第16話  残る選択


 勢力を弱めながらも雨雲を引き連れて東へ進んで来た低気圧の中心は、現在、宮城県の仙台市から石巻いしのまき市付近まで進んで来ている。

 その約3万6千km上空の静止衛星軌道を周回中である、気象衛星ひまわり9号と10号、そのバックアップとして打ち上げられたばかりである11号の3機から同じ様に送られてくる、赤外線や可視光線の観測カメラの映像を見ると、朝になった東北を覆い隠すように雲が被さっているのが視認できる。

 その雲の先端は上空の気流に乗って北海道苫小牧港付近にもかかり始め、天候が徐々に悪化していくだろうというのは、天気図を見なくても予想が出来る。

 そんな苫小牧港に停泊していた護衛艦2隻は、薄曇りで小雨が降り始める中、”とさ”は横須賀へ向かう為、“ゆうだち”は大湊へ帰る為に、道東港湾の第一苫小牧丸達が手伝い、海保の”とまかぜ”が見送るように港内のパトロールをしている中、出港作業を進めている。

 ”とさ”の前部艦橋にある操舵室の、1フロア下にあるみぎ舷ウイングには、常装第3種夏服の上に黒いコートのような服を着ている艦長の高崎や当直士官達と、明るい緑色でセパレートタイプの雨合羽を着ている曹士達が、忙しなく号令の伝達や艦の現在の状況を報告していたりする。

 自衛隊では傘をさすことは禁じられており、海上自衛隊の場合は黒いコート状の雨具が個人に支給されていて、これを着る事になっている。

 明るい緑色で反射材のついた雨具については、艦艇での作業時に着用する物として、艦艇に配備されている。

 陸空も含めて、これらをまとめて『雨衣あまい』と呼び、許可された場合に着用する事が出来る。

 なお、海自において観艦式のような大きな式典等の場合は、悪天候でも着用が許可されない場合もあり、雨や海水でずぶ濡れになろうとも、制服で耐えなければならないケースもある。

 さて、黒い雨衣を着用した高崎達や、緑の雨衣を着用した者達が忙しく作業をしているウイングの壁際には、3人の人物が立っている

 艦尾から緑色の雨衣姿の1等海士と陸自の浜山、黒い個人用雨衣を着用している土佐の順で並んでいて、会話している姿が見える。

 浜山が海自の雨衣を着用している理由は、北海道に来た本来の任務にある。

 災害派遣を中心とした演習を、非常呼集から出雲駐屯地にてスタートしたために、常装第3種夏服や陸自の雨衣等を浜山は今回持ってきていない。

 その為今回は、艦艇備え付けの反射材つき雨衣を第1分隊から貸与され、それを着用している。

 彼らに目を戻すと、時々海士長は艦尾や艦首に指を向け、浜山はその方向を見たり肯いたりしていたり、土佐からも補足を受けているような所から、どうやら出港作業の説明を受けているようである。

 しばらくするとウイングでの作業が終わったのか、当直士官と顔を合わせて会話してから、高崎を先頭に当直士官達も足早に次々とラッタルを登っていき、操舵室へと姿を消す。

 港の方を見ると、民間のタグボート3隻も作業を終え、桟橋へと戻ろうとしているのが見える。

 浜山がそちらに目を向けると、3隻のタグボート舳先のそれぞれに、“とさ”に向かって会社の物なのかお揃いの赤い帽子を真上に掲げ、頭上で円を描くように振っている女性達の姿が見える。

 土佐と1士、それから近くにいた隊員達も帽子を持つと高く掲げ、タグボートの彼女達と同様の仕草をしている。

 突然の事に浜山は、何事かと左右をおろおろしながら見ていると、土佐から声がかかる。

「浜山さん、取り合えず私達の真似をしてください。」

「は、はい、分かりました!」

 土佐に促され、第三室蘭丸、第一苫小牧丸、第八日高丸に向かって迷彩色の作業帽を、土佐達の見よう見まねで振る。

 浜山が困惑していると、それを感じ取ったらしい1士から説明を受ける。

「浜山3曹、これは『帽振れ』と言って、出航時に岸壁にいる仲間や見送りの方々、今回のように手伝っていただいた方々等へ帽子を振って挨拶をする事なんですよ。時々、陸にいる一般の方からも、こうして帽振れしてもらう事があるんです。」

「へえ、民間の方もそういう事をしてくれるんだ。」

「はい。それから、今日は雨なのでいらっしゃいませんでしたが、国際信号旗で『御安航を』を意味する【ユニホームウィスキー】を掲げてくれる方もいらっしゃいます。航行中におかや橋の上に見えると嬉しくなります。」

ユニホームウィスキー・・・『御安航を』。そんな意味があるとは。」

 そう言ってタグボート達を見つめる浜山。

 実はタグボート達もUWを掲げていたのだが、雨に濡れて垂れてしまい、慣れた者が双眼鏡で良く見ない限り視認できない状態になっていたのである。

「自分が初めての長期航海を終えて戻ってきた時、【ユニホームウィスキースリー】を降ってくれていた方が見えて、父が『嬉しかった』と言った意味が、そこで初めて分かったんです。」

「UW3?UWとは違うのか?」

「はい、浜山3曹。UW3は『お帰りなさい』です。UW2だと『ようこそ』になります。UW1は『あなたの協力に感謝する。ご安航を』になります。」

 1士が言い終わったタイミングで、土佐と1士は帽振れを止めて帽子を被り、それを見て慌てて浜山も帽子を被る。

「そういえば、君のお父さんも海自なのか?」

 かぶった帽子の位置を整え、横目で1士を見ながら質問する。

「いえ、自分の父はコンテナ船の船員です。昨日夕方、マレーシアに入港したとメールがありました。」

 土佐は浜山が話終えるのを、桟橋に近付くタグボート達を見ながら待って話しかける。

「浜山さん、ここでは陸上自衛隊と環境や習慣が違うので、大変だと思います。頑張ってください。」

 土佐は意味ありげに言うと、浜山に正対する。

「ありがとうございます、土佐3佐。」

 浜山は、これから荒れていく天候による、船酔いの心配だと思って素直に礼を述べたが、土佐の言っている本当の意味に気付くのは、海自浜田地方総監部に戻ってからであった。

 そしてこの土佐の言葉は、今はここにはいない“彼女達”にも向けられていた。

 そんな事を思っている土佐に見つめられているのも気付かず、1士へ礼を述べると彼から挙手敬礼を受けて、浜山は操舵室へと登っていく。

 土佐はその場に残り、1士は土佐に何かを告げると挙手敬礼して、そこからラッタルを使って更に下へと降りていく。

 それからしばらく経ち、外洋に出て航行している”とさ”操舵室内では、少しずつ悪くなっていく天気の中を進んでいるためか、乗員全員が普段より緊張した面もちで繰艦している。

 そんな緊迫感に包まれた中で、艦長席に座る常装第3種夏服を着た高崎のそばには、浜山が陸上戦闘服3型の上着を腕捲りして着ていて、休めの姿勢で立っている。

 陸上戦闘服3型には半袖の設定はないため、適時、陸自特有の捲り方で半袖にしている。

 この特有の捲り方は、袖口を持って引っ張るだけで長袖に戻る折り方のため、緊急の場合でも即座に対応出来るのである。

 高崎を見ると少しだけ余裕があるのか、定位置である右舷側に位置する赤いカバーが掛けられた艦長の専用席に座り、乗員からいれてもらったコーヒーを飲みながら束の間の休息をとっているようだ。

「浜山から見て、初めて見た出港作業は、どうだった?」

 落ち着いた声音ではあるものの、雰囲気としては出港時からの緊張感を継続させたままの高崎は、浜山の顔色を少し見てから正面に視線を戻す。

 雨は苫小牧港の中にいる時よりもやや強くなり、正面の窓についているワイパーが雨粒を拭き取るものの、すぐに少しずつ見づらくなっていく。

「外も中も、チームプレーが凄いと思います。陸自我々も負けていないと思いますが、目の前でこのように見せられてしまって、とても圧倒されました。話だけは長浦3等海尉達から伺っていたのですが、特に離岸からタグボートが離れるまではゆっくり離れているのにも関わらず、指示があんなにも矢継ぎ早に飛び交ってるとは、お恥ずかしい話ですが想像もしていませんでした。」

 こういった事も長浦海里から断片的には話を聞いていて、なんとなくで理解しているつもりだった浜山。

 しかし、高崎の指示によって離岸する“とさ”の威容を誇る様子。

 それと同時に、神経が電気を通すように遅滞なく伝達される高崎の指揮と、その指令を受けた手足のように遅滞なく、かつ、高崎の要望通りに“とさ”を動かしていく乗員の能力の高さ。

 浜山は実際に自分の目で見て、耳で聞いて、自分の体で出航を体感して、“とさ”の“いずも”型たる、そして高崎の艦長たる所以ゆえんをしっかりと見せ付けられた形となった。

「圧倒されたか?でもな、俺達にとってはいつもの事だ。飯を食ったりするのと同じで、特別じゃあない。これが“とさ”や他艦の、極普通の“日常”で、驚くことでも感動する事でもない。それこそアニメだったら登場人物の紹介がてらに、第1話の前半に華々しいBGMで1分あるかどうか、小説なら描写があれば御の字ってレベルだろうな。」

「普通の“日常”・・・」

 浜山はそう呟くが、高崎は浜山が理解していないように見えて、言葉を続ける。

「そう、日常。逆に俺は何度か陸自そっちの訓練を見学したことがあるんだが、その時見た榴弾砲の訓練には驚かされた。あっという間に陣地に展開して撤収するし、射撃時の腹の底に響く振動は、“きりしま”の速射砲と同等、いや、それ以上に凄いと思った。異弾倉同時弾着もそうだ。でもそれらは、海自俺らにとっては非日常だが、陸自の特科にとっては、単なる“日常”の訓練でしかないだろ?」

 異弾倉同時弾着とは、203mm榴弾砲や155mm榴弾砲、迫撃砲等の異なる複数の砲から発射される弾を、タイミングよく同時に弾着させる技術である。

 砲の担当者個々人の技量も必要になるが、多数の砲の着弾のタイミングから逆算し、射撃のタイミングを決定する指揮官の技量も問われる、かなり高難度の射撃技術である。

 そしてこれを応用して、東富士演習場で行われる総合火力演習総火演では、空中で炸裂する弾薬の煙を用いて富士山を描く、『Operationオペレーション FUJIフジ』が行われ、見学者に驚きを与えると同時に、国内外へ陸自の練度の高さをも示している。

 高崎は言い終わると、浜山に見えるように左の人差し指を天井に少し向け、また肘掛けに腕を戻す。

「はい、私もそう思います。同じ陸自ではありますが、私にとっても特科は非日常です。自分の訓練と比較すれば、高崎艦長が思った事は想像しやすいです。」

 高崎は浜山の話を聞き、理解したと見て話題を変える。

「そう言えば、浜山。体の具合はどうだ?“とさ”だからっていうのもあるが、今はまだしか揺れてない。けど、これから低気圧に向かっていくことになるから、覚悟と酔い止めの準備、しとけよ?特にここで粗相でもしようもんなら、自分で全部片付けてもらうからな。」

 高崎の継続している真剣な表情から紡がれる、本気とも冗談ともとれるような物言いに、浜山はやや頬をひきつらせながら答える。

「こ、これで『少し』・・・ですか。でも、今はまだ大丈夫ですし、衛生士の方からいただいた酔い止め薬も持ち歩いていますので、高崎艦長にご心配おかけするような事は、今の所無いと思います。初めての操舵室で緊張しているからだと思いますが、酔っている暇がないのだと思います。」

「緊張してる、か。まぁ、意識が別の方に向いてれば、酔いもそんなにはしないだろう。」

 高崎は近くにいた海士長を呼び寄せると、コーヒーを飲み干してカップを手渡す。

 海士長はそれを受けとると、操舵室を一旦出て行く。

 入れ替わりに土佐が入ってきて、浜山の左隣に立つ。

「高崎艦長。三条隊司令より伝言です。『現在高崎の案はSF、EF、1Ldはそれぞれに了解していて、残りはMSOだけだ』、だそうです。」

 浜山の耳にも当然土佐の報告は聞こえているのだが、自分の所属する部隊では聞き慣れない略号だらけで、何の話をしているか全く理解が出来ていない。

「MSO待ちか。皆決断が早いが、解決に焦ってるのか、はたまた、面倒事を押し付ける気か・・・。でも、ほっとした。こっちとしては2人もDDとDEに取られちまうのに補充がないんじゃ、交代のシフトがヤバくなるからな。」

 浜山が“とさ”に移乗してから、時々彼に対して行われていた用語の解説も無く、今回ばかりは浜山を完全に無視した形で話を進めている。

 浜山は、自分は陸自なのだからそういう事もあると割りきり、2人の会話を聞き流しながら、“とさ”の揺れに合わせて休めの姿勢を崩さないように足でバランスを取っている。

「その皺寄せで1Ldは泣いていると思いますが。それから、“もう1つの件”ですが、ゴルフに対し、現在MSOが無理矢理に頼み込んでいるそうです。それで・・・ちょっと失礼します。」

 土佐はフォネティックコードも会話に交えていたが、それ以上の話は流石に浜山にも分かってしまうような内容なのか、浜山をちらりと見てから、高崎に近付いて耳元で何やら囁き始める。

「・・・うん・・・・・・浜監?5護隊じゃなくて?・・・あいつ、珍しく横取りされたか?・・・ははっ!なるほど、そう言うことか!それなら仕方ない!あの方も親って事だ!三条隊司令も相手が悪かったか!あっはっはっはっ!」

 高崎が突然上げた笑い声に、近くにいた士官を含めた数名が艦長席に注目する。

 土佐は高崎から少し離れると、休めの姿勢をとり、窓の外の飛行甲板に目をやる。

「そうかもしれませんが、もしかしたら、別の思惑もあるかもしれませんので、決めつけは宜しくないと、これは私からお伝えしておきます、艦長」

「分かった土佐、伝言と忠告ありがとう。とりあえずうちは欠員する2人が補充確定だし、俺としてもとりあえずはありがたいと、言っておこうか。なぁ、浜山もそう思うだろ?」

 雨の降る窓の外を眺めて、浜山は高崎達の会話が終わるのを聞き流しながら待っていたが、それが裏目に出てしまう。

 何の前触れもなく高崎に話しかけられた浜山は、慌てふためいて返事をするので精一杯だった。


◯広島県呉市 海上自衛隊呉基地 某桟橋 1030i


 低気圧の通過により、南からの風で蒸し暑さが戻ってきた呉市では雨が止むのを待っていたように、駅周辺の商業施設や戦艦大和の博物館と、その向かいにある潜水艦が目印の海上自衛隊の博物館には、平日であるにも関わらず地元住民だけでなく、観光の団体客や県外からの来訪者でごった返している。

 そしてそこから離れているが横須賀で言うところの、ヴェルニー公園のように艦艇が眺められる『アレイからすこじま公園』には、カメラを抱えた艦艇愛好家や、小さい子供連れの家族等も見える。

 そんな世間の喧騒とは関係なく、フェンスを隔てた基地の中では、停泊を利用してペンキを塗り直す隊員達や、呉地方総監部呉監に用事でもあるのか分からないが、歩いていたり、自転車に乗る青い作業衣姿の海曹士の姿がたまに、ちらほらと見えるだけである。

 もちろん舷門当直の姿も見えるが、人の出入りが無いため、暑いなかを休めの姿勢で舷外ラッタルの側で立っている海士の隊員も、言い方は悪いかもしれないが、暇そうに見える。

 そんな平和な雰囲気漂う呉基地の桟橋に、ある1隻の“そうりゅう”型潜水艦が桟橋側を“おやしお”型潜水艦、沖側を同型の“そうりゅう”型潜水艦に挟まれるように目刺し係留されている。

 真ん中の“そうりゅう”型潜水艦の先任海曹室CPO室では、この潜水艦の先任伍長と、右腕と右足が包帯姿の男性海曹長が、麦茶を飲みながら会話している。

「皆の前で『気をつけて行ってこい!』言うた坪内本人が事故におうとるから、わしも言葉が出てこんかったのう。生きとったけぇ、まだ良かったものの・・・」

 先任伍長はそう言うと、コップの麦茶をイッキ飲みして、テーブルの上のコースターに音を立てないよう静かに置く。

 先任伍長の向かいにいる痛々しい姿の男性海曹長は、『一般事故調査委員会特別事象調査室艦艇班潜水艦担当』に配属されたばかりの坪内である。

 彼はピッチャーを左手で持ち上げ、先任伍長の空になったコップに麦茶を注いでから両手をテーブルにつくと、頭をテーブルにぶつけるような勢いで下げる。

 ただし数ミリ寸止めし、こちらも音を立てないように配慮している。

「伍長、本当に面目無い!しかも、こいつが原因で“こうりゅう”に乗れなくなってしまったけぇ、余計に迷惑かけて、本当に申し訳ない!」

 そう言って坪内は、包帯が巻かれた右手を少し持ち上げてから、またテーブルにつける。

 坪内は2ヶ月程前、車両による轢き逃げ事故に逢ってしまい、右腕複数か所の複雑骨折とそれに伴う神経の一部断裂、右肋骨3本と左肋骨1本、右大腿部の骨折の重傷を負ってしまった。

 潜水艦の乗員だったために、報道された当初はSNS上では『某国のスパイに狙われた』とか、『何らかの情報を知りすぎて、政府に狙われた』等という話題で賑やかだった。

 しかし、時間がある程度経過した事と、犯人が飲酒の疑いで通常逮捕されたと言う報道で、あっという間に無かった事のようにされ、芸能人同士のW不倫や与野党の対立等の、刺激の強い話題に切り替わっていた。

 坪内の怪我の程度だが、右大腿部や肋骨は単純骨折だったため、間もなく足のギプスも取れ、肋骨も心配ないだろうと自衛隊呉病院の医官は診立てている。

 しかし、右腕はもうしばらく時間がかかり、右手の機能に関してはリハビリをしても、以前のようには戻らないと診られ、左手での生活の為に、箸を持つ等の訓練を入院中から続けている。

「まぁ、過ぎた事は仕方ないけぇ、もう、頭ぁ上げんさい。取り合えず、犯人も捕まったってのも聞いとるし、そいつに色々保障でもしてもらって、しっかりとリハビリせい。また艦に戻れる可能性は、0よりは大きいんじゃろ?」

 頭を上げた坪内だったが、申し訳無さそうな表情は変わらず、うつ向いたまま先任伍長に話す。

「・・・それが、0かもしれんです。医官の話だと握力が戻るどころか、掴むとか、摘まむが出来るかも包帯取らんと分からんほどと・・・。本当に、本当に面目無い!」

 本日何度目になるか分からないが、坪内がまた謝罪の言葉を口にすると、先任伍長の眉間に皺が寄り、こめかみの辺りに青筋が浮かぶ。

「もう、謝罪はせんでもええ。わしは何回も分かった言うとるじゃろ。今はなんも考えず、自分の仕事とリハビリをしっかりやりんさい。これでこの話は終いじゃあ。ええのう?坪内。」

 怒鳴る訳では無いのだが、静かな口調で、『これ以上同じことは繰り返すな』と、坪内に言外の圧力で謝罪を止めさせる。

「はい、伍長!了解しました!」

 実は坪内がここまで頭を下げるには理由がある。

 潜水艦隊側の事情として、潜水艦乗りサブマリナーの適性が航空機パイロット並に要求されるため増員がままならない事に加え、2個潜水隊(純増10隻、増員800~1,000名程度)の新設が決定したために、一時的に人員は増えるものの、すべて配備されれば、また人員不足に陥る事も予想される。

 “SS512こうりゅう”側の事情としても、坪内は海曹長で魚雷員長という立場だった為、突然抜けた穴はかなり大きい物であった。

 坪内の右腕的存在で、現在1曹の魚雷員長もベテランではあるのだが、突然の交代劇に準備が間に合わず、就任から1ヶ月半経った現在も、自分の任務に慣れようと四苦八苦している状態であった。

「そうだ坪内。今さらじゃが、見舞いに1度も行けなくて、すまんかったのう。」

 少しの沈黙の後、先任伍長は坪内にそう話しかけ、謝罪の為に頭を下げる。

 坪内は困惑の表情を浮かべながら、先任伍長が頭を上げたタイミングで、ゆっくりと話す。

「伍長、無理せんでもえぇです。事情も分かっておりますけぇ。・・・こんくらいで落ち込む潜水艦乗りはおらんです。安心してつかあさい。」

 穏やかに笑顔を浮かべ、徐にコップを持って半分残った麦茶を少し飲む坪内を見て、先任伍長も笑顔を浮かべると、さりげなく自身の腕時計で時間を確認する。

「すまんのう、坪内。・・・そろそろ、艦長との面会の時間じゃねえ・・・。次にこうやって坪内と話せるんは、いつになるじゃろか。」

 そういって、麦茶を3回に分けて飲み干して立ち上がる先任伍長を見て、残った麦茶を飲み干し同じように立ち上がる坪内。

「まだしばらくは、潜水艦の担当って言われましたけぇ、また会えるじゃろうと思っとります。呉でも横須賀でも、また一緒に飲みましょう、伍長。」

「・・・お互いに連絡出来たらのう。さて行くか。歩くのはここまで来れたけぇ、大丈夫じゃろ?」

「大丈夫です。」

「わしは坪内なら、1人で行ってもらっても構わんと思うんじゃが、もう“部外者”じゃけぇ・・・。」

「伍長、気にせんで下さい。」

 2人はその後、無言で艦長室に向かい、先任伍長は入らずに引き返していく。

 艦長と坪内は事故の事やたわいもない会話の後、坪内が来た理由の話へと切り替えた。

「それで、艦長は“彼女”と話す事は出来たんでしょうか?」

「・・・あぁ、一応。“彼女”は他の乗員達への影響を考えて、私と副長以外には姿を見せない方が良いと彼女に言っておいた。彼女も別の潜水艦達と相談してそれに同意した。方法は分からないが、今もどこかに姿を隠している、と、思う。」

 艦長は言い終わると、何かを探すように辺りに視線を巡らす。

 釣られて坪内も天井や壁に視線を巡らすが、どちらの目にも女性の姿は見当たらない。

 そこで坪内は、効果不明ながら、試しに適当な方向に向かって呼び掛けてみることにした。

「“こうりゅう”さん、わしの声が聞こえるなら艦長室に来て欲しいんじゃけど、無理じゃろうか?それか、話をするだけでも出来んかのう?」

 駄目で元々のつもりで呼び掛けた瞬間、艦長室に備え付けられた電話が鳴る。

 あまりにも丁度良いタイミングであったため、2人は顔を見合わせると、恐る恐るといった雰囲気で、今はソファーにしてあるベッド上に備え付けられている電話をとる艦長と、その手元を覗き込む坪内。

「艦長だ。どうした?」

『あ、あの、驚かせて、その、すみません。黄龍です、艦長。』

「あぁ黄龍か。電話と言う事は、坪内の前には姿を見せないと言うことか?」

『はい、あの、残念ながら、私だけの判断では。・・・それで御手数おかけして大変申し訳ありませんが、代わっていただけますでしょうか?』

「あぁ、少し待て。坪内、“彼女”からだ。気が弱いから、言葉には気を付けろ?」

 そう言った艦長は体を横にして坪内に場所を譲り、受話器を渡す。

「坪内です。」

『は、初めまして、黄龍、です。あの、お帰りなさい、坪内員長。お元気そうで・・・本当に良かったです。』

 黄龍にとって心配していた坪内がどこからかは分からないが、痛々しい姿ながらも元気にしているのを目の当たりにしているようで、言葉の後半は涙ぐむような感じの声であった。

「ただいま、黄龍さん。心配かけてしもうたんじゃね。すまんかった。員長は・・・もうあいつに変わっとるじゃろ。だから、わしは呼び捨てでもええ。あと、たかが骨が折れたぐらい、命に別状はないけぇ心配いらんよ。とはいえ、上はこんな大怪我した人間に『仕事せえ』言うてきて、人使いは荒いしのう。落ち込んどる暇が欲しいんよ。ははは。」

 坪内の軽い雰囲気の笑いに、少し戸惑い気味に返答する黄龍。

『そ、そうなんですか?大変なんですね、坪内、さんも。あの、それで、今日は調査で来られた、で、良いのでしょうか?』

「いや、今日は黄龍さん、あんたに挨拶じゃ。わしもまだ、具体的に聞いとらんけぇ、見つけたら報告とコミュニケーションとる以外は、室長からの指示待ちなんよ。」

『そう、なんですか?それで私の事は、その室長さんって方から、聞いた、のでしょうか?』

「ほうよ。おるかもしれんし、おらんかもしれん。いたら、取り合えず茶にでも誘え、なんて室長に笑いながら言われたんよ。こっちも冗談だと思っとったが・・・。本当におって、こんなに簡単にコミュニケーション取れるとはのう。おらんと思っとったからビックリしたわ。」

『お茶、ですか?』

「おっと、黄龍さん。真に受けんでくれよ?こっちは既婚者じゃけえ、ただでさえ家族にも一切言えんで嫁さんから疑われとるのに、これ以上の揉め事は御免じゃけえのぉ?」

『わ、私が坪内さんに、お、お茶に誘われると、何か問題になるんですか!?』

「もしかして黄龍さん、意味を知らんかったか?あ、ちょっと待ってくれんか?」

 突然背中を軽くつつかれ、受話器を持ったまま振り替えると、艦長に軽く睨まれる。

「坪内?・・・ゴホン。」

 冗談が過ぎたと判断されたのか、それとなく咳払いで注意される。

(言い過ぎた自分のせいとは言え、大村室長も余計な事を言わなければ、わしも言うこと無かったのにのう・・・。)

 などと思ってはいるものの、発言した自分の落ち度も認め、送話口を押さえると艦長に頭を下げて、黄龍との会話に戻る。

『ごめんなさい、坪内さん。艦長、怒ってますか?機嫌が良くないように見えるのですが・・・』

「話をふったわしが悪いけぇ、黄龍さんは悪くないんよ。それで、わしと会って話す事は、やっぱり、どうしても出来んか?」

『それなんですが、少し、待ってもらえますか?・・・』

「黄龍さん?どうした?もしもし?」

 坪内が話しかけるも黄龍からの返事はなく、書類整理に戻っていた艦長も、その様子の変化に顔を上げて坪内を伺う。

『もしもし、坪内さん。失礼しました。司令官から許可が降りました。』

「司令官って、黄龍さん達にも司令官がおるんか?」

『はい。ただし、誰が潜水艦隊司令官かは、権限が無いので、私からは“人の方々”へお話することが出来ません。ごめんなさい、坪内さん。』

「ええよ、言わんでも。勝手に見当つけるけえ。それで、わしはどうしたらええんかのう?」

『坪内さん。艦長に電話を代わってもらえますか?』

「ええよ。艦長、黄龍さんが代わって欲しいそうです。」

 坪内は受話器を立ち上がった艦長に手渡すと、艦長は少し会話して電話を切り、坪内に待機するように伝えて書類仕事に戻る。

 少しするとノックする音が聞こえ、艦長の許可で当該人物が入室してくる。

「SS512“こうりゅう”の艦魂です。黄龍と言います。坪内さん、よろしくお願いします。」

 黄龍が入ってくると、坪内は慌てふためきながら10度の敬礼をする。

「声の雰囲気から・・・若いとは思うとったが・・・綺麗、じゃのう。それなのに1佐とは・・・」

 坪内が黄龍の姿と階級に驚いていると、艦長が少し困惑したような顔で話かける。

「坪内、俺と副長の前だけに姿を表すように言った理由、良く分かるだろ?」

「は・・・はい。これは、艦長達の判断は正しい・・・と、思います。よりにもよって、本当に女性の姿とは・・・。」

 潜水艦は水上艦艇よりも省スペースで設計されているため、今後は不明だが現行の潜水艦では設計上女性用にスペースをとることが不可能な為に、物理的に女性を配置することは出来ないのである。

 つまり潜水艦の艦魂達が女性の姿だと、どこにいても目立つことになり、どんなに注意していても注目の的になるのは当然であり、艦長達はその辺りを危惧したのである。

「黄龍、坪内、取り合えずそこに座って話をしていると良い。俺はどうせこの書類達の決裁しなきゃならんから、当分はここにいる。今日は遠慮せず使え。」

 艦長はソファを指差し、椅子から立ち上がると、黄龍に道を譲る。

「あの、ありがとうございます、艦長。」

「狭いだろうが、これなら黄龍でも通れるだろう?」

 黄龍は道をあけた艦長と、背中合わせになりながら通り、応接ソファにサイドテーブルを挟んで2人で座ると、坪内から話を切り出す。

「黄龍1佐、色々と聞きたいんじゃけど。」

「はい、お答え出来る範囲でしたら。」

「本当は雑談のつもりじゃったけど、疑問が山ほどあってのう。大村室長に急に聞かれても困るし、やっぱり、メモもさせてもらうけえ、そこは許してつかあさい。」

 坪内は謝罪の言葉を添えてから、メモ帳を取り出して右側のサイドテーブルに置き、左手でペンを持つと少しに上半身を右に傾け、視線をメモ帳に落とす。

「それが坪内さんの任務なのでしょうから、私も答えられない部分は言いますので、その、何でも聞いて下さい。」

 左を向いて坪内にそう言うと、何を聞かれてもいいようにとじっと坪内を見る黄龍。

 その視線に気付き、黄龍を見上げると目が合ってしまった坪内は、思わず見つめてしまったが、黄龍が不思議そうな表情になったのを見て、すぐに視線をメモ帳の方へ外す。

「あ、ありがとう、黄龍1佐。それで、あの、黄龍1佐は、いつからこの“こうりゅう”におるんじゃろか?」

 黄龍は気付いていないが、微かに動揺している坪内の頬は、ほんのわずかに普段よりも紅潮している。

「いつから・・・ですか。あの・・・私が確実に覚えているのは、進水式の3日前ですが、それより少し前も薄ぼんやりとですが、記憶があります。それで、によっては式の1週間前とか2週間前とかから記憶があったそうなので、その辺は皆さんバラバラです。」

「ほう?最初から・・・のう。しかも艦艇によってバラバラ・・・。」

 メモ帳に文字を書こうとするが、右手でメモを上手く押さえられず、しかも、まだ左手で書くのは訓練中の為に本人の思うようにならず、時々舌打ちのような音が微かに聞こえる。

「坪内さん、あの、私が書きますので、その・・・、メモ帳、貸してもらえますか?」

「そうしてもらえ。その方が、こっちの精神衛生にも良さそうだ。」

 黄龍の申し出に艦長が即座に後押しすると、申し訳なさそうにペンとメモ帳をサイドテーブルに置いて黄龍に渡す。

「これで良いでしょうか?」

 黄龍は自分で書いたメモを、サイドテーブルに置いたまま180度回して見せると、それを見た坪内は驚く。

「これは、随分と綺麗な文字・・・。黄龍1佐、艦魂は全員、こんなに綺麗な字を書けるんじゃろうか?それとも、黄龍1佐が特別なんかのう?」

 その問いに、ペンを持ったまま右手を顎の辺りに持ってくると、視線を上にしたり、下に向けてから目をつぶったりする黄龍。

「全員が全員上手かは、水上艦艇の方々をあまり知らないのでなんとも言えませんが、これに関してもそれぞれと思います。」

「艦魂にも個性があるんじゃねえ・・・。ほいじゃあ、性格も考え方も、それぞれで違うと言えるんじゃね?」

 メモ書きに戻っていた黄龍は、一旦手を止めて肯定の返事をすると、それもメモに加える。

 メモが終わったのを確認すると、坪内は別の質問をする。

「黄龍1佐は普段、どんな生活をしとるん?全部自衛官と一緒って事も、無いんじゃろ?」

「そうですね。見られるようになる前は、結構自由にしてました。今日みたいに停泊中は、姉達や“おやしお”型の方々とお昼やおやつを食べたり・・・」

「待った。黄龍1佐、待った。お昼やおやつを、って、艦魂も食事を?」

 坪内の疑問が聞こえたのか、艦長も手を止めて振り向き黄龍に注目している。

 黄龍は2人から注目され恥ずかしそうに、そして、何気ない気持ちで言ってしまったのだが、改めて聞かれてしまい、余計な事を言ってしまったというのが分かるような表情で坪内の質問に答える。

「はい、あの、本当は、その、給養員長や補給長達にご迷惑おかけしてる・・・、とは思うんです・・・。でも、その、美味しそうな匂いで・・・つい・・・。あ、あの!毎回じゃないんですよ!金曜日のお昼カレーとか、私は魚が好きなので、そういったのが出た日は・・・こっそり・・・。えっと、食べなくても大丈夫な日もあるんです・・・けど・・・。やっぱり・・・あの、ごめんなさい!」

 ペンをテーブルに置くと、土下座しかねない勢いで頭を下げる黄龍に、艦長も坪内もどう言葉をかけて良いか分からず、困惑するばかりである。

 この辺りの話は、水上艦艇ではもう確認されている事なのだが、潜水艦の艦魂達は極力姿を見せないようにしている事と、潜水艦自体の独立性の高さのため、ほとんど情報の共有がされていない。

 また、艦魂独自の判断で艦長達にすら姿を見せていない者もいるのも相まって、潜水艦の艦魂達は幕から見ると、謎が多いとされている。

 黄龍に話を戻すと、数秒そうして頭を下げていると、突然上半身を跳ね起こし、左手で左耳を押さえて真剣な表情になる。

「聞こえます。・・・はい・・・、はい・・・。今ですか?艦長室にいま・・・えっこっちに来るって!?もしもし?・・・もしもし!?お姉ちゃん!?」

 大声を出した後、突然立ち上がるとおろおろし始める黄龍に、艦長は声をかける。

「どうした?」

「それが隣にいるお姉ちゃん、じゃなかった、赤龍1佐がこっちに来・・・」

 黄龍がそこまで言いかけると、艦長室の扉が勢い良く開く。

「黄龍!今日もお姉ちゃんが遊び・・・に・・・あれ?」

 姿を見せたSS508“せきりゅう”の艦魂、赤龍は一歩足を踏み入れた瞬間、艦長と目が合ってしまい、まるで石化したように体を硬直させてしまった。

 艦長も突然の事過ぎて、赤龍を立ち上がって見たまま固まってしまった。

「せ、赤龍1佐!い、いつも、人の話は、さ、最後まで聞いてって、い、言ってるじゃないですかぁ!」

「艦魂も・・・、本当に個性があるんじゃねえ。」

 少し時間が経って落ち着いた所で、赤龍が艦長に謝罪と挨拶し、黄龍の右手側へ少し狭そうにしながら座り、坪内とも挨拶を交わす。

「そっかぁ。魚雷員長の坪内さんって、目の前の“人”なのかぁ。初めて知ったよ。よろしくね。」

 赤龍は黄龍の両肩に手を乗せて、坪内の顔を覗き込むように体を傾け、黄龍の背中に寄りかかる。

「あの、赤龍1佐がわしの事を知っとるんは、何でじゃろうか?」

 坪内は黄龍と赤龍を交互に見ながら、疑問を投げ掛ける。

「それは、黄龍この子に聞いたからだよ。あの時突然、わんわん泣きながら“せきりゅう私の所”に飛び込んで来てさ、半日も私に『どうしよ!どうしよ!時間になっても員長さんが帰って来ない!』って、言ってたんだよ。私も事情が分かるまで、心配してたんだよ?」

 赤龍がそう言うと、黄龍は深々と赤龍に向かって頭を下げる。

「お姉ちゃん、あの時はごめんなさい・・・」

 坪内はその話を聞いて、涙目で充血させながら黄龍に向かって謝罪する。

「戻ってくる直前だったからのう。皆に迷惑かけたとは思うっとったが・・・。黄龍1佐どころか、赤龍1佐にもかけとったとは・・・。改めて黄龍1佐、赤龍1佐、迷惑かけて、心配かけて本当に、本当に申し訳ない!」

 赤龍は、2人が頭を下げている様子に、思わず“こうりゅう”艦長を見ると、肩を大袈裟にすくめて徐に書類を手に取り、背後の様子を知らないふりをしながら目を通している。

 大きくため息をついた赤龍は、背中を撫でて黄龍の気が済むまで放っておく事を決めた。

 一方で、坪内の扱いに困ってしまったが、こちらも放っておく事に、赤龍は決めたようだ。

 また少しだけ時間が経ち、質問と雑談が再開されると、演習の話になっていた。

「・・・なの!だから“いずも”型のへなちょこ4姉妹は、私、だーいっっっ嫌い!オマケに対潜哨戒ヘリロクマルがブンブン飛び回って、一方的にディッピング(ソーナー)かまして滅茶苦茶に五月蝿いわ、突然模擬魚雷落としてくるわ!その癖、4姉妹達は逃げ回ってるし!もう、頭来ちゃう!!まだ、“しらね”型と“ひゅうが”型のDDHの方が私にとっては、純粋な驚異よ!でもさ、自艦防衛用だか何だか知らないけど、ASROCアスロックなんて、ロクマルと同じで卑怯じゃない!曹長もそう思うでしょ!?」

「あ、ああ。そ、そうじゃねぇ。」

 坪内はあまりにも良く喋る赤龍に、時々相槌を打つことしか出来ず、黄龍はというと、彼女の話を困惑を通り越して焦りの表情で聞きながら、赤龍の左袖を軽く引っ張って止めようとするが、それで止まることはない。

「でもね、曹長?私と、乗ってくれてるクルーにかかれば、DDHの連中なんて、単なる『巨大な標的用空き缶』ね。大したことないわ!ふん!」

 一方的に捲し立てると、赤龍は黄龍と壁にはさまれ、狭そうにしながらも腕と足を組んで、言ってやったと言わんばかりの満足そうな表情を浮かべる。

 “こうりゅう”艦長は、艦内で会談に適当な別の場所はないかと考えるが、諸般の事情を鑑みるに、今回は艦長室しかないと諦める。

「お姉ちゃん、そんな事言って煽ってるから、『挑発の赤龍』なんて皆から言われちゃうんだよ?止めとこうよ?ね?お願いだから。」

 坪内はこれらの様子を通して見て、赤龍と黄龍の持つそれぞれの個性に関心をひかれるのと同時に、調査室に参加できた事へ誰に向けてかは分からないが、心の中で自然と感謝をしていた。

 と言うのも、坪内は退院後を考えていた時、もしも今後潜水艦に関われなかったら退職しようとも考えていたからで、瀬戸際の所で坪内は海自に残ることに決めたことになる。

 坪内が内心でそう思っていると、艦長が赤龍の方に振り向くのが見え、つられて同じように赤龍へ向く。

「挑発の?二つ名がついてるのか?もしかして、黄龍にもついてるのか?」

 艦長は何かに引っ掛かりを覚えたのか、赤龍と黄龍に質問した。

「“こうりゅう”の艦長さん。これは水上艦艇達が勝手に付けたの。黄龍には無いわ。まぁ、別に私は気にして無いから、なんて呼ばれようがどうでもいいけどね。」

「そうか。それじゃあ、『Bloody Commander(血塗れの2等海佐)』って、聞いたことあるか?“するが”にいたらしい、幻の2等海佐につけられたあだ名なんだが。」

 艦長の言葉に、赤龍と黄龍は顔を見合わせて疑問を浮かべる。

「Bloody Commander?私は心辺りは無いなぁ?黄龍は?」

「私も・・・その、初耳です。」

「そうか。それじゃあ、“するが”の艦魂の階級は知っているか?」

「確か、2佐だったと記憶してます。ただ、事故後白峰しらね元海上幕僚長にお会いしたのが最期の目撃と言われていて、その、DDHの方々も駿河2佐とは連絡を取れていないらしい、と、私は聞いています・・・。実は、私は1度もお会いした事が無くて、その、事故も含めて、詳細をよく知らないんです・・・。」

 黄龍は艦長にそう言うと申し訳なさそうにうつむき、膝の上で手を組む。

「“こうりゅう”の艦長さん、階級はこの子の言うとおり、2佐で間違い無いよ。私が駿河2佐に最後に会ったのは、事故の1週間位前だった。横須賀に“するが”がいて話をしたんだけど、その時は・・・、いつも通りだったなぁ。最初は普通に話してたんだけど、ついイラッて来て、煽ったら煽り返されたから、次に合同演習で会ったら叩きのめしてやろうかって、思ってたんだけど・・・さ。」

 赤龍は黄龍と逆に、背もたれに寄りかかって天井を見上げ、護衛艦“するが”を思い出しているのか、悲しげな表情を浮かべる。



 ヘリコプター搭載型護衛艦“するが”衝突事故



 海上自衛隊々員だけでなく、艦艇に存在する艦魂達にも、小さくない影響を与えた



 そして、直接関わっていた人物達の中には、大きく自衛官人生を狂わされた者も、当然だが、いた



 それは、事故によって裁判にかけられることになってしまった、元艦長と元副長兼飛行長だけではない



 500名近い“するが”の乗員



 彼等もまた



 様々な形で



 人生を



 狂わされたのである

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