第17話 去る選択


◯広島県呉市 海上自衛隊呉基地 潜水艦“こうりゅう” 艦長室


「あの、坪内さん。変な質問かもしれませんけど、どうして坪内さんが潜水艦の調査担当になられたんでしょうか?」

 黄龍からの質問に、坪内は少し考える素振りを見せて、黄龍を見ながら話す。

「急に出来た調査室じゃけえ、潜水艦乗りでたまたま、わしが人事的に宙に浮いていたからじゃろう?ほうじゃなかったら、(潜水艦の)隊か司令部付きで勤務になっとったじゃろうね。・・・もし、潜水艦以外じゃったら・・・多分、今頃辞めとったろうと思うんよ。」

「そうだったんだ。でも、良かったよね、黄龍?残ってくれたから、こうやって私達、坪内曹長が無事だって知れたし!」

「うん!・・・あ、はい!」

 会話を重ねるうちに上手く打ち解けあえたのか、坪内は赤龍と黄龍に対して、完全に普段の話し方で会話をしていた。

 赤龍と黄龍も、坪内に咎めるような事を言わず、艦長にしても彼が元気そうに喋る方言を聞いていて安心している部分もあり、書類作業しながら背後に耳をそばだてている。

 そんな和やかな空気を壊すように、号笛サイドパイプの短符が艦内放送で流れ、坪内へ迎えが桟橋に来たことが告げられる。

「艦長、黄龍1佐、赤龍1佐。今日はこの後病院で左手の訓練とかがありますけぇ、これで失礼します。」

 坪内がそうに言いながら立ち上がると、艦長は振り向き、赤龍と黄龍は立ち上がる。

 坪内は左手を黄龍へ差し出すと、彼女は両手で柔らかく、包み込むように握手に応じた。

「坪内さん。私から皆さんへ、協力するよう話をしてみます。ただ、どの程度協力してくれるかは分かりませんので、あの、結果が悪くても・・・その、気を悪くしないでくださいね?お願いします。」

 手を離すと姿勢を正す2人。

「黄龍1佐・・・呼び掛けしていただけるだけでも、わしはありがたいです。それから、ご忠告は肝にしっかり命じておきますけぇ。」

 黄龍と会話を終えると、今度は赤龍に左手を差し出す。

 黄龍と違って赤龍は、しっかりと固く握り返す。

「坪内曹長、また聞きたい事があったら、直接来てもらってもいいし、曳船の皆に頼んで呼び出してくれてもいいからね?まぁ、ちょっと桟橋の場所が悪いから、いきなり出てくるとかは、出来ないと思うけどね?」

「確かにここは、からすこ(アレイからすこじま公園)の真ん前じゃけえ、姿を撮られるかもしれんけぇ、その辺が心配じゃのう。とりあえず話を出来る場所については、後で第1潜水隊群1潜群とかに聞いてあたってみますけぇ、少し待っとってつかあさい。」

 その後、“こうりゅう”艦長に挨拶し、室外で迎えのため待機していた乗員の3曹と共に移動し、甲板にゆっくりと上がっていく。

なんとか上りきると、そこからは3曹に介助されながら細いラッタルを、足を滑らせないよう一歩ずつ、左足を前になるよう体を横にして渡り、“おやしお”型潜水艦の甲板を通過して桟橋にたどり着く。

 健常な状態であれば少し足元に注意するだけで済む行動も、今の坪内にとっては重労働なのか額には汗が浮かんでいる。

 そんな坪内を青い作業服姿の士長が出迎え、彼の背後には白い業務車2号も停まっている。

 業務車2号とは、見た目も内装も一般企業で使用される営業車とほぼ同一の車両であるが、当然自衛隊用の2桁ー4桁の数字だけのナンバープレートが取り付けられている。

 3自衛隊の基地や駐屯地等の他、全国の各地方協力本部等にも配備され、日常の移動等に主に使用されている。

「お疲れ様です、坪内曹長。ご家族が駐車場でお待ちです。」

 士長からそう言われ、鳩が豆鉄砲をくらった時のような顔をし、左手首に着けているアナログのダイバーズウォッチを凝視する。

「今、お昼の20分前じゃろ?いつもならギリギリなんじゃけどなぁ?」

「奥様とお連れ様がお迎えに来ていらっしゃると、私は聞いています。」

「早希か?武司か?それとも2人共か?どうせ、夏休みで小遣いが足りんようなったんじゃろう?高校と中学だってぇのに。」

「娘さんと息子さんですか?仲がおよろしいんですね。さっ、曹長。私の肩に捕まって下さい。」

「悪い、助かるよ。」

 士長は言いながら後部ドアを開けると、坪内に肩を貸しながら後部シートに座らせ、シートベルトを着けてから扉を閉める。

「お疲れ様です、曹長。どうぞ、タオルです。」

「おお、汗でベトベトじゃけぇ、助かるわ。」

 そう言って左側からタオルを受けとって顔の汗を拭いていると、運転席に座ったばかりの士長から声をかけられる。

「そ、曹長!?い、い、今、どなたと会話されたんですか!?」

 顔をあげて士長を見ると、彼の視線は坪内に向いていて驚愕の表情をしている。

「誰って、そりゃあ、隣のやつ・・・」

 そこまで言ったが、そういえば誰も乗っていなかったようなと思いながら、ゆっくり左を向く。

 しかし人の顔は見えず、そこから少しずつ下に向けていくと、にこりと笑顔を見せて坪内を見上げる男の子と、視線がばっちり合ってしまった。

「お疲れ様です。」

 坪内と士長は一瞬固まった後、叫び声を業務車2号の中で上げてしまう。

 男の子は、大人2人の突然の叫び声に両手で強く耳を塞ぎながら目を強く瞑る。

 その声は、大きく開けた業務車2号の窓から、“おやしお”型潜水艦のラッタル上で“こうりゅう”に戻りかけていた3曹と、お昼の為交代の引き継ぎ中だった“おやしお”型潜水艦の舷門当直の耳にも入り、3曹と当直を終えた1人の海士が、慌てて桟橋の業務車2号に向かって駆けていく姿が目撃された。

 未だに続く混乱は勢いを落としながらも、しかし、確実に拡大を続けていた。


○神奈川県横須賀市北逸見へみ本町 1320i


 晴れて暑くなった呉から一転して、雨足は弱くなってはいるものの止んではいない、そんな横須賀に目を向けてみる。

 ある一件家の玄関先に、護衛艦”いずも”の衛生士である野原雅の私服姿がある。

 当初お昼頃にこの場所を訪問する予定だったが、午前中に“いずも”で会議が入ってしまい、到着したのはつい先程であった。

 野原はインターホンのボタンを押すと、カメラに顔を向ける。

 その野原の斜め後ろには、紙袋を持った私服の男性の姿もある。

 少しするとインターホンのスピーカーから、夏菜子の母親の声が聞こえてくる。

『雅さん、お久しぶりね。夏菜子も首を長くして待ってましたよ?』

「ご無沙汰しています、お母様。今日はもう一人・・・」

 一緒に来た男性の紹介をしようとすると、母親はカメラで見えたらしく、男性に声をかける。

『あらまあ、幸太郎さんね?雅さんと一緒にだなんて珍しい事もあるのね?もう少し遅くにって聞いてたけど。今、鍵を開けるから少し待ってて?』

 やや間をおいて鍵を開ける音が聞こえ、少し開いて夏菜子の母が顔を見せると、扉を全開にし、野原と幸太郎を招き入れる。

「夏菜子!雅さん達、来てくれたわよ!」

 そうに声をかけると、家の奥の方から夏菜子が返事を返す。

「野原3尉!申し訳ありません!リビングで待っててもらえますか!?」

 その声に、野原は返事をしてリビングに向かい、幸太郎は靴を脱ぐと、夏菜子の母にお土産用らしき紙袋を差し出す。

「いつまでいるのか分からないんですが、横須賀に戻って来ました。これ、都内の駅で買ってきたバウムクーヘンです。良かったら食べて下さい。」

 夏菜子の母は、紙袋に小さく印刷された店名とロゴマークを見て、少し驚いた表情をする。

「あら!この前テレビでやってたお店のね!?いつも混んでるって聞いてたけど、よく買えたわねぇ!?いつもありがとう、幸太郎さん!早速コーヒーを準備するわね!」

 幸太郎は一礼するとリビングへと向かい、扉を開ける。

 そこには夏菜子が野原とテーブルに向かい合って座って雑談をしていたのだが、幸太郎の姿を認めると、明らかに嫌そうな表情を浮かべる。

「なんで野原3尉と一緒なんですか、大村3佐。もう来なくていいって言いましたよね?サボりの口実に私を使わないで下さい。」

 夏菜子は“元”を強調して、険のある言い方で幸太郎から視線をそらすと、アイスコーヒーを一気に飲み干す。

 同時に幸太郎は、『特別事象調査室々長』の大村の事であったと判明する。

「最近の逸見いつみはトゲだらけだな。サボってないって。異動でこっちへ来ることになったんだ。」

 呆れた顔で野原の右側に座った大村は、1つため息をつく。

 それと、今度は夏菜子の苗字が逸見だと判明する。

「喧嘩売ってるんですか?別にトゲだらけのサボテンだって、良いじゃないですか。」

「サボりとサボテンかけてるのか?」

「だったらなんなんですか。親父ギャグを言う変な女だって、そう言いたいんでしょ。」

 逸見は明らかに不機嫌な顔を大村に向けながらグラスを持ち上げるが、コーヒーが入っていないのに気付き、小さそうな氷を1つ、口に含む。

「悪かった。言い方が悪かったよ。そんなつもりじゃなかったんだって。」

「悪いって思ってるんなら、最初から言わないで下さい。だから2佐止まりなんですよ、大村元3佐。」

「逸見、いつもより荒れてるな。お前の方が喧嘩売ってるんじゃないか?」

「なんですか、それ?先に喧嘩を吹っ掛けてきたのは大村元3佐じゃないですか。こんなに簡単に買われるようじゃ、元3佐も安くなったものですね。」

「夏菜子、止めなって。大村2佐も少し落ち着いて下さい。お願いします。」

 野原はこの場の空気が、低気圧が急速に発達したかのように荒れ始めたのを感じ、このまま強い時化しけに発展させないようにと、急いで仲裁に入る。

「野原、悪い。自分では冷静なつもりだったんだが。」

 と、大村は謝罪している一方で、逸見は平然とした様子を見せている。

「人間なんて、自分の事はどこまでも冷静に見えるものですからね。いくらでも都合よく言えるでしょう?」

 逸見はこれ見よがしにため息を大きくつくと、左肘をテーブルに乗せ、頬杖をつく。

「それはお前もだろう?そんなに俺が嫌いか?これじゃあ、来ない方がよかったか?」

 大村は視線を逃さないようしっかりあわせると、逸見は一瞬狼狽えて視線を泳がせてしまい、慌てて横を向いて、大村の視線から逃げる。

「あなたの耳は節穴だったんですね。来ないで下さいって、電話で言いましたよね?さっさと帰ってください。あ、野原3尉は残ってて下さい。色々と“女同士だけ”の話もありますから。」

 逸見は笑顔を見せながら顔を野原へ向けると、大村は眼中にないかのように少し体を前のめりにして、野原を注目する。

「節穴!?逸見、お前な!」

 このまま言い争いが大きく発展するかと思われたが、夏菜子の母親がキッチンから現れた事で、大村も少しだけ落ち着きを取り戻し、大事になることはなんとか回避された。

 夏菜子の母親は、大村のアイスコーヒーと、3人分のバウムクーヘンをそれぞれに配っていく。

 その間、大村は何気なく逸見の様子を伺うように見る。

 髪型はショートカットで耳を出すスタイルに、大村は懐かしさを覚えている。

 と同時に、逸見の耳元で揺れている物を見て、何かに思い至る。

 それは小さくて丸く、少し暗い青色の所々に、星を散りばめたような金色が光り、それが彼女の心情を表しているように、大村には思えた

 そんな大村に母親がアイスコーヒーを渡すと、夏菜子は黙ってグラスを母親に突き出す。

「何?もう、いらないの?」

「さっきと同じの、お願い。」

 さらにグラスを母親に突き出すと、母親は呆れ半分に夏菜子から受けとる。

「お代わりならお代わりって言えばいいのに。は~いはい、しょうがないわね、照れ屋な甘えん坊さんなんだから?」

「違うって!!」

「はいはい、今いれてくるからね?」

 そう夏菜子に言葉を残して、キッチンに向かっていく。

 野原は逸見の母親と似たような呆れの表情を浮かべ、グラスを手に取ってストローで氷を軽くつつくと、数回かき混ぜてコーヒーをストローで飲んだ。

「夏菜子、大村2佐が異動してきたの、本当なんだからね?」

「じゃあ、会議で遅くなったって言うのも、大村元3佐が原因ですか?」

 逸見は目を細めると、非難するような視線を送り、受けた大村は、少したじろぐ様子を見せるが、すぐに取り繕う。

「仕方ないだろ?横須賀とか佐世保とかで、AISや主機しゅきにほぼ同時に異変が起きて、原因究明に俺達が駆り出されてるんだから。」

 大村は表向きの理由を述べると、夏菜子の母親が置いたコーヒーに手を伸ばす。

「大村元3佐。AISと主機もときなんて全く関係ないのに、同時にトラブル起きるのなんておかしいです。何か私に隠してるんじゃないですか。」

 視線を鋭くしたまま、逸見は大村の動きを観察し、不自然な点を探そうとしている。 

「夏菜子、“くらま”とか“なかうみ”に“とさ”達でほぼ同時に発生してるんだよ。あ、ついでに“いずも”もね。それでばくが慌てちゃってね。」

 大村の代わりに野原が答えると、バウムクーヘンをフォークで一口サイズに切り取って口へと運ぶ。

そしてコーヒーを飲むと、説明を続ける。

「で、急遽こっちに大村2佐と西原3佐達が、派遣されて来たんだって。」

「野原の言うとおりだ。と、言うわけで、暇があったらちょくちょく来るよ。」

 大村はバウムクーヘンを少し大きめにフォークで切ると、大口を開けて頬張り、コーヒーを少しずつ飲む。

「だから、もう来なくて良いって言ってるじゃないですか。私は元3佐のアンカーじゃないんですから。そう、思ってるんでしょ?知ってますよ。」

 逸見の言葉に大村はむせそうになり、慌ててコーヒーを飲んで流し込む。

「逸見が俺のアンカー!?俺がそう思ってるって、どういう意味だそれ!?」

 テーブルに手を突いて立ち上がると、逸見に詰め寄る。

「言葉通り、見た目通りです。私の事より、本当は出世するのに忙しいんでしょ?私も辞めて吹っ切れたんです。大村元3佐もいい加減、義務とか責任とかから吹っ切れて下さい。事故からどれだけ経ってると思ってるんですか?それからさっさと帰ってくださいよ。玄関はあっちですから。」

 逸見は左手で玄関を指し示すと、大村を睨み付ける。

「逸見、自分が足枷だって言いたいのか?・・・、それ・・・本気か?本気でそれ、言ってるのか?」

 逸見は大村の質問には答えず、そして一瞥することもなくハンドリムを回して、テーブルから離れる。

「あ、おい、逸見!逃げるな!答えろ!!」

 大村の言葉で止まる事なく、隣の部屋に入ると扉を強く閉める。

「・・・ふっざけんな!やっぱり来るんじゃなかった!ああ、分かったよ!お前の要望通りなのは癪に障るが、帰ってやる!けどな、必ず今度また来るぞ!いいな!?」 

 大村はそのまま玄関まで向かい、野原は立ち上がって逸見の閉めた扉と大村の背中を、文字通りおろおろしがら交互に数回見た。

「幸太郎さん、待って!?夏菜子!?戻って謝りなさい!夏菜子!!」

 騒ぎを聞き付けた夏菜子の母親は、大村の玄関に向かう姿を見ながら、慌てて隣の部屋へと夏菜子を追いかけていく。

 扉は母親が通っていくと、少し遅れて自然と閉まっていき、それと同時に、母親と夏菜子が言い争っているくぐもった声だけが聞こえてくる。


◯NR横須賀線横須賀駅前 ヴェルニー公園


 雨も降っているような降っていないような状態にまでなり、雲も重苦しい黒に近い灰色から、白に近い灰色に変わっている。

 しかし晴れ間が見えるのは、まだ時間がかかりそうである。

「野原、すまん。つい、頭に血が登っちまったよ。」

 逸見の家から飛び出すように出てきた大村と、それを追いかけて出てきた野原は、想定以上に早く帰ってきてしまい、特に目的もないまま、2人は乾いたベンチに見つけて座り、対岸を眺めている。

 そこに普段いるはずの潜水艦達は、今日は1隻も見当たらない。

 艦艇を目当てにしている者には違和感を覚えさせるような風景だが、初めて訪れる者には、これが元々の風景であるかのように、違和感を感じさせていない。

「大村2佐。その・・・夏菜子とは、いつもあのような感じなのですか?」

 野原の質問に、大村は小さく首をふって否定すると、俯いて足元を見つめる。

「たまに、ちょっとした言い争いはあるんだが・・・ここまでなのは、初めてだ。大人気なかったな・・・」

「そう、ですか・・・」

 少しの間沈黙した2人だが、野原はふと逸見の言葉を思いだし、大村に投げ掛ける。

「そういえば、夏菜子の【アンカー】って表現、随分と乱暴でしたね。」

 野原に聞かれると少し体を起こし、顔を少し向ける。

「俺にも逸見の真意は、よく分からん。だが、あの文脈じゃあ足枷以外には、どう聞いても聞こえないからな。まさか、あんな風に逸見自身が思ってるとは・・・」

 大村が視線をあげると、右側から汽笛が聞こえ、そちらに目を向けると、ちょうど軍港巡りの船が桟橋から離れ、船首を横監へ向けている最中であった。

「と言うことは・・・。夏菜子、経過がよくないのかもしれませんね。」

 野原も大村と同じ方を向き、船を目で追いかけていく。

「それは違う・・・と、思う。例えどんなに経過が良かったところで、逸見の希望は絶対に叶えられないからな。どちらかと言うと、気持ちが途切れて足掻ききれなくなった、かもしれない。その方が、俺の中ではなんとなく納得がいくんだ。ただ、完全な納得、ではないけどな。」

「確かに・・・今の医療技術では、夏菜子の希望は・・・」

 少し離れた所では、一眼レフカメラを抱えた男性達が逸見へみ桟橋(H1)の“いずも”を撮影しようと、三脚を立ててカメラを取り付けている。

 彼らの立っている所からだと、“いずも”の正面よりやや左舷側、Y1バースの“おおすみ”、Y1からバース代えしてY2にいる“しらせ”の一部が撮影出来る。

「それに・・・衛生士だったから・・・、他の隊員達に比べても、自分の状況を理解し過ぎているのかもしれません。それと、入院していた時のあの鬼気迫る執念は、恐らくですが、周りに心配をかけさせたくない気遣いからだったのかもしれません。そう考えると、私が同じ立場だったとしても、とても同じようには・・・。」

「俺も、野原と一緒かもな。」

 大村は野原の意図を汲み取り、賛同するように小さな声で呟いていると、軍港巡りの船は大村達の正面を横切っている。

「でも、逸見だって人間だ。ロボットでも、サイボーグでもない。逸見夏菜子と言う、1人の女性だよ。執念だろうがなんだろうが、希望があればこそ続く。逸見は捨ててはいないが、現実が追い付いてくれているとは・・・言えないんだろうな。」

「もう、『夏菜子の気持ちが分かる』なんて、軽々しく言えなくなってしまいましたからね。・・・あの日から・・・。」

 2階席の何人かの子供が手を振っているのが見え、野原は小さく手を振り返し、大村は船を黙って見つめている。

「なぁ、野原・・・」

「はい。」

 野原は手を振り返すのを止め、大村の方を見る。

「俺、今オフだし、飲んでから帰る。もし西原に会ったら、そう伝えといて。」

「えっ?今からって、1506ですよ?」

 大村は黙って立ち上がると、市内に向かって歩いて行く。

「飲むのは良いですけど、西原3佐に迷惑かけないで下さいね!」

 大村の背中に大声を投げ掛けると、彼は返答とばかりに右手を軽く上げて、ひらひらと振る。

 歩きながら大村は、逸見の言動や行動を思い出して、深くため息をつく。

(まったく、なに考えてるんだか知らないけど、喧嘩売るんだったら、もっとましな吹っ掛けかたしろよ、下手くそ!しかも、耳に着けっ放しじゃねえか・・・。本当に嫌いだったら、捨てるか売れよ!)

 アメリカに本社のあるコーヒーチェーンの看板が見えてくると、左側に曲がって階段を降り、今度は商業施設の階段を登って、汐入駅の方へ歩いていく。

(自分は吹っ切れただぁ!?髪型全然変わってねえじゃねえか!!バレバレの嘘なんかつきやがって!!本当は復帰したくて仕方ないんだろうが!クソ真面目の努力バカが!!)

 大村は汐入駅手前の横須賀セントラル劇場の歩道側へ降りる階段を下って行くと、最初の信号を右に曲がってどぶ板通りへと入っていく。


◯静岡県御前崎市 私立西静岡大学付属病院御前崎分院東棟 整形外科病室302号 数年前


「夏菜子さん、おはようございます。朝の検温の時間ですよ。」

 看護師が声をかけながらカーテンを開けると、中に入ってベッドのそばに立ち、逸見に体温計を渡すと血圧を計る準備をする。

 少し寝ぼけているのか、緩慢な動きで脇に体温計を挟む逸見に、看護師は笑顔を向ける。

「まだ、眠いですか?すぐに終らせちゃいますから、腕を出してもらっても良いですか?」

 逸見は無言で左腕を向けると、看護師はパジャマの袖を少し捲ってから、血圧計のカフを巻く。

「あの、友恵ともえさん。」

「どうしました、夏菜子さん?」

 友恵と呼ばれた、看護師である多野たの友恵は左手に聴診器、右手に血圧計の空気ポンプを持ちながら、逸見に返事する。

「あ・・・いえ、先に測定してください。」

 逸見は、血圧測定中に血流音を聞くのを知っているため、タイミングを失って質問を言い出せなくなり、黙ってしまう。

 血圧計の圧力が規定値まで到達したのか、多野は右手の動きを止めると、今度はゆっくり空気を抜きながら、聴診器からの音を注意深く聞いている。

 逸見はその様子を黙って見ている。

 多野は一定の所まで空気の圧力を下げると、測定が終わったのか、バルブを全開にして空気の圧力を抜く。

 ある程度空気が抜けたのを確認すると、カフを広げて腕から外し、血圧を紙に書き込んでから片付け始める。

 逸見は口を開こうとすると、脇に挟んだ体温計から電子音が響き、またも、タイミングを失う。

 しぶしぶと脇から体温計を取り出すと、多野に手渡す。

「血圧、いつも通り正常値ですよ。体温は36度4分ですね。それで、さっき何か聞こうとしましたよね?質問ですか?」

 体温計の数値も書き込んでからケースにしまうと、ボールペンを胸ポケットにしまいながら、逸見の顔を覗き込む。

「今日のリハビリ、13ヒトサン・・・十三時からでしたよね?」

「ええ、そうですよ。あ、もしかして、キャンセルして、いつも来てくれてるあの人、大村さんでしたっけ?デートでもするんですか?いいなぁ!」

「ち、違いますよ!あの人、私の上司ですし、振られちゃいましたし・・・」

 明るかった逸見の表情が曇り、多野は慌てて頭を下げて謝る。

「ええっ!あ、ご、ごめんなさい!仲が良さそうだったから、てっきり・・・。ごめんなさい!」

「気にしないで下さい。それより、友恵さんの方はどうなんです?私よりモテそうじゃないですか。彼氏くらいはいるんでしょ?」

 すぐに気持ちを切り替えた逸見は、意趣返しとばかりに多野へ質問する。

「いないですよ!それに友達と休みが合わなくて合コンにも中々行けないんですよね・・・。」

「そっか・・・。なんか・・・、私もごめんね?」

 お互いに、やってしまったというような雰囲気が漂う。

 多野は、ふと文字盤の小さいアナログの腕時計を見ると、笑顔を作って逸見に話しかける。

 逸見は気だるそうな表情を多野へ向けると、背中をベッドに預ける。

「夏菜子さんこそ、気にしないで下さい!それじゃあ、また午後の一時に迎えに来ます。少しでも早く退院出来るように頑張りましょう!私たちも協力しますから!」

「ありがとうございます。早く仕事に復帰したいですからね!」

「でも!だからって、くれぐれも理学療法士PTさんに無理言って困らせないで下さいね?じゃ、また後で来ますね!」

 多野はそう言いながらカーテンを閉めると、少しだけ表情を暗くしてしまうが、指で口角を無理矢理に上げて笑顔を作り、隣のベッドで寝ている患者の検温に向かった。

 逸見はというと、多野が出ていくのを確認すると表情を引き締め、ベッド脇の引き出しからスマートフォンを取り出して画面ロックを解除する。

 そこにはメールの新着表示があり、相手は大村であった。

 逸見は画面を数秒見つめてから、ゆっくりと数回深呼吸して、大村に電話をかける。

 呼び出し音が5回鳴り、6回目が鳴るか鳴らないかのタイミングで大村が電話に出る。

『もしもし。』

「もしもし、おはようございます、逸見です。大村2佐、今お電話よろしいでしょうか?。」

『ああ、大丈夫だ。さっきのメールどうした?俺、今日の午後に行くって、言ってたと思うんだが?』

「はい、大村2佐。ですが、来ていただく前に話を聞いていただこうと思いまして、こちらから電話させていただきました。」

『もうちょっとしたら横須賀こっちを出る時間だ。それまでだったら大丈夫なんだが、急にどうした?』

「私の・・・、今の詳しい状態を・・・ご存知ですよね?」

『そりゃあ、元直属の上司だったからな。色々聞いてるよ。腰とか太ももとか骨折、あと、すねも開放骨折だっけ?ちゃんと聞いてるよ。』

「それでは、私の腰椎の骨折が原因で・・・その・・・」

 逸見はそこから言葉を続ける事が出来ず、大村の方もなんと言葉をかけていいのか分からず、お互いに黙ってしまう。

 逸見は言葉をなんとかして続けようと言葉を探していると、大村の声が聞こえてくる。

『逸見。お前が、いつも一生懸命に頑張っているのを、ちゃんと知っている。俺に告白してくれた時だってそうだ。真っ直ぐに真剣な目で言ってくれた。』

「・・・」

『だから、誤解を恐れずに言うなら・・・今は頑張るな。逸見は努力家だって俺も、皆も知っている。けど、正確に言うなら、お前はクソ真面目な努力バカなんだよ。周りが見えなくなるほど頑張る癖、治せないかもしれないが抑えることは覚えろ。精神もやられるぞ?』

「・・・はい・・・すみません。」

『謝るなって。どうせ、逸見の事だ。早く復帰出来るようにって、作業療法士だか理学療法士だっけ?とかに頼んで、無茶苦茶なメニュー、組んでもらってるんじゃないのか?』

「・・・申し訳・・・ありません。」

『やっぱりな。いつも言ってるし、周りからも言われてないか?オンとオフをちゃんと使い分けろって。今はオフだろ?』

「すみません・・・でした・・・。」

『どうした、逸見?さっきから謝ってばかりだな・・・。他に何か、あったのか?いつもの元気はどうした?暗いぞ?声も変だし・・・、泣いてるのか?』

「大村・・・2佐・・・聞いて下さい・・・。」

『ん?あぁ、いいぞ?』

「あの・・・・・・私・・・医師の診断を聞いてから・・・・・・ずっと・・・・・・考えていました・・・。」

『うん。』

 また黙ってしまった逸見が、この後何を切り出そうとしているのか確かめようと、大村は耳をそばだてる。

その耳に届いたのは、微かに鼻をすするような音である。

「・・・ごめん・・・なさい・・・。私・・・もう・・・」

『・・・うん』

「衛生士を・・・・・・自衛官を・・・・・・もう・・・・・・」

『・・・うん』

「もう・・・・・・」

 逸見の言葉はそこで途切れ、そこから先は声を圧し殺して泣いている様子だけが、大村の耳に伝わる。

『夏菜子、聞こえるか?』

「・・・はい・・・。」

『待ってろ。今すぐそっち行く。いいな?』

「分かりました・・・。でも・・・・・・御前崎ここまで・・・4時間くらいは・・・・・・」

『とにかくすぐに行くから待ってろ。いいな?』

「はい・・・」

 大村は通話を切ると身支度を整えて、すぐに移動を開始した。



~~~~語句の説明~~~~


理学療法士PT・・・国家資格で、障害や後遺症のある部分の基本的な動作を回復させる事を主眼に、リハビリを行う医療従事者の事。ある程度回復したら、作業療法士OT(後述)にリハビリが引き継がれる。


作業療法士OT・・・国家資格で、社会復帰を目指すリハビリを主眼おいている医療従事者の事。理学療法士PT(前述)からの引き継ぎを受けて、リハビリを行う。

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