帝都あやしの恋巡り 伝令・上官を直ちに娶られよ!/群竹くれは
ビーズログ文庫
始まりの始まり
始まりの始まり
突然、日常が変容することがある。予測もしない出来事に現実が引っくり返され、今までの当たり前が当たり前ではなくなってしまう。
なるほどそのようなこともあるかもしれない。
――他人事ならばわけ知り顔で頷けもしよう。
しかし自らに起きてしまったら?
――果たしてその限りだろうか。
直属の上官である
昨年春に士官学校をぎりぎりの成績で卒業した出世とは縁遠い新任
――射撃の成績が悪すぎて……それとも軍務中におばあさんに道を尋ねられ、案内しようとして一緒に迷子になったことがバレた、とか……。
叱責を受ける覚えなら欠かすことのない米田は、思い当たるフシが多すぎてどの理由で呼び出されたのか逆に見当もつかない。
しかし、一介の准尉に
「あ、あのぉ~、自分……どんなことをやらかしてしまったのでしょうか?」
「知らん」
上官の非情なまでに短い答えに、米田は小さなため息をつき、黙って歩く。
黒光りする重厚な扉の前に着くと、鈴木は姿勢を正した。
「鈴木中尉、入ります。米田准尉を連れて参りました」
上官のキッチリとした敬礼に、米田は慌てて背筋を伸ばし
「ご苦労。鈴木中尉は下がりたまえ」
置いてかないでぇ~! 米田はさっと
敬礼を解くタイミングを見失ったまま、動転した頭で目だけ動かし居並ぶお歴々の階級章を確認する。
おおよそ自分とはかけ離れた階級章を着けた幕僚たちに、米田は
「まぁ、そう固くなりなさんな。って言っても無理ってもんだろうがな……とりあえず、座っておくんな」
正面に座した
式典の時にしか見かけることのない鳥山中将のやけに親しげな調子に米田は逆に緊張し、裏返った声で「失礼します」と返すのが精一杯だった。
そんな米田のガチガチな様子に鳥山中将は苦笑いを浮かべ、話を切り出した。
「なぁに、お前さん呼んだのはちょっくらやってほしい任務があったからよ」
鳥山中将が目配せすると目つきの鋭い秘書官はさっと動き、米田に「極秘・取扱注意」と朱印が押された資料を渡した。
資料の題目には「帝都防衛における特殊器物徴収作戦概要」と記されている。
「とくしゅ、きぶつ?」
聞き慣れない単語に首を傾げると、鳥山中将は頷いた。
「そ、特殊器物。お前さんに力のある
指示に大佐の階級章をつけた厳しい表情の男が立ち上がると、任務の説明を始めた。
「急激な西洋化に伴い帝都を主護する霊的結界が綻び始め、あまつさえ天災の予兆も現れた。我々は神の宿る特殊器物・神器の発見と選定を行い、帝都の風水の要所、龍穴上の帝都博物館に収めることにより、霊的防衛を速やかに強化する。――無論このことは民間には知らされぬ事情であり極秘とする」
大真面目な顔であまりにも非現実的なことを話す大佐に、米田は
「……は? え? え~~っと……あの、……なぜ自分が?」
「君にはどうやら神を視る
米田は幕僚たちの前だというのにぽかんと口を開け、呆然としたまま動けないでいた。
自らに下った命令の意味がわからず、
困惑している米田に鳥山中将は顎を掻きながら、説明の補足をする。
「その任務のことだけどよ……。お前さんにはもうひとりの選定者と一緒に民間人として
鳥山中将の
「草薙少佐、入ります」
硬質で涼やかなのにどこか甘い声が耳をくすぐる。米田の心臓がドキリと跳ねた。
十七、八だろうか。彼女のその若さと少佐という階級にまず驚く。
背の半ばまである
目が合った。そう思った瞬間、米田の胸の中のとても柔らかな部分が震えた。
あまりにも非日常すぎる出来事の中でも、その少女の姿と声だけはするりと米田の頭の中に入ってくる。
米田が魅入られたようにただただ軍服の少女「草薙少佐」に見とれていると、そんな彼を見て鳥山中将は意地悪く笑った。
「米田くんよ、そこの草薙桜少佐と骨董屋をやってくれんか? 周りに怪しまれん程度に
「え?」
思わず米田の口から出てしまった不敬と詰られるような気の抜けた反応に、鳥山中将はカカと大きく笑う。
「貴官が米田准尉か。我が名は草薙
何言ってるの、この子?
混乱した頭で愛らしい草薙少佐の顔をしばらく眺め、米田はようやく口を開いた。
「あ、アノ……
「なぁに、そう難しいことは言わんよ。任務として桜ちゃんを
それがわからないと言うのだ! 出かかった悲鳴を呑み込み、米田は涙目で幕僚たちを見回した。誰も彼も至極真面目な顔で米田を見ている。
「やってくれるよな? 米田准尉」
鳥山中将はご機嫌な笑顔で念を押す。が、目は笑っていない。
英国かぶれの海軍で
「……はい、米田雅彦准尉、帝都防衛における特殊器物徴収作戦並び任務における……こ、婚姻生活を……致します」
こうして日常は変容し、米田は新たな「当たり前の世界」に足を踏み入れていくのである。
米田准尉が退室し、草薙少佐だけがその場に取り残された。
「わかっているとは思うが、この任務と並行するもうひとつの作戦、そちらを優先するように」
「もちろん承知しております」
先刻の大佐が釘を刺すと、草薙少佐は無表情のまま即答した。
一連の経緯を眺めていた少将が、フンと鼻を鳴らし意地の悪い笑みを浮かべる。
「君は国家にとって必要かつ欠かすことのできない人材だ。つまり君の身柄は君のものではなく、国家の管理下にある。しかし、軍上層部全員が一条機関の必要性と意義を是としているわけではない。そのことを十分理解し、任務を遂行するように」
そのセリフに鳥山中将はわずかに眉を寄せる。
「そうだ。この作戦は表には出せない。しかも金も時間もかかりすぎる。失敗でした、ではすまされんぞ」
「本部全体が賛成というわけではない。結果を出してもらわなければ、作戦に関わった我々も責任が問われる。我らの足だけは引っ張ってくれるな」
少将の言葉に会議に参加していた一同が口々に注文をつけ、頷き合う。
「はい、草薙少佐、肝に銘じて任務を致します」
幕僚たちの言葉に敬礼で答える草薙少佐を見つめ、鳥山中将は小さくため息をついた。
「……まぁ、なんだ……お前さんもさ、自分を大事にしてがんばれよ」
何か言いたげな鳥山中将ではあったが、それ以上は言わず口をへの字に曲げた。
「お気遣い、ありがとうございます」
姿勢を正したまま草薙少佐は礼を言う。彼女の表情は変わらぬままだった。
その後の米田の扱いはひどいものだった。
すぐさま辞令を手渡されると、米田の所属は『帝都防衛特務工作局・一条機関』となり、ご丁寧に階級は少尉に特進した。
昇進を喜ぶ暇もなく用意された書生のような平服への着替えが命じられ、それが終わると有無を言わさずまだ珍しい黒塗りの自動車に押し込まれた。
「ちょっ! なんでこんなに急なんです!?」
思わず叫ぶと、なぜか一緒に車に乗り込んできた鳥山中将はにこりと笑った。
「善は急げって言うだろ? ――やってくれ」
運転席の秘書官が短く返事をすると、自動車はなめらかに動きだす。鳥山中将というとんでもない大物と同乗する羽目になった米田は、滅多に乗れない自動車の乗り心地を堪能することもできず、直角の姿勢で座っていた。
「ま、これが走る密室ってヤツだ」
そう前置きをすると鳥山中将は小さな窓の外を見た。
そこには多くの人々が行き交う活気溢れる帝都の、いつもと変わらぬ風景がある。鳥山中将は感慨深げに街の賑わいを眺め、密室の中でゆっくりと切り出した。
「この土地はな、本来、都にしちゃいけねぇ土地なんだ。
調子のよかった口調は重く沈み、苦さを含んだ声に米田は鳥山中将の横顔を黙って見つめいていた。
「先の幕府はこの地に開府するために呪術によって霊的結界を敷き、風水の理に則って都市計画を進めた。都市の重要な聖地には神々を祀り、人々が
辻に建つ小さな
文明開化を
この世で一番強いもの、それは我である、と。
しかし、人は相も変わらず
自業自得、そんな言葉が米田の脳裏に浮かんだ。それを察したように鳥山中将は苦笑いをし、顎を掻く。
「ま、自分たちで壊しちまったんだから自分たちで直すのが道理ってやつだ。いなくなっちまった神様を今さら呼び戻すのは難しい。そこで新たな神様を集めて、帝都を守ってもらおうってのが今回の作戦っちゅう訳だ」
「神様って……大きな災害と言われても……一体」
「星宿にはまだ『大きな
あまりにも
帝を戴く新政府が
都市を守る神がいると言われれば、おとぎ話として受け入れる。それがこの時代に生きるまともな人間の常識だろう。
「長く使われた器物には
付喪神という言葉に米田はドキリとし、胸元の隠しにある金の懐中時計を服の上から守るように押さえる。
鳥山中将は米田の小さな動きを横目で見て、ニンマリと笑った。
「お前さんの相棒を務める少佐の草薙桜って子、あの子は特務工作局・一条機関、通称戻り橋所属で――一条機関の前身は永きに渡り朝廷に仕えた
知り合いの娘を自慢するような鳥山中将の柔らかな口調に、米田は意味もなく頬を赤らめ桜の話を聞いていた。
眉目秀麗、文武両道、才色兼備。華々しい四文字熟語で彩られた彼女の評価。
「お前さんはそんな桜ちゃんと若夫婦になりすまして、付喪神憑きの骨董を集める。そういう任務ってことだ――いろいろあるかもしれねぇが、よろしく頼むな」
鳥山中将がやや強引に話をまとめると、自動車は赴任先である骨董店の前に停車した。運転をしていた秘書官は車のドアを開けると、まだ鳥山中将の話を受けとめきれない米田を手荒くつまみ出した。
「あとな、一応言っとくが、いくら可愛いからって桜ちゃんには手ぇ出すなよ? あくまでも任務上の夫婦の『フリ』だからな! そこんとこ、くれぐれも忘れんなよ!」
そう言って鳥山中将が手を振ると、米田の返事を待つことなくドアはバタンと閉められ自動車は走り去っていく。
「そんなこと……言われなくったって……」
米田は桜を見た時の衝撃を思い出し、顔を真っ赤にして鳥山中将を乗せた車を見送った。
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