第24話 決意


○横須賀地方総監部 吉倉桟橋上 0809i


 横須賀地方総監部の庁舎から、吉倉桟橋Y1に着桟しているイージス護衛艦DDG-174“きりしま”へ向かっていた特殊事象調査室の大村と西原は足を止めていた。

「おいっ!逸見いつみ返事しろ!何があった!?Bloody Commnderってどういう事だ!?いたのか!?返事しろ!?逸見の他に近くに誰かいるのか!?おい、聞こえてるのか!?」

 大村は逸見から電話を受けたのだが、突然静かになってしまったため大声で逸見に呼び掛けていた。

「Bloody Commnder・・・何故今頃?大村2佐、逸見が目撃したのですか?」

 西原の問いかけに、大村はスマホのマイク部分を左手で覆いながら小さい声で西原に軽く状況を話す。

「分からん。逸見が急に黙っ・・・逸見、どうしたんだ!?」

 大村は逸見から話しかけられたのか、西原との会話を打ちきると左手にスマホを持ちかえ、右手を腰にあてる。

「急に黙って何があった・・・えっ?いた!?いたって、お前が見たっていう、あの2佐の事か!?どこに?・・・“するが”の艦首だと!?」

 思わず大村は、右側の逸見へみ桟橋に着桟している“するが”の艦尾に視線を向け、自分の所から見えるか確認してみる。

 だが、艦尾側からでは艦橋が邪魔をして艦首側は見えず、大村の目には舷外エレベーターの周辺にいる青い作業衣の人物達と、足元が見えない為に幹部か海曹か不明の第3種夏服姿の人物が見えるだけである。

 彼等はこれから訪問予定になっているある国の首相と、元2等陸佐であった四谷坂よつやさか防衛大臣を迎え入れるために甲板の掃除等を入念に行っている。

 そんな彼等を見ながら、大村はなんとか確認しようとするのだが、当然大村の位置からでは艦首は確認出来ない。

「逸見、まだ見えるんだな!?・・・分かった、このまま電話切るなよ!?西原、お前は先に“きりしま”へ行ってくれ!」

 右手で“きりしま”を指差したまま走り出そうとする大村に、西原は慌てて声をかける。

「待ってください、室長!?“きりしま”と“しらせ”の乗員や艦魂からの聴取、どうするんですか!?」

 逸見へみ桟橋行きかけていた大村は、慌てて足を止めて西村の方へ振り向く。

「後で行く!先に艦首にいるらしい2佐を確認してくる!それから逸見達にも会ってくる!艦長達には『急用が出来た』と言っておいてくれ!」

 大村はそう言い残すと、先程まで歩いてきた桟橋を走って逆戻りしていく。

「私1人で聞き取りをしろと・・・。時間を優先するしかない、ですね。」

 1人取り残された形になった西原が、ひとりごちながら“きりしま”へ向かおうと踵を返すと、彼のスマホに着信が入る。

 誰からかと画面を見ると、そこには市ヶ谷の番号が表示されていて、西原はすぐに通話のアイコンを押す。

 電話の相手は、海自一般事故調査委員会の1人である運用支援課長の1佐からで、大村に繋がらなかったので西原にかけたとの事であった。

 その運用支援課長からの内容であるが、西原の耳を疑うものであった。

 それは、特殊事象調査室の縮小という内容で、既に大村・西原・坪内以外には本日付で発令されているとの事であった。

 運用支援課長は西原に、表向きの説明では他部隊の人員不足のためだと述べた上で、更に説明を付け加えた。

「豊田1佐が発案?・・・つまりそれは、大村2佐と私への嫌がらせの人事だと言う解釈ですね?・・・はい・・・この事は大村2佐へは伏せておいた方がよろしいですか?・・・了解しました、出来るだけ伏せておきます。トラブルになるのは目に見えてますからね。」

 西原は声音には出さないように注意しながら、表情は苦々しさで溢れている。

「はい・・・えっ?・・・はい・・・神奈川地本から?・・・はい・・・3曹が1人・・・いえ、1人でも配属されるのは、こちらとしても助かります。」

 西原は続く課長の言葉を聞き取っていたが、人材が流出した調査室に入ってくるという3海曹の存在に違和感を覚える。

「それにしても、なぜ地本から?・・・ええ・・・人選のリストから外れていた?」

 運用支援課長の説明によると、元々件の3海曹は特殊事象調査室に配属予定だったらしいのだが、同じ渉外広報室にいた1海曹が新潟基地へ異動する事が先に決定していた為、3海曹の異動は据え置きとなっていた。

 そこへ今回の事態が発生したため、急遽、当該3海曹を異動させたらしいと判明した。

「課長、情報ありがとうございました。・・・えっ?飲みに、ですか?では、市ヶ谷へ戻りましたら、連絡を入れます。大村2佐にも・・・ええ、こちらは伝えます。」

 電話を終えると大村へ一報のメールを送ったのだが、そこにはすぐに運用支援課長へ連絡をいれる事と、その課長から市ヶ谷に戻った時に飲みに誘われた事も添えた。

(豊田1佐の動きもおかしいですが・・・これから来る3曹の動きも不自然。・・・いつもの考えすぎなら良いですが・・・それと、海幕の動きも注意しないといけないようですね・・・)

 メールを送信し終えると西原は、苦々しい顔を引き締めるように両頬を両手で2回叩くと“きりしま”へと向かった。


逸見へみ桟橋H1 ヘリポート


 逸見へみ桟橋端にあるヘリポートに着いた大村は、急いでCIWSの辺りを見上げるが、大村の位置からは件の人物が見えないのか、スマホを片手に持ちながら逸見いつみに確認をとっている。

逸見いつみ、例の2佐はまだいるのか?今、ヘリポートに着いたのがそっちからでも見えると思うんだが、ここからじゃ甲板があまり見えないんだ。」

 大村は確認のため甲板を見上げるのだが、それらしい人物どころか1人も姿が見えない。

『こちらも見失い、申し訳ありません。大村2佐が到着する直前に艦橋に向かって歩いてしまったので、それ以上追えませんでした。』

 聞こえてくる逸見の悔しさを滲ませた声音を聞いて、大村は落ち着くようなだめながら、すぐに行くと伝える。

 電話を切って歩きだすと、海自のマイクロバスを先頭にマスコミ数社のテレビ中継車等が車列を作って、“するが”の艦尾側へとゆっくりとしたスピードで大村と次々にすれ違っていく。

 彼はなるべくマスコミの車列を視界に入れないようにしながら、逸見達との合流を急ぐのであった。


○ヴェルニー記念館裏


 第3種夏服姿のまま出て来た大村は、人目を避けるため記念館裏側のベンチで、長谷友恵と夫の浩蔵こうぞうから事情を聞き取っていた。

「・・・そうですか。お二方共、貴重なお話と写真データの提供、ありがとうございます。ご協力感謝します。」

 脱帽していた大村は、ベンチの前で10度の敬礼をして長谷夫婦に感謝を述べると、夫婦はやや困惑しつつもお辞儀を仕返す。

 逸見は長谷の息子である恵一けいいちを抱きかかえて大村達の邪魔をしないよう預かっていたが、話が終わったため座らせていた膝から降ろしてあげる事にした。

 恵一は地面に足を着けると駆け寄って、大村の足に抱きつき見上げる。

「ねえねえ、おじちゃんって“せんちょー”さんなの!?」

 大村は一瞬“おじちゃん”の部分に反応したが、直ぐに笑顔を向けるとしゃがんで、視線の高さを恵一に合わせる。

は船長じゃなくて、お船を調べるお仕事をしているんだよ?」

 その様子に逸見は時々笑い声を漏らしながらもこらえ、長谷達は困惑した顔になっている。

「あのちゃと、おんなじおしごとなの?」

 恵一は大村の背後の“するが”に指を向けると、首を傾げて質問し、大村は彼にも分かりやすいよう噛み砕いて、艦艇に起きたエンジンやAISの異変を調査していると説明した。

 その上で大村は恵一に、“おねえちゃん”という人物にいつ会ったのか聞くと、彼は氷川丸を見た日だと答え、浩蔵はそれに補足して6月の横浜大さん橋での艦艇公開だと説明した。

「そうか。じゃあ恵一君は、そのお姉さんとどんな話をしたか、覚えているかい?」

 恵一は少し首を傾げて思い出すと、少し早口で説明し始める。

「えっとね!ぼく、まいごになって『エーン!エーン!』て、ないてたらね?さっきのおねえちゃんがきてくれたの!でね、いっしょにママたちをさがしてくれるって、パソコンがいっぱいのおへやとかね、おっきいエンジンのおへやとか、いっしょにさがしたの!!」

 恵一が少し興奮気味に説明すると、今度は友恵が補足を入れる。

「この子、勝手に歩き回ってしまって、“するが”の中で迷子になっちゃったんです。それで、近くにいた自衛官さんにお願いして、探してもらったんです。」

 大村は友恵の補足を聞きながらも、恵一の言った“パソコンの部屋”が引っ掛かり、内心で嫌な感じも覚えながら更に詳しく聞くことにした。

「そっかぁ。そのパソコンが一杯のお部屋って、他に何があったかとか、誰かいたかとか、覚えているかい?」

「パソコンのおへや?えっとね、ちょっとくらくってね?テレビのみどりいろのてんてんがね、ぜんぶおふねだっておしえてくれたの!おふねのやねでくるくるまわってるのが、ほかのおふねとか、おねえちゃんたちにおしえてくれるんだって!それからね!そのおへや、だれもいなかったんだよ?」

 少し話が飛んでいるような部分も見受けられたが、大村はある可能性に思い当たり、さらに突っ込んだ質問をする。

「点々が緑色で、それがお船ってそのお姉さんが教えてくれたんだね?それで、そのお部屋が暗いって教えてくれたけど、外は見えたかい?」

 大村の問いに恵一は首を横に振って答える。

「ううん、そのおへや、まどがないんだって。おそとは“でんわ”とか“ほうそう”っていうのでおしえてくれるんだって、おねえちゃんいってた。でも、なんでおへやにまどがないのかな?おじちゃんはおへやに、はいったことあるの?」

 恵一の思わぬ質問に一瞬詰まりながらも、入った事は無いと答える。

「そうなの?・・・あ!」

「どうしたんだい、恵一君?」

 恵一は大村の耳元に自分の手を当て、小声で話しかける。

「おじちゃん、あのね?これ、ないしょにしてって、おねえちゃんがいってた。“ぼーえーきみつ”?っていうんだって、おしえてくれたの。」

「そっか、“防衛機密”っていうのか。じゃあ・・・その・・・おじちゃんとも、お友達とかみんなにも内緒にするって約束してくれるかい?」

 ある意味で吹っ切れた大村はしっかり向き合うと、恵一の方は口の前に人差し指をたてる。

「うん!ないしょにする!」

 大村は立ち上がって逸見に小声で話しかけると、長谷夫婦に少しだけ離れると伝えて、逸見の乗った車椅子を後ろから押して、ベンチから5m程離れる。

「逸見。あの子、恐らく戦闘指揮所CICに入ってる。それから、主機しゅき室か発電機室にも行っているようだ。」

 逸見の横に地面に膝をつけないようにしゃがんで、声を小さくする。

 逸見もそれに首肯した上で、大村に意見を述べる。

「話を聞く限りではそうかもしれません。けれど大村2佐。CICなんてそんなに簡単に入れるはずは・・・無かったですよね?確認しますけど。」

 逸見はいつの間にか自衛官としての顔を取り戻し、大村へも普段の“元3佐”の呼び方ではなく、“2等海佐上官”として相対している。

 大村はそれに先程気付き、からかい半分に指摘しようと少しだけ思ったが、話の内容が内容だけにあえてそこを無視して先に進める事にした。

「ああ。・・・だが、あの子はCICと知らずに入ったようだ。それも、誰かしらいる筈なのに誰にも気付かれず、あの子の言う“おねえちゃん”と一緒にだ。」

「その“おねえちゃん”ですけど・・・、あの子の話では4姉妹の3女らしく、“いずも”と“かが”に姉が、“とさ”に妹がいるそうです。ですが、在隊中4姉妹が入隊したなんて聞いたことがありませんし、野原3尉や衛生員の人達からも聞いたことがありません。大村2佐、“Bloody Commnder”って・・・何者でしょうか?」

 逸見が大村に怪訝そうな顔を横に向けると同時に、大村のスマホがメールの着信を知らせる。

 逸見に断りをいれて確認すると西原から2件届いていて、先に開いたのは“きりしま”から“しらせ”へ、艦魂の霧島と一緒に移動するという内容であった。

 もう1つのメールを開くと、調査室の人事についてと運用支援課長に返信してほしい事を伝える内容であった。

(なっ!何だと!!なんだこの人事は!調査室うちを解体って事か!?どういう事だ、これ!?艦魂や子供の事を調査するなって事か!?・・・に直接確認しないといけないな・・・)

 大村の考え込む顔を見ていた逸見は、その真剣な様子に声をかけようか躊躇してしまう。

「おじちゃーん!おねえちゃんにあいにいってもいい!?」

 大村に声をかけた恵一は、海に面したフェンスのそばに近付いていて、“するが”の方を笑顔で指差し行きたそうにそわそわして、落ち着きを無くしている。

 大村は返事をするため、スマホをポケットに仕舞って恵一のそばに行ったのだが、その途中で浩蔵の方が先に駆け寄って行って説得を始めた。

 しかし、大村が到着すると恵一は大泣きを始め、地面の上で寝転がると両手両足を大きくばたつかせ始めた。

「やだ!あいにいきたいの!」

「そうは言っても、パパ達は入れないから無理なんだって!」

「やだやだ!むりじゃないもん!いつでもあそびにきてっていってたもん!ぜったいあえるんだもん!」

 大村は浩蔵の肩を軽く叩くと、泣きわめく恵一の説得を始める。

 だが、駄々をこねる恵一に大村の言葉は届かず、とりつく島も無い状態に陥ってしまう。

 そこへ後から来た友恵は恵一を立たせると、背中に着いた埃をはたいて落とし、抱き上げると背中をさすり始める。

「大村のおじちゃんにさ、いつ見られるか教えてもらってさ?それで行こうよ?そうしよ?」

 友恵は恵一が少し落ち着いた所で優しく声かけをすると、恵一は右腕で目元を拭う。

「でも・・・おねえちゃんと、やくそく・・・」

「約束って、どんな?」

「パパとママにはないしょ・・・」

 そう言った恵一は、今度は口をへの字に曲げて横を向いて黙ってしまう。

 大村が恵一の顔を覗きこむと、逆方向を向いて顔を背けてしまう。

 気付くと逸見はベンチのそばから、大村達に近い所にまで移動してきていて、口を挟むでもなく、成り行きを見守っている。

「恵一君、おじちゃんになら、言えるかい?」

 その一言に反応した恵一は、大村の方を向くと怒っている表情で、噛みつくように大声を出す。

「“せんちょー”さんにもいっちゃダメなの!“じえーかん”さんってひとじゃないといえないの!!」

 大村はもう一度そっぽを向いた恵一を見て、吹き出しそうになるのを堪えて、自分がその自衛官だと説明する。

 恵一は不審そうな目を向けていたが、大村がスマホで見せた、仲間達と撮影した作業衣姿の写真を見せると、「おねえちゃんといっしょだ!」と言って納得したらしく、友恵に降ろしてもらうと、その場でしゃがんだ大村がその内容を耳打ちされながら聞く。

 大村は恵一にお礼を言って立ち上がると、浩蔵に声をかけて2人で逸見の方へ歩いていく。

「大村さん?あの子は大村さんに、何を言ったんでしょうか?」

 浩蔵に問いかけられたが、恵一との約束でその事は言えないとした上で、浩蔵と逸見に次の土曜日辺りに時間が作れるかを聞いている。

 逸見は多分大丈夫だと答えたが、浩蔵の方は1日、友恵は半日、共に仕事で都合がつかないと返答した。

 そこで、浩蔵と連絡先を交換して、日程を調整する事にした。


○護衛艦“するが” 第2主機室


 格納庫では防衛大臣達を出迎える準備が進んでいるのだが、ここ第2主機室では日常の点検が3曹と士長の手で進められていた。

 1ヶ所目の電気系統の点検を終えて立ち上がった士長は、隣の配電盤の前に立つと、何かを思いだし3曹の方へ向く。

「そういえば、少し前に主機もときが故障してから、泣き声とか心霊現象とか酷かったですけど、ここ2、3日はぴたりと止みましたね?」

 バインダーに挟まれた紙に記録を書いているようだったが、士長に話かけられた3曹は動かしていたペンをバインダーに挟むと顔を上げる。

「ん?ああ、そういえばそうだな?」

「夜に聞こえた時は気持ち悪かったですよね。女のすすり泣く声みたいなのとか。今年の春頃から増えましたけど、それよりも酷くなってきましたよね。」

「事故後から噂あったが、確かにここ最近は酷かったな。夜に5分隊の奴が第1エレベーターで上がってたら飛行甲板直下の通路に黒い人影みたいの見つけたとか、入港中に海図台の上のファイル全部が突然落ちてきたとか、極めつけは1分隊の奴が掃除道具の前を通り過ぎたら、立て掛けてあった掃布そうふが横を飛んできて当たりそうになったとか、だっけか?」

 掃布とは甲板等の掃除に使われるモップのようなもので、これは海自独特の呼び方である。

 それから、海図台は前部艦橋内後部側にあるテーブルで、航海中の自艦の位置をモニターして記録するために備え付けられている。

 ファイル等は航海中の揺れでも余程酷くない限り落ちる事はなく、また“いずも”型である“するが”の設計は、ヘリコプターの発着艦があるため、揺れを抑えるフィンスタビライザーフィンスタと呼ばれる装置も搭載されている。

 それにも関わらず、しかも停泊中にファイルが全て落ちることは、乗員達が心霊現象と結びつけても何ら不自然な事は無いのである。

「怖いですよね。あと、数日前に小銃保管庫の近くで幽霊騒ぎがあったの覚えてますか?」

「覚えてる。直後に64式小銃ロクヨンの緊急点検したら、1丁だけ槓桿こうかんが引かれてたんだろ?前日の儀仗訓練の後に仕舞った時はなんともなかったらしくて、原因は不明だったな。心霊騒ぎより槓桿騒ぎの方が怖かったって機関長が言ってたよ。なんでも、防大でも似たような事を経験して思い出しちまったんだとさ。」

 槓桿こうかんとは銃弾を薬室に送る時に引く部品で、保管時には万が一の暴発事故を防ぐために、薬室点検後には元に戻して万が一の事故も起きないように保管される。

 だが今回、その引かれていなかった筈の槓桿が引かれていた事で、万が一にも銃弾が入っていたら暴発事故が起きていてもおかしくない程に危険な状態であったと言うことができる。

「自分は昔から幽霊とか見える方でしたから、ある程度は慣れてましたけど・・・、掃布が飛んでくるとか小銃がいじられるとか影響があるとなると・・・身の危険を感じますよね・・・」

「そうだよな・・・。上陸した奴らの土産に神社の御札とか御守りが増えた・・・って、そんな事言ってる場合じゃないぞ。さっさと点検進めよう。盤面解放せよ。」

「了解です。盤面解放。」

3曹に言われ士長は目の前のネジを緩めてパネルを開けると、その中のプラスチックカバーもネジを緩めて取り外し、テスターで電気系統の配線をチェックしていく。

そんな彼らとは部屋の対角線上の反対側の隅に、紺色の作業衣に作業帽姿で短髪の女性らしき人物が、床面に直接うずくまって膝を抱えている。

 この幹部の周辺は若干薄暗いのだが、肩に着用されている3本のラインは、はっきりと見える。

(ごめんなさい・・・・・・)

 さらに小さくなろうと膝を抱え込むと、小さく嗚咽を漏らしてしまう。

(私が・・・私があの時・・・もっと早く・・・)

 現在、“いずも”型“するが”の主機もときであるLM2500IECは停止中で、他の機械のたてる音だけが第2主機室に響いているだけである。

(会いたいだけなのに・・・気付いてくれる人はみんな逃げてく・・・話を聞いてもらいたかっただけなのに・・・。そこにいる人達も・・・怖がってる・・・。私がやった事は・・・全部・・・無駄だったんだ・・・全部・・・)

 少し離れた所で点検している曹士の気配を感じてはいるものの、先程の会話が聞こえていたのか、自嘲気味の笑みを少し浮かべると、悔しさからか強く食い縛り、かすかに奥歯が擦れるような音をたてる。

(夏前の横浜で、偶然私を見つけてくれた男の子にお願いしたけど・・・誰も来ない・・・。やっぱり、あの子・・・上手く伝えられなかったみたい・・・。私の事見えたから、上手くいくと思ったんだけど・・・)

 幹部の手元を見ると、黒っぽい何かを隠すように持っていて、それを強く握りしめると少しだけ顔を上げる。

(もう、これしか・・・)

 ズボンの右ポケットに件の物体を突っ込むと、また同じ姿勢に戻る。

(この方法しか・・・思い付かない。・・・失敗したら・・・ううん、絶対失敗出来ない。・・・さっき艦首で覚悟も決めた・・・。後は隙を見つけるだけ・・・。どうか・・・どうか・・・無事に成功しますように・・・)

 決意を固めたように立ち上がった幹部は、作業帽を被り直して整え、険しい表情を作ったまま第2主機室から点検中の曹士達に気付かれる事なく艦内通路に出ると、艦首へ向かいながら虚空へと姿を消した。



○横須賀地方総監部 護衛艦しらね士官室 数年前


 静まり返った深夜、退役前最後の定期訓練のため横須賀のY3に着桟しているDDH-143“しらね”士官室には照明が灯り、艦長の席には常装冬服に海将の甲階級章を着けた海幕長である白峰しらね、その横である副長の席にはDDH-144“くらま”の艦魂で自衛艦隊司令官の海将である鞍馬が座っている。

 その2人の前には、憔悴しきって目の下に隈を作った顔で不動の姿勢をとっている、DDH-185“するが”の艦魂である駿河2等海佐の姿もある。

「私の最後の仕事がこんな重大事件の後処理になるだなんて、思いもしませんでした。」

 白峰は鞍馬が書き取ったメモを左手で受け取って暫く読んでいたのだが、突然メモをテーブルに叩きつけると、柔らかい口調ながらも駿河を睨み付ける。

「駿河2佐。本事案の報告を聞く限り、当該3尉の救命救助の必要性並びに緊急性があった事は、確かに認めます。ですが、その後の行動は認める訳にはいきません。」

 白峰はそこで一旦区切ると、鞍馬がいれたコーヒーを一口飲んで、目をつぶる。

 鞍馬は駿河を1度見やってから、白峰を向いて意見を述べる。

「白峰幕長。私見ではありますが、駿河2佐の行為は確かに緊急時と言えど、仰る通りやり過ぎであったように思います。ですが、結果としては逸見夏菜子3尉という人間を助けました。その辺りは考慮すべきと思います。また、事故直後で駿河本人もまだ動揺もしている筈です。それに、前代未聞の事案です。処分の決定は急がない方が良いと具申します。」

 白峰は黙って鞍馬の話を聞いていたが、目を開けると駿河に顔を向ける。

「鞍馬の言う通りでは、あります。・・・しかし、自艦の放送設備を自分で乗っ取り、勝手に放送して自衛官達人間側の指揮命令系統を混乱させたのも事実。・・・絶対に許しておけるものではありません。この混乱の影響によって、他の人間の救助活動等にも影響があった可能性は排除出来ません。1人の人間を救う為に、他の人間を危機に陥らせては本末転倒です。駿河は危機意識が欠如していた。報告を聞く限りでは、それしか言いようがありません。」

 白峰はカップを手に取るとコーヒーを飲み、目を細めて立ち上がると駿河に正対する。

「貴女の報告にもあったように、分かる範囲ですら亡くなった人間の方もいるとあります。もし今回、貴女の余計な介入が無ければ、もっと多くの人間達の命を助けられたと、思わないのですか?」

 白峰は言い終えると腕を後ろ手に組み、駿河の返事を待つことにした。

 鞍馬は少し悩むような表情を作って見上げると、それに気づいた白峰は、不思議そうな表情で鞍馬の方を見下ろす。

「幕長。申し訳ありませんが駿河2佐の行動を、自分は非難する事が出来ません。確かに我々の守則ルールである『人間に極力介入するべからず』に抵触してはいますが、目の前の怪我した人間に手を差し伸べる事は、そんなに悪い事なのですか?」

 鞍馬の話を黙って聞いていた白峰は、怒りの表情を浮かべて鞍馬の方へ正対し、先程と変わらない柔らかい声音で鞍馬に詰め寄る。

「私も事故を経験していますし、人間へ手を差し伸べる事もしました。駿河の事故直後の気持ちも分からない訳ではないです。・・・ですがそれ以降、私が見える方々からは避けられるようになった事を、鞍馬は忘れたのですか?貴女も経験している筈ですよ?」

「それは・・・そうですが・・・」

 その場で微動もせず、鞍馬へと向ける厳しい視線も変えず、白峰はさらに口調だけを強めて詰め寄る。

「どれだけ人間の方々を助けようと思ってとった行動でも、彼等からしたら『幽霊の引き起こした心霊現象』に過ぎず、それを引き起こした艦魂は、人間から『恐れの対象』になってしまいました・・・。どれだけ・・・辛い思いをしたのか、同じような経験をしている鞍馬も知っている筈ですよ?」

「幕長の仰る通りではありますが、全員ではありません。谷本や川原達は違いました。」

「鞍馬・・・、それは稀有な事案だと思いなさい。」

 切り捨てるようにいい放った白峰は、横目で駿河に視線を向ける。

 白峰と視線が合ってしまった駿河は、一瞬体をびくつかせると膝を小さく震えさせてしまい、それを見た鞍馬は口を横に強く結ぶ。

 その表情は見る者によっては悔しさを我慢しているようにも、別の者が見れば悲しみで泣きそうになるのを我慢しているようにも見え、複雑な駿河の心情をはっきりと表している。

「駿河。私を見なさい。私が、人間達に介入した艦魂の末路なんです。私や鞍馬のような、淋しく辛い思いをする艦魂をこれ以上増やしてはいけないと思ったからこそ、私が海幕長へ就任してすぐ、『人間に極力介入するべからず』を守則に追加し、徹底させたんです。」

 言い終わった白峰は姿勢を改めて正すと、駿河をもう一度見据える。

「駿河2佐。貴女には自艦謹慎を言い渡します。期間に関しては今までにない出来事ですから、自衛艦隊司令官や護衛艦隊司令官達と審議の上で決定しますが、少なくとも過去出された処分で1番重い“3ヶ月”よりは、重くなる事を覚悟してください。」

 駿河は青くなった表情を変える事が出来ないまま、無言で10度の敬礼で応じる。

「駿河2佐。他に言いたい事とか、今我々に伝えたい事とか、何かあるか?」

 鞍馬の心配するような声に、駿河は鞍馬の方を向いて1礼すると、口を開いた。

「鞍馬司令官。・・・もし・・・もし、逸見夏菜子3尉の情報が入りましたら、教えて下さい。SHで何処かの病院へ運ばれて以降、何も分からないんです。生きていると信じていますが、乗員の方々は逸見3尉について何も言わないんです。艦長や副長、船務長、当直だった航海士さんや衛生員長さん達も現在上陸していて留守にしています。何も分からないんです。ですから・・・逸見3尉の運ばれた後の情報が・・・知りたいです。」

 淡々と紡がれる駿河の言葉に耳を傾けていた鞍馬は、やや間を開けて駿河に返答する。

「分かった。我々も出来るだけ情報収集を手伝おうと思う。だが、積極的には行えない事だけは理解してほしい。それから、その・・・話は変わるが・・・」

 鞍馬には珍しく躊躇しながら、先を続ける。

「いつまで、血塗れのままでいるつもりだ?」

 駿河の白だったシャツは赤黒く染まり、常装冬服の袖に着けられた2佐の甲階級章も、本来の金に近い黄色が失われてしまっている。

「申し訳ありませんでした。以後、気を付けます。」

 駿河は消え入りそうな声で謝罪すると、そのまま退室してしまった。

 駿河が“しらね”の艦内通路を少し歩くと、白瀬と橋立が姿を現す。

 先に気付いた白瀬は、駿河に普段と同じように明るく声をかけた。

「あれ、駿河君じゃないかねぇ!もう、だいじょ・・・うわあ!」

「駿河2佐!血塗れではありませんの!?まだ血が止まらないのですの!?」

 白瀬と橋立は駿河を見て、尋常でない様子にただ驚くだけであった。

 駿河の方はというと、特に大きく反応する事もなくただ黙って会釈すると、2人とすれ違ってから虚空へと姿を消した。

 この後駿河へ審議の結果が無線で通達されたのだが、艦魂達の処分の中でもかなり重い部類である“自艦謹慎5ヶ月”が言い渡された。

 人間の自衛官であれば懲戒免職等が行われたのかもしれないが、艦魂達が独自にそういった処分を下しても除籍されるわけでもないため、どんなに重くても謹慎までしか処分を下す事が出来ないのである。

 そして、今までにこのような重大な違反を犯した艦魂達はおらず、審議中に一番厳しい処分案である『謹慎6ヶ月』が提案されていたが、参加していた鞍馬の弁護によって、最長期間から1ヶ月短くされた。

 しかし、鞍馬であってもこれ以上短くする事が出来ず、さらにこの事がきっかけで白峰と対立する事にもなってしまった。

 なお、駿河の姿はこの白峰達と会った日以降、誰も目撃することが出来なくなり、就役の挨拶に訪れた新人の艦魂達にも姿を見せず、民間の港へ入港の際にタグボート達から挨拶されるも、返答する事はなくなってしまったのである。

 出雲達も心配して“するが”艦内を霧島や高波に曳船達の手を借りて、幾度か徹底的に捜索したのだが誰もその姿を見つける事は出来なかった。

 そして、駿河の問題で鞍馬としこりを残したまま、護衛艦“しらね”は平成27年3月25日に退役並びに除籍され、ヘリコプター搭載護衛艦としての役目を終えたのであった。

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