第26話 狙われた赤龍


○愛媛県今治市馬島沖北西約15km 輸送艦“いわしろ” 多目的区画


 横須賀で四谷坂防衛大臣達の視察が行われる前日、浜田地方総監部を出港した輸送艦“いわしろ”は呉基地で1泊し、視察当日の早朝に横須賀地方総監部へと向かって出港していた。

 現在地点は、愛媛県今治市馬島と同市大島の間に架橋された来島海峡大橋に向かって航行している状況である。

 その“いわしろ”の多目的区画では、既に日常の光景として乗員達から認知されてしまったLCAC2107と2108が追いかけっこをして走り回っている姿と、浜監から乗艦したODオリーブドラブ色のTシャツと迷彩ズボン姿の浜山の姿もある。

(出雲の皆・・・まさか、俺が今頃こげな海の上で、長浦海将補に言われて横須賀に向かっていると思っとらんだろなあ・・・。しかも小松副長から・・・、というか、間接的に長浦海将補から、こんなちっちゃい子の面倒見ろって言われてるなんて・・・想像しとらんよなぁ、きっと。)

 出港前に小松へ乗艦の挨拶をしたところ、LCAC姉妹の面倒を見るように言われてしまっていたのである。

 聞けば、海将補である長浦からの直々の依頼との事であった。

 曰く、「何らかの任務でも与えて集中させておけば、船酔いしやすい浜山もそう酷い事にはならないだろう。それに御船3尉と長浦3尉が抜けて子供達の面倒を見るのも大変だろうから、一時的だが応援の人員として扱ってやってほしい。」とのことであったという。

(長浦海将補はこの子達の事も、外に漏らすなって言ってたけんなぁ・・・。それとは別に、乗員さんからの視線も痛いような冷たいような・・・はぁ・・・多分長浦3尉が異動したのが原因・・・なんだろうか・・・)

 自身に起きている事を振り返りつつ、浜山は同時に出雲駐屯地の仲間達に、小隊へ復帰した時どう説明するかにも頭を悩ませる。

 そう考えながらもLCAC姉妹達から目を離している訳にもいかないため、走り回って遊んでいる彼女達を見守ってもいる。

 LCAC姉妹2人の方をもう少し見てみると、作業ズボンのポケットからタオルを動物のしっぽのように長く垂らしていて、お互いにそのタオルを取り合うように背後に回り込んだりしている。

 これは子供のいる経理員が岩代の代わりに面倒を見ていた時に教えた遊びで、2人はとても気に入ったらしく今日も早朝から飽きもせず走り回っている。

 浜山の耳にはLCAC達の無邪気な声が聞こえているのだが、空自で聞くようなアンノウンやロックオンなどといった英単語が混じっているように聞こえたのだが、これは何かの聞き間違いだろうと自分を誤魔化す。

(そう言えば長浦海将補は、何であのカメラを渡してきたんだろ?万が一にも壊したら・・・どげな事になるんだろ・・・。)

 与えられたロッカーの中に保管してあるカメラを意識すると、思わず身震いをさせてしまう。

 浜監出港前に護衛艦達を練習がてら撮影をしていた時、偶然半舷上陸のため“しらぬい”から降りてきた私服姿の写真員に声をかけられ話をしていたのだが、話の流れで浜山が自分の借りたカメラは初心者用みたいだと言った途端、写真員は血相を変えてカメラに疎い浜山へ、本体はN社のハイエンドモデルだと説明した。

 慌てた浜山は、レンズは流石に安い価格帯だろうと思って写真員に確認すると、安い初心者向けのレンズ2本セットではなく、単体の純正品で標準と望遠それぞれがN社の中級モデルの本体より高い物だと説明を受けた。

「陸自の官品だか知らないけど、万が一壊したらどんな事になるか分からねえよ?って、冗談冗談!気にするな!あはははっ!怖がらずに撮影頑張れよ!じゃあな!!」

 写真員は笑いながら言うと、茫然自失している浜山の肩を軽く叩いてその場を離れたのである。

(本当に冗談じゃすまないだろうけん、気を付けんとなあ・・・。壊した時の事・・・考えたくもないけんなあ・・・。)

 浜山がため息を長く吐き出すと、そこへ岩代と一緒に呉から乗艦してきた松葉杖をついている坪内と、飲み物とお菓子をトレイに載せている“いわしろ”運用員である海士長が入ってくる。

「3人とも、おやつの時間よ?あら?坊や君顔色悪いけど、また船酔いなのかしら?酔い止めが効かなくなっちゃったかしら?」

「いえ、違います岩代3佐。何でもありません。」

 岩代は立っていた浜山を椅子に座らせると、坪内とLCAC姉妹をその対面に座らせて自分は浜山の右隣へと座る。

 運用員はトレイをテーブルに置くと、大人にはコーヒーをデカンタから、LCAC姉妹には1.5リットルのPETボトルから、デフォルメされたネコのキャラクターが描かれたコップにオレンジジュースをそれぞれ注ぎ入れる。

 運用員は最後にウェットティッシュをテーブルの真ん中に置くと、岩代のそばで休めの姿勢をとって待機しようとする。

 岩代はそれに気付いて運用員に戻ってもいいと声をかけたのだが、おやつの時間が終わるまでは岩代達の世話をするよう運用員長から命令を受けていると返答する。

 命令を受けている彼の事も考えて、岩代はおやつの時間内だけと、仕方なく許可を出す事にした。

 その間に坪内と浜山は初対面の挨拶を済ませ、お互いにコーヒーを飲みながら会話をしていた。

「じゃあ長浦幕僚長からは、横須賀行きの理由を聞かされとらんのじゃね?」

「はい。坪内海曹長と一緒に横須賀へ着いたら、自分は大村2佐と西原3佐に会って指示を仰ぐよう言われただけで、それ以外の指示は受けていないです。」

 坪内は浜山の話を聞き、少し困ったような顔をする。

「坪内海曹長?どうされたのですか?」

「浜山が説明を受けとらん事を知らんかったけぇ、どこまで話をしてええのか、室長達に聞いとらんかったんよ。」

 特殊事象調査室の坪内としては、浜監で説明を受けた上で、自分達と一緒に調査するものと思って室長の大村から話を聞いていたために浜山が何も事情を明かされずにいる事は、坪内にとっては全くの想定外の出来事であった。

 さらに、運用員がここにいる間も迂闊な事が言えないため、坪内は考えこみながらコーヒーを飲んでいる。

 岩代は急に運用員へ振り向くと、おおよその現在地と来島海峡大橋の通過予定時刻を、艦橋に行って海図で直接確認してきてほしいと依頼する。

 運用員はすぐに駆け足で部屋から出ていくと、近くのラッタルから艦橋へと向かっていく。

「坪内さん、今のうちに坊や君と話の擦り合わせだけでもしておいたら?彼が戻ってきたらおやつの時間が終わるまで、調査室の話が出来ないと思うわよ?一応、早めに配置についてもらうようには、するけどね?」

 岩代はそう言ってコーヒーを飲むのだが、坪内は大村達と先に擦り合わせしておかないとならないと述べる。

「あらら?余計な気遣いだったかしら?艦橋に行かせちゃって、彼には申し訳ない事しちゃったわね。」

 カップをソーサーに置くと扉の方の天井へ顔を向けて、今艦橋に着いた運用員に心の中で謝罪をする。

「気にせんでもええですよ。わしも丁度、来島の橋を見られるのなら見たいと思うとりましたから。」

「私も橋を見てみたい!ね?」

「私も橋が見てみたい!ね!」

 LCAC姉妹も坪内と同調して声を上げると、それぞれがクッキーを手に取る。

 このクッキーは給養員達がLCAC姉妹を気遣って野菜を練り込んで作ったもので、07が手にとったのは人参の、08が手にとったのはホウレン草のクッキーで、2人は美味しそうに向かい合って食べている。

 しばらくして運用員が戻り、現在地等の報告を受けると岩代はLCAC姉妹以外のカップ等を片付けてもらい、そのまま配置に戻るよう言いつける。

「所で岩代3佐。浜山を調査室に推薦したと室長から聞いとりますが、それは本当なんじゃろうか?」

 運用員が多目的区画から出て行くと、坪内は半信半疑で大村から聞いたことを訪ねる。

 浜山にとっては寝耳に水の話で、大きく目を見開くと岩代に説明を求める。

「あら?私、あの時にちゃんと坊や君へ言ったはずよ?『坊や君を調査の協力者に推薦したのよね』って。“とさ”の艦長室で言ったの、忘れちゃったかしら?」

「あの時ですか!?そ、そそ、それじゃあ、自分が教育プログラムに選ばれて浜田の基地に呼ばれたのは、偶然じゃなくて・・・」

 浜山は岩代から体を離すように左へ体を少し反らすと、岩代は面白がるように微かに笑みを浮かべると、浜山が逃げた分だけ距離を詰める。

「鞍馬幕長にも話したら、少し待たされてね?『谷本と話がついた。異変の調査に協力してもらえるよう、早急に陸自へ掛け合うと言っていた』って聞かされたのよ。」

 岩代の話を聞いて数回瞬きすると、坪内の方へゆっくりと顔を向ける。

「あの、坪内海曹長?自分は海自の谷本さんを聞いたことがある気がするのですが・・・まさか・・・谷本海上幕僚長、じゃあないです・・・よね?」

「そのまさかの谷本海幕長、じゃろ?岩代3佐?」

 浜山は、予想通りの回答が坪内の口から出て来たことに対して暗澹としながら納得し、そしてこれから予想される岩代の返答を、半ば諦めの気持ちで待つことにした。

 岩代はその気持ちを知っているかのように浜山へ笑顔を見せると、坪内へ視線を向ける。

「正解よ、坪内さん。私、今までに海上幕僚長の谷本さんしか、谷本さんを聞いた事ないのよね?」

 予想通りな岩代の言葉に、浜山は平静さを保とうと心掛けるも、落ち込んだ内心を表情が表してしまっている。

「でもね?ここまで自衛官さん方が本気で動くなんて、言った私も思わなかったのよ?坊や君が海自に来てくれる事になったら嬉しいなぁって気持ちで、ちょっと気軽に言っただけだったの。でも、谷本海幕長とか三条隊司令さん達の動きを見てたら、坊や君には可哀想な事しちゃったかしら?って、土佐ちゃんと話してたのよ。」

 岩代の言葉に、浜山は苫小牧港での土佐との会話を思い出し、突然大きく声を出してしまう。

「あ!だからあの時、土佐3佐はあんな事を!・・・環境と習慣が違うから頑張れって、そういう意味で言ってたのかぁ・・・」

 浜山の言葉に疑問をもった岩代に問われ、苫小牧港出港時に土佐と会話した事を話すと、岩代は意外そうに驚く。

「珍しいわね?土佐ちゃんって、そういう余計な事をあんまり言わないんだけど?」

「岩代3佐。わしは土佐3佐の性格の事はよう分からんのですけど、滅多にわない事をったとなると、誰かに浜山の行き先とか処遇とかを聞いて、思わず心配したから言ってしまったのじゃろうと思うんですよ。」

 岩代は納得したように小さく数回頷き、浜山を横目で見ながら坪内に返答する。

「だとすると・・・三条隊司令か高崎艦長から、聞いていたか聞かされたんだと思うのよ。盗み聞きとかしないタイプだから、同席でもしてたのかしらね?例外は、ちょっとあったみたいだけどね?」

 浜山は話を聞きながら、護衛艦“とさ”へ呼び出されてから今まで、自分の身の回りに起きていた出来事の1つ1つがジグソーパズルのように組み合わされていき、そのほぼ全てに岩代が関係している事へ、なんの抵抗も無く受け入れてしまう。

(やっぱり・・・薄々思ってはいたけど・・・全部、岩代3佐の掌の上だったなんて・・・俺、ちゃんと元の隊に復帰出来るのかなぁ・・・)

 浜山は軽く俯くと、岩代と坪内の会話を聞きながら自分の行く末を案じてしまう。

(あ・・・と言うことは、長浦幕僚長がわざわざLCACあの子達の面倒をって言っていたのも、岩代3佐関係で何かこの後あるから?)

 姿勢を崩さないようにしていたつもりの浜山だったが、横目で時々様子を伺っていた岩代には表情が冴えないように見えて、浜山に対して早く船の揺れに耐性がついて欲しいと思ってしまう。

「そうえば岩代3佐?浜山の事をかなり気に入っているようじゃけど、どうしてじゃろうか?」

「どうしてって?それは坊や君が、私にとってだからよ?」

 岩代は坪内にそう言うと、浜山の方へウインクする。

 坪内にとっては衝撃的だったのか大きく目と口を開けたまま、岩代と、坪内と同じように驚いた顔で岩代を見る浜山の顔を何度も交互に見てしまう。

「え!あっ!そ、そういう関係ですか!!?岩代3佐!失礼しましたぁ!」

「岩代3佐!お願いしますから、これ以上大事おおごとにしないでいただけますか!?坪内海曹長!誤解です!誤解なんです!そういうような想像の関係じゃないんですよ!」

 岩代は狼狽えている坪内と浜山を見て、最初は普通に微笑んでいるだけだったのだが、やがて堪え切れなくなり腹を抱えて笑い出し、やがてうずくまってしまった。

 その様子に、狼狽えていた男2人とLCAC姉妹は呆気にとられて、呆然とその様子を眺めている状態になってしまう。

「岩代?急にどうした?の?」

「岩代?大丈夫?なの?」

 姉妹に声をかけられようやく落ち着いたのか、岩代はハンカチを取り出すと笑い過ぎて零れた涙を拭き取り、それをテーブルの上に置く。

「坊や君、ごめんなさいね?からかっちゃって。坪内曹長、坊や君は私が『初めて会った海自以外の人』なの。どんな想像したのかは分からないけど、それ以外の意味はないのよ?」

 浜山はそれを聞きながら、文句の1つも言ってやろうかと言い終わるのを身構えていたのだが、急に神妙な面持ちになった岩代を見て躊躇いを感じてしまう。

 坪内の方も表情の変化に気付いたのか、岩代に何かを言おうとしていたのを引っ込めてしまったようである。

「私ね?・・・坊や君と、お嬢ちゃんと・・・いっぱいお喋り出来て・・・」

 そう言った岩代であったが、そこで区切ったまま言葉を続ける事もなく、ゆっくりとした動きで天井を仰ぎ見る。

 その後、時間にして30から40秒程沈黙が続いたのだが、岩代は突然テーブルに置いたハンカチを手にして立ち上がり、数歩走ると区画から忽然と姿を消してしまった。

「岩代!?どうした!?の!?」

 08が椅子から降りると扉の方へ走り出そうとするのを、寸でのところで07が後ろから羽交い締めにして阻止する。

「部屋から出ちゃダメ!岩代との約束!だよ!?」

「でも!岩代が心配!だよ!」

「岩代3佐!?お、おい、浜山!追いかけろ!」

 テーブルへ左手に体重を預けながら立ち上がっていた坪内は、同時に立ち上がっていた浜山へ指示を出したのだが、浜山は困惑してしまっている。

「お、追いかけろって、坪内海曹長!?どこに行ったか見当はつくのでしょうか!?無闇に探しても自分はこの船に慣れていないのでここに戻ってこれるかも分かりませんし、申し訳ありませんが自分には3佐の行った先の見当もつきません!」

「じゃけど、岩代3佐と世間話の1つもしとるんじゃろ!?普段何処にいるのかくらい聞いとるじゃろ!?」

 浜山の言葉尻に被せるように坪内は早口で喋りだす。

 そこから2人は口論のような状況になってしまい、07と08は困って2人を宥めようと07は隣の坪内の方へ向き、08は浜山の方へ回り込む。

 浜山と坪内が、それぞれの足元にいるLCAC達に視線を向けると、多目的区画の扉が静かにゆっくりと開いていく。

 それに気配で気付き驚いた4人は、一斉にそちらに視線を向ける。

 少し開いた扉の影から岩代が顔を少し覗かせながら、右手で無言のまま手招きをする。

 LCAC姉妹は近付いて行くのだが、坪内と浜山はその場で不動の姿勢から頭を下げる。

「岩代3佐、何か気に障った事があったのなら謝罪しますけぇ、許してつかぁさい。」

「自分の方も、何か言ってしまって傷つけてしまったのであれば、謝罪いたします。」

 岩代は手招きをやめると、少し恥ずかしそうにしながら引っ込んでしまう。

「いえ、あのね?来島海峡大橋が、その、近付いてきたから、艦橋に行ってもいいのか、えっと・・・川原艦長に確認してきてたの・・・。勘違いさせちゃって、みんな・・・ごめんなさいね?」

 扉の影から坪内と浜山にばつが悪そうに言ったのだが、近付いていた08から目が充血してる事を指摘され、同じく07から泣いていたのかと聞かれる。

 岩代は慌てて両方を否定し、とにかく艦橋へ上がってくるようにと彼女の持つ3佐の権限で全員に命令し、坪内達へ顔を見せる事なく、自分はさっさと先に艦橋へと向かうためその場で虚空へと姿を消してしまう。

 今回“おおすみ”型輸送艦に初めて乗艦した坪内と、数度乗艦しているが多目的区画から艦橋への行き方を知らない浜山は顔を見合せ、どうして良いか分からずに途方に暮れてしまう。

 そこへ07が浜山に、08が坪内に近付くとそれぞれが案内を申し出て、艦橋へ向かう事になった。


○NR関東 横須賀線JO-06 東海道線JS-06 逗子ずし


 13時30分頃に横浜の山下公園を出発し、みなとみらい線を使って横浜駅で横須賀線に乗り換えた大塚と鮎沢は、久里浜方面側の増結4両が切り離される作業をE217系車内の窓越しに眺めている。

 切り離された増結車両は、前方にある留置線へとゆっくりと向かっていく。

 すると運転席の方から、短音2回長音2回短音2回のブザー音が聞こえ、大塚と鮎沢は即座にそちらへ耳と意識を集中させる。

 ブザー音はもう一度先程と同じ音が聞こえると、次に長音が1回ずつ聞こえて運転席側は静かになる。

「『トントンツートントン』と『ツー』がそれぞれ往復していますね。モールス信号のようですが、電車で使う必要があるのでしょうか?」

 運転席側の窓に右耳を向けたまま、周囲の乗客に聞かれない程度の声で、大塚に疑問を投げ掛ける。

 大塚は左耳を窓から少し離すと、腕を組んで瞑目する。

「モールスなら最初は『東京のト』、次は『無線のム』か・・・。」

 和文通話表を用いて聞いた音を文字に変換したのだが、大塚は深く考え込んでしまう。

「何かの暗号、若しくは符丁でしょうか?」

「仮に暗号だとすると短すぎるし、暗号表がなければ私達ではすぐには解読出来ない。解析すればそのうち分かるだろうが、時間がかかるだろう。仮に符丁だとしても、部外者である私達にはどの道、聞いた以上の事は残念だが今は分かりようがないな。」

 腕組みを解いた大塚は軽く両手を上に上げて分からないといったジェスチャーをすると、顔を運転席の外に見えている横須賀方面へ延びている線路の先を見る。

 すると車内アナウンスで、信号が変わり次第発車すると案内があり、開いている扉の外から駅の構内放送でも間もなく発車する事を告げている。

 ホームで発車のメロディが流れると、数名が乗り込んできて空いている席へと座っていく。

 そして扉が閉まると11両編成になったE217系は、滑るように動きだして逗子駅のホームからゆっくりと離れていく。

 留置線に入っている、先程切り離された増結4両の近くまで来ると、運転士は電車を加速させるためレバーを動かす。

『本日はNR関東、総武線直通横須賀線、久里浜行きをご利用いただき、ありがとうございます。この電車は11両編成です。田浦駅では、前寄り1号車と、2号車一番前のドアは開きませんので……』

 自動音声による案内を聞きながら、大塚は前方を眺め、鮎沢は横須賀での行動予定を確認しているのかスマホを操作している。

「兄ちゃん!早く!」

 後方2号車との連結部付近から、小学校低学年男の子が手招きしながら、奥から歩いてくる小学校高学年位の男の子に向かって叫ぶ。

 1号車の大塚達を含めた乗客の何名かは、そちらへ顔を向ける。

「静かにしろって!五月蝿くすると母さんに怒られるだろ!?」

 高学年位の男の子は慌てて走りだし、低学年の子に注意する。

「微笑ましいですね、大塚さん。」

 目を細めて彼らを見ていた鮎沢は、スマホを持ったままそちらの光景を眺めている。

 大塚は小さく「そうだな」と呟くと、鮎沢と同じように眺める。

 先程の兄弟は一緒に歩いて先頭の方まで来ると、大塚と鮎沢の所まで来て立ち止まる。

「お姉さん、窓の外見ても良い?」

 弟の方が壁側の鮎沢にそう声をかけると、鮎沢は大塚の右横に移動して、兄弟の為に場所を空ける。

 弟の方は礼も言わずに窓にへばりつくようにして外を眺め始めると、兄の方が慌てて弟を窓から引き剥がし、鮎沢に向かって無理矢理頭を下げさせる。

「ダメだろ!?ちゃんとお礼言わなきゃ!」

「だって、早く見たかったんだもん!」

 弟はそう言うと窓にもう一度へばりつくようにして、車窓の風景を眺め始める。

 兄の方はもう一度鮎沢に礼とお詫びをすると、自分も窓の外を眺め始める。

『次は東逗子、東逗子です。御出口は左側です。The next stop station is Higasi-Zusi. JO-Five.・・・』

 自動音声に続いて車掌のアナウンスで次の停車駅である東逗子駅の案内があり、車窓からも駅のホームが見えてくる。

「ここで降りるんだからな?」

 兄の方が弟にそう声をかけると、弟は頬を膨らませながら兄を見上げる。

「分かってるよ!それより兄ちゃん、あれ何?あの大きい人形みたいの?」

 弟の指差す運転室内の床を見るのだが、兄は見えないのか運転士の座る椅子の下まで見ている。

「運転士さんの鞄以外見えないじゃん?第一、そんなとこに人形があるわけないじゃん?」

 兄にそう言われ、弟はもう一度運転室内の床を見ているが、今度は兄と同じように左右を忙しなく見ている。

「あれっ?さっきまであったのに?あれっ?あれっ?」

「見間違ったんじゃないか?ほら、もう扉が開くから行くぞ?」

 東逗子駅のホームに入ったE217系は停車位置で停止すると、進行方向向かって左側の扉が開き、兄弟達が降りていって、一人の乗客が乗ってくる。

 その乗客は先程の兄弟がいた窓まで来ると、線路の方を見たまま吊革に捕まる。

 扉が閉まりE217系が動き出すと、鮎沢は大塚に少し近づく。

「私は見えなかったのですが、大塚さんは先程の兄弟の話、どう思いますか?」

「弟の方が見た“大きい人形”・・・。私も鮎沢と兄の方と同じで見えない。弟の方の幻覚か?」

「あるいは、弟の方が見える人間、なのでしょうか?」

「噂で聞いた、『幽霊や艦魂以外も見える者』の事か?だが、見直したら見えなかったとも言っていた。・・・人形・・・気になるな・・・」

 鮎沢が無意識に右手で持ったスマホを顎に当てようとすると、突然急ブレーキがかかって停車し、車内が一時騒然となる。

『突然の急停車、失礼いたしました。先程、この先の踏切より防護無線が発報されました。安全確認が終わるまで停車いたします。お急ぎのところ大変申し訳ございませんが、今しばらく車内にてお待ちください。』

 車掌のアナウンスに、騒がしかった車内も落ち着きを取り戻したように静かになる。

 鮎沢は咄嗟に大塚の左腕にしがみついていて、大塚も吊革に捕まっていたので、二人は転倒だけは免れていた。

 鮎沢は落ち着くと、右手で持っていた筈のスマホが消えた事に気付く。

 慌てて床を見下ろすと、大塚から左腕を軽く叩かれ、鮎沢は顔を上げる。

 目の前に大塚以外の手でスマホを差し出され、持っている人物を見ると、東逗子駅から乗ってきた乗客であった。

「お二人共、お怪我されませんでしたか?」

 鮎沢がスマホを受け取ると、大塚にも声をかける。

「拾っていただきありがとうございます。それからお気遣いも、ありがとうございます。」

 鮎沢がそう言うと、乗客は笑顔を見せてほっとしているようであった。

「今日たまたまこの時間に乗ったんですけど、こんな事は初めてでびっくりしちゃいましたよ。話のネタになりそうで・・・あ、余計な事を言って失礼しました」

 乗客は頭を軽く下げると、運転士の方を横目で見る。

 運転士は車掌と連絡を取り合っているのか、受話器を持ったままモニターを見たりしている。

「いえ、私もこんな経験するとは思いませんでした。話のネタにとは、何か記事でも書かれているのですか?」

 鮎沢の質問に乗客は、小さく「あっ!」と言うと慌てた様子で胸ポケットから銀色の何かを取り出す。

「申し遅れてすみません。私、こういう者です。」

 銀色の何かは名刺入れだったようで、そこから白とオレンジ色の名刺を二枚取り出すと、先に鮎沢へ、次に大塚へ手渡す。

「兼業で作家をしてます、月夜野出雲と申します。」

「月夜野出雲さんですね?鮎沢と言います。よろしくお願いいたします。二人共、名刺を持ち合わせておらず、すみません。」

「大塚と言います。月夜野さんは作家なんですね。名刺まで作られるなんて本格的ですね。」

 大塚の言葉に、月夜野は照れたように右手を後頭部にあてる。

「まだ、本業じゃないんですけど、これから本業になったら良いなぁ、なんて思ってるんですよ。」

 鮎沢はその間にスマホを操作していて、何かを見つけたのかその画面を月夜野の方へと見せる。

「小説はこちらの【カクヨム】というサイトでよろしいですか?」

「えっ!?早速見てくれたんですか!?はい、そうです!この【海の防人達】とか、【防人達の邂逅】とかを書かせていただいているんです!」

 月夜野は明らかにはしゃぐ様子を見せ、続きを言おうとしたところで車内が静かな事に気付き、口を開けたまま周りを見渡す。

「鮎沢さん、大塚さん、失礼しました。嬉しくってつい・・・」

「い、いや、そういう事もあるでしょうから、気になさらなくても大丈夫ですよ。」

 鮎沢は若干引き気味ではあったが、月夜野に気をつかってその事をなるべく悟らせないようにしている。

『安全確認が終了いたしました。間もなく発車をいたします。次の田浦駅へは約5分程遅れて到着の予定となっています。お急ぎのところ、大変申し訳ありませんでした。』

 車掌のアナウンスが流れると、車内には安堵の空気が流れ、大塚達も同様に安堵する。

「やっと動きますね。鮎沢さん。」

「そうですね。無事に横須賀駅に着けそうで、安心しました。」

 月夜野の声に鮎沢はそう答えて、外を見ている。

 E217系が動き出すと、月夜野は大塚と鮎沢へ邪魔をしたと謝罪して、左側の扉へと移動していった。


○横須賀地方総監部 潜水艦機関室 夕刻


 昼間に入港してきた“そうりゅう”型潜水艦は、先に桟橋側で係留されていた“おやしお”型潜水艦とメザシ係留されていた。

「あ~・・・とてつもなく眠い・・・なんなんだろう・・・いつもと違う・・・」

 その機関室には赤龍が壁に手をついて、重くなった瞼をこすっている姿が見える。

「こんなに眠いの初めて・・・ふわあぁ・・・おかしいなぁ・・・ご飯食べた後でも、こんなに眠くならないのに・・・」

 赤龍はあまりの眠気に、時々力が抜けそうになるのを必死にこらえる。

 そんな赤龍の元へ、女性将官が姿を見せる。

「赤龍、ここにいたんだ?大丈夫?挨拶の時、かなり眠そうにしてたから、心配になって来たんだよ。」

「渦潮将補!すみません、ご心配おかけして・・・ふわ・・・し、失礼しました!」

 眠気がどうしても抑えられなかった赤龍は渦潮の前で欠伸をしてしまい、深く頭を下げて謝罪する。

 その後、赤龍は渦潮に事情を説明すると、ゆっくり休める場所があるからと渦潮に連れられて艦の外に出る。


○船越地区 自衛艦隊司令部 桟橋


 赤龍は自衛艦隊司令部の桟橋に着桟している艦艇に到着すると、海将の階級章を着用した女性と挨拶を交わしていた。

「渦潮さん、今日は2人でお泊まりですか?」

 そう言った3種夏服姿をした、海将の女性のネームプレートには【千代田】と書かれている。

 ここは“潜水艦救難母艦 AS405 ちよだ”で、渦潮と赤龍はその士官室に来ていた。

 その千代田の足元には、小学校低学年位の女の子が千代田の足に隠れるようにしがみついている。

 彼女の青い作業衣に着けられた名札には、【深海救難艇DSRV】と書かれている。

「いえ、赤龍にだいぶ疲労が溜まっているようなので、リフレッシュの為に、こちらへ連れてきました。」

 赤龍は呉から横須賀に移動してきただけで、そこまで疲れてはいないと反論したが、最後に欠伸をしてしまい、赤龍の言葉に説得力が無くなってしまった。

 千代田達に申し訳なく思い頭を下げた瞬間、赤龍は目の前が真っ暗になってしまうのを感じる。

「赤龍!大丈夫か!?」

「赤龍さん!」

 2人の声が上から聞こえる事に違和感を感じて目を開けると、渦潮に上半身を起こされ、正面から赤龍の顔を覗き込む千代田の不安そうな表情が目に入ってくる。

 千代田の後ろには、今にも泣き出しそうなDSRVの姿も見える。

「あれ?私・・・」

「良かったです。急に倒れてびっくりしましたよ?渦潮さん、手伝って下さい。すぐに寝室に連れて行きましょう。」

 渦潮の手助けで立ち上がった赤龍は、自分がどのくらい意識を失っていたか訊ねると、渦潮から数秒位だと答えが返ってくる。

 その間にも、赤龍は異常なまでの強い眠気に再び襲われ、呉出港から横須賀入港までの自分の行動を、意識が途切れ途切れになるのを感じながら分析していく。

(おかしい・・・絶対おかしい・・・横須賀入港直後まで、眠くなんてならなかった・・・渦潮将補に挨拶する位から・・・・・・眠くなってきてる・・・今まで・・・こんな・・・・・・眠くなるなんて・・・なかっ・・・たのに・・・)

 寝室に到着すると、赤龍は既に渦潮の手助けを借りないと自力でベッドに入る事もままならない状態で、千代田も渦潮に手を貸していた。

「赤龍、声が聞こえるか?」

「はい・・・将補・・・」

「眠いのなら無理せず寝ておけ。」

「はい・・・了解しました・・・」

「起きても違和感や異常な雰囲気が残ってたら、些細な事でもすぐに私か千代田海将に全て報告しろ。いいな?」

「了か・・・」

 赤龍は返事を言い切らないうちに、静かに寝息をたて始めた。

「千代田海将、しばらく彼女を頼んでもよろしいですか?私は親潮司令に、赤龍の異常を報告してきます。」

「わかりました。赤龍さんの様子に変化があったら、すぐに連絡を渦潮さんに入れますね。」

 渦潮は千代田に敬礼すると、自分の所へ戻っていった。

 部屋に残った千代田は、DSRVの世話を港務隊に連絡を入れてお願いし、迎えにきた曳船のYT68にDSRVを預け、自分は寝室に残り赤龍の様子を見守る事にした。


○潜水艦救難母艦 AS-405 ちよだ 士官寝室


「あ・・・れ?ここ・・・どこ?・・・今・・・何時?」

 士官寝室で目を覚ました赤龍は、暗くなった部屋を目だけで見渡すと、上掛け布団を捲って上半身を起こす。

 目を擦りながら欠伸をすると、もう一度周りの様子を確認するため周りを伺う。

(あ、そっか。渦潮将補に千代田海将の所へ連れてきてもらったんだっけ・・・誰もいないみたいだけど・・・)

 付き添っていた筈の千代田の姿は見えず、付近に人の動く気配も感じず、どうやら夜中であるという事だけは、赤龍にも認識が出来た。

(よく眠れたみたい。こんな事なら、千代田海将に最初から頼っておけば良かったなぁ。)

 そう思いながらベッドから出ると大きく1回伸びをして、千代田に起きた事を報告の為、部屋を出ようとする。

 すると、扉からノックが聞こえ、赤龍は千代田だと思い返事をする。

 しかし、赤龍が返事をしてもノックした相手は、言葉を発する事もなく沈黙している。

 不気味に思った赤龍は、足音をたてずに扉へと移動するとノブに手をかけてゆっくりと扉を開ける。

 少しだけ見えた制服は3種夏服のスラックスで、不動の姿勢をとっているのが分かる。

 それを見て何故か安心した赤龍は、相手を確認するため扉をもう少し開く。

「す、駿河!?な!なんで、あんたがここに!?」

 赤龍は大きく扉を開けると、通路に出て駿河に詰め寄る。

「ちょっと!今までなんでずっと私達を無視してたの!?それどころかお姉さんの出雲1佐に加賀2佐、妹の土佐の事まで無視してたでしょ!!みんながどれだけあんたの事を心配してたか分かってんの!!?ちょっと!?聞いてんの!!?」

 勢い余って胸ぐらを掴んでしまい、そこまでするつもりの無かった赤龍は、慌てて手を離す。

 しかし、駿河は微動する事すらせず、無言を貫いている。

「駿河?ねぇ、駿河ってば!私の声が聞こえないの!?」

 不安になった赤龍が肩を揺すってしまうが、表情も動作も全く変化が無い。

 赤龍が少しずつ膨らんでいく不安感と、沸き上がってくる恐怖感を抑え込みながら、駿河となんとか会話しようと試みる。

 だが、何を話しかけても何の反応もなく、赤龍は仕方なく千代田と渦潮、吉倉桟橋にいる霧島、それからAISで確認した沖に停泊中の土佐へ無線で連絡を試みる。

『千代田海将、聞こえますか?こちらSS-508の赤龍です。』

 所が何度呼び掛けても千代田を始めとして誰からも応答がなく、すぐに同じ周波数で聞こえてる者は返答するよう呼び掛けるがそれにも返答が無い。

 赤龍はこの時点で、目の前にいる駿河による電波妨害も疑ったが、実際にはそれらしい兆候は感じられなかった。

(何が起きてるのよ!?海将達と連絡とれないなんて!?電波妨害もないみたいだし、周波数間違ってた!?ううん、いつもの周波数だから、3人以外にも聞こえてたら誰か返事をしてくれる筈なのに・・・何なのよー!!)

 自身に起きている不可解な現象の連続に、赤龍からは冷静な判断力が失われつつある。

 そこへ駿河が両手の平を上に向け、お腹の辺りで前に差し出すと、赤龍に視線を向ける。

「な、何?」

 赤龍は動揺しながらも冷静になろうと、謎の行動を始めた駿河にひきつった笑顔を向けて質問する。

「対潜戦闘用意。航空機フタ機、即時待機」

 駿河の口から何も感情が読み取れない声で、この場には似つかわしくない言葉が出てくる。

「は、はあぁ!!?ひ、久しぶりに喋ったと思ったら何言ってんのよ!!?対潜って何処に敵の潜水艦が・・・ま、まさか!」

 駿河の目標に気付いた赤龍が後退りを始めると、駿河の両手が微かに赤く光り、まるでエレベータから登ってくるかのように、対潜哨戒ヘリコプターであるSH-60Kがゆっくりと、羽を展開した状態で出現してくる。

「ロ、ロクマル!?そ、そんな、お、玩具おもちゃなんか、だ、出してきて私を沈めようっての!?う、受けてたってやろうじゃないの!!どっからでもかかってきなさいよ!!」

 赤龍はそうに言ってはいるが、玩具に見えるSH-60Kから漂ってくる、例えて言うならば殺意のようなものをまともに受けてしまい、足はすくみ全身に震えが走り汗も止まらなくなっている。

 SH-60Kが完全に出現すると、微かに光っていた赤い光も静かに消えていき、周囲も元のように暗くなる。

「了解。即時待機完了。航空機フタ機、準備出来次第発艦。」

 駿河が赤龍から目を離さぬまま言い放つと、その声に応えたかのように、それぞれのSH-60Kからエンジンの起動音が聞こえた後、回転数を上げていく。

 数秒すると赤龍は、排気ガスの匂いを感じ、このSH-60Kは電池式ではなく、航空燃料でエンジンが動いていることを理解してしまう。

(ち、違う!この重たい音は玩具なんかじゃない!!間違いなくロクマルのエンジン音!!排気ガスの匂いもするなんて!!?こんなに小さいのにそんな筈無い!!そんなバカな事がある訳がないじゃない!!!嘘でしょ!?嘘よね!!)

 赤龍は以前に横須賀で停泊していた時、偶然にも“いずも”から5機が順次発艦していく光景を目撃した事があった。

 その光景を五月蝿いと感じながら見ていたのだが、その時に聞いた音が目の前の玩具のように小さなSH-60Kからも聞こえてくる。

 メインローターを回転させ始めたSH-60Kの2機に冗談の欠片も感じられなかった赤龍は、さらに自身にとって信じられない物を目撃する。

(げっ!!あのロクマル、ヘルファイヤ積んでる!!?あんなのこっちに向けるなんて、駿河はバカなの!!?)

 赤龍が驚くのも当然で、SH-60Kが武装しているAGM-114ヘルファイヤは空対地用として開発されたミサイルだが、空対艦ミサイルも存在し海上自衛隊はこちらを採用して配備している。

 赤龍はその時点で命の危険を感じ、すぐさま駿河に背を向けてその場を全速力で離脱すると、目の前のラッタルを駆け降りて行き、ラッタルの向きと反対になる右側へそのまま全速力で駆けていく。

 真っ暗な中を進んでいくと、扉が少しだけ開いている部屋を見つけ、即座にそこへ飛び込んで扉に寄りかかり、その場に崩れ落ちる。

(た、助かった・・・。あのロクマル、本物な訳ないのに・・・そんな筈・・・そんな筈無いじゃない!!誰か・・・嘘だって言ってよ!!)

 赤龍が誰にともなく心の中で言っていると、微かにSH-60Kの飛行音が聞こえてくる。

 赤龍は咄嗟に口を両手で抑えると、呼吸音すら聞かれないようにと、外の音を伺いながら静かにエンジン音が聞こえなくなるのを待っている。

 更には、聞こえる訳でも無いのだが、心の中で考えるのも止めて、赤龍はひたすら通り過ぎるのを待っている。

 彼女の願いが何処かに届いたのか、少しするとSH-60Kの音も気配も消えた。

 そこで落ち着いた赤龍は、ある事に気付く。

(そう言えば、なんで真っ暗なんだろう?赤灯も点いてないのはなんで?それに、これだけ騒ぎになってるのに千代田海将どころか、自衛官さん達の1人も姿を見せないなんて・・・私が寝てる間に何があったの?)

 赤龍の疑問は最もで、あれだけ騒音の激しいSH-60Kが飛び回ったり、赤龍も急いでいたことから、潜水艦である彼女にしては派手な音をたてて走り回ったにも関わらず、人の気配すら感じない事に違和感を覚える。

(現状確認しなきゃ・・・。駿河の手からロクマルが出てくるのは明らかに偽物。これは嘘に決まってる。でも、ロクマルのローターが回転した時の風とか、排気ガスの匂いは本物・・・。じゃあ、あの駿河は偽物?それとも本物?・・・これは今は分からないよね・・・。それと、千代田海将や“ちよだ”の乗員さん達は、何処に消えたの?・・・消えた?それとも・・・?)

 赤龍の背中に一筋の冷たい汗が流れ落ち、彼女はそれ以上の思考を止めてしまう。

 何故なら、確認も出来ていない現在の状況では、どの現象も赤龍には合理的な説明が出来ないからだ。

(駿河の気配も消えたみたいだし、艦内を調べてみないと・・・それより、ここから脱出して渦潮将補に報告が先・・・あ!・・・私、何やってるんだろ?自分の所に戻るだけでいいんじゃないの?将補に連絡したら皆で調査すれば良いんだし。・・・こんなに怯えて、バカみたい・・・)

 赤龍は立ち上がると“せきりゅう自分”の位置を把握して、いざ戻ろうとドアを背にして歩き出すのだが、そのまま壁までたどり着いてしまう。

(も・・・戻れ・・・ない?戻れない!?なんで!?どうなってるのよ!!)

 今度は扉に向かっていくが、今度も消える事はなく扉にたどり着いてしまう。

(駿河に見つからないように、自力で“ちよだここ”から脱出するしかないわね・・・)

 静かに扉を開けて左右を確認すると、暗い艦内通路を右に歩き出す。

 先程降りてきたラッタルの手摺を掴むと、上を見上げて気配を伺いながら、1段ずつ音をたてないように登っていく。

しばらく物音をたてずに慎重に歩いていると、外に出る扉を見つける。

(このまま外に出るのはいいけど、その後どうやって戻れば・・・ここから歩いて逸見桟橋までは確か行けるけど、その後どうしよう・・・)

 “せきりゅう”が停泊している潜水艦の桟橋は、ヴェルニー公園から見て対岸になり、横須賀地方総監部側からは徒歩では行くことが出来ない。

 作業艇でもあれば直接行けるが、現在の赤龍にそのような手段は無い。

 どうしようかと考えあぐねていると突然背中をつつかれ、声を出すことだけは堪えたものの、飛び上がって驚いてしまう。

 駿河につつかれたと思いすぐに振り返ると、そこにはDSRVが静かに立っていた。

「ちょっと、びっくりさせないでよ!?寿命が縮まったかと思ったじゃない!」

 なるべく小さな声で話しかけるが、DSRVからは返事がない。

赤龍が疑問に思い膝を着けると、DSRVはハンドサインで赤龍に数字を示す。

 赤龍はDSRVにもう一度数字を促すとそれが周波数だと気付き、急いで指定された数字に合わせてコンタクトする。

『周波数、合ってる?』

『うん、合ってる。』

 今まで誰とも連絡がとれない中で、漸く無線で会話出来る相手が見つかり赤龍は安堵する。

『良かった!貴女は無事なの?駿河に酷いことされなかった?』

『無事?何の事?』

『えっ?だって、何か異変があったから、声を出さないように無線で話してるんでしょ?』

『違うの。声を出すの・・・恥ずかしいから・・・いつも、千代田さんとも無線で話してるの・・・』

『あ~、そ、そうだったんだ。とりあえずここに留まってたら危ないから、私と一緒に“せきりゅう私の所”に行こう?えっと、名前呼びにくいからDディーちゃんって呼んで良いかな?』

 赤龍の提案に、少し考える素振りを見せて小さく頷く。

 赤龍はDSRVの右手をつなぐと扉を開けて、外の通路に一緒に出る。

『赤龍さん、こっち右舷なの。そこのセンターウェルを通れば、左舷のラッタルからすぐに桟橋に降りられるよ?』

 DSRVは“ちよだ”の中央にくり貫かれたような空間を指差す。

『センターウェル?ここの事ね?教えてくれてありがとう、Dちゃん!』

 赤龍は背中を壁に着けてセンターウェルから反対側の左舷の様子を伺う。

(駿河の気配は無いみたいだけど、絶好の待ち伏せ場所ね。隠れられそうにないし、上の通路からなら丸見え。誘い込まれたかな?)

 赤龍は自嘲気味に笑顔を浮かべると、表情を引き締めて考えをまとめる。

(私1人なら多分・・・行ける・・・かもしれないけど、Dちゃんを連れてとなると・・・。この子、全力で何knotノット出せるのかな?よく知らないんだよね、この子の事・・・)

 不安に思いながらも行くしかないと思い、少しだけDSRVと繋いだ手に力を込める。

『Dちゃん、よく聞いて。これから左舷に走っていくから、絶対に私の手を離さないで。いい?』

『分かりました。でも、駿河さんと会ってしまったら・・・』

『その時は私が何とかする。だから、Dちゃんはそのまま走って桟橋に降りて助けを呼んで。』

『でも、赤龍さんはどうするんですか?危ないですよ?』

『大丈夫だって!私は自衛艦なのよ?任せておきなさい!』

赤龍は右の拳を胸に当てると、DSRVに不安を与えないように笑顔を見せる。

 そして意を決した赤龍がDSRVと共にセンターウェルの通路に姿を見せた途端、正面の左舷にどうやって隠れていたのか不明だが、SH-60Kも待ちわびたように姿を表す。

(相変わらず五月蝿いエンジン音ね!センターウェルに良い具合に響いちゃって、余計に五月蝿いったらありゃしないわ!ソーナーが壊れたら駿河に責任とってもらわないと!)

 赤龍は正面でホバリングしながら、じわじわといたぶるように近付いて来るSH-60Kを見据え、未だに姿を隠している駿河にも文句を言っている。

(全く!1機だけでもこんなに騒が・・・?えっ?もう1機は・・・どこ?)

 胸にざわつく物を感じ、素早く左右や後ろ、上やセンターウェルで吊り下げられているDSRVの下の空間を確認する。

(もう1機は何処!?何処なの!?見つけないと不味い!!)

 このままもう1機のSH-60Kが発見されなければ、自分も、一緒にいるDSRVも最悪の結末を迎えてしまうと思い、赤龍はDSRVに通路へ出てこないように言い含めて、更に接近してくるSH-60Kと対峙する。

 ただ、全方位に注意はしており、もう1機のSH-60Kの捜索に全力をあげる。

「駿河!!いい加減にしなさい!こんなに可愛いDSRVまで巻き込んで、私を一体どうしたい訳!?答えなさいよ!!」

 だが、駿河からの返答は無く、SH-60Kもじわじわと近付いて来るのを止めてはいない。

『赤龍さん!危ない!!』

 無線からDSRVの声が響くのと同時に、赤龍は右にいたDSRVに抱き着かれて押し倒される。

 その直後もう1機のSH-60Kの反応を確認すると同時に、赤龍の立っていた位置に、黄色い細長い棒のようなものが落下してくる。

「あいたたた・・・、Dちゃん!大丈夫!!?あ・・・あれって魚雷の模擬弾!!・・・くっ!よくもおちょくってくれたわね!駿河!!出てきなさいよ!!」

 赤龍は叫びながら見上げると、真上の高い位置でホバリングしていたもう1機のSH-60Kはその場で留まっていて、赤龍とDSRVを監視するようであった。

「データリンク使って、ロクマルの目で私のこと見てるんでしょ!?出てきなさいよ!卑怯者!!」

 駿河は姿を見せる気配は無く、2機のSH-60Kに追い詰められた赤龍とDSRVは立ち上がったものの、抱き合って動けなくなっている。

(全く!なんでこんな目に遭わなきゃいけないのよ!!センターウェルは目の前のロクマルに塞がれてるし、左右は直上のロクマルに監視されてるし逃げ道無いじゃない!)

 DSRVを守るように抱きしめ逃げ道を探すも、どこも塞がれてしまっている。

(万事休すってこう言う事!?2度と経験したくないんだけど!!後ろも逃げ道な・・・後ろ?・・・後ろ!後ろよ後ろ!こうなったら一か八か!ヘルファイヤと魚雷の模擬弾だけしか積んでない事を祈るしかない!!)

 DSRVに無線で概要を説明すると、真上のSH-60Kに向かって大声で叫ぶ。

「駿河ぁ!!潜水艦と深海救難艇に喧嘩売った事!絶対に後悔させてやる!この、ドでかい空き缶!!」

 直後、センターウェル左舷に無表情の3種夏服姿の駿河が現れると、右の人差し指を真っ直ぐ赤龍に向けSH-60Kに指令を下す。

「目標、赤龍1佐。対水上戦、攻撃始め。」

 指令を受け取ったセンターウェルのSH-60Kがヘルファイヤの1発目を発射するのと、赤龍とDSRVが後方に向かって駆け出し、スタンションに手をかけるのがほぼ同時であった。

 赤龍はスタンションを越えるとDSRVを抱き上げ、駿河に向かってこう叫んだ。

「水上にいるだけが潜水艦じゃないの!急速潜航!!」

 1発目のヘルファイヤが赤龍の頭の右上部を掠めたとき、赤龍とDSRVは海面に向かってダイブしていた。

 落ちる直前、赤龍は目撃していた。

 2発目のヘルファイヤが自分に向かって放たれる美しい光景と、その光に浮かび上がり、血塗れの常装冬服姿に変わっていて悔しさに顔を歪ませた駿河の表情を。 

(Bloody Commnder!!駿河がそうだって言うの!?)

 その次の瞬間、赤龍達の足元には海面が迫っていた。

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