官の眉がぴくりと動いた。彼はようやく足を止め、振り返る。

「く、栗入りです。二棹とも栗入りの蒸し羊羹です!」

 桜に言われたとおりのものを差し出すと、香取秘書官は舌打ちして受け取った。 「……姫の命なら仕方ない。――米田、ついてこい」


 嫌そうに言ったものの、香取秘書官は自ら研師の許に彼を案内した。



 神楽坂上かぐらざかうえの小さな稲荷神社の脇に入った横町に、黒塀と見越しの松という見るからに娜婀あだっぽい家があった。


「たのもう」


 香取秘書官は道場破りのような声をかけると、「はぁ~い」と鼻に抜けた甘い声が返ってくる。


「あらあら史朗ちゃん、近頃よく来るわねぇ。あら、こちらの可愛い坊やはなぁに? 史朗ちゃんの後輩かしら? さぁさ、二人ともお上がりよ」


 グッと襟を抜いて縞の着物を着こなした色っぽいお姐さんが香取秘書官ににこりと笑い、戸惑う米田にしなだれかかる。

「こういうとこ、初めて?」

 妖しく笑うお姐さんにドギマギしながら、香取秘書官に助けを求める。

「え? あの、初めてです……っていうか! 別にお座敷遊びがしたいと言ったわけではなく……つうか、明るいうちからどこに来てるんです!? 出世すると昼間にこんなとこに来られるんですか!? 羨ま……けしからんですよ!!」


 米田が憤慨すると、香取秘書官は不機嫌極まりない顔で口を開いた。

「お前が腕のいい研師を紹介しろと言ったのだろう。おかしな勘違いをするな――麻季まきさん、研ぎをお願いしたい」

「え? 研師?」


 思わず米田は色っぽく笑う綺麗なお姐さんを二度見した。

「そうよ~、私、研師なの。ウフフ、坊やも刀を研いでほしいの? 恥ずかしがらずに坊やの腰のもの、お姐さんに見せてちょうだい」

「あ……やめ、そんな……俺には妻が……」


 迫り来る麻季から逃げ腰になっているのに、香取秘書官は米田を助けるでもなく、「紹介料」である羊羹の包みを開き、栗の入り具合を検分していた。

 汚されちゃった……そんな気分で小脇に抱えて持ってきた風呂敷包みを開け、銅鏡を差し出す。


「これを、研いでいただきたいのですが……」

 麻季は古鏡を手に取るとじっと見つめる。

「この鏡、歪みが入れてあるけど……模様? この模様も研ぎ出して鮮明にする、ってことかしら?」

 ひと目で鏡面の凹凸を見抜いた麻季に米田は驚きの眼差しを向ける。


「は、はい、そうです。そうしていただけると助かります!」

「いつまでに?」

「できるだけ早く……信じてもらえないかもしれませんが、この古鏡、夜になると勝手に出歩くので」


 一応、冗談にできる軽い調子で話すと麻季はあっさり頷いた。

「あら、これも業物わざものなの。史朗ちゃんが持ってくるモノっていつもそんな感じよね……。大至急っていうなら今すぐ取り掛かって明日の朝までには仕上げるけど。その代わり史朗ちゃんの刀は後回しにするから」

「……戻り橋の作戦のためならやむを得ない」

 麻季の言葉に香取秘書官は不服そうに口をへの字にしたが、素直に了承した。


「あの、古鏡が歩き回る件については……」

 おずおずと米田が尋ねると、香取秘書官がなんでもないように答えた。

「この店はそういったモノの扱いに慣れている。今晩は私が警護するから気にするな。米田、お前は帰って姫の傍にいろ。警護を怠るな」

「香取秘書官……ありがとうございます」


 珍しく優しい香取秘書官の申し出に米田が感動していると、麻季が色っぽく笑った。

「じゃあ史朗ちゃんは、お座敷のほうで遊んで一晩待っててちょうだい、若い子呼んでおくけど、ハメはずしておイタはダメよ」

「わかった。作戦のための警護任務なので代金は戻り橋につけてくれ。じゃ、米田は帰れ」

「――え?」

 香取秘書官は米田を外に手荒く放り出すと、ぴしゃりと戸を閉めた。



 いろいろ悔しくて米田は半べそで万葉堂に帰る。


「なんすか! あの香取って人! 綺麗なお姐さんに『史朗ちゃん』なんて呼ばれてるくせに、結局俺を追い出して一人でお座敷遊びしてるんですよ! そこはさぁ、後輩の後学のために、俺も呼んでくれたっていいと思わない!? 俺、お座敷遊びしたことないって言ったのに! ひどくない!?」


 書き付けをしていた小箱を捉まえ泣きついた。

「小僧……おぬし、なかなか不憫な奴じゃのぉ」

 さすがの小箱も慰めの言葉をかけると、ますます米田はぼやきまくる。

「俺だってお座敷遊びしたいよ! お座敷でハメ外すってなんだよ! おイタってどういうことだよ! 小箱ぉ~、小箱も芸者をあげて大騒ぎしたいよねぇ~~!」


 悔し泣きの米田の後ろには、いつの間にかさくらが立っていた。


「ほぉ……。妻がいるにもかかわらず、お座敷遊びがしたいとな」

 仁王立ちの桜は不気味な笑みを浮かべ米田を見下ろしていた。

「遠慮するな、たっぷり座敷で遊ばせてやろう」


 桜の優しい気遣いのおかげで、米田はたっぷり一晩座敷で正座し、反省文をみっちり書かされるのであった。


 ◆ ◆ ◆


 翌朝、古鏡を届けに来た香取秘書官はいつものようにピシリとしていて、一晩お座敷遊びをしていたとは思えない様子だった。


「古鏡の研ぎ、完成しております。お確かめください」

 香取秘書官は桜に恭しく包みを差し出す。桜は礼を言って受け取ると、包みを解いた。 鏡面は濡れたような美しい輝きを取り戻し、桜の顔をしっかりと映している。 

 まるで新品のような仕上がりに研師の腕の確かさを実感した。


「素晴らしい出来ですね」

「姫からお褒めに与かった、と研師にも伝えます」


 前髪さえ乱れていない香取秘書官が研師のお姐さんに「史朗ちゃん」などと色っぽく呼ばれていること(米田よりの情報)を思い出し、桜は微妙な気持ちになってしまう。

 桜はじっとりとした疑惑の視線を彼に向けた。


「? 姫、何か不手際でも?」

「いいえ、夫の悪い遊びを水際で止めていただき感謝しております」

 感謝という割には冷たい桜の声に、香取秘書官は意味ありげに微笑み、そのまま引き揚げた。


「まったく……男の方って、本当に信用なりません!」


 ぼやきながらも、桜は受け取った古鏡で早速反射光を作ってみる。

 板塀に映った円い光の中に浮かぶ像を、じっと見つめ確認をする。


「……やはり、そうでしたか」


 自分が予想したとおりの結果と、それによって導き出される答えに、桜はキッと唇を結んで背筋を伸ばした。


「米田少尉、今日こそ決着をつける。出かける支度を」

「はい、米田少尉、致します」


 桜は古鏡を胸に抱きしめる。

「三鈴さん、あなたの望む場所に連れて行きますからね」

 彷徨う白い女に桜は小さな声で誓った。

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