(3)
(この古鏡、徴収だ)
(了解)
米田も小声で答えると、すぐさま笑顔を作り
「この古鏡、大変興味深いお品です。どうでしょう、私どもにお譲り願えませんか?」
単刀直入に切り出すと、黒岩氏は片眉を上げ意地の悪い顔を作る。
「
成功した実業家らしく、黒岩氏は米田たちの違和感を見抜いていた。
ごまかす言葉が見つからず口籠ってしまった米田と桜に、黒岩氏は意地の悪い顔のまま笑い、すぐに質問を撤回した。
「ハハハ、すまない。ちょっと意地悪なことを言ってみたかっただけだ。君たちの正体なんて、はっきり言ってどうでもいいんだ。――私はね、その鏡に振り回されるのにもう疲れたんだよ。使用人どもは幽霊だ祟りだと騒いで、退職者まで出る始末……。売り払おうにも勝手に鏡は帰ってくる……。もうウンザリだ」
陶人形の「悲しいおうち」という言葉を裏付けるような自暴自棄にも見える黒岩氏の態度に、桜は眉を顰めた。
「この際だ、金はいらない。私にとって、それはゴミ同然だ。さっさと持って帰ってくれ」
「しかし、それでは――」
米田が異議を唱えようとすると、黒岩氏は大きなため息をつく。
「戻ってくるたびに返金するのも面倒なんだよ……。私はこれ以上それを手元に置きたくない。君たちがその鏡をしっかり引き取ってくれるなら、成功報酬として差し上げよう。そういうことではダメかな?」
疲れきった黒岩氏の声に、米田は何か言いたげだったが結局何も言わなかった。
「それでは、そのように然と承りましょう――この古鏡はいただいていきます」
桜はきっぱりと言い切ると、古鏡を包み直した。
古鏡の包みを抱えた桜は肩を怒らせずんずんと歩いていく。
「少佐、待ってくださいよ!」
米田は先行する早歩きの桜をゆっくりとした足取りで追いかけた。
「なんでそんなに怒ってるんですか」
桜は立ち止まって米田を睨んだ。
「怒らずにいられるか! 愛着がないとはいえ……あんまりではないか!!」
叫ぶように怒鳴ると、桜は鏡の入った包みをぎゅっと抱きしめた。
「……でも幽霊が出るなんて言われたら、手放したくなるのも仕方ないんじゃ……」
「それでも! それでも、もう少し惜しんでやってもいいはずだ! それを『ゴミ同然』だなんて……黒岩氏から見たら厄介なただの物かもしれないが……こんなの、古鏡がかわいそうだ!」
物は美術的価値でも見出されない限り、壊れたり古くなればいつか捨てられてしまう。それは仕方のないことだ。
しかし、人の役に立つためにと作られた物だからこそ、最後は感謝で送ってやるべきではないのか。
この古鏡は黒岩氏にとって日用品でもなく美術品でもなかった。
だが彼の手に渡るまで大事にされてきたからこそ、二百年以上も美しい姿を保ってきたのだ。
この古鏡を愛してきた人々の思いを踏みにじる「ゴミ同然」という黒岩氏の言葉が、桜には許せなかった。
桜は肩を震わせ俯く。
「あの男には物の声は聞こえない。だから物に心が宿るなんて知らない……それでも」
桜の声に悲しみが滲んでいた。
震える桜の肩を見つめ、米田は意を決して彼女の手を握る。
「こんな時、何を言えばいいのかわかりませんが……あそこに茶屋がありますから、ちょっと休憩していきませんか?」
「え、何を!?」
少々強引に手を引く米田に文句を言うタイミングを逸した桜は、モゴモゴと口の中だけで彼の無礼を責めた。
茶屋の店先にある縁台に座っても、手を握られた驚きで桜の心拍数は上昇したまま元に戻らない。
桜の気も知らず、米田はのほほんとした顔で壁に貼られた品書きを眺めていた。
「少佐も甘酒でいいですか?」
ドキドキしながら桜が頷くと、米田は甘酒を二つ頼んだ。「はぁ~い」と店員が返事をして行ってしまうと、二人のあいだに妙な沈黙が流れる。
「あ、あの! ……お天気、いいですね」
「何を今さら……」
米田のセリフに思わず噴き出すと、彼も照れたように笑った。
あ、この笑い方、好き。――自然とそんなことを考えていた自分に驚き、恥ずかしさで体温が二~三度上がる気がした。
ほどなく甘酒が運ばれてきた。湯気を上げる温かな甘酒をフゥフゥと息を吹きかけ冷まし、少しずつ啜る。トロリとした甘さに、お腹の中から躰がじんわりと温もっていく。
隣を見ると、米田も同じように湯呑みにフゥフゥと息をかけ甘酒を啜っている。その姿を見て、桜はふんわりと微笑んだ。
先ほどの怒りと悲しみはいつの間にか和らいでいる。
桜はようやく落ち着きを取り戻しホッと息をついた。
――この人といると調子が狂ってばかりなのに……。
膝の上に置いた古鏡の包みに手を添え、桜はぼんやりと考えていた。
「まだ、さっきのこと怒っていますか?」
米田は桜の機嫌を探るような、少々情けない調子で声をかけてきた。
「別に……もう怒っておらん!」
先ほど自制できず激昂した未熟な自分を思い返し、桜は反省はした。が、そんな姿を米田に曝してしまったことが恥ずかしくて、つい強い口調になってしまう。
桜の声に米田は肩をすくめたが、またすぐにニコリと笑い甘酒を飲んだ。そして一息つくと、おもむろに口を開く。
「……少佐はまた怒るかもしれないけど……俺、黒岩って人、そんなに責める気になれないっていうか……嫌いになれないんですよ」
「~~ッ、なぜだ? あの男――」
その言葉に桜が目を剥くと、米田は慌てて補足する。
「ごめんなさい! でもあの人、自分の生まれ故郷である長崎が美しくないって言ってたんですよ。過去の思い出も懐かしめないって……。それって、とても悲しいことなんじゃないか、って思うんです。自分の歩んできた今までについて、そんなふうに否定するってとても不幸なことなんじゃないかな……だから俺は嫌いになれないっていうか……かわいそうだなって……思って」
米田は反論しようとする桜を見つめ、少し悲しい目をした。
「黒岩って人、寂しくて悲しそうな人ですよ」
彼の静かな声に桜は陶人形の「悲しいおうち」という言葉を浮かべた。
「悲しいというなら……彼は何をそんなに悲しんでいるのだろうな?」
「わかりません……でも黒岩氏の態度から、この古鏡と何らかの関係があるような気もします」
米田の言葉に、桜は黒岩氏との会話を思い返した。彼にはこの幽霊騒ぎの原因について心当たりがある、桜にはそう見えた。
米田は桜の膝の上の包みを眺め、首を傾げる。
「この古鏡に聞けばわかるんだろうけどなぁ。……付喪神になら何かしゃべるかも――
『ハァイ、聞いてみますユエ』
いつの間にか顕現し米田の隣に座っていた計は、チョコチョコと桜の傍に歩み寄ると古鏡の包みに小さな手を乗せた。
『モシ汝、汝は誰が子ゾ』
計は問いかけ、しばらくすると首をコテンと傾ける。
『主様、このモノ、口がないユエ答えられませぬユエ』
計の答えに、今度は桜がコテンと首を傾げた。
「口がない? ……のっぺらぼうだから答えられない、ということか……?」
「チョッ! のっぺらぼうって……ややややや、やめて」
米田が青ざめると、桜は苦笑いして古鏡の包みを撫でた。
「とにかく、この古鏡には何かが宿っていることはわかった。――なぜ口を閉ざしているのか……。――調査開始だ」
「はい、米田少尉、致します」
桜は気持ちを改め顔を上げ直す。凜としたその表情に、米田も姿勢を正し返事をした。
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