(2)

「うわぁぁぁ~~! スミマセンスミマセン!! 女性にスミマセン~!!」


 さくらの術に動かなくなった女の上から、米田よねだは謝りながら飛び退いた。

 異形に謝りまくる米田に桜は複雑な表情を浮かべたが、何も言わなかった。


「手荒なことをして、ごめんなさい。――解」


 桜も謝罪し縛めを解くと、白い女・三鈴みすずの輪郭は薄れ、やがて白い煙となり古鏡に吸い込まれていった。

 小さな付喪神たちもいつの間にか棚へと戻り、万葉堂まんようどうの中に静けさが戻る。


 ぺたりと座り込んだ米田は改めて桜に尋ねる。


「……さっきの……あの蛍、なんですか? 三鈴って、あの幽霊さんの名前ってことになるんですよね?」

「……だから、いっぺんに質問をするな!」


 桜は疲れた顔で米田を睨み、答えた。


「蛍は……あの御方の悪戯の類だろう」


 桜の口から出た「あの御方」という単語に米田の目つきが険しくなる。奥歯をギリギリ噛みしめ狂犬じみた表情を見せた。


「落ち着け。もうお帰りになったことだ。あの御方のことはとりあえず放っておいたほうが賢明だろう」

 宥める桜に、米田は苛立つ気持ちを必死で抑えた。


「三鈴という名前は……この鏡の名、と考えていいのか……まだわからない」

 桜は銅鏡をじっと見つめ、考えながら口を開く。

「先ほど、三鈴と名乗ったモノ……付喪神らしくないような……そんな気がする。もっと、こう……違う存在のような……。しかし捕縛した感触や力の種類からして付喪神のような気もするのだが……」


 自分でも確証の持てないことに桜が口ごもる。米田は先ほどのことを思い出しつつ口を開いた。


「あの古鏡の、仮に三鈴さんとしておきますね。三鈴さんを押さえつけた時、『善次郎様』って黒岩氏のこと呼んでました。小箱や計は持ち主のこと『主様』って呼ぶから、名前呼びだとちょっと違う感じがして……むしろ親しい間柄の……その、恋人を呼ぶような、声の調子にそんな印象があって……」


 二人はそれぞれが抱いた印象をすり合わせ、首を傾げる。

「古鏡の『三鈴さん』とは、一体何者なのだろう……」

 桜が独り言のようにつぶやくと、米田はポンと手を打った。


「明日、黒岩氏に聞いてみませんか?」

「……え!? 何を……?」

「えっと、『三鈴さん』について……。それが一番手っ取り早いと思うので」

「ま、まぁ、そうだな……」


 桜の同意に米田は満足げに頷くと、大あくびをした。


「そうと決まったら、今夜はもう寝ましょう。明日も早いですし」

 米田はのんきにもう一度大あくびをすると、眠そうに目元を擦った。




 米田がちゃぶ台に朝食を並べていると、玄関の引き戸が叩かれた。


「はいは~い、今出ますよぉ~。少佐、庭の植え込みにお水をお願いできますか?」

「承知した」


 米田は割烹着の裾で手を拭きながら戸を開けると、そこにはだらしのない着流しの鳥山とりやま中将とカッチリとしたスーツ姿の香取かとり秘書官が立っていた。


「ヨッ! おはよーさん、ちょっくらいいか?」

 米田が返事をする前から鳥山中将は勝手に玄関をくぐり、茶の間に上がっていく。

「お、朝飯は卵焼きにひじきの煮物か……いいねぇ」


 そう言いながら自分で座布団を出してあぐらをかくと、香取秘書官がサッと差し出した新聞を開いた。


「昨日は接待でよぉ、しこたま飲まされたから俺は味噌汁だけでいいわ……あ、大根のぬか漬けはちびっとかじりたいからよ、切っといてくれ」

「米田、さっさとしろ」

「は、はい、致します!」


 香取秘書官の厳しい声に条件反射で返事をすると、米田は首をひねりながらも味噌汁をつけ小皿にぬか漬けを盛る。

「お待たせ致しました、どうぞ……」

「お、葱と豆腐の味噌汁か……いただきます、と。――うめぇな。お前さんいい嫁になれるぞ!」


 味噌汁を啜り、我が家のようにくつろぎだした鳥山中将に米田がぽかんと口を開いていると、水遣りから戻ってきた桜は迷惑そうに鳥山中将を睨んだ。

「おじさま、朝早くによそのお宅を訪ねるなんて非常識ですよ」


 いいぞ、もっと言え! ――至極真っ当な桜の抗議を内心応援していると、なぜか香取秘書官に睨まれた。

「まぁ気にすんなよ。おっさんは端っこのほうで勝手にやってるからよ」

 桜の抗議など意にも介さず、鳥山中将はぬか漬けを食べていた。


 米田が緊張しながら居心地の悪い朝食を終えて片付けると、鳥山中将はようやく本題を切り出した。


「昨日はあちらがちょっかいかけてきたんだってな――小箱こばこが式神に手紙持たせて報せてくれたぞ」

 桜の顔色は悪くなり、頬が強張る。


「はい。……しかし、こちらはなんの被害もなく――」

「被害があったら大事だから俺が来たんだろ? そうピリピリしなさんな、再度襲撃があったからって作戦が失敗だったって意味にはなんねぇよ。安心しな」


 その言葉に桜はホッと安堵し表情を緩める。 神からの求婚を人との婚姻により退ける作戦が失敗したと判断されれば、万葉堂での生活はすぐに終了してしまう。

 この万葉堂での暮らし自体が作戦であったことを思い出し、桜は急に怖くなった。


 ――作戦が終了したら、この生活も終了してしまう。いつかはこの『結婚』は終わってしまうって、覚悟してたはずなのに……。


 桜は急に泣きたくなり、涙をグッと我慢して俯いた。

 形だけ婚姻が成立すれば、この共同生活を終わらせてもいいと言われている。

 自分も最初はそのつもりだったし、親しくもない若い男との同居など、想像だけでも気持ち悪いとさえ思っていた。


 なのに、今では――


「米田くんの味噌汁はうまいよなぁ、桜ちゃんも毎日飲みてぇよな……。そんな顔しなさんな。まだまだ作戦は継続だよ」

 鳥山中将はそう言って笑うと、俯いたままの桜の頭を撫でた。

「はい」

 桜の小さな返事に鳥山中将は優しく笑った。


「俺がここに来たのは、くだんの鏡を見るためだけさ。ちょっと見せてくれねぇか?」

 桜は米田に鏡を持ってくるよう命じ鳥山中将に渡すと、彼はまじまじと古鏡を観察すると、フンッと鼻を鳴らし笑った。


「……なるほどな。円く、陽の光を返すもの。属性が似ているからあちらさんも操りやすかったのかもしれんな。……まぁ、徴収対象っていうなら桜ちゃんの近くに置かず、このまま帝都博物館に収めちまってもいいんだぜ?」

「いえ、まだ調査をしたいことがありますので……」


 桜はそう言って古鏡を見つめる。


「この古鏡自身が人々を守りたいと思わぬ限り、いくら力が強くてもその恩恵はないでしょう。――もう少しこの鏡と向き合ってみます」

 真面目な声に鳥山中将は頷くと、もう一度桜の頭を撫でた。


「桜ちゃんの思うようにしな。納得するまでやってみるって大事なことだぜ」


 会話が終わっても、茶の間でゴロゴロしたり茶を飲んだりと、くつろぐ鳥山中将に

「お時間です」

 足も崩さず控えていた香取秘書官が短く告げると、鳥山中将は気だるく伸びをして立ち上がる。

「ごちそうさん! 邪魔したな」

 そう言って来た時同様、勝手に帰ってしまう。


「何しにいらしたんでしょう……?」

「作戦の進捗確認だと思う」  


 訝しむ米田に桜はにこりと笑うだけだった。

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