第13話 Vertigo (バーティゴ)


 聞き慣れた単語が聞こえたような気がして、思わず動きが止まる泉沢。

「えっ?今・・・なんて・・・?」

 自身が聞き違えたのか、それとも耳がおかしくなってしまったのかと混乱を来す泉沢に、追い討ちをかけるように、子供は笑顔で口を開く。

「はい、僕の名前はC-1シーワンです。」

「C-1!?おいおい・・・」

 泉沢は聞き違えではなかった事に、思わず親指と中指でこめかみを軽く押さえてから、彼の言葉を心の中で幾度か反芻する。

「・・・あのなぁ、坊主?親父さんだかお袋さんだかに聞いたのか知らないけどな?そう言うのを、『悪い冗談』って言うんだ。覚えておいた方が良いぞ?で?坊主の本当の名前、教えてくれないか?」

 言葉の端々に苛立ったような雰囲気をちりばめながら、再度質問する泉沢。

「本当にC-1って言います。空自の航空支援集団第2輸送航空隊に所属しています。」

 対するC-1と名乗る子供は、さも自分のことであるかのように自己紹介をする。

「お前な?いい加減にしてくれないか?いくら優しいおじさんだってな、しまいにゃあ怒るぞ?いいか、よく聞いてくれよ、坊主?確かにここは、第2輸送航空隊の所属する入間基地だ。」

 泉沢は怒鳴りたくなる気持ちを、こんな小さい子なんだからとなんとか抑え、なるべく諭すように話す事を心がける。

「あの、僕は本当に・・・」

「坊主、言わせてもらうが、坊主みたいな子供は空自にはいないんだ。入れるのは18歳以上なんだよ。もう一回言うぞ?18歳以上だ。それで坊主、お前はいくつなんだ?」

 視線を子供にしっかり合わせ、何を隠しているのかを探ろうとする泉沢。

「僕が覚えてる限りだと、2001年頃には確かここにいましたから・・・」

 ただ、子供の方も特に何か隠しているわけでもなく、また、悪びれる事もないような雰囲気で泉沢の質問に答える。

 そして、この回答を聞いた泉沢にとっては、混乱するだけでしかなかった。

「2001年だぁ!?坊主いい加減にしてくれ!何を隠しているんだ!?」

 泉沢は思わず怒鳴ってしまい、その声を聞いた機長と衛生員の芹沢は思わず振り向く。

「何も隠していません!本当に僕は皆からC-1って呼ばれてるんです!信じてください!!」

「泉沢!どうした!?」

 機長の声に、泉沢は返答する。

「機長、聞いてください!この子が『自分はC-1だ』とか言って、ふざけてるんですよ!」

「ふざけてません!僕は真面目に答えてます!」

 泉沢が抗議のような声を上げると、即座に否定する子供。

「うわあぁーー!!」

 すると、外の救急車から男性の叫ぶような声が聞こえてくる。

 機内の全員が一斉にその方向を向き、泉沢と機長は視線を鋭くして外を見て、芹沢は視線と同時に右のつま先を少しだけ後部カーゴドアに向けて、いつでも動けるよう身構える。

「どうした先村!」

 芹沢がC-1内から外に向かって叫ぶと、救急車の後部ドアから、叫んだ本人である先村士長が車外へ飛び出してくる。

「せ、芹沢1曹!!す、すぐ来てください!!」

 先村は左手で車内を指差しながら、芹沢を呼ぶ。

「ス、ストレッチャーに白衣姿の子供が突然現れました!意識も無いようです!い、急いでお願いします!!」

「分かった!すぐ行く!先にバイタルとれ!急げ!!」

「了解しました!」

 芹沢は駆け出すと、衛生用のバッグとAEDの入ったバッグを手に取って肩に掛ける。

「機長すみません!もう少し彼をお願いします!」

 芹沢はそう言い残すと、そのまま後部カーゴドアから飛び出し、救急車の後部ドアから車内へ飛び乗る。

 その直後、一番近い格納庫付近から微かに「衛生の堀兼をこっちにも呼んでくれ!」、「こっちにも頼む!」、「AED急げ!」などの声が飛び交い始める。

「機長、何がおきているんでしょうか・・・」

 外から聞こえてくる、今までに聞いたことのない喧騒に、泉沢は恐怖感を感じてしまう。

 泉沢はフライトエンジニアとしては経験が豊富で、荒天時のフライトの時でも、常に冷静に機長とコ・パイロットの支えとなって、フライト任務をこなしている。

 そんな泉沢でさえも、外の様子に動揺は隠せないようである。

 一方の機長はベテランの域であり、内心としては、恐らく泉沢と同様であろうが、すぐに気持ちを切り替えている。

「分からんが、泉沢。申し訳ないが、この子を衛生に引き継ぐまで見ていてくれ。春日!高倉!すぐハンガーの応援に行ってくれ!錦織にしきおり、大木、全部終わったな!?整備に引き継いで俺らも応援に行くぞ!!」

 機長はコ・パイロットの錦織等の各々に指示をすると、足早にコックピットに戻っていく。

 機長が錦織に何か声をかけると、立ち上がった錦織は機長とフライトエンジニアの大木共々コックピットから出てそのまま外に出る。

 機長はそばに待機していた整備員に声をかけると、引き継ぎを始めたようで、錦織と大木は駆け足でハンガーへと向かう。

 一方、救急車の中を見てみると、ストレッチャーの上で横になって目を開けている女の子、聴診器を首にかけている芹沢、血圧計をしまう先村の姿がある。

 その女の子の服装は、トップスは芹沢達衛生員が着用している『ケーシー白衣』と呼ばれる、丸首の襟元で半袖の右肩にボタンがあるタイプの白衣、ボトムは制服である紺色のスラックスを履いている。

 ケーシー白衣は自衛隊の衛生員の他に、医師、歯科医師、看護師、PTとも呼ばれる理学療法士等が着用していることが多く、病院、医院等で目にする機会も比較的多い白衣である。

「先村、意識は取り戻しているし、ここはもう大丈夫なはずだ。ハンガーの方に行って堀兼を手伝ってくれ。俺もこの子とC-1の子を医務室に連れてったら手伝う。」

 すると先村は、子供に聞かれないように芹沢に耳打ちをする。

「芹沢1曹。この子、はっきり言って得体が知れません。バックドアとスライドドアはこのまま開けていきますから、万が一の時はすぐ逃げて下さい。身重の奥さんの為にも、お願いします。」

 芹沢も先村と同様に、声を潜めて返答する。

「ばか言え。どういう経緯であれ、この子は患者だ。その患者を前にしてそんな事できるか。先村、俺の事はいいから、すぐにハンガーにいる堀兼を手伝ってこい。」

「・・・了解です。お気をつけて。」

 芹沢はバックドアから出て行く先村を見送ると、意識を取り戻している女の子に声をかける。

「さて、お嬢さん、で良いかな?気分、悪くないかな?」

 若干苦しげな表情で、芹沢を見上げる女の子。

「だい・・・じょうぶ・・・です・・・」

「あぁ、そのまま寝ていていいよ?息苦しいとか、どこか痛いとかあるなら、教えてくれるかな?」

 芹沢は女の子を警戒させないよう、笑顔を浮かべ、柔らかい口調で接するように努める。

「苦しくは・・・ないです・・・。痛くも、ないです・・・」

女の子は、やや喋り辛そうにしているが、苦しいからというような様子はない。

「ここがどこか、分かるかな?」

「入間・・・基地の・・・エプロンです。」

 芹沢は女の子の所見を思い出し、C-1の男の子と比較していく。

(血圧と脈拍測定不可。意識は不明から回復。SpO2は0%で呼吸は正常かつ血色も良い。体温27.6℃・・・血圧はともかく、他はほぼC-1の子供と一緒。見た目こそ、健康そのものなのに・・・それに『入間基地のエプロン』、何か引っかかる・・・)

 考えていた時間はほんの数秒ほどだと思っていたのだが芹沢が視線に気がつくと、女の子は何かを言いたげに芹沢を見上げていた。

「ごめんね、ぼおっとしちゃって。何か、私に話でもあるのかな?」

「あの、芹沢・・・1曹。」

 視線を伏せてから、もう1度芹沢と視線を合わせる女の子。

「はい。」

 返事をした芹沢は、自己紹介をしていないことに気付くが、女の子の話を聞くのが先だと口を噤む。

「そこにいる・・・C-1で見つかった男の子・・・大丈夫なんですか?」

 女の子は芹沢の方を見てから、心配そうな表情で上半身を少しだけ起こし、芹沢の方を向く。

「ええ。今の所は大丈夫です。それより貴女の方こそ、無茶をしちゃダメです。まだゆっくり体を休めてて。」

 芹沢に言われてゆっくりとストレッチャーに横たわると、また芹沢の方を向く女の子。

 体力が低下してるのか、少し動いただけであるはずなのに、その表情は若干辛そうに見える。

「それより、お嬢さんの方は大丈夫ですか?怠そうですよ?」

(倦怠感が出ているようだな。体力が低下してる?体温高ければ風邪の様にも見える。病院の手配、急ぐか)

 元々病院に連れて行くのは決まっているのだが、思ったよりも倦怠感が酷いようで、急がないまでも病院に着いたらC-1の子よりも先に医官へ診察させようと順番を決める芹沢。

「私は大丈夫です。そんなことよりも、男の子の意識レベルはどのくらいですか?」

 見た目は3~4歳の女の子の口から『意識レベル』と出てきて、さらに喉に骨が刺さったような突っかかりを覚える。

(この子、意識レベルも知ってる?どこかで聞きかじっただけだろうが、試してみた方がよさそうか?嘘を・・・いや、今のレベルとは聞かれていないし、1報入った時の状態で答えてみるか?)

 芹沢は嘘を言うか、本当の事を言うか迷ったが、C-1の子の到着直前の状態を思い出し、口に出す。

「“さん3”だったよ。」

 芹沢はで、ジャパン・コーマ・スケール(略称:JCS)と呼ばれる意識障害レベルの評価を『Ⅲー3』と答える。

(さあ、どう反応する?)

 それを聞いた女の子は目を見開いたと思うと、つい先程まで怠そうにしていたにも関わらず、跳ね上がるようにストレッチャーの上に立ち上がり、芹沢に詰め寄るようにまくし立てる。

「さ、Ⅲー3なんですか!!間違いないんですね!?」

 あまりの女の子の勢いと変わり様に混乱して、たじろぐ芹沢。

「え、ええ。さ、Ⅲー3、でしたよ。」

「大変!行かなきゃ!!」

 そう言ったかと思うと女の子は、ストレッチャーから飛び降りスライドドアの方から飛び出そうとする。

「待って!どこに行くの!?」

 芹沢は慌てながら、出て行く直前の女の子の二の腕を掴む。

 女の子は怒ったような表情で振り向き、芹沢を睨みつける。

「芹沢1曹、離して!C-1にまだ乗ってるんですよね!?Ⅲー3なんでしょ!?早く行かなきゃ!!芹沢1曹も一緒に来て!!お願い!!」

 女の子は、芹沢が掴む手を振り解こうとして腕を大きく振ろうと試みるも、大人で、しかも常に鍛えている自衛官の芹沢の力には敵わないようである。

「落ち着いて!落ち着いて!!ちゃんと聞いて!!”だった”んだよ!過去形!もう0だから安心して!まだⅢー3なら、先村に君をみてもらってるから!違うかい!?」

 JCSのⅢー3とは一番重篤な状態で、『刺激に対しても反応が無い状態』、0とは『通常で問題ない状態』である。そして、0の1つ下はⅠー1『意識はあるが、受け答えがややはっきりしない状態』である。

つまり芹沢は女の子の反応を確認するため、わざと笑顔で重篤な状態だったと告げていたのである。

 そして女の子は芹沢の答えに対して、笑顔に惑わされず、男の子は『危険な状態』と判断したのである。

(焦った。意識レベルを理解しているとは・・・C-1の子も?まさかな・・・)

 冷や汗をかいているのを自覚しつつ、まだ落ち着かない女の子を見やる。

「本当に!?本当に0なんですか!?」

「本当です。誤解を招くような事を言って、すみませんでした。」

 芹沢は立ち上がると、そこから深々と頭を下げる。

「芹沢1曹!すみません、お話があります!」

 息を切らして戻ってきた先村を見ると、先村と女の子に声をかける芹沢。

「先村、分かった!お嬢さん、ちょっと待っててもらえるかな?」

「了解しました。」

 女の子はまるで10度の敬礼をするように、芹沢に頭を下げる。

 芹沢は後部ドアから一歩降りると、先村に声をかける。

「先村、どうした?」

「向こうもC-1と救急車の子供と、バイタル含めてほぼ同様でした。それから1人はまだ意識混濁していますが、他の全員は意識取り戻してます。混濁している子は今、堀兼2曹が診ているところです。」

「分かった。先村は直ぐに堀兼の・・・あれは?」

 話をしていると、芹沢は走り寄ってくる迷彩色の戦闘服姿の男性に気付く。

「芹沢!先村!堀兼は!?それから状況は!?」

 芹沢と先村はすかさず敬礼する。

「斉藤曹長!はい!堀兼は今ハンガーです!それから状況ですが、C-1の子と|救急車《アンビ》の子は意識を取り戻しています!」

 芹沢が端的に斎藤空曹長に説明すると、先村にも状況を聞き、芹沢と似たような説明を、ハンガーでの出来事も含めて説明する。

「分かった。ついさっき聞かされたが、飛点隊のU-125がもう戻ってくる。それから、百里501のRF-4Eの1機、それから陸自12ヘリ隊のチヌーク2機がこっちにダイバートしてくるらしい。」

「こっちにダイバートって、まさか・・・」

 百里501とは『航空総隊偵察航空隊第501飛行隊』の事で、茨城県の百里基地に所属している。

 陸自12ヘリ隊の方はと言うと、『陸上自衛隊東部方面隊第12旅団第12ヘリコプター隊』の事で、群馬県の相馬原そうまがはら駐屯地に所属している。

 普段、百里501も、陸自12ヘリ隊もそれぞれの基地に帰っている。それが、入間にダイバートを申請しているのは、基地に戻れない気象状況か、機体等に緊急事態が発生している状態だということである。

「このタイミングだと多分、同じかもしれんが、機体異常か天候悪化かもしれん。俺が聞いたのはダイバートの宣言が出されたの聞いただけで、すぐこっちに来たからな。何があるか分からん!気を引き締めろ!?いいな!」

「「はい!」」

 同時に返事をする芹沢と先村。

 すると、先村が恐る恐るといった様子で、斉藤に声をかける。

「それと斉藤曹長。あの、ここにいるって事は・・・」

 何か思い当たることでもあったのか、芹沢も何かに気づいたような顔をする。

「遊びに行く前で良かったのは、すぐにこっち来れたことだ。悪かったのは・・・娘に嫌われたよ。次はもう無いだろうな。なんせ・・・もうすぐ中学だしな。」

 先村は思わず頭を下げる。

「斉藤曹長、失礼しました。お察しします。」

「芹沢、覚悟しとけ?父親になるんだからな?それから、独身の先村も覚えておけ?」

 そのやりとりの最中、遠くからジェット機のエンジン音らしき甲高い音が聞こえてくる。

 斉藤達はそちらに顔を向けるとRWYランウェイ35に向かって、白地に赤いラインなどが入っているU-125が最終アプローチに入っているのが見えてくる。

 さらにRWY17側から少し低い、重たいようなエンジン音が聞こえてくる。

 空自CH-47Jよりも濃い迷彩柄の、陸自所有のCH-47JAがこちらに向かって飛んできているようだ。

 ただ、U-125が先に最終アプローチに入っているため、タワーからの指示により陸自のCH-47JAは、周辺空域に待機する事になる。

 航空自衛隊のファンにとっては嬉しい状況ではあるのだろうが、当の空自隊員達にとっては、そう言ってはいられない状態である。

 なぜなら実はこの時、ダイバートの他に定期便として空自隊員の他、3名の海自隊員、5名の陸自隊員を含めた人員と、入間基地へ移動させる物資を乗せて、鳥取県美保基地の第3輸送航空隊からC-1が、この入間に向かって飛んできている。

 このC-1からは、特段の異変を報せる連絡は入っていないのだが、これとは別に、フライト予定だった固定翼機や回転翼機が子供出現の影響を受けて、各機よりキャンセルが管制塔等へと連絡されているため、エプロン等ではキャンセルした航空機の整理と子供達の事で、忙殺されている。

 現状、辛うじて持ちこたえてはいるが、ここで別の何かが起これば、表面張力で張り詰めたコップの水が一滴の水で流れ出すように、入間基地にパニックが広がると思われる。

「とりあえず、芹沢、先村。意識の戻った子達は一旦医務室に連れてけ。芹沢、医務室に着いたら島田呼んであるから一緒に面倒見てやってくれ。先村、降ろしたらすぐに戻ってこい。俺は堀兼の所に合流する。」

「島田もですか?」

「また島田3曹、彼氏にふられちゃいそうですね・・・」

 横目で先村を見ると脇腹を肘でつつく芹沢。

「先村、絶対余計な事言うなよ?」

「芹沢、先村、どうでも良いから急ぐぞ。」

 呆れ顔の斉藤に注意されると、慌てて敬礼する2人。

「「了解しました!」」

 答礼した斎藤は踵を返すと、そのまま格納庫の方へと駆けていく。

「先村!先に乗ってエンジンかけておいてくれ!俺はC-1の子供を連れて来たら後ろに乗る!」

 先村にそう言いながら、芹沢はC-1に入っていく。

「了解しました!」

 先村も返答しながら走り、救急車の左に回り込んで横のスライドドアを閉め、運転席に戻るとシートベルトを着ける。

「先村士長?移動するんですか?」

 先村は恐る恐る左下を見ると、後ろにいた女の子が運転席と助手席の間から、背伸びしながら顔を覗かせようとしている。

「ん?ああ、そうだよ。」

 先村は無視するわけにもいかず、かといってこの正体不明の子に愛想をふるのも躊躇われ、ぶっきらぼうに返事を返すという選択肢を選ぶ。

 女の子が何か言おうとすると、見ていないかのように体を正面に向けて、キーを回してエンジンをかける。

「あの、私・・・先村士長に、悪い事でも言ってしまったでしょうか?」

 その声を聞くも、先村はルームミラーやドアミラーを調整したりして、女の子へ向く事をしないようにしている。

「ごめん。そうじゃないけど、芹沢1曹が乗ったらすぐ動けるようにしたいんだ。申し訳ないけど、大人しく後ろで座っててくれないかな。」

 ハンドルに手をかけ、バックミラーの右側に映るC-1の後部を見ながら、女の子に告げる。

 しかし先村の声音は、まるで明後日の方向に投げられたボールのようであった。

 女の子は何か言おうとするが言葉が出てこないようで、うなだれると運転席の真後ろにある、後ろ向きの席に座ろうとする。

「申し訳ないけど、その席は芹沢1曹が座るから、そっちの補助席に座っててもらえないかな。」

 左の人差し指をスライドドア側の簡素な椅子に向けると、ミラーを見る先村。

 何も言わずに補助席に俯いたまま座る女の子だが、時々先村の様子を伺っているようだ。

 しかし先村は女の子を無視して、芹沢が戻ってくるのを待つ。


○入間基地 格納庫内 同時刻


「この子も意識が戻ったみたいだ。まだ若干朦朧としてるようだから、後で念の為に病院で精密検査を受けさせようと思う。」

 格納庫内で整備中だったC-1の中、寝かせた子供の前で跪く衛生の堀兼は、その後ろで心配そうな顔をして、そわそわしているこの機体の機付長の方を向いて状況を報告をする。

「良かったぁ!ホッとしました!堀兼さんに来てもらって良かった。」

 機付長から声をかけられた堀兼は、子供達の意識が戻ったことに安堵しながら、その胸中では疑問が渦巻いている。

(意識不明で心停止していたのに、呼吸だけはあった・・・。しかも全員、タイミングを計ったように、心マやAEDの使用直前に意識を取り戻す・・・。1人2人なら偶然かも知れないが、8人共となると・・・。こんな症例聞いたことがない。芹沢1曹にどう説明したら・・・)

 今までに経験したことのない症例に、戸惑いを隠せず、芹沢にどう相談しようかと考えあぐねる。

 また、心停止が長く続くと脳へ酸素が送られなくなってしまい、例え助かったとしても、後遺症を抱えてしまったり寝たきりや植物状態になってしまう可能性が、時間が経つにつれて上昇する。

 しかし、ハンガーに突然現れた子供達は全員、心停止の時間が長かったと想像はされるが、脳に深刻な後遺症が残っていないようで、今現在はそれを微塵も感じさせていない。

「それにしても機付長。この子達はどこからどうやって入ってきて、どうして全員意識不明だったんだろう?それに、このフライトスーツも、小さいながら精巧に出来ているようだ。」

 子供達を診ていてどうしても分からない疑問を、知っているとは思えないものの機付長に聞く。

「朝一でハンガーを開けた時は、機内こそ分かりませんが、機外にいなかったのは確認しています。服装については・・・、全く分かりません。」

 機付長は少し顔を曇らせながら、堀兼に説明する。

(パイロットでもないのにバーティゴ起こしそうだ。訳が分からない。・・・どうなってるんだ?)

 バーティゴ(Vertigo)とは日本語で【空間識失調】と言い、飛行中に霧の中や水平線がはっきり見えないなどの時に、自分や機体の空間での位置が分からなくなってしまう現象が起きる事がある。

 例えば、海と空を誤認識して、背面飛行してしまう等が発生する恐れがある。

 計器類が正常であって確認する事が出来れば、直ぐに立て直すことも可能だが、戦闘中に計器類を確認できず天地が激しく入れ替わるような飛行を行ったり、計器類に異常があったりする等が起きると、このバーティゴに陥る事がある。

 堀兼はこの訳の分からない状態に、どう対処すべきか考えあぐねてしまい、自身の状態をそう考えてしまう。

 そんな混乱が入間基地で続いている中、この状況は入間基地の司令へと伝達されており、同時に中部航空方面隊等を通じて航空幕僚監部へも情報が伝えられている。


○東京都新宿区市谷本村町 航空幕僚監部 会議室


 統合、陸上、海上、並びに航空の各幕僚長達が統合幕僚監部の会議室に籠もる中、空幕副長達も航空幕僚監部の会議室に籠もりながら、現在発生している問題について、情報収集等を行っている。

「入間だけでなく、百里も子供に侵入されたのか?」

 渋面を作りながら、部下達からの報告を聞く副長に、横から答えながら書類を渡す1等空佐。

「はい、そのように報告が上がっています。これがそれらの報告をまとめたものです。」

 副長は、1佐から書類を受け取ると、渋面を崩さずに深くため息をつき、表紙をめくる。

「それから、書類作成後に入った報告ですが、羽田を後発した701の01ゼロワンと、小牧に帰投中だった401のハーキュリーでも子供が見つかっています。ハーキュリーと01ゼロワンはそのまま帰投し、子供を保護しました。」

 副長は読み終えたページをめくると、先を読み進める。

「それから、羽田を先発し青森空港にダイバートした02ゼロツーの件ですが・・・」

 401のハーキュリーとは、第1輸送航空隊第401飛行隊に所属するC-130ハーキュリーの事である。

 また、701の01ゼロワン02ゼロツーと共に、特別航空輸送隊第701飛行隊の747ダッシュ400型機の事で、空自では『特別輸送機』と呼称されている。

 その特別輸送機02ゼロツーに関して話題が移ろうとした時、一瞬にして場の空気が凍り付いたように冷たくて重くなり、近くの数名が資料から目を離して顔を強ばらせている。

「侵入者の続報か?」

 副長は凍り付いたような雰囲気を感じつつ、報告書から目を離さぬまま、報告者である1佐に質問する。

「はい。実はつい先ほど、着陸直前に侵入者が消えたと報告が上がりました。」

 視線を一瞬止めると、直ぐに報告者の方を向く副長とテーブルに着いている会議の参加者達。

「消えた!?」

 一瞬の静寂の後、場がざわつき始める。

 ある将補は隣にいる1佐と内緒話のように話をし、ある空将は近くで待機していた空曹長を呼び寄せて何らかの指示を出す。

 空曹長は小さく頷くと足早に扉前まで行き、退室の挨拶をしてそのまま出て行く

「11ページ目の中程に詳細が記載されています。」

 この喧騒の最中、報告者は副長の手元にある資料を手で指し示すと、副長は慌てた様子で当該ページまでめくると一言一句見落とさぬように、丁寧に読んでいく。

「それは本当か?着陸直前の機体から逃げられたって、現実だぞ?映画じゃないんだ!何を考えているんだこの侵入者は!」

 左手で持った資料を、右手で強く2回叩く。

 その音で場の全員が副長に注目し、また静かになる。

「いえ、副長。誤解があるようですので訂正させていただきますと、文字通り機内で“消えました”。消失です。空中輸送幹部並びに特別空中輸送員3名の目の前で消えたそうです。空中輸送幹部からは『幽霊のように消えた』と報告があったそうです。」

 副長は資料に視線を落とし、流し読むように数ページめくると写真に目を留めて、報告者に質問をする。

「侵入者に繋がる証拠のような物は、このベストだけか?」

 副長が開いた報告書のページには3枚の写真が印刷され、その下には撮影時の日時や場所等の詳細が、細かく記載されている。

 そのうちの1枚には、航空自衛隊で採用されている紺色の制服と似たベストが、エコノミークラスの通路のような場所へ無造作に、まるで投げ捨てられるように置かれた写真や、そのベストを接写したような写真が2枚、報告書に添付されている。

「はい。侵入者が着ていたと思われる所有者不明のベストですが、空中輸送幹部達が証拠品として機外に持ち出そうとした所、タラップ上で侵入者同様に消えました。こちらも直前に入った報告ですので、お手元の資料には記載されていません。」

 ついに場の空気は、凍り付くを通り越し、時が止まってしまったような状態にまでなってしまった。

「証拠品も・・・消えた?これは紛失か?」

 副長は、報告される一つ一つが現実味を帯びておらず、自身の見ている悪夢では無いのかと思い始める。

「いえ、これも消失です。これは空中輸送幹部並びに特別空中輸送員1名、証拠品を受け取った青森県警の警察官2名、機外で待機中の警察官2名がタラップ付近で同時に目撃しています。」

 副長を含めてこの場にいる空将や空将補達も、この前代未聞の出来事の連続に思考も行動も停止しかけてしまう。

 しかし、副長はこの突然の事案に対して、会議が停止する事ないようにと、一瞬息を詰めてから言葉と共に吐き出す。

「そのベストは官品なのか?」

 少し冷静さを取り戻した副長は、他に分析出来る材料はないかと、1佐に問い合わせる。

「特別空中輸送員の着用している物と酷似しているのですが、タグが一切ありませんでした。偽物の可能性も十分ありえますが、念の為、官品の盗難もしくは流出がないか、調べるように指示も出したと報告を受けています。」

「分かった。当面の間、情報を警察以外には伏せろ。マスコミにも機体異常でダイバートしたと発表しろ。いいな?」

「了解しました。副長、私は一旦失礼いたします。」

 報告していた1等空佐が出て行ってすぐ、今度は3等空佐が入ってきて、出入り口付近に立っていた2等空佐に書類を手渡し、足早に退室する。

 2等空佐は書類に視線を走らせると、その場で報告を始める。

「副長、報告します。02ゼロツーで子供が発見されたそうです。」

 その声に場はざわつくが、直ぐに静まる。

02ゼロツーの子供の安否は?誘拐されたのか?」

 副長は心の中で、子供を人質にしようとしたのであろう侵入者への怒りを隠しつつ02ゼロツーで発見された子供を気遣う。

「子供に関しては無事だそうですが、乗員に対して酷く脅えている様子を見せているそうです。これ以上の事は記載されていません。詳細は追って報告との事です。以上です。」

「そうか。」

 副長は子供の脅えているという点では気にはなるものの、保護を出来たという点では少しだけ安心し、目の間を数回指で揉むと、深呼吸を1回する。

「ここで一度、全員に聞きたい。」

 混乱する自身と会議の出席者を落ち着かせるように、穏やかで、しかし、よく通る声で問いかける。

「入間、百里、401の1機と701の2機。・・・今、空自に何が起きてると思う?」

 言い終わると、テーブルにつく出席者の顔を左から見渡していこうとすると、右側の空将補が声をあげる。

「副長、補足をさせていただきます。陸自相馬原のチヌーク、海自厚木のP-3C、館山のUH-60Jも我々の所に報告されています。関東を中心とした自衛隊基地全般と考えるべきかと思います。」

「補足すまん。それで、君は何か意見はあるのか?」

 顔を向けて、空将補に問いかける。

「意見ではありませんが、現状確認を発言させていただいてもよろしいでしょうか?」

「そうだな。一度まとめよう。その前に少し飲ませてもらう。」

 喉の渇きを覚えたのか、副長は氷の入ったグラスにPETボトルのお茶を注ぐと少し飲む。他の数人も同じ様に各々このタイミングでお茶を飲んでいる。

 発言者である空将補も少しだけお茶に口を付けると、他の面々が落ち着くのを待って、口を開く

「それでは、続けさせていただきます。現状、02ゼロツーの事案以外、現段階では誘拐と考えるには不自然な点が多いです。子供が発見されているのは、入間の航空機とアンビ等、百里の航空機と航空用消防車等、加えて小牧に帰投中だったハーキュリー1機、千歳に帰投中だった特別輸送機2機です。場所も機体並びに車両も一貫性がありません。」

「・・・確かに。・・・続けて。」

 視線を空将補に向けた以外、身動みじろぎもせず現状を自身でも再確認する副長。

「続けます。一番重要な子供達の侵入経路も現在不明です。それに入間と百里では、ほとんどが意識不明で発見されています。これだけの子供にフライトスーツ等を着せ、意識不明にし、基地内の航空機等へ我々に発見されぬように運び込み、発見時に都合よく意識を戻す。それも、これだけの規模でほぼ同時に展開しています。私は・・・」

 空将補は険しい顔のまま、言葉を飲み込む。その額にはうっすらと汗がにじんでいるが、それが暑さのせいなのかは伺い知れない。

「どうした?」

「・・・いえ、失礼しました。私はこれらについて・・・Gーロックした時以上の恐怖を感じています。」

 パイロット達にとってこの【Gーロック】は、恐怖以外の何物でもないと思われる。

 何故ならこのGーLOCロックは、戦闘機等で急激な強いG(重力)が足元に向かって発生すると、脳の血流も重力に従って足元に向かってしまい、最悪な状態で意識消失、所謂ブラックアウトと呼ばれる現象が発生し、高度が低ければ意識を回復するよりも早く、航空機は墜落してしまう。

 それを防ぐ為に戦闘機パイロット達は、フライトスーツの上に耐Gスーツと呼ばれる服を着用する。

 ただ、完全にGの負担を防げる訳ではなく、あくまでもGの負担を“軽減する”だけである

「子供の件も02ゼロツー侵入の件も、事案は別々だが、不気味さという点では両方共に変わらない。」

 現段階で様々な事象が不明であり、調査を進めているとはいえ、子供とは言え侵入者が大量にいるという事実に薄ら寒さを覚える会議の出席者達。

「それから補足で出た、陸自と海自の詳細は?」

 副長から少し離れた所に座っている1佐が立ち上がって発言する。

「詳細についてですが、陸海共に発見された子供達は一部の空自機同様、『突然出現した』そうですが、意識不明者については今の所、報告されていないそうです。それ以上の事はまだ報告が上がって来てはいません。以上です。」

 副長は1佐が座るのを待った後、視線だけで部屋を見渡すと、そのまま沈黙する。

 全員の視線が集まったであろうタイミングで、少し背を伸ばし、姿勢を正す。

「諸君、これだけは肝に銘じておけ。絶対に領空侵犯侵入者に、こっちがバーティゴになりかけている事を悟らせるな。いつも通りの空自を見せろ。」


 陸上、海上、航空の各自衛隊は突然に発生した霧のような事案に、迷走しかけ混乱が広がり始めていく。

 同時に、警察や消防に海上保安庁にも、この事案が広がりを見せていく事になる。

 どこまでこの事案が広がるのか、この時点において答えを知っている人は皆無である。

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