第27話 溶けていく境界


○潜水艦救難母艦 AS-405ちよだ 士官寝室


 深夜と早朝の狭間のような時刻、赤灯が灯された士官寝室でそれぞれ作業衣姿の潜水艦SS-592“うずしお”の渦潮、潜水艦救難母艦“ちよだ”の千代田が、同じく作業衣姿で項垂れながらベッドに座っている潜水艦SS-508“せきりゅう”の艦魂である赤龍の方を向いて椅子に座っている。

「なるほど・・・。それで叫びながらベッドから落ちた訳ですね?」

「こんな時間に、海将達と・・・“ちよだ”の乗員の皆さんにご迷惑お掛けしてしまい、申し訳ありませんでした・・・。」

 千代田の目撃によると、日付が変わった頃に赤龍は突然うなされ始め、それが長い時間に及んだ為に渦潮を呼んでいた。

 その渦潮が到着直後、突然体を大きく転がし始め、数回左右に転がると、赤龍はそのままベッドから叫びながら落下してしまった。

 落ちた体勢が悪かったのか腰を強打したようで、今度は痛みでのたうちまわってしまい、その一連の声や音が近くの士官達に聞こえてしまったため、赤龍達のいた部屋は駆けつけた士官や当直の海曹等で一時騒然としていた。

 赤龍から事情聴取を終えた千代田は、艦橋にいる艦長と当直士官達に報告の為、席を外す。

 それを立ち上がって見送った渦潮と赤龍は、それぞれ座り直す。

 赤龍は座る直前、急に顔をしかめて腰に手をあてて擦りながら、恐る恐るゆっくり腰を下ろしていく。

「まだ腰が強く痛むなら、衛生員に湿布でももらってくるか?」

「いえ、もう痛みも和らいでいますから、必要なさそうです。渦潮将補、お心遣いありがとうございます。」

 赤龍は口でこそこのように言ってるが、実際にはまだ強く残っている。

 だが、潜水艦である自らが派手な音を出してしまい、僚艦である“ちよだ”乗員にまで迷惑をかけてしまったという失態に負い目を感じてしまい、赤龍は素直に痛いとは言えなくなっていた。

「無理だけはするなよ?我々は滅多な事じゃ骨折とかはしないとはいっても、打撲とかの痛みはちゃんとあるんだから。」

 渦潮はそう言うと腕を組む。

 赤龍は少し顔をあげたが、偶然渦潮と視線が合ってしまい、慌てて視線を伏せる。

「赤龍、失敗は誰にでもあるんだからあまり気にするな。潜航中や作戦行動中で無かったのは、不幸中の幸いじゃないか。」

 赤龍がそれに小さく返事をすると、渦潮は書き留めていた先程までの話のメモを読み返す為に手帳を開く。

「それにしても不思議な悪夢だね。駿河が登場して、玩具のように小さいSHが、彼女の手から出て来て襲われるとは。それに、最初は対潜戦闘と言っていたのに、実際は対水上戦闘を仕掛けられ・・・。しかも、今日は横須賀にいないはずの護衛艦“とさ”に呼び掛ける、か・・・。」

「はい。ですが、AISの反応はいつもと同じで特に違和感がありませんでしたので、DDHで姉の駿河2佐の事を、妹の土佐に連絡するのは自然な流れだと思い、疑いもしませんでした。」

「違和感が無かったと言う事は、土佐3佐のAIS情報が夢の中で現実のように感じたという事だね?」

「その通りです。それから、普通ならウェルドックで響いていたロクマルの騒音で聞こえないはずの『攻撃始め』という駿河2佐の声が、無線ではなく、はっきりと私の耳に聞こえたんです。どうしてはっきり聞こえたのか、これもよく分かりません。」

 渦潮は駿河の行動を再現するように、右手のひらを上にして赤龍に向ける。

「訳が分かりませんでした・・・。全てが現実のようで、駿河2佐の両手がそれぞれ赤く光ったと思ったら、ゆっくりとロクマルが左右の手のひらから1機ずつ出て来て、私やDSRVさんを襲ってきたんですから・・・。」

 渦潮は右手をそのまま左右の目の間に持っていき、軽くマッサージするようにつまむと腕を組んで軽く俯く。

「しかも空対艦のヘルファイヤを飛ばしてくるとは、CIWSシウスSeaRAMシーラムを装備していない我々にとっての、想像したくもない悪夢だよ。その流れでいけば、次は魚雷攻撃もありえただろうね。」

「渦潮将補の仰る通りだと思います。私は・・・模擬魚雷を頭上に落とされたにも関わらず、何故、当該ロクマルが短魚雷を積んでいない事を願いながら落水を選んでしまったのか・・・。実際の状況であれば、魚雷攻撃の危険に自ら向かって行ったも同然です。合理的な判断ではありませんでした・・・」

 赤龍がそう言って悔しそうに下唇を強く噛むのを見て、渦潮は声をかける。

「赤龍、それでも夢の中だったのだから、私は良かったじゃないかと思う。小さなSHに追い掛けられる事も、そこから行われる対艦攻撃も、現実なら起こらないんだからね。」

「そう・・・ですね、将補。」

 赤龍は渦潮に答えるが、渦潮は赤龍自身が納得がいっていないように思えてしまう。

 寝室に気まずい空気が漂い、2人の会話が止まって少しすると、慌てた千代田が虚空から出現して戻ってくるなり、ベッドに座っている赤龍の横に座り、胸ポケットからスマホを取り出す。

「赤龍さん、この動画見てもらえる!?渦潮さんも一緒に!」

 千代田は渦潮が座るのも待たずにスマホを操作すると、動画再生用のアプリを立ち上げる。

「これを見てもらえる?」

 再生を始めると、重厚なオーケストラのような演奏と共に、SH-60のJ型が館山航空基地を飛び立っていくシーンであった。

「千代田海将、これは一体?」

 渦潮が画面を覗きながら言うと、千代田はアプリのシークバーを操作して1分20秒ほどまで間を飛ばし一時停止する。

「ここから日向ひゅうがさんの所の飛行甲板のシーンになるんだけど、赤龍さん、ここからよく見てほしいの。」

 千代田に言われ、赤龍は了解した事を伝えると、画面を注視する。

 千代田はそれを確認して動画を再生すると、丁度最初の曲が終わりSH-60Jもヘリコプター搭載護衛艦DDH-181“ひゅうが”へ着艦した所であった。

 そして場面が夜間の太平洋上らしき場所の星空が映され、次に灯火管制のため赤灯で薄暗い“ひゅうが”の格納庫に転換して、別の曲が静かに流れ始める。

 SH-60Jがブレードを折り畳んだ状態で艦首側である第1エレベーターに乗せられ、ブザーが鳴り響く中を上昇していく。

 ここで動画が、夜間の飛行甲板上から第1エレベーターを覗きこむような場面に変わった時、赤龍が小さく息を飲むのが千代田には分かった。

 そこへ“ちよだ”艦長がノックして1歩入って来るが、扉を開けたまま彼女達には近付かず、その様子を黙って見ている。

 千代田もそれを確認したが、小さくうなづくだけで先を続ける。

「どう?」

 千代田は動画を注視する赤龍を見ながら小さな声で問うと、赤龍は両手で口を抑えながら、自分が見た小さなSH-60Kが出現してくる光景にそっくりだと、体を震わせながら答える。

 また場面が変わり、今度はカメラが飛行甲板に置かれているように低い位置から撮影され、そこから格納庫内の赤灯に照らされたSH-60Jが飛行甲板へゆっくりと上がってくるシーンになると、赤龍は体の震えが大きくなり始めたため千代田はそこで動画を一時停止させる。

「そこまでそっくりだったのね?」

 千代田はスマホを渦潮に渡すと、赤龍を抱き寄せて頭を優しく撫でて落ち着かせようとする。

「わ・・・私、DDHのあんな光景、始めて見ました・・・。でも・・・そっくりでした。玩具みたいなSH-60Kロクマルが、駿河2佐の両手からそれぞれ出てくる所と・・・。」

 受け取った渦潮は“ちよだ”艦長へスマホを渡しながら、小声で赤龍を見ながら話しかける。

「どうして赤龍に、あの動画を見せようと思ったのですか?」

 艦長も赤龍を見ながら、小声で返答する。

「千代田海将から聞いたSHの出現の雰囲気が、“ひゅうが”や“いずも”に似ていたから赤龍に確認したかったんですが・・・、どうやら彼女には悪い事をしてしまったようです。」

 落ち込んではいたもののなんとかいつもの調子を取り戻そうとしていた赤龍ではあったが、夢で見たのと似たような光景の動画を見てしまった事が原因でフラッシュバックを起こしてしてしまったようで、本人の気付かない所で心的外傷を負ってしまっていた様である。

 そんな赤龍を落ち着かせるようにしていた千代田は、急に視線を左へ向けると左耳を手で抑え、怪訝そうな表情を作る。

「68さん、どうしたんですか?そんなに慌てて?・・・ええ・・・ええ・・・」

 艦長は渦潮に何事かと聞くと、YT68から連絡が来たようだと小声で答える。

「・・・ついさっき、ベッドから?・・・でも、どうして遠州さんの所に行ったんですか?・・・そうですか。68さん、今から指定する周波数を彼女と遠州さんにも教えて、68さんも同じく合わせてください。」

 千代田は無線の向こうで聞いている68だけでなく、渦潮達にも聞こえるように声に出して周波数を指定する。

「68さんから気になる報告を受けました。至急先程の周波数に渦潮さんと赤龍さんも合わせて聞いていてください。艦長、後でまとめて報告に行きます。時間がかかりそうなので、お仕事が溜まっているようなら後で私から概要を説明します。」

 艦長は話の内容が気になったのか少し悩む素振りを見せたが、後で教えて貰えるならばと、赤龍に動画の件を謝罪して部屋から出ると、開けたままだった扉を閉めた。

 千代田はそれを座ったまま見送ると、渦潮に座るように言って指定した全員が周波数を合わせたか点呼して確認する。

 赤龍が返事をした後に最後のDSRVが返事をすると、赤龍は顔を険しくする。

(夢の中のDディーちゃんと同じ声・・・。初めて聞いた気がするけど、眠かった時に聞いてたから覚えてた?)

 そんな事を思っていると会話は68の報告からとなっていて、赤龍はすぐに聞き取りに専念する。

『・・・それで遠州さんの所に行ったのですが、22フタフタ00マルマル頃に眠くなったと言った後、椅子に座ったまま急に寝てしまったんです。私は遠州さんにお願いして空いてる寝室に連れていって寝かせたのですが、01マルヒト45ヨンゴー位にうなされ始めました。そこで遠州さんと一緒に千代田海将に報告しようとしたのですが無線連絡出来ず、それどころか時間が分からなかったのでどの位か分かりませんでしたが、体感では長い時間3人共寝室に閉じ込められて、係留しているYT68自分の位置は把握出来たのに空間移動も出来なかったんです。その少し後でDSRVさんがベッドから落ちて泣き始めたのですが、気がつくと無線が回復していたので直ぐに千代田海将へ報告をしたんです。』

 上ずった声で一気に説明すると、68は遠州に話をふる。

 話し始めた遠州の声の雰囲気に含まれる緊張した雰囲気が伝わってくると、メモを取りながら聞いていた千代田や険しい表情を崩していない渦潮達も、緊張感が否応なく更に高まってしまう。

『・・・です。次に68さんの内容に補足です。部屋に閉じ込められていた間、私は部屋から直接だけでなく空間移動も出来ず、同時に当該寝室以外の艦内の様子を、完全に失探しったんしていました。現在は全て回復し、体調等の問題も現時刻迄ありません。』

 メモをとっていた千代田はペンを置くと、右耳に手を当てる。

『遠州さん、千代田です。確認ですが、問題が発生していた時、自身達がいた寝室以外の様子は、全く分からなかったのですね?』

『千代田海将、その通りです。乗員の方々全員の居場所だけでなく、室外の気配全てが分からなくなり、無線も通じず、センサー系の情報もその間は一切入手出来なくなりました。乗員の皆さんにはまだ話を聞いていませんが、この異常事態には誰も気付いていなかったようです。回復して直ぐ確認しましたが、皆さん全員が通常の配置でした。』

 赤龍も傾聴しているのだが、渦潮とは違い話の内容に驚いていた。

(2人の状況が私と似てるってどういう事!?おかしいわよ!!私は夢の中だったのに、あっちは現実なのよ!?どう理解しろって言うのよ!!?それとも、私は現実に経験したって事!?Dちゃんと一緒に駿河やロクマルに追っかけられたり海に落ちた事も!!?それとも、私はまだ夢の中にいるの!?どっちなの!!?)

 赤龍はあまりにも自分と似た状況の報告に思考が追い付かず、誰もいなければ頭を思いっきり抱え込みたい衝動にかられていた。

『遠州さん、報告ありがとうございます。それから、DSRVさんは、何か自身に異変等はありましたか?』

 千代田はDSRVにも話を聞こうとして呼び掛けると、やや間を置いてDSRVは喋り始める。

『異変と言うか・・・。自分でもよく分からないんですけど、急に物凄く眠くなったんですけど、気が付いたら起きてて、周りには誰もいなかったんです。それで自分の所に戻ろうと思って、遠州さんに挨拶しようと艦内を歩き回ったんですけど、遠州さんも68さんも、それに乗員さんも誰もいなかったので、仕方なくそのまま“ちよだ”さんの所に戻ったんです。』

『DSRVさんは、そういう夢を見ていたって事ですね?』

『多分・・・。でも、私は夢だって感じがなくて、桟橋に降りた時に風が少し涼しい感じだったから、もうすぐ秋が来るんだなぁって思ってました。それで、戻った事を千代田さんに言おうと思って探したんですけど誰もいなかったんです。それに、灯りも全部消えてて少し不思議に思いました・・・。』

 赤龍はDSRVの証言を聞き、驚きを隠せなかった。

(艦内の照明が全部消えてた!?どういう事!?でも、これだけなら偶然よね!?そ、そうよ!たまたまDちゃんも似たような夢を見ただけよ!!)

 千代田は赤龍の表情がひきつっているように見えたが、DSRVの証言が続いているため、落ち着いた所で話を聞こうと考える。

『・・・艦橋にも誰もいなくて、仕方ないから下に降りてみたら赤龍さんを見つけたんです。でも、声を出すのが恥ずかしかったから、背中をつついて気付いてもらおうとしたら、凄くびっくりさせちゃって・・・』


(背中を?・・・つついて?・・・えっ?)


『それで慌てて、一昨日に“ちよだ”の乗員さんから教わったハンドサインを使って、赤龍さんに周波数を教えたんです。』


(ハンド・・・サイン?・・・ハンドサインで周波数?・・・何・・・これ・・・)


『それで、無線で話したら、駿河さんって方に酷いことされなかった?って聞かれたんです。』


(何よ・・・これ・・・)


『私はされてなかったんですけど、赤龍さんからここは危ないから赤龍さんの所に行こうって言われて。それで私の名前呼びにくかったらしくって、Dちゃって呼んでいい?って聞かれました。それから・・・』


「『何よこれ!私の見た夢とほとんど同じじゃない!!』」


 叫びながら立ち上がった赤龍は、千代田と渦潮は驚いて向けた視線に気付き、先の説明で省いた部分をDSRVが説明した部分に関して思い出せる限り詳細な説明をする。

 千代田と渦潮、それに無線の向こうで聞いている遠州達もDSRVの見た夢に酷似しているために、どう言葉を発して良いのか考えあぐねているようであった。

『赤龍よ。もうDちゃんって呼ばせてもらうけど、センターウェルでの出来事は覚えてる?ロクマルがそこに出て来てから、その後何が起きた?出来るだけ正確に教えて。』

 沈黙を破った赤龍はDSRVに質問すると、どのような答えが返ってくるか耳を澄ませる。

『分かりました、赤龍さん。多分長くなると思いますけど、聞いてください。』

『思い出させるようで申し訳無いけど・・・』

『私は大丈夫です、赤龍さん。・・・それでは、続けます。私達はセンターウェルを通って左舷に行こうとしました。そこへ白い小さなヘリが、私達の前を塞いでゆっくり近付いて来たんです。夢の中の赤龍さんは、突然辺りを見回し始めて、凄く焦っているように見えたんです。それから、赤龍さんは私を巻き込んで駿河さんはどうしたいのかって聞いてました。それでどうしたんだろうって思ったら、一瞬少しだけ上が明るくなった気がしたんです。月明かりか何かの反射した光かなって上を見たら、目の前にいるヘリと同じような別のヘリがマストの影から表れたので、私は危ないって思って咄嗟に赤龍さんに抱きついたんです。その直ぐ後に、私達の足元で金属が落ちるような大きな音がしたので見たら、短魚雷の模型でした。あれでも頭に当たったら大変な事になると思ってたら、物凄く怒った赤龍さんが駿河さんに出てくるように叫んでいました。私は・・・もう逃げられないって思ってたんです。けど、赤龍さんが無線で急速潜航を提案してきたんです。夜の海だし、乗員さんの支援無しで潜るなんてとても怖かったですけど、赤龍さんが言ってくれた「私は自衛艦なのよ?任せておきなさい!」っていう言葉を思い出して、赤龍さんに着いて行く事を決めたんです。それを伝えたら、赤龍さんは上にいた、模型の魚雷を落としたヘリに「ドでかい空き缶!」って言ったんです。そしたら夏服の駿河さんらしい人が現れて、水上戦の攻撃を指示しました。私達は急いで柵を越えたんですけど、赤龍さんが振り向いた気配があったので私も釣られて見てみたら、常装冬服で血塗れの人が夏服を着た人がいたのと同じ場所に立ってたんです。顔も血塗れだったと思うんですけど、その直後にはもう、目の前が“ちよだ”さんのグレーの艦体しか目に入らなくて、「海に落ちる!」って思って、凄く怖かったから目をぎゅって、強くつぶったんです。・・・そしたら・・・ベッドから落ちてたんです・・・。』

 駿河らしき人物の顔まで血塗れだったという証言以外のほぼ全てが、自身が見た夢と合致していることに赤龍は驚く以外の事が出来なかった。

『赤龍さん、今の内容はどうでした?』

 千代田に聞かれ、概ねその通りで齟齬も血塗れの顔以外は無いと赤龍は返答した。

(ここまで一致してて『偶然でした』なんて絶対にあり得ない!認めないわよ!!でも、私とDちゃんがベッドから落ちた時間を考えたら、同時に見ていた訳でも無さそうだし・・・。それに、Dちゃんに抱き着かれて押し倒された時、凄く痛かった・・・。でも、目が覚めたら、そこと違って腰が痛かった・・・。もうやだ!頭がおかしくなりそう!!私はちゃんと現実にいるの!?それとも夢の続きなの!?どっちよ!!)

 赤龍は自身が夢を見ているのか、それとも既に起きて現実を見ているのか、混乱する頭で判断しようと苦闘を始めた。


○帝急本線 KK-59 横須賀中央駅 付近の居酒屋


 夕方に隣の汐入駅で下車していた大塚と鮎沢は、既に終電も行ってしまい閑散としている駅の近くで、たまたま見つけた二十四時間営業の居酒屋に入り、テーブル席で食事をとっていた。

「三崎のマグロ、美味しいですね。」

 本日のおすすめとして、手書きのメニュー表に大きく書かれた【三崎マグロと地魚の刺身盛り合わせセット】に舌鼓を打つ鮎沢に、大塚は空返事を返すと店員を呼んで日本酒を、鮎沢は生ビールをそれぞれ注文する。

「もしかして、“するが”調査前に横浜で会った男・・・福田が艦艇で起こした騒動の事、気にしているんですか?」

 鮎沢はそう言うと箸を伸ばして、鯛のような白身魚の切り身を取る。

「ああ。電話連絡してくるとは思ってなかったが、お陰で調査はしやすかった。・・・それにしても、あんなに静かな騒動を複数箇所で同時に起こすなんて、実際は彼の仕業では無いだろう。福田が、自衛隊の艦魂達を閉じ込めたりする事なんて出来るようには見えなかった。それに福田は、有給休暇がどうのと言っていた。恐らく、鮎沢に連絡を入れただけで、別の部隊でも動いていたのかもしれない。ただ・・・もう少しこちらとの連携を考えて動いて欲しいものだな。」

 大塚も三崎マグロの中トロに箸を伸ばすと、醤油につけてわさびを少し載せ、口に運ぶ。

「失礼しまーす!日本酒の冷やと生ビールにハイボールがそれぞれお一つずつと、地ダコのお造り三人前、お待たせしましたー!」

 笑顔の店員の女性はテーブルの空いたスペースにそれぞれ置こうとしたが、大塚は注文した覚えの無いハイボールとお造り三人前は別のテーブルではないかと確認を入れる。

「あれっ?そうですか?そちらのお客さんが、ハイボールお一つとタコのお造り三人前を注文なさいましたよ?ですよね、お客さん?」

 大塚と鮎沢は直ぐに店員の指差した大塚の隣の席を見ると、空席であったはずであるにも関わらず、黒いメガネを掛けた女性が座っていて、大塚と鮎沢は思わず立ち上がってしまう。

「店員君、申し訳無いねぇ!両方ともこっちで間違い無いんだよねぇ!大塚君、ハイボールをこっちに渡してもらえるかねぇ?それから鮎沢君はお造りを受け取ってもらえるかねぇ?」

 そう言うと女性は箸を手に取って盛り合わせのマグロを食べると、店員に追加で盛り合わせセットを三人前注文する。

 唖然とした大塚達をよそに、店員はハイボールとお造りをメガネの女性の前に置くと、端末で盛り合わせセットを入力して去っていった。

「三崎のマグロは始めて食べるけど、とっても美味しいねぇ!いやぁ、実に美味しいねぇ!ほら、大塚君も鮎沢君も、食べるなら座らなきゃいけないんだよねぇ?立ったままなんて、立食パーティーでも無いんだから、お行儀が悪いじゃあないかねぇ?」

 唖然としたまま二人は座るのだが、警戒心を剥き出しにすると、その気持ちを視線に載せてメガネの女性に向ける。

「ほらほら、食事は楽しく食べないといけないねぇ!?それに鮎沢君?早くビールを飲まないと、泡が消えて美味しさが逃げてしまうんだよねぇ?それとも、僕が飲んであげようかねぇ?」

 女性が手をビールのジョッキに伸ばすと、鮎沢は取られないように先に取っ手を掴んで半分位を一気に胃の方へ流し込み、テーブルにジョッキを叩きつける。

「おおっとぉ!?鮎沢君は怖いねぇ!!ほら、お摘まみにタコのお造りもあるんだから、これも食べて落ち着いた方がいいんだよねぇ?」

 皿を持ってお造りをすすめる女性に、鮎沢は酔ってしまったのか目を座らせて、メガネの女性を見定めるように凝視する。

「貴女、誰ですか!?自己紹介もしないで勝手に私達の席に座って注文し、勝手に飲食するなんて失礼だと思わないんですか!?」

 鮎沢の怒りがこもった声を聞いても、女性はやれやれと言うと呆れたような表情を浮かべる。

「申し訳ないけどねぇ?僕はとっくの昔に自己紹介してるんだけどねぇ?伝わらないなんて、とっても悲しいねぇ?」

 大塚と鮎沢は女性がいつ自己紹介したか思い出してみるが、そのような言動は女性からは聞こえておらず、鮎沢は感情的に詰め寄る。

「嘘を言わないで下さい!貴女は自己紹介をしていないじゃありませんか!」

 そこへタイミング悪く、店員の男性が盛り合わせセットを持ってきた。

 メガネの女性は、先に来ていた盛り合わせの皿を下げるように言うと立ち上がり、男性店員から皿を受け取ってテーブルに置いていく。

 男性店員は空になった盛り合わせの皿を受けとると、そそくさといった風にテーブルから離れていった。

 大塚は何か思い出したのか、女性の顔をもう一度しっかり見ると頭を下げる。

「失礼しました。貴女は確か、“するが”の近くに停泊していた“しらせ”の艦魂ですね?調査中に桟橋にいたのを見ました。」

 それを聞いたメガネの女性である白瀬は、先程の大塚達のような唖然とした表情を浮かべるのだが、首を左右にふると肯定した。

 しかし、どこか釈然としないものを抱えているのか、白瀬は何か言いたそうにしながら、盛り合わせとお造りを黙々と食べていく。

「白瀬さん。急に静かになりましたが、どうされました?」

「別に何でもないんだよねぇ?それより、お造り美味しいんだよねぇ!二人も早く食べようじゃあないかねぇ?」

 大塚に聞かれた白瀬は、どこか無理矢理に話題を変えるように盛り上げようとしている様子を感じた鮎沢は、疑問を抱くとスマホを白瀬に気付かれないように取り出してメールのアプリを立ち上げてメールを大塚に送信する。

 鮎沢は素早くスマホを仕舞うと、ジョッキを手に取って今度はゆっくりと、携帯を取り出した大塚を見ながら飲んでいく。

 大塚は受信したメールを読み、携帯を仕舞って一度鮎沢を見ると自然に箸が落ちたように振る舞い、拾うふりをして鮎沢の太腿に人差し指と中指で軽く叩くように触れる。

(モールス?『ドッチトモイエル。フメイ』。さっきのメールの返事ですね。本物の艦魂か偽物か判断がつかない、ですか。私と一緒の意見ですね。)

 鮎沢は表情に出ていないか注意しながら、テーブルの横から大塚にだけ見えるようにOKのハンドサインを示して、受信出来た事を伝える。

「どうしたのかねぇ、大塚君?さっきからこそこそと。食べるならちゃんと食べないと、漁師さんや農家さん、それにタコやお魚さんに野菜さん達にも失礼だと思わないかねぇ?」

 白瀬はハイボールを飲み干すと、自分の分の最後のタコを二切れ、ツマの大根と大葉と一緒に箸で掴み、醤油をつけて食べる。

「んん~!美味しいねぇ!そうだった。二人に言い忘れていたけども、ここまでのお勘定だったら僕が全部払ってあげるから、安心して食べて欲しいんだよねぇ?」

 白瀬は地魚に箸を伸ばし、箸を休める事なく一定のペースで食べ進めていき、盛り合わせもツマを含めてあっという間に綺麗に食べきると、伝票を掴んで「大塚君!鮎沢君!ごゆっくり食事を楽しんでねぇ!」と言ってテーブルから離れていった。

 大塚はそれを見送ると、鮎沢と共に刺身を食べ進める。

「大塚さん。あの艦魂の白瀬らしき人物、どう思いますか?」

 鮎沢はイナダの刺身にわさびを着けると、刺身のツマである大根の千切りを少しと大葉一枚を刺身に巻いて、醤油をつけて食べる。

「初めて会ったから、本物か偽物か聞かれても判断が出来ない。」

 大塚は日本酒をもう一度注文すると、白瀬の分の皿とグラスを下げてもらう。

 少しすると最初に応対していた女性店員が、先程と同じ笑顔で近寄ってくる。

「失礼しまーす!」

 大塚は最初の注文より思った以上に早いと感じたものの、他の客が減ったから直ぐに来てくれたのかと思ってしまう。

「おっ待たせしました!日本酒の冷や一つと生ビール一つ、それから地ダコのお造り二人前、お持ちしました!」

 大塚は日本酒を飲みきろうと口に含んでいたが、お造りと聞いて盛大に吹き出してしまい、気管に入ってしまったのか、激しくむせてしまっている。

「お客さん大丈夫ですか!?お絞りお持ちしてますから使って下さい!!」

 女性店員はトレイごと飲み物とお造りをテーブルに置くと、鮎沢にお絞りを渡す。

「店員さん、ありがとうございます!大塚さん、大丈夫ですか!?」

 鮎沢は急いで大塚の方に回り込み、背中をさすって落ち着かせる。

 店員はお造りと飲み物を降ろしてトレイを持って離れると、もう一度お絞りを持ってくる。

「ゲホッゲホッ!鮎沢、すまない・・・ゲホッ!何で頼んでも・・・ゲホッ!・・・頼んでもいないお造りが来るんだ?ゲホッゲホッ!」

 大塚の疑問に答えたのは、鮎沢ではなく店員であった。

「それなら、さっきのメガネのお姉さんが、美味しかったから追加注文しておくって。あ、お酒も絶対注文するから、そこまでを含めてお代を払うって言われたんですよ!それから、お絞り使うことになるから必ず多めに持っていけって。凄いですね!全部あのメガネお姉さんの言った通りになりましたよ!?あの人、マジシャンとかなんですかね?」

 店員はそう言うと、軽くお辞儀して離れていった。

 鮎沢に背中をさすられようやく落ち着いた大塚の目に、自分が手を置いていた隣席のクッションの下に紙が挟まっているのが見える。

 それを取り出すと四つ折りになっている紙で、裏表を見てから広げて中に書いてある文章を一読する。

「鮎沢、私達は危ない所だったのかもしれない。」

 大塚は紙を差し出し、鮎沢に読むように促す。

「今後はお互い、口には気を付けよう。私も相当迂闊だった・・・。」

 鮎沢は紙を両手で持ったまま、顔を白くさせて体を震わせる。

「大塚さん、あの艦魂の白瀬は・・・」

「“あの方”本人、あるいは代理として白瀬が来たのか・・・。どちらなのかは私には分からないが、直接私達へ忠告と言う名の警告をしに来たのだと思う。」

 鮎沢は、鉛のように重くなった足を引きずるように自分の席に戻ると、意気消沈したように項垂れながらビールのジョッキを手にすると、少し消えて凹んでしまった泡をじっと見て、少しずつゆっくりと、しかし味わう事も出来ぬままに飲んでいく。

 ビールを飲みきる直前、鮎沢はジョッキをテーブルに置いて小さく呟く。

「そういえば自己紹介、確かにしていましたね。」

 大塚には聞こえたのか、日本酒を少し口にしてコップをテーブルに置くと、鮎沢と同じように小さく呟く。

「言っては・・・いなかったがな。」

 大塚の方は、白瀬が帰り際に頼んだタコのお造りを目の前にして、日本酒がほんの少しだけ減ったコップを手にしたまま、苦悩のような表情を浮かべる。

 鮎沢は左手で紙を握りしめて、少しだけ残ったビールをゆっくりと何かを考えながら飲み干していく。

 鮎沢の左手に握られてくしゃくしゃになった白い紙には、赤いボールペンでこう書かれていた。



 全く、艦魂と間違えるなんて、どんな調査をしてきたのやら・・・

 期待しないで、護衛艦するがの報告書を待っているから、早めに提出してほしい。

 嫌な空気が漂ってるから手遅れになる前に早く解決させたい。


 そうそう


 大塚?タコのお造りはさぞかし美味かったろう?何せ私の4本の手足なのだから。

 鮎沢、主導権は近々くれてやるから、もう少し大塚の言うことを聞いておけ。

 お前達の行動は一応福田達から色々聞いているが、私は特に気にはしていない。安心しろ。

 最後に一言、貴様に忠告しておく。私から離反しなければ今後も二人の好きにさせてやる。離反しなければ、だがな。

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