(1)

 雀のさえずりを寝起きのぼんやりした頭で聞く。

 畳の上で目を覚ました米田よねだは知らない天井と部屋を見回し、大あくびをしながら伸びをすると――


「イッ、ででででで」


 体を捻ったとたん鳩尾みぞおちが痛んだ。痛みの原因を思い出し、昨日からの出来事が夢ではないことを再確認する。

 

 帝都防衛における特殊器物徴収作戦、潜伏のための結婚、付喪神の宿る骨董品。


 冗談にしてもタチの悪い、米田の理解を超えた現実に笑うしかない。


「もう、こっちが夢じゃないの? こう霞かかってるし……、モクモクとコゲ臭い煙がいっぱいで煙いし……って煙すぎないっ!? ――少 佐ッ!!」


 米田は慌てて飛び起きて、続き間の桜の部屋を確認した、が、彼女の姿はない。そのまま転がり落ちるように階段を下った。


「草薙少佐! ご無事ですか? どこです!? 返事をしてくださいッ! ――さくらッ!!」


 一階はすでに煙が充満して真っ白。むせながら窓を開け、煙を逃がし、火元を探す。

 一番煙が充満していた台所にはなぜか火の気はなく、開け放たれた勝手口から煙が供給されている。

 米田は血相を変えて外に飛び出す。と、そこには変わらぬ様子の桜と小箱こばこがいた。どうやら二人に火事の被害はないらしい、米田はほっと胸を撫で下ろした。

 

 そんな米田にお構いなく、二人は難しい顔をして、朦々と煙を上げる七輪を覗き込んでいた。この七輪が煙の源らしい。


「主様、これはさすがに焼きすぎでは……」

「いいえ、生焼けは食中毒のもとと軍医殿も仰せでしたもの……もう少し焼いたほうが」


 二人が覗き込む七輪の網の上には、ブスブスと煙を上げる炭化した何かが……。


「……朝から、炭作り、ですか?」

 米田はおそるおそる尋ねると、桜は小馬鹿にしたように笑った。

「フン、厨房に入ったことのない男子は、これだから困る……わからぬかもしれぬが、朝食のメザシを焼いておるのだ」


 米田は二度三度瞬きをして「朝食のメザシ」と桜が主張するものをじっと見た。

 通常のメザシよりふた回りほど小さくなった「ソレ」は、水気や脂が完全に飛ばされ、立派な固形炭になっている。箸でつまんだら、すぐさま炭粉になるだろう。

 桜の完璧な炭作りの腕前に何も言えずにいると、彼女は胸を張った。


「もう少し待っていろ。すでにご飯と味噌汁はできている」


 そう言い桜は炭作りに戻る。米田は引きつった笑みを浮かべてそっと台所に引き返し、置いてあった鍋とおひつを開けた。

 中のご飯は見るからに生煮えで、鍋の中にいたっては、何か得体の知れないこげ茶色のどろりとした液体で満たされている。

 味噌汁、と呼ばれたモノからは、なぜか甘酸っぱい刺激臭が漂い、だしや味噌の香りは完全にかき消されていた。


 ――コレ、絶対にダメなやつだ……!


 米田は鍋の中を見なかったことにして蓋を戻し、しばし考え込んだ。

 朝食を用意してくれた彼女を傷つけることなく、この生命の危機になりかねないモノを口に入れない方法。

 米田の脳はかつてないほどの速さで演算処理をした。


「少佐~、俺、朝は少食なほうなんです。え~っと、もっと軽めにしませんか?」


 苦しまぎれの米田の提案に、メザシを焼き終えた桜は少し首を傾げ、何かに気づくとおひつの蓋を開けた。

 味見皿に取ったご飯を一口食べた彼女の顔はみるみる歪む。


「……ゴリっとする」

「あ、あの、俺、演習の時よく炊事係やっていたんで! ご飯炊くの得意だし、好きなんです! 大丈夫です!!」

 黙って肩を落としてしまった彼女に何度も「大丈夫です」と声をかけ、米田は手早くだしをとって芯の残るご飯を土鍋で炊き直した。

 桜が用意したらしい大根の葉を刻んで散らし、溶き卵を落とすと、あっという間に卵雑炊を完成させる。

 米田はしょげ込んだ桜を宥めて食卓に着かせ、美味しそうな香りを漂わせる土鍋から、中身を椀によそった。


「朝食の仕度、朝早くからありがとうございました。冷めないうちに、どうぞ」

 台所のそこかしこに残った苦戦のあとに桜がどれほど懸命に朝食に取り組んだのか、米田にもわかっている。


 ――ちゃんと作ってくれたものを食べるのが本当かもしれないけど、食べて倒れたら余計傷つくだろうし、少佐がご自身の料理で倒れられたら、それはそれで困るし……。一生懸命がんばってくれたのに、ごめんなさい。


 心の中で謝罪しながらも、米田は素知らぬ顔で手を合わせ雑炊を食べ始めた。


「……いただきます」


 桜も暗い顔のまま雑炊をノロノロと一匙口に入れた。


「~~~~~~~っ!!」


 パァァァっと桜の顔が明るくなる。頬を赤らめ、一生懸命雑炊を食べだす。


「……あ、ありがと」

 小さな声で礼を言うと、彼女はまた雑炊を食べた。

「い、いえ……」


 ――もうっ! なんなの!? 可愛すぎるでしょ!? 俺、少佐のために毎朝味噌汁作る人生を過ごしたい……。


 米田も顔を赤らめ、二人はお互い赤くなりながら朝食の時を過ごすのだった。



 米田が朝食の片付けをしていると、朝食の失態を取り戻そうとしたのか、桜が座敷の掃除を始めた。


「こう見えて、掃除は得意なのだ、――ハァッ!」


 桜は得意げな顔でそう言うと、箒を薙刀のように構え、畳の上を薙ぐように振り回している。

 気合十分な掛け声とともに埃が舞い散ってはいたが、一向に綺麗になる様子はない。


「その……そう、じ……をされて、いるんですよね?」

 基本に立ち戻った質問をする米田に、桜は真面目そのものな表情で答える。

「他に、何をしているように見えるのだ?」

 薙刀の演武、という答えを米田は奥歯ですり潰して?み込んだ。


 米田が改めて座敷を見回すと、直置きの水を張りすぎ畳を濡らすタライに、絞りきれてない雑巾、なぜか床の間に立てかけてある叩き……。

 掃除をしようという意気込みは伝わるが、どうにもうまく回っていないことも同時に見えた。


「自分、官舎でも掃除当番をすることが、多かったので……え~っとなんというか、掃除も得意なんで……」

「……すまない」

 今度は素直に米田に箒を渡す。肩を落とす桜の姿に胸が痛んだが、この際と米田は口を開いた。


「草薙少佐、自分は付喪神や骨董のことはさっぱりわかりません。もちろんこれから勉強しますが、今は帳場に座っても店番するのが精一杯となるでしょう。しかし、家事は得意です。――どうでしょう。効率を考えて適材適所でいきませんか? 少佐は骨董屋の店主として表に出る。自分は主に家事をする。そのほうが自分は助かります」


 米田の提案に、桜は何か言いたげに口をモゴモゴしたが、そのままこくりと頷いた。

「……わかった。そうしよう……私は店舗に残った器物の仕分けをしてくる」

 そう言って桜はトボトボと店先へと去っていった。


 桜のしょげた後ろ姿を見送り、米田は腕まくりをする。

「頑張ってる少佐から仕事取り上げたんだから、綺麗に掃除しなきゃな……」

 箒を壁に立てかけると床の間の叩きを取り、米田はこれ以上ないくらい真剣な表情で埃を落とし始めた。

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