(1)

 爽やかな朝は米田よねだの鼻歌で始まった。


「せっかくのご馳走だったのに、ホントもったいないな~」


 惜しむようなセリフとは裏腹に米田の声は弾み、様子を窺うのがバカバカしくなるほどの上機嫌だった。

 刺身は醤油漬けにして夕飯の時に焼いて、赤飯は蒸し直してご近所にもおすそ分け、尾頭付きの鯛の塩焼きはご飯と一緒に炊いて鯛めしと、残りは潮汁に。

米田は昨夜の宴席の残り物をてきぱきと調理しながらも時折、桜と握り合って眠った左手を見つめてはニヘニヘと笑っていた。


「夫婦~、ふうっふ~、俺たち、夫婦~」

 デタラメに歌いながら、手早く鯛の下処理をして潮汁を作る。


『あるじサマが嬉しいと、はかりも嬉しゅうございますユエ!』

 米田の歌に合わせ青いドレスを揺らしはしゃぐ計に、台所に現れた小箱こばこは忌々しそうに鼻を鳴らした。

「フンッ! 浮かれおって……朝からイライラするわ! 小僧! 下手な歌など歌っておらず、しっかりと働け!」

 憎々しげに喚きながらも、小箱は茶の間に茶碗や箸の用意をする。


 桜はまだ下りてこないが、米田は見えない尻尾をブンブン振りながら朝食の準備をしていた。

 鯛めしのいい香りが一面に広がる、もうすぐ炊き上がりだ。米田は潮汁の味を確かめ、小箱に声をかけた。


「もうすぐご飯できるから、少佐を起こしてもらえますか?」

「気軽にこの小箱を使うな!!」

 プリプリと怒りながらも、階段を上がり桜の部屋に声をかけた。


ぬし様、おはようございます。朝にございますよ、小僧が膳の用意をしております。起きてくだされ」

 優しく声をかけるも、さくらからの返事はない。


「主様、失礼いたします」

 部屋に入ると、桜は布団を被って震えていた。


「小箱、今朝は後朝きぬぎぬということなのかしら? こんな時はどんな顔をして会えばよいのでしょう!? さっきから息苦しくて顔が熱い……風邪かもしれないから……このまま寝ていたほうがいいと思うの」


 桜の言い分に小箱は複雑な表情でため息をついた。

「主様、小僧を庇う気は毛頭ございませんが、あの程度のことで後朝と言われてしまっては、さすがに気の毒というもの……普通の顔でお越しくださればいいですし、息苦しいのも暑いのも布団を被っておられるからで風邪ではございませぬ。……手を握っただけではありませんか」

「殿方と長時間、手を握ったのよ!」

 桜は布団の中で叫ぶと、ううぅと呻き丸まった。


「……昨夜の私は何を考えていたのでしょう。なぜあのような慎みのないことをしたのかしら……自分でもわからないわ」

 数多くの恋文を運び様々な色恋を見守ってきた平安生まれの小箱は、桜の独り言に微妙な気持ちで笑う。


「それでは後ろ髪が引かれるような熱烈な後朝の文でも代筆しましょうか? 小箱がすぐに届けますゆえ――ほれ、あやつがすかした顔で『思ひのほかに心憂くこそおはしけれな』と来る前に、お支度なされ!」

「~~ッもうっ! 起きればいいのでしょ!」

 源氏の君と若紫の後朝を引き合いにからかわれ、桜は憤慨しながら飛び起きた。



 美味しそうな朝食が並ぶ茶の間に桜がおずおずと現れると、米田は満面の笑みを浮かべ、細々と動きだす。


「……おはよ、う……」

「おはようございます、今朝は鳥山閣下にいただいた鯛でご飯炊いてみました! 冷めないうちにどうぞ、どうぞ」


 甲斐甲斐しくご飯をよそい茶を出すと、割烹着姿の米田は今日も朝から元気よく働いている。彼のいつもと変わらぬ様子に、桜はなぜか腹が立った。


 ――私はこんなに動揺してるのに、平気な顔してるなんて……。まさか、昨夜のようなことは慣れている、とか……! 破廉恥です! 帝国軍人が……嘆かわしい!!


 あらぬ疑いにジロリと睨むと、目を合わせた米田は頬を染めつつも、わけがわからず小首を傾げる。


「あ、もしかして……鯛めし、お嫌いでしたか?」

「そうではない!」

「じゃあよかったです。自分で言うのもなんですが、美味しいですよ!」

ホカホカと湯気を立てるおひつからは美味しそうな香りがする。正直な桜の腹は急に空腹を訴え、素直に箸を取るよう命じていた。

「い、いただき、ます」


 小さな声で言い箸を取ると、米田は少し不安そうなしかし期待に満ちた目で桜を見ていた。椀の潮汁を一口啜り、茶椀に箸を付ける。


「おいしい」


 それまで不機嫌だった桜の顔が笑顔になり、ニコニコと鯛めしを頬張る。

「おかわりもありますからね、たくさん食べてください!」

 桜の様子に米田は見えない尻尾をちぎれるほど振り回し、ようやく自分も食事に取りかかるのだった。



 結局桜は鯛めしを二膳食べ、米田を大いに喜ばせて朝食が終わった。

 食後のお茶を淹れ直すと、桜は姿勢を直しキリリとした少佐の顔になる。


「それでは、特殊器物徴収作戦における本日の行動計画を策定する」


 その言葉に米田もピシリと姿勢を直した。が、顔のニヤケは止まらない。

「今日からも、作戦は続行されるんですよね」

「中止の命は下ってない。よって作戦は続行である」

 平静を装っていても桜の耳は赤く染まっていた。


「先日、徴収に成功した古鏡について詳しい鑑定をするとともに、引き続き来歴を調べ、憑いているモノの正体を突き止める」

「……のっぺらぼうの幽霊の正体を探るんですね」

 浮かれていた米田は冷や水を浴びせられたように急に顔色を悪くし、ご機嫌だったニコニコ笑顔は引きつったものに変わる。


 桜はすっと立ち上がり、店先に保管してあった古鏡の包みをとってくるとちゃぶ台の上に置いた。白い手袋を米田にも渡し、自分も着けると布を丁寧に解く。

 青銅色の円い鏡はくすんだ表面を鈍く光らせている。幽霊、という先入観があったためか、米田は不気味さに生唾を呑み込んだ。


黒岩くろいわ氏はこの古鏡を二十年前に知り合いから贈られた、と言っていたが、幽霊騒ぎは新しい屋敷に移ってからだ。しかし当該品と一番長い付き合いの黒岩氏自身は一度も幽霊を見ていない」

 桜は黒岩氏との会話を思い出しながら古鏡の置かれた状況を時系列に並べてみた。すると、気になる点がいくつも出てきた。


 この古鏡は名のある職人の作というものではない。しかし、それなりに美術的にも歴史的にも価値のあるものだ。

 その証拠に冥加屋みょうがやのご隠居は、安からぬ買い値をつけた。


「黒岩氏は骨董に対する知識も審美眼もお持ちのようだ。この古鏡の価値もある程度わかっていたと思われる。――これは知り合い程度の相手に郵送するようなものではない」

「借金の代わり、もしくは担保という線もありますよ」

 米田の指摘に桜は首を横に振った。

「私もその可能性を考えたが、そうだとしたらますます郵送という手段に疑問を感じる。もし紛失したり破損したら? 金銭の代わりとするなら、確実な手渡しや代理人に持たせるなど、そのくらいの慎重さがないとおかしいとは思わないか?」

「う~~ん、確かにそうですよね」

 米田が唸ると、桜は唇に指を当て考え込む。

「すると今度は、この古鏡の旧所有者の思惑が疑問となってしまう。黒岩氏はその人物との関係については言葉を濁し、古い知り合いとしか答えなかった」

「明らかに何もしゃべりたくない、という態度ですよね」


 米田はちゃぶ台の上の古鏡を眺めた。なんの気配もなく、静かなまま。

「……古鏡が口を閉ざす理由はおそらく来歴に関わっている。一番長くこれに接していた黒岩氏が幽霊を見ていないのは、おそらく彼にだけ姿を見せない理由がある。そして彼も幽霊を見ていないのではなく、自分にだけ幽霊が姿を見せないということに感づいている」

 桜の推察に米田は首を傾げる。

「それは黒岩氏が、幽霊の正体についてある程度予測をつけている、とも聞こえますが」

 その言葉に桜は頷いた。

「そうだな、私はそう思っている。彼はこの幽霊騒ぎの原因を知っている、そして鏡を処分することでその因縁を断ち切ろうとしている」


 桜の言葉に、米田は黒岩氏が故郷の長崎について語った時の苦しい表情を思い出した。

「あの人……故郷もそんな感じで断ち切っちゃったのかなぁ……そんな悲しいの、俺は嫌だな……あの人、寂しくないのかなぁ」

 米田はポツリと呟く。桜はその呟きに悲しく微笑み、古鏡の表面を撫で柔らかく語りかけた。

「お前は、ずっと一緒にいてあげたのにね」

 その瞬間、古鏡の表面がゆらりと揺れた。曇った鏡面に白い影がぼんやりと映る。


『……いっ……しょに、……たい』


 幽かな声に桜と米田は鏡に見入り、耳をそばだてた。

「古鏡殿、お話をさせてください」

 桜は慌てて呼びかけたが、古鏡はまた沈黙してしまう。


「小箱、追いかけて!」

「御意」


 桜は小箱を呼び出し古鏡に潜れと命じる。しかし、小箱が古鏡に触れたとたん、その手は弾き返された。

「~~ッ! こやつ、結界を張って拒みよったわ」

 小箱はぼやきつつ弾かれた左手を押さえ、顔を歪めた。


「結界を張る力があるほどとは……この古鏡は自分自身で結界に閉じこもり姿を隠していたのですね」

「おそらくは……しかし、文を結び付けておきましたゆえ、こやつに動きがあれば報せは届きまする」

「小箱、ありがとう」


 桜と小箱の会話が半分もわからなかった米田は、恥を忍んで手を挙げる。

「はい! どういう状況なのか、素人にもわかるようご説明願います」

 正直に尋ねると、小箱は勝ち誇った顔でとても嬉しそうに笑い口を開いた。


「小僧は仕方ないのぉ。どれ、この小箱が教えて進ぜよう。――まず付喪神にも格が有り、長い年月を経たモノや強い思いを注がれたモノは付喪神自体の神格が上がり力も強い。当たり前ではあるが力が強ければ、それなりの術が使える。結界などはその類じゃ。その古鏡は結界を張った。主様の見立てでは作から二百年程度、よほどの強い思いを注がれたモノということになる」


「それ、何かまずいの?」

 米田の素朴な問いに小箱に代わり桜が答えた。

「強い思いとは執着のことだ。執着は……得てして恐ろしいものだ」

 神に執着された桜が静かに告げる。米田は薄ら寒いものを感じ、改めて古鏡を見つめた。

 青く錆び曇った鏡は何も映すことなく、不気味な沈黙を保っていた。



 古鏡の来歴を調べるにも、銅鏡も持ち主である黒岩氏もしゃべる気はないようだ。そこで桜たちは彼の周辺人物を探り、過去を調べることにした。

 麹町こうじまちの黒岩邸の通用門が見える場所に身を潜ませ使用人を見張り、彼らに声をかけることにした。


「昨日の今日ですしね……あまり連日訪ねては怪しまれますから、変装して別人のふりでもしたほうが……」

 山高帽に丸メガネに付け髭の紳士風の変装をした米田は勝手口から出てきた使用人ひとりひとりに話しかけてみた。が、なかなか成果は上がらない。


「すみません、ちょっとお尋ねしてもいいですか?」

 変装をした米田が声をかけると、使用人たちはすっと目を逸らし無言で足早に立ち去ってしまう。


「おかしいなぁ~、こんなに紳士的に聞いているのに誰も答えてくれないなんて……」

「……そんな怪しげな紳士は誰も相手にしないと思うが」

 呆れ気味の桜は米田の襟首をむんずと掴むと、付け髭を無理やり剥がした。

「イデデデデデ!」

「こんな見るからに怪しい髭を着けているから、……少尉はそれほど印象に残る男性ではない、そのままで大丈夫だ!」

「え? ……それって、どういう意味……」


 さりげなくひどいこと言われてない? ショックを受ける米田をよそに、桜は真剣な顔で張り込みをしている。


「あ、来たぞ! 早く行け!」

 無慈悲な上官殿の命令に涙目になりながらも、米田は門を抜け出てきた仕事上がりらしい使用人の女性に声をかけた。

「すみませ~ん、少し伺いたいのですが?」

 桜の指示が功を奏したのか、使用人の女性は米田の申し出にあっさりと応じた。



 ちょっとそこいらでお茶でも飲みながら……と茶店に入ってみたらし団子をひと皿振る舞うと、黒岩家の女中おまさの警戒はすっかり解け、米田の質問にも素直に答える。


「あの屋敷の住み込み使用人なら、ほとんど幽霊を見てると思うわ。みんな怖がって仕事覚える前に辞めちゃうくらいよ。アタシも二~三度見たことあるけど……」

「やっぱり、白いほっかむりをしたのっぺらぼうだったんで?」

 米田の問いにお政はくすりと笑った。


「ほっかむりって……アタシには洋装の、なんていうのかしら……西洋のご婦人が被ってる布があるじゃない、アレみたいな感じに見えたわ」

「ヴェール、ですか?」

 桜の補足にお政は「そうそう」と頷き、お茶を飲み直すとため息をついた。

「アタシもさぁ、独身の大金持ちが住んでるお屋敷に奉公の口があるって言われて変な期待をして飛びついたんだけど、肝心の旦那様は女を寄せつけない堅物だし、おまけに若い書生さんは幽霊怖がって居付かないし……まったく、目論見が外れたわよ。――ね、米田さんって若いのにもうお店持ってるんでしょ? よく見たらいい男だし、今のお屋敷辞めたらアタシが身の回りのお世話してあげようか?」


 そう言ってお政は米田に色っぽく微笑みかける。「ハハハ、またまたぁ~」と米田が愛想笑いをすると、桜は無表情のまま彼の足を思いっきり踏んだ。

「イギャァッ!!」

「生憎と、主人の身の回りのことは私一人の手で足りておりますので」

 桜は米田のつま先を踏みにじり、「おほほほ」と品良く笑っている。


 気を取り直し(と言っても涙目のままだったが)米田はお政に黒岩氏をよく知るような古参の使用人がいないか尋ねてみる。

 お政は首を傾げ、考えながらゆっくりと答えた。


「長く勤めているっていうと執事の末吉すえきちさんくらいかしら? お屋敷が建つ前から旦那様に仕えてた女中頭のおきよさんが三年くらいいたけど、その人も幽霊騒動が起きる前にもう年だからとかって辞めちゃったしね……。アタシもお暇を取りたいんだけど、あのお屋敷、お給金がいいからふんぎりがつかなくてさ。でもね、みんなすぐに辞めちゃうから残ってるアタシたちが大変でねぇ。この前も新入りに仕事教えてたんだけど――」


 彼女は茶を啜りみたらし団子をかじると、聞いてもいない仕事の愚痴を始めた。結局みつ豆を追加して、桜と米田は彼女の職場の不満をたっぷり二時間聞かされたが、成果として、黒岩氏に長く仕えたという元女中頭の住所を知ることができた。


 まだ愚痴り足りなそうなお政と別れた頃には、陽は随分傾いていた。

 家路を急ぐ人々を眺め、米田は何気なく桜に笑う。


「俺たちも暗くなる前に、うちに帰りましょう。遅くなったらまた小箱に叱られちゃいますしね」


 色気も何もないたったそれだけの言葉だった。しかし桜には嬉しくて優しい言葉だった。

 おうちに帰り、小さなちゃぶ台を挟み一緒に食事をする。たわいもないおしゃべりをする相手が、すぐ傍にいる。


「はい、一緒におうちに帰りましょう」


 桜は米田は我が家に続く道を二人で並んで歩き始めた。

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