(5)

「いてててて……ひでぇ目に遭ったな」


 苦悶の表情で這いつくばっていた鳥山とりやま中将は腰をさすりながら起き上がると、転がっていた杯を拾い、手酌で再び酒を飲んだ。

米田よねだくんよ、奴さんはもう行っちまった。これでしばらくはいいだろうよ」

 まぁ、その「しばらく」が三日なのか三年なのかは、わからないけどな。鳥山中将は胸の中だけで付け加え、桜の前で軍刀を構えていた米田に声をかけた。


 すると緊張の糸が切れたのか米田はへなへなとその場にしゃがみ込む。ようやく振り返るとさくらの様子を確認した。

 桜は興奮しきっているのか、いまだに宙を睨み守り刀を構えている。その姿は手負いの猫のようで、心なしか髪が逆立っていた。


「草薙少佐、敵は退却しました。――桜さん、もう大丈夫みたいだよ」

 これ以上刺激しないように柔らかな声を出す。ゆっくりと立ち上がって桜に近づき、守り刀を固く握りしめている右手にそっと自分の手を添えた。

「もう大丈夫だから……こんな怖いもの、離しましょうよ」

 優しく手を重ね温めるうちに、桜の指から次第に力が抜けていき、守り刀が畳に落ちた。


「……怖かった」

 ポツリとつぶやく桜を抱き寄せると、彼女は無言で米田の胸に顔を押しつけた。

「桜さん、よく頑張ったね」

 米田はカタカタと震えだした桜を怖がらせないようにそっと抱きしめ、その頭を何度も撫でた。

「ごめんね……俺、もっと強くなるね……桜さんが怖がらなくてもいいように、守れるように……ちゃんと強くなるからね」

 誓いにも似た米田の言葉に桜は黙ったまま頷き、守り刀を握っていた手で米田の軍服をギュッと握った。



「お~い、もういいかぁ~? そろそろ俺もウチのカワイイ秘書官殿を起こしてやりてぇんだが?」

「~~~やっ!」

「いやっ! 違います! 誤解です!」


 鳥山中将の声に桜と米田は慌てて離れ、真っ赤になって気まずく俯いた。

「おっさんは野暮ですまねぇな……お~い、香取かとり、生きてるか?」

 赤くなる二人に苦笑し、鳥山中将は倒れている香取の傍ににじり寄る。

 桜と米田はうずくま小箱こばこと倒れたままの香取に改めて驚き、慌てて声をかけた。


「こ、小箱! 大丈夫か!? 香取さん、しっかりしてください!!」

「小箱! 目を覚まして」

 桜が駆け寄ると、小箱は苦しそうに呻きながら起き上がり、真っ先に米田を睨んだ。

「……小僧、調子に乗りおって……何が『俺の妻』だ……あな憎し……」


 ――アンタ、結局どっちの味方なんだよ!?


 そんな言葉を無理やり呑み込み、米田は意外と元気な小箱の様子にほっと息をついた。

 桜は泣きそうな顔で小箱に縋りつき、彼の無事を喜んでいる。


「小箱が無事で……本当に、よかった」

「これほどに主様がご心配してくださるとは……小箱めは果報者にございます」

 胸元の桜の頭を撫でながら、小箱は勝ち誇った顔で米田を見やる。

「あ~小箱サンが無事で、俺も嬉しいデス……」

 米田は大きなため息をついてから、棒読みで小箱の無事を祝った。


 一方、香取の意識はまだ朦朧としているらしく、鳥山中将が起き上がれない彼の世話を甲斐甲斐しく焼いていた。

「おい、香取よ、どこをやられた?」

「……腹が、減りました……」

「いや、そうじゃなくて……」

「……羊羹が食いたいです」

 謎のやり取りをした後、鳥山中将は肩をすくめ、倒れたままの香取の口に饅頭を突っ込んで、また酒を飲み始めた。



 ようやく全員の無事を確認し、米田はざっと座敷を片付け、改めて茶を振る舞った。


「そろそろ説明を願います――先ほどの男は何者ですか?」

 白い割烹着を着た米田が正座で鳥山中将を見据えると、彼は少し口籠ってから事情を説明した。

「あの御方は、夜をべる神、三貴神さんきしんが一柱、月読命つくよみのみことだ」

 予想もしていなかった大きな名前に米田は絶句する。


「確かに相手は三貴神ではあるが、朝廷が拝する天照大御神あまてらすおおみかみに退けられた荒御魂あらみたまでもある。望まれたからといって朝廷側の巫女である桜ちゃんを差し出すわけにはいかない」

 そこまで言ってから鳥山中将は茶を飲み干し、空になった湯呑みに手酌で酒を注いだ。

「ま、そいつは建前だ。実情としちゃ、霊力の高い巫女にはいろいろと使い道がある。そんな利用価値の高い巫女を、神様とはいえそう安く渡せねぇってのが本音だ。だから、あちらに取られないように、地上の楔として人間との結婚って手段を採った。――米田くんよ、お前さんがその楔の花婿役ってわけだ」


 この結婚には何か裏があるとは思ってはいたが、想定外の重い役柄を与えられていた事実に、米田は今さら困惑する。


「ちょっと待ってください、そんな重大なこと言われても……気持ちとか……」

 焦る米田に鳥山中将は姿勢を正し頭を下げた。

「すまない。荒御魂と対峙させるような危険な任務に騙し討ちで放り込んだ。全部俺の一存だ。責めるなら、俺を責めろ。……妻問いとして三日間女の許に通い、最後の夜に餅を食って夫婦になったと披露する三日夜の餅って結婚の儀式を成立させれば、とりあえず巫女の防衛作戦は成功だ。お前さんはこの任務をここで降りても責任は問われない、なんなら褒賞として特進させて――」

「そういうこと言ってるんじゃないんですよ!」

 米田が声を荒らげ鳥山中将の言葉を遮った。

「草薙少佐の気持ちはどうなんだって言ってるんですよ! こんな利用価値だの結婚だのって……あんまりじゃないですか。一番怖い目に遭うの草薙少佐なんですよ? それなのに……閣下たちのやってること、さっきの神様と一緒じゃないか! 草薙少佐だって……桜さんだって、嫌だとか怖いとか思う心がある普通の人間なんですよ! こんな駒みたいに扱っちゃダメでしょう!?」


 軍人として逆らうことなとありえない階級の鳥山中将を、米田は席を立ち責める。

「もういい! 米田少尉やめろ!!」

 桜が米田を制したが、彼は止まらなかった。

「やめません! ……怖かったって、震えてたのに……こんなのひどすぎるだろ!」

「私はやめろと言っている。これは命令だ!」

 桜の厳しい口調に米田は悔しそうに膝を折り、小さな声で「申し訳ありません」とだけ呟いた。

「部下の指導が足らず、申し訳ございません」

 桜が深々と頭を下げ謝罪すると、鳥山中将は肩をすくめ苦笑した。

「やめてくれよ。桜ちゃんに頭下げさせたら、俺が悪役じゃねぇか」

湯呑みの中の酒を空けると鳥山中将は席を立ち、まだ起き上がれない香取秘書官を肩に担いだ。


「まぁ、今夜は俺もコイツも満身創痍ってやつだ。悪いが、今日のところは俺たちも引かせてくれ。今後のことはまた話し合うってことじゃ、ダメか?」

 鳥山中将の申し出に桜は「承知いたしました」と答え、米田も渋々頷く。

「じゃ、また改めるな。桜ちゃん、悪いがそこまで見送ってくれ」

 まだ納得していない様子の米田に手を振り、秘書官を担いだまま鳥山中将は玄関を出た。


 万葉堂の外に出ると送りに出た桜を振り返り、にっこり笑う。

「……アイツ、いいやつだろ? このまま本当に結婚しちまってもいいんだぜ?」

 その言葉に桜の耳が赤くなる。

「世を守るだの帝都の守護だの、そういう大義は大事さ。でもな、守るべきものの中に自分の幸せも入れとかなきゃ、全部絵空事になっちまうぜ?」

「……おじさま、私……」

「じっくり考えな。俺は霊力の有無だけでお前さんの婿役を選んだわけじゃねぇからさ」

 鳥山中将は優しく言うと、桜の返事を待たずに背を向けた。


「しかし、香取よ。お前、こんなに重かったか?」

「……十八より変わっておりません」

「俺が年取ったって言いてぇのかよ……」


 秘書官を肩に担いだままの鳥山中将は、見送る桜に大きく手を振り夜道を歩いていった。

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