第1章
第09話 4つの桜花
【海上自衛隊】
現在、約4万2千人の隊員を抱える海上自衛隊。
日本国内閣総理大臣を最高指揮監督権者として、上部組織の防衛省と統合幕僚監部より、陸上自衛隊、航空自衛隊と共に日本の、主に海上防衛にあたる組織である。
そして海上自衛隊の中で唯一にして最高位、約4万2千人の海上自衛官をまとめあげる職がある。
『海上幕僚長』
防衛大臣の指揮監督の下、海上自衛隊の任務と隊員の服務を監督、かつ防衛大臣の助言者として補佐をするのが、海上幕僚長(以下、幕長)の役目である。
そして、その海上幕僚長の右腕とも言える海上幕僚副長(以下、副長)の携帯が、深夜にもかかわらず部屋に鳴り響く。
その着信音に目が覚めた副長は、眠気
そこにはアドレス帳に登録された相手の名前が表示されており、確認して驚き、飛び起きる。
すぐさま通話のボタンを押すと、隣で寝ている妻を起こさないように小声で話し始める。
「お疲れさまです。どうされたんですか?こんな遅く・・・はい・・・えぇ・・・えっ?これから!?・・・何が・・・・・・SF(自衛艦隊司令部)から?・・・はい・・・では、市ヶ谷に?」
相手との会話をしていくうちに副長の表情が険しくなっていく。
そして隣で寝ていた妻も、隣でゴソゴソされてしまえば起きてしまう。
副長は少し寝ぼけている妻に、静かにしているよう人差し指を口に当てて、ジェスチャーしながら電話の相手と会話を続ける。
妻の方も、夫のただならぬ雰囲気に目がさえたのか、一度軽くうなずくと衣装ダンスに近寄り、白い開襟の第3種夏服を準備し始める。
「えっ?・・・待機?繰り返しますが、待機、ですね?・・・はい、了か・・・他のメンバーも?・・・はい・・・了解しました。お疲れさまです。」
通話を終えると、携帯を畳んでサイドテーブルにのせる。
「あの、待機って家で、ですか?あなた?」
タンスの前で夏服の上着を持ったまま、首を傾げる妻。
「あぁ。時間は分からないが朝方に会議を開く可能性があるそうだ。そうなったら市ヶ谷にと言われた。いつ緊急になるかわからないんだが、今の所は急ぎではないそうだ。幕長もこれからどうするか決めるそうだが・・・」
ちらっと置き時計を見やると、「念の為、戦闘服に着替えよう。」と妻が出そうとしていた第3種夏服ではなく、災害などを想定して、海上自衛隊用の青迷彩の『陸上戦闘服2型』に着替え始める。
この後、海上幕僚監部の主だったメンバーと、広報担当にも、通達されていく事になる。
○横須賀地方総監部そば ヴェルニー公園内 0221i
昼間、ランニングやウォーキングに勤しむ人や、楽しくランチを食べたり、自衛艦艇や米軍艦艇を撮影に来る人達で賑わいを見せていたヴェルニー公園。
花は美しく咲き、木々も青々としていて、ここを訪れる人達に癒やしも与えている。
しかし深夜と言えるこの時間に、人の気配は、本来であれば無いはずであったのだが、今日だけは様子が違う。
海上自衛隊でもあまり目にすることのない、陸上戦闘服2型を来た数名の警衛隊員と1頭の警備犬が、ヴェルニー記念館の建物周辺で周囲を警戒している。
そこから複合商業施設側を見ると、もう数名の隊員ともう1頭の警備犬が、そちら側を同様に警戒しているのが見える。
そこへ、横須賀地方総監部(以下、横監)から3人の幹部自衛官らしき人物が歩いてくるのが見える。
肩章から1等海佐、3等海佐、1等海尉である事がわかる。
警衛隊員の方はと言うと、全員階級章をつけておらず、ワッペン状の名札も着いていない。
着けているのは、右胸にシルバーかグレーの色の糸で刺繍された低視認性の『海上自衛隊』と刺繍されたワッペンと、左肩に同様の糸で刺繍された、海上自衛隊を表す低視認性の旭日旗のワッペンだけが着用されている。
警衛隊員の1人が彼らを見つけて静かに挙手敬礼し、他の隊員もそれに合わせて挙手敬礼する。
幹部自衛官3人も答礼しながら近付いていく。
「さっき連絡があって、予定通りに間もなくこちらに到着される。大変だと思うが、くれぐれも失礼の無いように。それから重ねて言うが、ここにいる全員に箝口令が出ている。聞いていると思うが、いいな?」
出だしこそ柔和で、警衛隊員を
「了解しました。お任せ下さい。」
数人の中で1人が代表で口を開き、幹部自衛官に任された旨を告げる。
そこへ1尉の幹部自衛官が「失礼します。恐らくあの車かと。」と1佐の右肩越しに耳打ちをしてくる。
彼らの目には、側道に入ってきた1台の白い車両が写っている。
運転手が何かを持って、1佐達のいる方に向けている。それは横長のA4サイズの板のような物で、上部に4つの赤い点のようなものが横に並び、その下には青か黒の絵柄が描いてある。
それを確認した1佐達は、一斉に敬礼する。
運転手はそれを確認すると、手を引っ込めて持っていた物を助手席の人物に渡しているように見える。
入ってきた車はどうやらハイブリッド車のようで、エンジン音もなく、静かに横断歩道手前の停車線の辺りで停止する。
すかさず2人の警衛隊員がそれぞれ、各車線の中央に立ち、商業施設側を向いて警戒する。
助手席の男性が出てくると、後部座席側に回り込み、左右を確認してから扉を開ける。
中から初老の男性が、歩道で敬礼している1佐以下幹部自衛官達と警衛隊員達に、答礼しながら出てくる。
歩いて近付くと1佐に小声で話しかけ、1佐も公園内を手を指し示し、何か説明をしているようにも見える。
その間に、初老の彼を乗せていた車両は、残りの2人を降ろした後、静かに走り出して横監の中に入っていく。
「あちらで既にお待ちになっています。私達はここで待機させていただきます。」
1佐の言葉に、初老の男性は近くのベンチを見やる。
「時間は6分前か。急ごう。」
軽く袖をめくって、腕時計を見るとそう呟き、小走りに階段下のベンチに近付く。
海上自衛隊は、原則5分前行動であるため、初老の男性にとっては遅刻寸前といったところであろうか。
途中で右側の花壇に設置されている、『ヴェルニー公園』と彫られた石碑を、横目にチラリと見やる。
その後ろにあるベンチを見ると、既に1人先客がおり、座って米海軍側に停泊する海上自衛隊の潜水艦達を眺めている。
「久しぶりだね。秋以来か。」
初老の男性はそう言いながら、先客の左側に座り、対岸の潜水艦を先客と同じ様に見る。
先客は、黙って潜水艦を見つめたまま、背中をベンチに預ける。
「“じゃじゃ馬が暴れているから迎えにこい”と、そこで待機してる彼から聞いた時は、耳を疑ったよ。まさか彼が言ってくるとは思わなかったからな。」
姿勢を変えず、しかし目線だけは右の先客に向ける初老の男性。
「だから“迎え”に来たのだろう?なんの疑いも無しに。あの彼は随分と疑ってくれたからな。まぁ、私が彼の立場でも同じ事はするだろうから、30分も拘束された事はなんとも思っていない。むしろ優秀だろうから、有望株だな。お前の後釜に相応しいんじゃないか?」
先客が“拘束”と言ったところで、体ごと先客に向け、慌てた表情の初老の男性。先客は微動だにせず、「彼を不問にしないと、お前、後悔するぞ?良いのか?」と、さして気にしていない事と、先客を拘束したという彼を気遣う様子を見せる。
「相変わらず・・・だな。肝っ玉がでかいというかなんというか。」
呆れながら、先ほど崩した姿勢を戻す初老の男性。
「そうだ、またコーヒーでも一緒に飲みたい。昨秋で、もうお前とは会えないと思っていたからな。今から行くか?」
初老の男性に顔だけ向ける先客。その言葉に、困った表情になる初老の男性。
「おいおい、今の俺の立場じゃ“お客さん”になるんだ。迷惑はかけられないぞ?」
「なにを言ってる?お前なら後ろの彼らに一声かければ、自由に入れるのだろう?“私”と一緒だろうに、何を遠慮しているんだ?」
彼の言っていることの意味が分からない、といった風に彼に言い放つ先客。
「逆だよ。今の俺だから、自由に出入りは出来ない。もう、そこの人間じゃ無いからな。」
彼は言いながら左を指差す。その先にはヘリコプター搭載護衛艦“DDH183 いずも”が横監前の
「護衛艦乗りじゃ無くなったから、遠慮しているのか?」
「近いが違う。横須賀の人間でも、お前のいる佐世保の人間でもないんだ。もう
半分先客に懇願するように、自分の立場を説明する彼。
「くくっ・・・初めて見たな、お前が狼狽える所を。良い物を見せてくれたな?冥土への土産になる。」
その言葉に、初老の男性の顔が苦々しいような、苦しむような、複雑の表情を見せる。
「ん?どうした?定年退職するのは、お前も一緒だろう?おまえの方が、私より後だったな、確か?」
「あぁ・・・そうだ・・・」
彼は絞り出すように返事をする。
「時の流れっていうものは、黒潮の流れより早いものだな・・・。もう、私も間もなく・・・なんだからな。」
彼は先客の言葉に答えることなく、左後ろに待機している1佐を手招きで呼び寄せる。
先客は不意に右耳を右手で押さえ、小声で何かを言っている。
「いかがなさいましたか?」
「つまらない用事で呼びつけてすまないが、コーヒーを2本頼む。2本共ブラックなら何でも良い。」
初老の男性はポケットから小銭入れを取り出し、1佐に小銭を渡す。
1佐は受け取ると小走りにその場を後にする。
「騒がしくなってきたな。私だけじゃないそうだ。」
先客は耳を押さえていた手を下に降ろすと、少しだけ前屈みになり、口を横一文字に結ぶ。
「何?どういう事だ?“お前”だけじゃないのか?」
「どうもそうらしい。それと、陸自も騒がしくなりそうだとさ。一応、通達で情報収集、待機命令、箝口令は出した。全員の各会議への参加は許可したがな。」
前屈みのまま、顔だけを初老の男性に向ける先客。
「陸自?お前の口から陸自とは、初めて聞いたな。陸自の方は何事だ?」
脈絡もない先客からの陸自発言に、どう言ったらいいのか分からないといった表情を見せる初老の男性。
「ん?あぁ、一緒だよ。私の方の一部の“連中”が、陸自の“人達”に会ったそうだ。それから、他の連中からも異変の報告が続々と入り始めていて、どうやら拡大しそうだ。ただ事じゃない。・・・今日は・・・いや、もしかしたら、今日からは・・・覚悟した方がいいな。」
そこまで言うと、大きくため息をつく先客。それを見やると、「お互いにな」と先客に聞こえる程度の小声で答える初老の男性。
ふと先客が何かの気配に後ろを見ると、1佐が小走りで駆けてくるのが見える。
「お待たせしました。私の独断で、急な移動があっても良いように、キャップ式の方を買って参りました。」
と、お釣りを渡す1佐。
「ん?お釣りが多くないか?これは確か普通の缶コーヒーより高かった気がするぞ?」
お釣りを数えながら、計算が合わないことに訝しむ。
「私の独断なので、私も少し出させていただきました。勝手な判断、申し訳ありません。」
部隊識別帽を取り、頭を下げる1佐。
「そんな細かい事で怒ってやるなよ?彼の判断で、2人共美味そうな缶コーヒーが飲めるんだから。ほらっ、横に『プレミアム』って書いてあるぞ?」
先客はもうキャップを開けていて、コーヒーの香りを楽しんでいるようだ。
「おいおい・・・。とりあえず、先ずはお礼だな、助かるよ。」
先客に呆れながら、1佐に礼を言う初老の男性もキャップを開ける。
「所でさっきの続きは、彼にも聞いてもらうか?どうする?」
そう言った後、少し香りを楽しんでから、冷たいコーヒーに口を付ける初老の男性。
「別に良いぞ?後ろの連中は、お前の部下だろう?彼らに聞いてもらっても、こっちは構わない。ただし、海自以外に口外はしないでほしいのがこちら側の要求だ。陸自、空自も含めてな。はっきり言って、注目を浴びたくないし、関わり合いたくもない。」
初老の男性は軽く肯くと1佐に、後ろで待機中である、自分の部下2人を呼ぶよう依頼する。
「伝統墨守。と言えば聞こえは良いが、お前には本音を言っておくよ。『自分達のことで一杯一杯で他人に構っている余裕がない』ってな。こっちも混乱していて、それを抑えなきゃだからな。」
海上自衛隊を四字熟語で表すときの1つ『伝統墨守』をやや強調して、初老の男性に胸の内を明かす。
「唯我独尊・・・。全くお前は根っこから『海自』だな。まっ、俺もだけどな。立場は違えど、“同一階級”は、同じなんだな。安心したよ、俺だけじゃないって。」
初老の男性は海自を表す、もう一つの四字熟語『唯我独尊』を呟くように吐き出すと、安堵した表情になる。
そんな取り留めもない会話をしていると、1佐は初老の男性の部下2人と共に戻ってくる。
3人が自分たちの下に集まったのを見て、初老の男性が3人に経緯を説明してから、話を戻す。
「それで、だ。大体で良いが何割くらいだ、その異変は?」
先客は深呼吸すると、初老の男性の問いに答える。
「連絡の取れない連中もいるから正確じゃないが、それでも今の段階で1割に届く勢いだ。こんなの・・・知る限りで聞いたこともない数字だよ。しかも増えているみたいだ。それに・・・」
一度区切ると4人の顔を見やり、初老の男性に、視線を戻す。
「それに、なんだ?」
先客にしっかり視線を合わせる初老の男性。
「例えば港務隊や潜水艦などからは、まだ入っていない。予想では朝に連絡が入るかもしれないから、そうなれば一気に数が増えるはずだ。もしかしたら5・・・いや、6割はいくかもしれない。」
その言葉に、初老の男性を除く3人は言葉を失う。
「必要なら、俺の方から手伝いを出そうか?2人までなら、連絡員としてすぐ動かせる。それ以上は時間がかかると思ってくれ。」
「あまり大きく動かさないでくれないか?バレるぞ?」
そう言うと、コーヒーに口を付ける先客。
「そんな事言ってる場合か?こういう事は先手を打って小さいうちに片付けないと、“大火事”になるぞ?それとも・・・“爆発”かな?」
それを聞き、今まで飄々とした表情と態度だった先客は、顔を真っ青にしてバッと初老の男性に向く。
「そ、それを言うな!あ、あれは本当に死ぬかと思ったんだぞ!!いや、あの世と言うものを見に行くかも知れなかったんだぞ!!しかも、2度もだ!!お前、知ってて言ってるんだったら、悪質だぞ!!いくら退役前の私だって、寿命の前には死にたくないんだ!!」
感情的に食ってかかる先客の態度に、3人の幹部自衛官は、内心で冷や冷やしているが、初老の男性の方は、それを楽しそうに眺めている。
「くくっ、まぁ、落ち着けよ?それにしても・・・ずいぶんな取り乱し方だな?俺は当時のお前は知らないが、大変だったというのは聞いているよ。こっちでも大騒ぎだったからな。」
初老の男性の態度に、煮え切らないといった表情の先客だが、とりあえず落ち着くという選択肢を選んだようだ。またベンチの背もたれにもたれかかり、深く深呼吸をし、コーヒーを飲む。
「なあ・・・私達側と、“お前達”側・・・一体、今、何がおきてるんだろうな・・・?」
言い終わり、飲みきったコーヒーのキャップを閉めると、両手で持ったまま、夜空を見上げる先客。
「・・・さぁな。・・・それが分かるのは、神様か仏様くらいだろう・・・。“この件”についてはな。」
初老の男性も同じ様に、キャップを閉め夜空を見上げる。
「よろしければ、片付けてきましょうか?」
来る時に、初老の男性の隣に座っていた幹部自衛官が声をかけてくる。
「ん?ありがとう。申し訳ない、頼むよ。」
初老の男性は、幹部自衛官に自分の空き缶を手渡すと、先客から空き缶を受け取り、それも幹部自衛官に手渡す。
受け取った幹部自衛官は、缶を2つを持って捨てに行く。
「考え出したら・・・きりがない・・・。なぁ、盟友?」
先客は、調子を取り戻したのか、また飄々とした雰囲気で初老の男性に話しかける。
「盟友・・・か。・・・懐かしいな。」
空をもう一度見上げると、今度は懐かしそうな表情を見せる初老の男性。
「ところで盟友?私が最後にお守りするのは、彼でいいんだろう?」
1佐の男性を指差し問い掛ける先客。
「そうなるが、何か気になる事でも?」
「大したことじゃない。私の残りの時間を使って、”もう1人”海上幕僚長を育てるのも一興だなと思ってな。」
同時に1佐を見る2人に合わせ、初老の男性の部下2人も1佐を見る。
4人の視線を集めた1佐は、明らかに狼狽えている。
「わっ、私ですか!?私は、その、わがままかも知れませんが、まだ艦に乗っていたいです!それに私は1佐になって多少時間は経っていますが、幕長はおろか海将補もまだ先なんです。お戯れは止して頂けないでしょうか!?お願いします!」
深々と頭を下げる1佐に、先客と初老の男性は、同時に笑いをかみ殺す。
しかし完全には殺しきれず、2人の口から笑いが漏れる。
「あっ!」
先客が何か思い出したのか、素っ頓狂な声を上げる。
「どうした?」
「時間が足りないのを、スッカリ忘れていた!もうすぐ退役だっていうのもだ、盟友!どうしよう!?」
その場の空気のせいで呆ける4人。しかし先客の慌てように4人共、笑い始める。
「その慌てようは、本気で忘れていたんだな、盟友?!わはははっ!」
「わっ!笑うな!恥ずかしいじゃないか!」
顔を赤くし、更に狼狽えている先客の姿に、初老の男性は更に笑い、3人は笑わないように、肩を震わせ必死に堪える。
突然、笑うのをやめた初老の男性は、表情を引き締め、幹部自衛官達が落ち着くのを待つ。
「さて、
空を見上げると微かに東側が明るくなりかけているように見える。
車内で初老の男性の隣に座っていた、幹部自衛官は時計を見る。
「まだ30分ほどお時間があります。久しぶりの邂逅なのでしょう?もう少し会話を楽しまれては?時間になりましたら、お声掛けしますので。」
そう言うと他の2人に声をかけて、公園出入り口の階段の上まで歩いていく。
初老の男性に声をかけた幹部自衛官は、スマホでどこかに連絡を入れている。
「彼はずいぶんと気が利くなぁ。お前の後継者か?」
振り返って階段上にいる自衛官達を見たまま、初老の男性に聞いている先客。
「みたいなものだよ。ただ、あくまでも“候補”で、しかも俺は指名出来ない。出来て精々が推薦だろう。副長が幕長になったら、その次は恐らく彼だろうな。外から見届けることになるのが残念だよ。」
ベンチに座り直して、潜水艦の方を向きながら口を開く先客。
「それは彼次第だろうけどな。そうだ、一応言っておく。“お前達”は“私達”とは違うんだ。私達にとっての、将に将補・・・そして・・・幕長は、お前達“人間”と意味合いが微妙に異なる。・・・統率し導くのは変わらないと思うが、“私達”が将官になる意味はもう一つある。分かるだろう、盟友なら?」
初老の男性は、公園の照明に照らされた先客の顔を数秒見てうつむき、呼吸を整える。
そして意を決したように、顔を上げ、もう一度先客を見る。
「あぁ、分かる。“盟友の姉”に、引導を渡したのは・・・他ならぬ・・・この私だからな・・・。申し訳ない・・・。それに・・・盟友、お前にも・・・渡さなければならない・・・。」
何かを言うでもなく、彼の言葉に耳を傾けている先客。
「これも海上自衛隊最高責任者である、俺の・・・海上幕僚長の仕事だ。俺を許してくれ、とは言わない。恨みたいのなら、恨め。・・・ただ・・・本当に・・・・・・申し訳ない・・・すまない・・・。俺でも・・・これだけは・・・どうする事も出来ないんだ。」
初老の男性こと、幕長は言い終わると立ち上がり、深々と頭を下げる。
先客はそれを見やると、やおら立ち上がり、正面の柵に向かって歩くと手をかける。
正面対岸の潜水艦達を、細めた目で何かを思っているようにじっと見つめる。
「なぁ、この横須賀の海は・・・姉さんのところまでつながっているんだよな?」
先客はベンチの方に向き直ると、そのそばに立つ幕長へと問うた。
「あぁ。だが、それを熟知しているのは、お前の方だろう?なぜ私に聞く?」
「ん?・・・なぜだろうな?ふと、聞いてみたくなった。」
幕長は、立ち上がると先客の左側に歩み寄り、柵に手をかける。先客は、海の方へと向き直り、海面を見つめる。
ふと先客の肩を見ると、自分と同じ幕長を表す乙階級章が目に入る。街灯から離れていて薄暗いため、やや分かりにくいが幕長の階級章よりも古いように見える。
「その乙階級章・・・姉さんのか?」
その声に左肩をチラリと見てから、幕長を見る。
「右肩のはな。
右手をポケットに入れて、何かを取り出そうと探している。
「これだよ。受け取ってくれ。」
ポケットから何かを取り出すと、幕長の右手に無理矢理に握らせる。
彼は右手を開き、握らされた物を見て目を見開く。
「お、おい!どういうつもりだ、これは!?」
問いただす幕長に、先客は「気持ちだ。」と答え微笑む。
戸惑う幕長の背後に、彼の部下が近付く足音を感じる。
開いた右手を強く握りしめ、10度よりも深く敬礼をする。
「すまない。」
一言、そう先客にはっきり告げると、先客を見ずに、足早に公園の出口へと向かう。
迎えに来た部下が声をかけようとすると、「行こう」とだけ言って、スピードを落とす事無く階段を上る。
その様子に、慌ててきびすを返して追いかける部下。
先客はその場から姿を消すと、次の瞬間、階段上の彼らの前に姿を現す。
驚く3人を尻目に、白い車両に乗り込んでいる幕長の隣に、扉を開けたまま座り沈黙する。
「私達の命、お前に預けた。」
先に口を開いたのは先客。
「艦艇乗りの俺達の命は、元々お前達に預けている。今更・・・」
「忘れてないか?人間達や私達“艦魂”も含めて、護衛艦“海自”の乗員だからな?海自の舵取りは任せる、という意味で言ったんだぞ?“艦長”?」
そうに言うと車両から降り、幕長の部下に声をかける。
「そう言うことだから、彼の繰艦を手伝ってやってほしい、副長。」
その声に戸惑いながら返事をする部下。
「副長は御自宅です。私は砲雷長を長く勤めておりましたので、あなた方から支援射撃の要請があればいつでも。」
先客は軽くほほえむと「そっちは?」と隣を見る。
「私はPー3Cだけでしたので、護衛艦勤務なら飛行長でしょうね。航空支援ならお任せ下さい。」
その言葉に軽くうなずくと車両に目線を送る。
「頼もしい部下達だなぁ!盟友!?」
「当たり前だ!海自の精鋭達を指揮するんだ、こっちもしっかりしなきゃだ!お前なら分かるだろう?鞍馬海上幕僚長殿!?」
言われた先客、こと鞍馬は、苦笑いを浮かべるだけだった。
幕長の部下達が乗り込み扉が閉まると、助手席側後部扉の窓ガラスが下がる。
「それじゃあまたな、鞍馬。」
車内から、鞍馬を見る幕長。
「またな、盟友。」
鞍馬はそう声をかけると、「全員、気をつけ!」と鋭い口調で不動の姿勢を促す。
一拍おいて、「海上幕僚長に、敬礼!」と発すると、“くらま”艦長の1佐達と共に挙手敬礼をする。
幕長は答礼してから、運転手に「行ってくれ」と声をかけ、前を向く。
車両は微かなモーター音を出しながら、ゆっくりと滑るように走り出す。
全員、車両の姿が見えなくなるまで、敬礼を続けた。
・護衛艦“DDH-144 くらま”
“しらね型”の2番艦で、自衛艦艇で最後のボイラー2缶を搭載した護衛艦である。
最大の特徴である艦首側の5インチ単装砲2門も、残るは“くらま”と艦首1門・艦尾1門搭載の“DDG-171 はたかぜ”、“DDG-172 しまかぜ”だけとなっている。
ロゴマークにはチェスの駒であるKnight(ナイト:将棋の桂馬にあたる)があしらわれている。
また、鞍馬が過剰反応した爆発や火災であるが、1982(昭和57)年10月13日に佐世保基地においてボイラーの爆発事故を、2009(平成21)年10月27日にはコンテナ船との衝突事故が原因で艦首損傷、塗料火災(鎮火に約10時間)が発生し6名が負傷する大きな事故を起こしている。
その他以下、“くらま”の諸元を記す。
基準排水量 5,200t
全長/全幅 159.0m/17.5m
速度 31
乗員 360名
兵装 73式54口径5インチ単装砲 2門
アスロック8連装発射装置 1基
シースパロー8連装発射装置 1基
単魚雷発射管 2基
搭載ヘリ 3機(同時発着不可、連続は可)
進水 1979(昭和54)年9月20日
竣工 1981(昭和56)年3月27日
退役 2017(平成29)年3月 予定
○都内に向かう白い車両内 0512i
後部座席の幕長は、仮眠をとっているようで、目をつぶったまま腕を組んでいる。
助手席の“飛行長”は誰かと連絡をとっていたらしく、スマホの終話のアイコンを押した。
「どうした?」
後部座席の“砲雷長”が声をかけると、“飛行長”は後ろを振り向く。
「“黒兎”から連絡が有ったんですが、これが傑作でして。」
笑いをかみ殺しながら“砲雷長”に報告する。
「傑作なのはどうでもいいから、報告してくれ。」
あきれた顔で“飛行長”に先を促す。
「面白いんですけど・・・。じゃあ簡単に報告しますと、“猟犬”が“パンダ”に捕まったらしいんですよ。面白くないですか?」
満面のドヤ顔を決める“飛行長”に“砲雷長”は呆気にとられたような顔を“飛行長”に向ける。
「はぁ!?“パンダ”ってなんだそれは!?そんな言葉決めてないぞ!?なにが起きたか、ちゃんと説明してくれ!?」
“飛行長”から言われた言葉に、符丁として決めていなかった単語が出てきたため、前のめりになって詰め寄る“砲雷長”
「お巡りさんですよ。パトカーって白黒でしょ?だから“パンダ”だって、“黒兎”班のあいつが言ってきたんですよ。」
「あいつが?・・・なら、仕方ない。って俺が聞きたいのはそこじゃない!
最悪の事態を想定し、会見等のシミュレーションの為聞き出そうとする“砲雷長”。
「いや、違いますって。たまたま“黒兎”が交差点通り過ぎた直後に信号が変わっちゃったらしいんですよ。で、“猟犬”を撒けたか確認しようと後ろ見たら、赤信号で突っ込んできたって。焦ったらしいですよ、班の連中。“黒兎”は違反出来ませんからね。で、その直後に正義の“パンダ”さん登場で終了っと。そう言うわけですよ。」
心底スッキリしたような顔で、報告した“飛行長”にやれやれといった顔をする“砲雷長”。
「本当にお前も“あいつら”が嫌いなんだな?」
「訂正させて下さい。『嫌い』ではなく、『とてつもなく大嫌い』です。」
その言葉に、運転手も「私も強く同意します。」と恨みが籠もったような声音で、2人の会話に加わる
「まぁ・・・俺も本音を言うと“あいつら”は嫌いだ。だが、幕長も言っていたろう?“あいつら”・・・マスコミとは上手く付き合うことを覚えるんだな。俺は、一応は数人知り合いがいるからな?」
そこでいったん区切ると、途中で買っておいたペットボトルの紅茶を二口ほど飲んで、蓋をする“砲雷長”。
「お前等もさっさと人脈作っとけ。何書かれるか分かったもんじゃないぞ?っと、そろそろ“黒兎”に連絡だな。“白兎”は40分後に予定通り合流、幕長は“黒兎”に任せる、と伝えてくれ。」
「了解です。」
“飛行長”はすぐにスマホを取り出し、“黒兎”班に連絡を入れる。
○東京都新宿区市谷本村町 防衛省庁舎A棟 0603i
黒い車両が1台、海上幕僚監部が入るA棟に横付けされる。
黒い車両“公用車”から出る直前、鞍馬から押し付けられた、全体が金色で、錨と4つの桜があしらわれた階級章を軽く握ってから、外に出る幕長。
第3種夏服姿の幕長は答礼しながら、「おはよう」と声をかけ、部下達と一緒にそのまま庁舎A棟内に入っていく。
残された公用車のダッシュボード上には、海上幕僚長旗と同じデザインの、白い板のような物が置かれている。
赤い4つの桜が横並びに描かれ、その下に青い錨のマークである。
幕長の乗ってきた公用車は、すぐさま駐車場に移動されていく。
○海上幕僚監部 大会議室 0621i
緊急に召集がかかったにも関わらず、呼んだメンバーは全員、遅れることなく集合している。
ここでは現在、艦魂が現れた事について会議が行われていて、テレビ会議システムを利用し、護衛艦“とさ”の隊司令と艦長、輸送艦“いわしろ”の艦長、呉から第1輸送隊々司令も参加している。
なお、彼らは海幕への報告をあげるかは朝食後に決めようとしていたため、その海幕から会議参加命令が届いた時は、それぞれに顔を青くして、会議への対応に慌てていたという。
補足であるが、第1輸送隊は2016(平成28)年7月1日に、護衛艦隊から掃海隊群の隷下へと編成が変更されている事を付け加えておく。
そして会議はというと、艦魂達の自衛隊側での扱い等前代未聞の出来事だらけで、前例を引っ張り出してくることが出来ず、四苦八苦している様子が垣間見える。
結局の所0745iまでに決まったのは、鞍馬が提案した『海自以外の人間には、艦魂の存在を秘匿する』だけであり、他は0815iから再開される会議でということになった。
○東京都新宿区市谷本村町 防衛省厚生棟 コンビニエンスストア前 0848i
「悪いな付き合わせて。で、どうだ?“丘”の動きは?こっちはこれだけ堂々と動いてるんだし。そろそろ動いてもおかしくないんだがなぁ?」
海自の第3種夏服姿の2佐と3佐が、500mlのPETボトルを持って出てくる。ラベルにはコンビニのロゴが入ったシールが貼られている。
2佐はボトルのキャップを開けると、一気に半分まで飲み干す。
「ぷはあぁ!やっぱここ限定サイダーは美味いな!」
3佐の報告を聞く前に、サイダーの味を堪能する2佐。
「それなんですが、“丘”はそれどころではないようです。うち以上に慌てているようですよ?」
一旦区切り、3佐もオレンジジュースを開け、3分の1ほど一気に飲む。
「“いわしろ”か?それとも何かあったのか?」
「はい、“いわしろ”ではなく、東富士の方で何かあったようです。事故らしいですが、詳細は不明です。現在部下達に指示して調査中です。」
3佐が言い終わると、2人で同時にそれぞれに飲む。
「東富士って言ったら、演習場だったか?総火演の?」
間髪入れずに答える3佐。
「はい、最初は駐屯地とも思いましたが、漏れ伝わってきたのは“富士学校”の方でした。」
「なら、しばらくは大丈夫かな?そう言えば、けが人出たのか?それだとしたら、別ルートに報告しなきゃだからな。」
「それも含めて調査中ですが、今の所、死者や重傷者が出たという報告は部下達からは上がっていません。」
聞き終わると残りを一気飲みし、コンビニ備え付けのPETボトルのゴミ箱に入れ、大きく伸びをする2佐。
「他人事ながら、大変そうだな?」
「えぇ、他人事ながら大変そうです。」
そうに言い終わると、3佐もいつの間にか飲み終えており、ゴミ箱にPETボトルを捨てる。
「“上”の“父”はどうなんだ?」
「“父”は大人しいです。不気味なぐらいに。“上”は“上”で少し騒がしいですが、スクランブルらしいです。多分例の赤い国じゃないですか?」
言い終わると少し離れた廊下の交差点に、1等陸佐の姿が現れる。
慌てて口をつぐむと、2人は進路を塞がないようにあけ、1等陸佐を待つ。
1佐がそばまで来ると、10度の敬礼をする2佐と3佐。
1佐はそれに対して答礼し、そのままコンビニの中に入っていく。
「さて、“油”売ってないでさっさと本業に戻るか。」
1等陸佐が来た方の廊下を、反対に向かおうとする2佐。そんな彼の背中に言葉を投げ掛ける3佐。
「そんな事言わないで下さいよ。本業も大切でしょうけど、私が“油”を“仕入れて”来るんですから、しっかり“売って”下さいよ?お願いしますからね?」
その言葉に2佐は「あいよ!」と言いながら、右手を軽い感じでヒラヒラと振りながら、そのまま真っ直ぐ行ってしまう。
(2佐の事だから、仕事の信頼度は500%だけど、あの軽い感じは・・・慣れないなぁ)
軽くため息をつくと、2佐と真反対の方へ歩みを進める3佐。
途中、2等空尉達の集団から敬礼され、3佐は答礼し去っていく。
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