第18話  霧中航行


◯静岡県御前崎市 私立西静岡大学付属病院御前崎分院東棟 整形外科病室302号 数年前


 30分は経過したと思われる頃、カーテンの外から多野が声をかけてくる。

「夏菜子さん、いらっしゃいますか?」

「はい、います!」

「面会ですけど、大丈夫ですか?」

「面会ですか!?す、少し待ってて下さい!お願いします!」

 逸見の両親は都合のため今日は来られず、今から来ると言っていた大村も横須賀からのため、どんなに早くとも十二時位まではかかってしまうはずである。

 そのため、誰が来たのか検討もつかず、逸見は戸惑ってしまう。

 そうは言っても、実際にもう面会人が来ているため、慌ててサイドテーブルに置いてあったタオルを手に取ると目元を拭って戻し、面会人に入って来るように声をかける。

「よう。逸見、大丈夫か?」

「大村2佐!なんで!?どうして!?横須賀からじゃなかったんですか!?」

 カーテンを開けてのっそりと入ってきたのは、今横須賀から向かっているはずの大村であった。

「再来週は逸見の誕生日だろ?俺、4日後には大湊行くから、長く時間取りたかったし、サプライズもしてやろうと思って、近くのホテルに泊まってたんだ。びっくりしたろ?」

「当たり前です!大湊に行くのも聞いてません!」

 ベッド脇の椅子に座ると、小さな箱をサイドテーブルに置いてあるタオルの横に置く。

「あの、これ、なんですか?」

 不安そうな顔の逸見に、笑顔を向けるだけの大村。

「逸見の話が先だと思うんだが、気になるか?」

「当たり前ですよ。その大きさだと、まさか・・・指輪ですか?私をふっておいて、今更?」

「見ればわかるよ。」

 逸見は大村に促され、体を起こして箱を手に取ると、大村の顔を見る。

 大村が小さくうなずくと、逸見は箱を開ける。

 その箱は蝶番がついていて、60度位の角度で止まると、逸見は中を見て疑問に思う。

「あの・・・これって、ピアス?あ、イヤリング?」

「イヤリングだよ。逸見はピアスホール開けてないだろう?」

「えぇ・・・まぁ・・・」

「その青い石、分かるか?」

 イヤリングの片方を持つと、石をしっかりと見つめる逸見に、大村は目を少し細めて表情を伺う。

 よく見ると逸見の白目の部分が充血し、赤くなっている。

「ラピスラズリのように見えますが、違いますか?」

「正解。健康と幸運のお守りになりそうなプレゼントがないか店員に聞いたら、これがいいんじゃないかって。これ、9月の誕生石なんだってな。」

「ラピスは12月って覚えてましたけど、お店の人が9月って言うなら、そうなのでしょうね。」

 ラピスラズリは誕生石としても知られるが、9月とも12月とも言われていて、検索サイトや宝飾店によっても別れている。

 逸見は少し複雑そうな顔で、イヤリングを箱に戻して蓋を優しく閉じる。

「あの、そのお店の人・・・あの、他に何か言ってませんでした?」

 逸見は少し顔を赤らめながら、しかし不安そうな声で大村に訪ねる。

「他に?いや、覚えてないな。確か他にも言っていた気がしたなぁ?なんだったかな?・・・」

 大村は顎に手をあて、考える素振りを見せており、逸見はそこから裏の意図はないと思ったが、聞かずにはいられず、つい、質問をしてしまう。

「覚えてないって、本当ですか?からかってません?」

「いや、本当だって。ん?逸見、熱でもあったか?顔が少し赤い気がするな?来ちゃまずかったか?」

 逸見はそれを聞いて、少しだけ落ち込んだような表情をするが、すぐに表情を引き締めて背筋を伸ばす。

「覚えていないのなら、それでもいいです。それから熱は36度4分で平熱でした。大村2佐、お話はまだ続きますか?」

「俺の方は、これ以上大した事はないからな。逸見の方の話、聞かせてもらえるか?」

 大村も座ったまま姿勢をただし、逸見の目を真剣な表情で見つめる

「分かりました、大村2佐。それでは、お伝えいたします。護衛艦“するが”衛生士である、わたくし、逸見夏菜子3等海尉は・・・」

 逸見は言葉を詰まらせて俯きかけるが、一度サイドテーブル上の目覚まし時計を見ると、大村へ視線を向け、意を決したように姿勢を正す。

「・・・本日0700マルナナマルマル、海上自衛隊から離れる事を決心、同0940マルキュウヨンマル、大村幸太郎2等海佐へ、その旨を報告いたします。わたくしの優柔不断さが原因で早くに決断が出来ず、また、自分勝手な行動で大村2等海佐へご迷惑をお掛けしてしまい、大変、申し訳ありませんでした。」

 逸見は深く頭を下げ、ゆっくりと姿勢を戻す。

「理由は分かっているつもりだが、逸見からきちんと聞きたい。俺に報告しろ。」

 表情を崩さず、逸見の上官として報告を指示する。

「はい。まず、腰椎リマ4と5の骨折が原因で、下半身の不随が認められ、運動機能が喪失した事を自己診断と医師の診断により確認されました。」

「医学用語は分からん。腰椎のL《リマ》4と5とは何か、俺に分かりやすく説明しろ。」

「はい、5つある腰椎、腰骨の事ですが、これらのうち一番下が5、その1つ上が4と番号が振られています。」

「分かった。続けろ。」

「続けます。下半身の運動機能の喪失により、衛生士として、また、自衛官としての職務をこれ以上遂行する事が出来なくなりました。これをもって、退官理由の説明とさせていただきます。以上です、大村幸太郎2等海佐。」

 お互いの真剣な視線が交錯するが、大村は笑顔を少しだけ浮かべた逸見に、思わず声をかける。

「逸見。お前、今ほっとしただろ。」

「ええ。少しだけ、ですが。」

「少し?本当か?・・・あぁ、まぁ・・・そう言うことにしておくか。俺から“するが”の副長と、それから今の艦長にも報告しておく。正式には誰かに来てもらって、手続きを進めてもらえ。本当は俺の手でやってやりたかったんだがな。」

「申し訳ありませんでした。それから、あの・・・大村2佐。急に話を変えて申し訳ありませんが、少しだけ、我が儘を言ってもよろしいでしょうか?」

 逸見の申し出に、大村は疑問に思いつつも了承する。

「では、大村2佐。今日はわたくしの自衛官として最後の日です。わたくしの上官として、側で見届けていただけますか?」

 大村は軽く頷くと、徐に立ち上がる。

「せっかくのいい天気だ。屋上から海でも見ようか。ここからの遠州灘はいい眺めなんだ。それに、東屋あずまやもあって、そこからの屋上庭園も綺麗だぞ?」

「あの、大村2佐?聞いてましたか?」

「そうだ、車椅子は逸見も大変だろう?俺がお姫様抱っこで連れていってやろうか?」

 おどけるように言いながら、大村は逸見の言葉を無視して顔をよせる。

「あの、大村2佐!?私の話、ちゃんと聞いてました!?私にとって大切な日なんですよ!?茶化さないでください!!」

 なにかを誤魔化すように、逸見は大村から慌てて顔を反らす。

「そんな固くなるなって。まだ身分は3等海尉だろ?んで、まだ自衛官なんだろ?なら、2佐の言うことは、当然、聞けるよな?」

 逸見は大村の方を見ようとはするのだが、未だに顔が近いため、向く事が出来ないでいる。

「煙草臭いです。禁煙して下さい。」

「悪いけど、今さら止めるつもりは無いからな?」

 大村はサイドテーブルを避けると逸見から離れ、隅に置いてあった病院用の車椅子を広げると、布団を捲り上げる。

「あっ!何するんですか!えっ、あ、ちょ、ちょっと!お、降ろして下さい!!」

 逸見を抱き上げた大村は、先ほどよりも顔を近付けて耳元で囁く。

「何するんですかって、車椅子に乗らんと移動出来ないんだろ?それとも、逸見のご希望通りにこのまま抱っこして屋上までいこうか?」

「分かりました!分かりましたから、早く降ろして下さい!」

 大村は慌てふためく逸見から顔を離して、軽く笑うと 視線を合わせる。

「まったく、本当に宣言通りに我が儘だな、逸見は。」

「そういう問題じゃ無いですよ!!恥ずかしいじゃないですか!」

 大村は、優しく車椅子に乗せると、カーテンを大きく開け、肘掛けを持って押すと、カーテンを閉めて逸見の背後に回り、持ち手を持って押し始める。

 隣のベッドの見舞い客の視線に気付くと、大村は足を止め、逸見と同じタイミングで頭を下げて騒いだことを謝罪する。

 ちなみに、向かい側のベッドの患者達は検査やリハビリで、先に部屋を出ていて不在であった。

 病室を出るとすぐに整形外科ナースステーションの前を通ることになるのだが、そこにいる多野に2人は見つかる。

「あれ、夏菜子さんと大村さん?外出じゃないですよね?」

 大村が足を止めると、多野はカウンターに近付き逸見を見る。

「友恵さん。屋上へ海を見に行く事になったので、ちょっと行ってきます。」

「そうですか、分かりました。そうだ、大村さん。」

 逸見の返答に一瞬にやりとすると、今度は大村の方を向く。

「はい、なんでしょうか?」

「夏菜子さんのお昼御飯は、病室の方に届きますから忘れて食堂行かないで下さいね?」

「えっ?あぁ、はい。分かりました。」

 少し気の抜けたような大村の返答に、多野は少し怒り気味に注意をする。

「『えっ?』、じゃないですよ、大村さん!夏菜子さんの介助者なんでしょ?ちゃんと、しっかり注意してくださいよ!?そんなんで彼女が怪我したら、どうするんですか!?」

「申し訳ありませんでした!」

 大村は一度不動の姿勢をとって、敬礼するように頭を下げる。

 多野は大村の仰々しさに驚きながらも、二人にもう一度、気を付けて行動するように注意を促してからナースステーションの奥へと引っ込んでいく。

 エレベーターで屋上に到着すると、南側の見晴らしのいいベンチの側へと移動する。

 この周辺に近年出来た建築物と同様に、逸見の入院している分院東棟も屋上緑化されている。

 一方、隣に見える西棟屋上の方は、東棟と比べると、構造物がほとんど見えない。

 それと言うのも、ドクターヘリが着陸出来るように設備が整えられているからで、余談ではあるが逸見が急患としてSH-60Kで運び込まれたのも、ここからであった。

「海、綺麗ですね!風も気持ちいいですし!」

 左側のタイヤロックをかけている大村に、背伸びをしながら話しかける。

「だろ?それに、いい気分転換にもなるだろ?」

 左側を終え右側もロックすると、大村はベンチに腰かける。

 無意識に胸ポケットに手を持っていくと、突然逸見にその手を叩かれる。

「なにすんだよ!」

 思わず逸見の方へ上半身ごと向いて抗議の声を上げると、逆に逸見から、冷静さの中に怒りを含んだ声音で咎められる。

「忘れたんですか?ここの敷地内は全面禁煙って、聞いてないんですか?いくらなんでも非常識です。」

 逸見は言いながら強く睨みつけると、大村は気付いて謝罪する。

「あ・・・すまん。無意識だったんだ、悪かった。」

 そのまま逸見は視線を大村の胸の辺りに向けると、開けてある煙草のパッケージが、ポケットの上の方に少しだけ見え、呆れているという感情を伝えるように、わざと深く大きなため息をつく。

「いや、本当に悪いと思ってるんだ。ここんとこの事故関係で、ストレス溜まっててつい、な。」

 大村の少し弱気な声に、今度は逸見がばつの悪そうな顔になる。

「申し訳ありませんでした。ですが、それはそれ、これはこれです。以前から意見していましたが、体壊したら指揮を執るどころじゃないですから。衛生士として、大村2佐には禁煙していただく事を、今、改めて強くお奨めします。」

「分かった分かった。逸見のその意見、しっかり受け止めておくよ。衛生士として最後の、って言いたいんだろ?」

「当然それもありますが、一番強い理由は、私個人として煙草の臭いが大っ嫌いなので、止めていただきたいのです。」

 大村は真面目な表情で考え込むと、胸ポケットから煙草を取り出す。

「随分と個人的だな。それにしても、そんな煙草嫌いでよく俺の事が好きになれたな?不思議だよ。」

 言いながら1本取り出すと、フィルターを下にして煙草のパッケージを数回叩く。

「そんなの、付き合いながら禁煙指導するに決まってるじゃないですか。何言ってるんですか?でも、大村2佐は絶対に辞めないって言いましたから、腕の見せ所ですね。」

 逸見は大村が取り出した煙草を取り上げ、パッケージの方も取り上げようとするが、そちらは失敗してしまう。

「禁煙指導か。逸見のだったら・・・受けてみるのも悪くはないな。・・・よし!」

 大村は立ち上がると、逸見から煙草を取り返すとパッケージに戻して握りつぶし、ゴミ箱へ捨てに行った。

 戻ってきて座ると、逸見が呆然と大村の横顔を眺めている。

「あ・・・の・・・煙草が高くなっても絶対に止めないって・・・前に言ってません・・・でしたっけ?」

「言ったような気がするな。ただ、まあ、某衛生士の逆鱗に触れちまったからな。いい機会だし、止めてみるよ。」

 大村が視線をフェンスの外に向けると、穏やかな遠州灘の沖に何隻かの大型船が微かに、海岸近くに漁船らしき小型船が何隻か視認できる。

「三日坊主じゃ意味ないんですから、禁煙外来にもちゃんと行ってくださいよ?それに私、つい指導なんて言っちゃいましたけど、医官じゃないんですからね?」

「分かったよ、大湊の自衛隊病院に相談してみる。あっちでも確か、禁煙外来やってたと思ったからな。」

 少し間が空き、逸見が言葉を出そうとすると、タイミングよく大村も出そうとしてお互いに譲り合い、大村の方が先となった。

「逸見は・・・この後の事、考えてるのか?」

「そうですね・・・特には・・・。あ、1個やってみたい事があります。」

「なんだ?」

「髪の毛伸ばしたり、染めてみたりしたいですね。金髪は興味無いですけど、明るい系の茶髪とか思いきってやっちゃおっかな?って、思ってます。」

「染色はNGだが、WAVEの長髪は纏めていれば許可されてるだろう?何で今まで伸ばそうって考えなかったんだ?」

「単純に鬱陶しいですし、手早く洗えませんから。長期航海とか災害派遣災派の時も、短かったからそこそこ助かりましたね。私は、ですけど。」

「そっか・・・。あ~あ、しばらく会わなかったら逸見はモテまくって、逆ハーレムでも作ってるんだろ?」

「逆ハーレムって、急に何を言い出すんですか、大村2佐。マンガや小説の読みすぎですか?それとも頭でもぶつけましたか?救急なら西の1階です。案内しましょうか?」

 逸見は西棟の下を指差すと、真剣な眼差しで大村の目を覗き込む。

「本気で言ってるみたいだな。案内しなくて大丈夫だよ。ぶつけたりしてないから。」

 逸見はしばらく無言でいたが、突然吹き出すと大声で笑い始めた。

 大村はよく分からずに困惑していると、腹を抱え涙目になった逸見に膝を数回叩かれる。

「痛っ!俺が何したっていうんだ!」

「ごめんなさい!だって、大村2佐が真剣に冗談言うんだもん!笑いが止まらなくって!!」

「だからって人の膝叩くな!痛いだろが!」

 大村がそう言うと、逸見はいたずらが成功した時の子供のようにニカッっと笑い、あっかんべーをする。

「大村2佐、心配しなくても大丈夫ですよ!これでも、高校の頃はモテなかったんですよ?それに車椅子になっちゃいました。誰も見向きもしませんって。」

 遠州灘を憂いのある目で見ている逸見の横顔を、大村はただ黙って見つめる。

 遠くからヘリコプターと思われる音が聞こえてきて、それが少しずつ大きくなってくる。

 2人は音の方へ視線を向けると、ドクターヘリと視認でき、それが屋上の着陸スポットへとアプローチを開始しているところであった。

「まぁ・・・俺は初めて見た時から、見向いてたけどな・・・」

 大村が小さく呟くと、ヘリは着陸スポットの直上でホバリングを数秒して、高度を徐々に下げていく。

「大村2佐、言いたいことがあるならはっきり言ってくださいよ!聞こえなかったですよ!?」

「ヘリの音で聞こえなかったか?もう1回言うよ。『煙草が吸いてぇなぁ~』ってな。」

 ドクターヘリのスキッド(タイヤの変わりに着用されている棒状の降着装置)は接地していて、患者を降ろすためにエンジンの回転数が落とされていっている。

 逸見は、機体後部から運び出された患者のストレッチャーを険しい視線で見ながら、大村の言葉を反芻する。

(大村2佐、誤魔化し方がバレバレ。・・・それでも突っ込み入れようって思わないのは・・・惚れちゃった弱味・・・かなぁ?)

 フライトドクターとフライトナースがストレッチャーを押していると、反対側から待機していたと思われる医師達がストレッチャーを取り囲み、そのまま病院内へと姿を消していく。

(困ったなぁ・・・。私、事故に遭ってから・・・嫌な女になっちゃったなぁ・・・)

 ヘリの方はプロペラの回転は遅くはなっているが、止まっておらず、引き継ぎ次第飛び立つものと思われる。

(彼を独り占め出来るって思うなんて・・・・・・最低だな・・・私・・・・・・)

 逸見は遠州灘に行き交う内航船や外航船をみやりながら、もう、2度と乗る事のない艦艇達の姿を、この距離では無理だと頭では理解しながらも、それでもなんとか見えないものか、と、探してしまうのであった。


◯神奈川県横須賀市 帝急(株)横須賀中央駅前 居酒屋 1938i


 西原が自宅で特異事象に関する資料等の整理をしていると、以前大村とよく飲みに行っていた居酒屋の店長から電話で突然呼び出され、駆けつける事になった。

 店内に入って直ぐ、大村の名前を呼ぶ声が喧騒の合間から聞こえてきた。

「大村さん、大村さんてばぁ!起きてくださいよぉ!西原さん、もうすぐ迎えに来ますよ!?」

大丈夫らいりょーぶらってぇ・・・大丈夫らいりょーぶ・・・まだ・・・飲めるって・・・」

「もう、全然大丈夫じゃないじゃないですかぁ!?呂律ろれつも回ってないですし、そんな状態でまだ飲むつもりなんですか!?」

「へーき、へーき!こんなん、酔っらったうちには入らないれすから!」

 カウンターの真ん中辺りの席でうつ伏せになっている大村が、浴衣のような服を来た居酒屋の女性店員に揺すられている光景に、私服姿の西原は、頭痛薬と胃薬を忘れたことを激しく後悔した。

 だからといって、みっともない姿の上官をそのまま放っておくわけにもいかないため、駆け寄って店員に事情を聞く。

「西原さん!来てくれてよかった!!四時頃に見えて、それからずっと、お摘まみもほとんど頼まないで、ひたすら飲んでたんですよ。以前来られてた時よりペースが早かったんで、ちょっと心配してたんですが・・・」

「申し訳ありませんでした。今すぐ引き摺ってでも連れて帰りますので。ご迷惑、お掛けしました。」

 西原が店員に謝罪していると、大村が顔を上げる。

 どうやら西原が迎えに来た事に気づいたようだ。

「あれ・・・西原かぁ?なんれ・・・ここに?」

「聞いてなかったんですか!?店長が西原さんを呼んでくれたんですよ!!」

「そろそろお開きにして帰りましょう、室長。」

 完全に酔いが回りきった大村に、西原は心底呆れながらも、腕をとって立ち上がらせようとする。

「まぁ、そんなころはいいから、座れ座れ!西原、ここ座れ!おねーさん!生中2つ!」

 大村は急に体を起こすと、左側のカウンターを強く叩きながら、西原を隣に座らせようとする。

 2つ離れた席に座る男性が、連れの男性との会話を中断すると、迷惑そうに一瞥して、反対側を向いて会話に戻る

「大村さん、止めてください!あぁもう!!飲み過ぎなんですよぉ!!」

「室長、そろそろいい加減にしないと、何時ものように頭痛で後悔してしまいますよ?」

 店員が左側に周りこもうとするのを、西原は止めてタクシーを呼ぶようにお願いする。

 大村が大人しくなったのを見計らい、西原が会計を済ませていると、ちょうどそこに手配してもらったタクシーの運転手が入ってきた。

 西原は運転手の手を借りて大村をタクシーに無理矢理に後部座席に詰め込むと、自分も助手席の後ろに座ってシートベルトを着用し、こめかみを抑える。

 運転手がドアを閉めて行き先を訪ねると、西原より先に大村が答える。

「ヴェルニー公園、お願いしまっす!」

「ヴェルニー公園、ですか?」

 運転手は戸惑い、酔っていない西原に確認しようと、困惑したまま顔を向ける。

 西原は慌てて、大村の住所を伝えようとする。

「すみませんが、逸見へみの・・・」

 しかし、大村は西原よりも大声を出して妨害する。

「ヴェルニー公園れす!運転手さん!」

「えっと、ヴェルニー公園の方でよろしいですか、お客さん?」

 西原は運転手に問われ、頭と胃の辺りが痛むのを気にしないようにしながら、結局ヴェルニー公園へ行く事をお願いする。


◯NR横須賀線横須賀駅前 ヴェルニー公園 2031i


 横須賀駅へ到着直後に吐き気を催し、大慌てで公園内のトイレに駆け込んでいた大村は、居酒屋の時とは一転して、真っ青な顔でベンチにもたれ掛かるように座っている。

 目元には西原が用意した濡れタオルがかかっている。

「う~・・・気持ち悪い・・・。頭が・・・頭痛で痛い・・・。手も・・・痛い・・・」

 大村は左手を目元に当てながら、アルコールが原因の頭痛と、左手の痛みに襲われて、情けない声で唸っている。

「頭が頭痛で痛いって・・・そんなに繰り返し強調されても、室長がご自分で飲まれたのですから当然です。それから、手が痛いのはカウンターを力任せに叩いたからです。少しはお店の迷惑も考慮してください。以前から数えて何回目だと思ってるんですか?毎回頭を下げる我々部下の事も・・・」

「西原・・・説教中・・・すまん。・・・・・・水、くれ・・・頼む。・・・頭が・・・割れそうだ・・・ガンガンする。」

「自業自得です。・・・まったく。今、駅のコンビニで水か麦茶でも買ってきますから、ここで待ってて下さい。」

「2リットルのでかいの、頼む。」

「分かりました。買ってきますから、そこからフラフラ動かないでくださいよ?」

 そこで一旦区切ると、西原は深く息を吸い込み大村に近付く。

「良いですね、室長!?」

 なるべく冷静になろうとしていたが、流石の西原もつい、これが本心だと言わんばかりに大声を出してしまった。

「うわっ!それ・・・頭に響く・・・。すまん・・・、頼むから止めてくれ・・・。本当に、辛いんだって・・・。」

「でしたら、ちゃんと大人しくしていて下さい。」

 西原が歩いて行くのを耳で聞いていると、ふと、昼間の逸見いつみの様子が、痛む頭を過った。

(逸見・・・辛かったんだろうな・・・。それも・・・全部、俺が振り回しちまったのが原因か・・・?自業自得・・・・・・西原の言うとおりだな・・・・・・。いい年して、大人気ねえな、ったく・・・・・・ガキかよ・・・)

 とりとめもなく考えていると、誰かが目の前に立った気配がして、警戒しながらタオルを外そうとする大村。

「いいよいいよ、そのままで。それにしても大丈夫かねぇ?辛そうだねぇ、誰か呼んだ方がいいかねぇ?」

 女性の声であるが、どことなく飄々とした雰囲気に、大村は何となくであるが、肩透かしを食らった気分になる。

「大丈夫です、お気遣いなく。・・・連れがいますので。」

「なら、安心したんだけどねぇ。でも、もしも変だと思ったら、直ぐに言ってほしいんだよねぇ。それから申し訳ないけど、ちょっと隣に座らせてもらうねぇ?」

「お気遣いありがとうございます。どうぞ、私の隣で良ければ遠慮せず座って下さい。女性を立たせておくなんて、そんな失礼な事は出来ませんから。」

 そう言うと、女性が右側に座る気配がする。

大村は相手の顔を見ようとも思ったが、酔いがあまりに酷く、タオルを取るに取れないでいた。

「君は紳士的だねぇ?さぞかし、いろんな女性からモテるんだろうねぇ?」

「そんな事、ないですよ。・・・言うほどモテないですし、悪い事に昼間、好きな女性を怒らせてしまいましたしね。自己嫌悪ですよ。」

「それで深酒かねぇ?それはいけないねぇ。素直に直ぐにでも謝ってきた方が、君達の今後のためにもいいんじゃないのかねぇ?」

「それも・・・そうですね。助言、ありがとうございます。」

 大村はそう口にすると、無意識に右手を胸ポケットに持っていく。

「あっ・・・と。」

「どうしたのかねぇ?」

「いや、大丈夫です。昔の癖が出ただけですから。」

「そうかねぇ?ポケットの中身をどこかに置いてきた、とかじゃないのかねぇ?」

「元々入ってなかったですよ。以前まではここに入っていましたが・・・、御前崎に捨ててきましたから。」

「御前崎?君は今日、御前崎に行っていたのかねぇ?」

「今日じゃありません。だいぶ昔の話ですよ。ちょっと当時を思い出していまして、その時の癖が出てしまいました。」

「癖は治そうと思っても、中々治せないからねぇ。それと今朝、そこの桟橋を“いずも”の補給長と君が歩いているのを見かけたから、僕も変だなぁって思いながら君の話を聞いていたんだよねぇ?でも、以前の事と言うのなら、それは納得だねぇ。」

 補給長という隣の女性の言葉に、酔いが一気に醒め、それと同時に警戒を強めた大村は、女性が立ち上がる雰囲気を感じる。

「それじゃあ、僕はこの辺で失礼するねぇ。邪魔をして、申し訳なかったねぇ、大村室長?」

 自己紹介もしていないはずなのに自分の名前を呼ばれ、相手の顔を見ようと急いでタオルを外す。

 しかし、周囲には誰の姿も見えず、急いで左後ろを向くと、西原が駅側から駆けてくる姿が見える。

(今のは誰だ!?あれが・・・“いずも”の艦魂・・・なのか・・・)

 慌てて探るように辺りを見回すも、少し離れた所を歩いている男性2人と、親子連れだけが視認できただけであった。

 朝方に“いずも”で会議を開いた時、隠されていたのか、本当に外出していたのかは定かではないが、大村と西原は“いずも”の艦魂には会っていない。

 また、大村は幽霊や心霊現象には1度も遭遇していない為、このような不思議な現象を起こせるのは目の前の逸見桟橋の主である、護衛艦“いずも”の艦魂以外にはいない、と、思い込んでしまった。

「室長、申し訳ありませんでした。色々選んでいたら、遅くなりました。水だけではと思い、飲めるゼリー・・・あの、狐に摘ままれたような顔をしてますが、何かありましたか?」

 大村は声をかけられ、西原の顔を呆然と眺めていたが、突然何かを思い出したように立ち上がって、西原に詰め寄る。

「西原!お前がここに入ってきた時、俺の近くに女がいなかったか!?」

 興奮のあまりに大村は、西原の胸ぐらを掴んで引き寄せる。

「お、女ですか!?いなかったと思いますが、あの、見間違いか、酔いが酷いの・・・」

「自己紹介してないのに俺の名前を呼んだんだぞ!?酔ってても自分の名前を聞き違える奴がいるか!?コンビニに俺を知ってそうな女はいたか!?恐らくそいつが“いずも”の艦魂だ!」

 大村のあまりの剣幕に、西原はたじろぐしかなくなり、急いで店内の様子を思い出して報告する。

「いえ、知ってる人間どころか、私が入った時に客は私だけでした。それに、コンビニから出て来てここまで、男性3人がジョギングしていたくらいです。あの、本当に“いずも”の艦魂だったのですか?それとも、夢でも見ていた・・・とかでは?」

「夢だった・・・のか?いや、室長って肩書きを横須賀で使ったのは“いずも”の中だけだ・・・。“いずも”の艦魂以外には・・・」

 西原から手を放すと、そのままベンチに座り込み逸見へみ桟橋と、Yバースこと吉倉桟橋を見る。

「西原・・・」

「どうされました?」

「水、寄越せ。」

 オレンジ色の街路灯に照らされ、物悲しい風な逸見へみ桟橋ホテル1に係留されている護衛艦いずもを、目を細めて見ながら、西原に左手を伸ばす。

 西原は袋から2リットルのPETボトルを出してキャップを開けようとした。

 すると、大村に突然引ったくられた事で唖然としてしまい、彼が水を5分の1程を飲んだ、その次の行動への対処が遅れてしまった。

「何やってるんですか、室長!!」

 大村は無言で5分の4残っているPETボトルを頭上に掲げて180度回転させ、頭から水を被り始めた。

「室長!止めてく、冷たっ!止めて下さい!!」

 西原はとばっちりを食らいながらも、大村からPETボトルを取り上げようとするが、時既に遅く、中身は全て出きってしまった。

「何を考えているんですか、室長!!いい加減にして下さい!!」

 大村の行動に、ついに堪忍袋の緒が切れ、今度は西原が胸ぐらを掴みかかろうとした。

 その瞬間、大村は鋭い視線を西原に向け、質問をした。

 指揮官の大村から視線を向けられた西原は、条件反射で不動の姿勢をとらされてしまう。

「西原は“するが”で、逸見いつみが見たって言う、通称bloody commnder(血塗れの2等海佐)と、あの時起きた事は、覚えてるよな?」

 これまでの流れと全く関係のない質問に、西原は怒りの矛先を向ける事が出来なくなり、微かに残った自制心を引っ張り出して来ると、平常心を取り戻そうと怒りを強制的に引っ込めた。

「それは、起きた事の方は当事者ですから、はっきりと覚えています。聞いた事のない声で、逸見の事故を伝達する艦内放送がありましたから。あれは結局、聞き取り調査では、誰も関与していなかったのが証明されました。逸見を助けたと言う血塗れになった2佐の方も、誰だかは現在まで不明のはずです。」

「自分で言ってて、気が付かないか?」

「気が付く、とは?」

「衝突事故での謎の放送と不明の2佐、それに今回の艦艇等での騒動・・・。ここまで言っても、まだ分からないか?」

「まさか、大村室長は、艦魂と関連があると?」

「まさか、って言ったな?西原、それ以外に選択肢があるか?俺には、これ以外で納得のいく説明が出来ない。西原には説明出来るか?」

「確かに艦魂なら・・・しかし、それでも私は、艦魂も現状の選択肢の1つの内だと考えています。まだ、断定には早計と考えます。」

 西原を慎重すぎるとは思ったが、大村も西原の言葉を否定出来るだけの材料を持ち合わせておらず、強く出ることも出来ないまま、お互いに無駄な時間だけが過ぎていった。


◯横須賀地方総監部 吉倉桟橋Y1バース 輸送艦“おおすみ”艦内 科員休憩室


 呉から横須賀まで、人や装備を運んできていた輸送艦“おおすみ”では、呉に戻るまでの間、半舷上陸となっている。

 半舷上陸とは、半数を休暇にする一方、もう半数で当直を行うことである。

「大隅1佐、寝不足ですか?風邪ひきますよ?」

 思い思いに休憩していた科員のうちの男性2曹がテーブルに突っ伏して寝ている大隅に気付き、女性士長に声をかけるように頼んだのである。

「・・・いえ・・・大丈夫・・・あっ・・・ごめんなさいね、寝ぼけてたみたい・・・。多分、疲労が原因だと思うの。あの子達が元気過ぎちゃってね。起こしてくれてありがとうね?」

 少し寝惚けていたのか慌て言い繕うと、冷めきったホットコーヒーを飲みきる。

「育児疲れにも見えますけど、大丈夫ですか?」

「今は・・・なんとか大丈夫ね。皆にLCACエルキャックちゃん達の面倒を、お願いしたおかげかしら?」

「では、今のうちにベッドでお休みになられてはいかがです?私達で面倒見てますので。」

「そうなんだけど、あの子達がまた行方不明になったらと思うと、心配なのよ・・・」

 大隅はそう言ってLCAC達に視線を向け、士長も同じように視線を向ける。

 2人の横からは、子供2人のはしゃぐ声と、科員達の楽しそうな声が聴こえる。

 LCAC2101(以下01マルヒト)は男性海曹に高く掲げられ、両手を横に、足を真っ直ぐ伸ばして、固定翼機ごっこをしている。

 LCAC2102(以下02マルフタ)の方も、すぐそばにいた別の女性海曹にせがみ、同じように固定翼機ごっこを始める。

 普通の子供であれば『ひこうきごっこ』、とでも表現するような微笑ましい光景なのだが、わざわざ固定翼機とした理由は、LCAC達の次の行動にある。

「楽しいかい、01ちゃん?」

男性海曹が声をかけると、満面の笑みで大きく頷きながら答える。

「うん!楽しい~!よ~!」

「お姉ちゃん、今日は私が僚機役する~!ね~!」

 そう言った02は、女性海曹に指示して01の少し離れた右横に位置してもらい、01の方に顔を向ける。

 01は先程までの笑顔を消し、表情を真剣にして状況開始をした事で、女性海曹は困惑し始める。

「オールクルー、(こちら)TACCOタコー。これより状況を開始する。現在、我は指定エリアにオンステーションした。対潜捜索に移行し、ソノブイフィールドを敷設する。対潜見張りを厳となせ。」

 TACCOとは戦術航空士の事で、通常の航空機は機長に命令の優先権があるのだが、P-3Cに関しては、機長よりも戦術航空士に命令の優先権があるのである。

 そして01は、作戦空域に入った所から固定翼機の戦術シミュレーションごっこを開始したようである。

 01の雰囲気が鋭いものになり、声も先程までの子供特有の高さが無くなって、やや低めの、まるで成人女性のような声が01から聞こえてきた事で、女性海曹は驚きのあまり、01を見ながら呆然とし、男性海曹は何回か経験がある様子で、驚く素振りもなく、01に合わせて交信しているように話かける。

「01ちゃん、ソノブイ準備します。」

 そう言って近くのテーブルからティッシュを取ろうとすると、頭上から01の抗議の声が聞こえてくる

「違う~!の~!私はTACCOタコー!なの~!」

 少し怒ったように普段通りの喋り方へ戻り、男性海曹に注意をする。

 普通の子供でも何かの役を演じている時は、その役名で呼ばないと返事を返さない子供もいるため、こういった所は子供らしい1面を持っている。

「これは失礼しました!TACCOタコ、ソノブイ準備します!」

 男性海曹は謝罪した後、ティッシュの箱に01を寄せて、ティッシュを取らせる。

 01はそれを4枚手に取り、1枚ずつ丸めるとそれを両手に2個ずつ持つ。

 なお、ソノブイとは海に投下して使う、艦艇のソーナーと同じ役割をするもので、音響データはP―3Cに送られ分析されるのである。

 この男性海曹はP―3Cに関しては、少ししか知識が無いため、先ほどの報告も雰囲気で行っているだけある。

 そのため、これが正しいやり取りかについては、専門外という事もあり、男性海曹はその場の雰囲気に合わせて、気にしていないのである。

 02を抱えている女性海曹はというと、01の豹変ぶりに驚いたままの状態であった。

「了解。間もなくダイバーチャンネルワンを投下する。前方チェック・・・。ねぇねぇ、前に行ってくれる~?かな~?」

 ソノブイ投下前には、投下ポイントに船舶等がいないかを確認するのだが、01はまた急に普段通りの声に戻って、男性海曹にそれを再現するように動く事を指示する。

「了解、TACCOタコ!」

 男性海曹は01の指示通り、休憩室をうろうろと歩き始める。

 02も実際に撮影するわけではないが、望遠レンズを装着した一眼レフを構えるような腕のポーズをとり、01の写真が撮れるような風に追従を指示して、実際にP-3Cが編隊飛行をしているかのように動いてもらっている。

「じゃあ、続ける~!ね~!」

「お姉ちゃん、いつでもいい~!よ~!」

「わかった!続ける~!ね~!・・・ドロップスタンバーイ、ナウドロップ。・・・ネクストダイバーチャンネルツー、ナウドロップ。・・・ネクストダイバーチャンネル22フタジュウフタ、ナウドロップ。機長、このまま左旋回。チャンネル1のドロップポイントへ戻れ。」

 01はナウドロップに合わせて、ティッシュを丸めた物を1つずつ後方に軽く投げていく。

 どうやら、ティッシュをソノブイに見立てているようだ。

 女性海曹はそれを見て少し顔をしかめるが、すぐに何かを思い付いたようだった。

「TACCO、機長了解。ドロップポイントに戻ります。左旋回。」

 01は、また成人女性のような声に変えて、落ち着きながらソノブイを投下指示するTACCOを真似て、指示を再現している。

 男性海曹も01の指示を受け、左周りで部屋の端まで戻ると、先程のルートをトレースする。

 一方の02と女性海曹は逆の右旋回で戻り、01達と合流して同じように、02達自身のルートをトレースする。

「オールクルー、TACCOタコー。目標、潜水艦“せきりゅう”らしい。」

 と、ここで女性海曹が待ったをかける。

「ストップストップ!01ちゃん、せめてそこは潜水艦だけにしておこう?いくら“ごっこ”でも“せきりゅう”さんに魚雷ぶつけたら痛いと思うよ?可哀想だよ?」

 女性海曹はいくらなんでも仮想敵役に、僚艦である海自の潜水艦を選ぶのはいかがなものかと思ってしまい、つい介入してしまったのである。

「は~い!了解した~!よ~!・・・もとへ、目標は潜水艦らしい」

 そしてこの固定翼機ごっこ、もとへ、対潜哨戒機演習ごっこは、ボンベイ(Bomb Bay:爆弾倉)に見立てた01の胸の辺りから、手で97式短魚雷に見立てたティッシュを投下させ、ソノブイと短魚雷だったティッシュを、今度は浮遊物に見立てて命中確認したところで状況終了となった。

 女性海曹は02を降ろして、先に降ろしてもらっていた01を手招きして呼ぶと、2人と視線を合わせるためにしゃがみこんだ。

「2人とも、後でスポンジか何かでソノブイとか作ってあげるから、もう、ティッシュをおもちゃにしちゃダメよ?約束してくれるかな?」

「分かった~!よ~!」

「分かったよ~!ね~!」

「よしっ!それじゃあね・・・、掃海艇ごっこでティッシュを回収しよう!出来るかな!?」

「もちろん出来る~!よ~!」

「もちろん出来る~!ね~!」

 女性海曹の提案で、ソノブイと97式短魚雷に見立てたティッシュは、01が掃海隊群第3掃海隊隷下の掃海艇MSC690“みやじま”に、02が水中処分員EODになりきっており、01が位置等を指示し、02がそれに従い次々に拾っていく。

 この時も2人の表情は真剣そのもので、声と内容だけを拾って聞けば、女性がEODの訓練しているらしく聞こえ、流石に科員休憩室にいたLCAC姉妹を除き、大隅を含めた全員が驚いていた。

 そんな中、海中浮遊物に見立てて回収されたティッシュは、02がきちんとゴミ箱に処分をした。

「あの姉妹ちゃんは、P―3Cの事も掃海艇とEODの事もよく知ってますね・・・。それに、姉妹ちゃんが豹変したのにはびっくりしました・・・。声と内容だけ聞いてたら、完全に自衛官ですよ。」

 士長は驚きで目を見開いたまま、大隅に先程まで展開していたLCAC達の対潜哨戒機と掃海の演習ごっこ遊びの感想を述べた。

「飛行長さんが2人へ、面白半分に哨戒機の動画見せたら、見事にはまっちゃったんですって。掃海艇の事は、呉で宮島さんから、多分聞いたんだと思うの。でも、子供から大人の声が聞こえてくるなんて、私にも理解が・・・」

 雰囲気や声の変化の説明をしようにも、大隅でも把握出来ておらず、士長と質問に答えていた大隅に、大きな疑問を残してしまった。

「LCACちゃん達は、私達艦魂とも違うようなのだけど、・・・不思議ね。」

「あの、質問があるのですが、聞いてもよろしいでしょうか?」

 士長は恐る恐るといった雰囲気で、大隅に質問をする。

「別に構わないわよ?」

「私は小説が好きで、色々な作品を読みました。その中で艦艇や船舶の艦魂や船霊ふなだまが出てくる作品も読んだ事があるのですが、そこに書かれていた『同名艦艇の記憶と、その継承』と言う現象は、大隅1佐達にもあるのでしょうか?それと、LCAC姉妹ちゃん達の行動とも、何か関係しているのでしょうか?」

 想定していなかった質問に大隅は、困惑するばかりである。

「同名艦艇の記憶と継承って、そういう話があるの?それに、その事がLCACちゃん達に関係ありそうなの?」

 大隅は他人事のように、疑問形で返事をする

「大隅1佐は先代の記憶を、お持ちになられていないんですか?」

「先代の“おおすみ”は、確か、アメリカ生まれと聞いているの。でも、私にはアメリカでの記憶は持っていないわね。」

 先代のLST4001“JDSおおすみ”は、アメリカ海軍のLST689“USSダゲット・カウンティー”が、1961年4月1日に供与された事により就役する。

 その後、1974年3月30日に除籍されアメリカ海軍に返還後、今度はフィリピン海軍へ供与される事となり、LT506“BRPダバオ・オリエンタル”として就役、除籍後にスクラップとして売却されたという経歴を持っている。

 2代目である、現在のLST4001“JDSおおすみ”の艦魂である大隅には、それらの記憶は、頭の片隅にも無いというのである。

「そうなのですか。現実は、小説とは違うのですね。」

「記憶の継承って、輪廻転生の考え方から生まれてると思うの。でも、そうだとすると、Y2バースにいるお隣さんに、当てはまるかしら?」

 それを聞いた士長は何かに思い当たると、右手を顎に当てて深く考え込んでしまう。

「確かにお隣さんは、先代が今も存在してますね。それに“ちよだ”も一時的にでしたが・・・。そうだとすると・・・」

 大隅はそんな士長を見ながら、話を先に進める。

「そんなに難しく考えなくても、大丈夫じゃないかしら?だって、無くてもなんの支障もないもの。過去の記憶持っていたとしても、私は私で、貴女は貴女なの。でも・・・お話としては、それはそれで面白いとは思うの。もしよかったら後で貴女が読んでる小説、私にも読ませてもらえる?」

「えっ?はい、良いですよ?この前、“いずも”に乗ってる兄達と一緒に、イベントで買った小説の同人誌があるんですけど、横浜が舞台で民間や海保が主人公の小説3冊と、呉と横須賀メインで自衛艦の小説が2冊あるので、すぐお持ちできますよ?片方は記憶持ち、もう片方は記憶無しですけど、どちらも面白いんです!」

 士長がそう言いながら、取りに行くために立ち上がろうとすると、大隅はそれを制して座らせる。

「後でいいのよ、急いでいないから。」

「了解しました。それにしても、大隅1佐達が見えるようになった事、LCACちゃん達の事、Y2のお隣さんが2人いる事・・・。謎が多いですね、この問題・・・。」

「・・・・・・そうね・・・。」

 “おおすみ”の乗員達のほとんどは、まだ対潜哨戒ヘリ達や、陸・空自の異変を伝えられてはおらず、この事を知っているのは、現時点では大隅と“おおすみ”艦長、それから副長のみである。

 また、この事は他の艦艇でも同様で、“とさ”や“いわしろ”等のように、異変当日以降にSHや陸自を搭載している、あるいはしていた艦艇以外にはほとんど知られていないのである。



 こうして各々に、様々な問題を抱えたまま海上・陸上・航空の各自衛隊と、その上部組織である統合幕僚監部の他、海上保安庁、警察庁、消防庁も含めて、さながら、霧が発生した夜間を模索しながらのような状態で、進んでいく事になるのである。


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