第12話 空自の場合

【航空自衛隊】

 隊員数約4万4千人の組織である航空自衛隊。

 全国に約70の基地・分屯基地が全国に存在し、領空侵犯へスクランブル発進させて対処したり、いざという時は味方の制空権を維持し、海上自衛隊や陸上自衛隊の『空の守護者』として任務を遂行及び支援するのである。

 航空自衛隊は、どうしてもF-4やF-15等の戦闘機へ注目が集まりがちだが、もちろん陸自のように輸送や偵察に救難任務もヘリコプター等を利用して行っている。

 また、例えば鳥取県の美保基地等のように、民間と共用の航空基地の場合、ほかの空域では国土交通省の航空管制官が担当する航空管制を、国家資格を有した航空自衛隊員が担当したりとその仕事の幅は外部から見るよりも広いのである。


 ○静岡県三島市内の公園 午前七時三十分頃


 少し大きめの自然が残る公園では、無邪気に走り回る小さい子や、ベンチに座り携帯ゲームで遊んでいる小学生達等のほか、その保護者らしき大人がちらほらと見受けられる。

 夏休み期間中であるので普段よりも多くの人達がおり、それぞれがそれぞれの時間で過ごしている。

「あれ?何の音だろ?」

 砂場で遊んでいた男の子が、遠くから聞こえて来る低い音に、シャベルを持ったまま空を見上げる。

「なんだろ?飛行機かな?」

 他の男の子達も気になるのか、つられて微かに雲が残る青空に目を凝らす。

 すると青いシャツを着た男の子が、目を凝らしながら指を南の方角に向ける

「あっちから飛行機来るよ!?」

「どこどこ?」

「あれだよ!あれ!」

 砂場にいた子のうち2人は見えていないようで、視線を大きく動かしている。

 そんな彼らも音が大きくなって、ようやく位置が分かったのかはしゃぎ始める。

 別の場所でも小学生の何人かが、空を見上げて指をさしている。

「何だっけ?見たことあるような?」

「あれ多分、C-1輸送機だよ!すげー!」

「C-1輸送機?」

「俺知ってるぜ!!叔父さんが基地祭りに連れてってくれたんだけど、そこで見たことある!」

「どこでやってた祭り?」

「確か、入間って言ってた。ブルーインパルスも来てたよ!」

「俺もブルーインパルス、見に行ったことある!百里ってとこで見た!!あれすげーよなー!!逆さまになって飛んだりとか!超カッコよかった!!」

 いつの間にか話題の中心が上空のC-1から、航空自衛隊の花形で『第4航空団飛行群第11飛行隊』、通称『ブルーインパルス』に移っている。

 当のC-1輸送機はというと、直上を通過して遠ざかっていく。

「ブルーインパルスって・・・何?」

「えっ!?知らないの!?航空自衛隊の部隊だよ!白と青の飛行機で、カッコよく飛んだり、白い煙で絵を描くんだよ!?」

「白い煙?あっ!!観艦式のビデオで見たあれ、ブルーインパルスって言うんだ!?船しか見てなかった!」 

「もしかして朝霞って所で見た奴もそうなの!?戦車見に行った時、飛んでた気がする!」

 観艦式と、朝霞は恐らく観閲式の事だと思われるが、実際にブルーインパルスは海自の観艦式と陸自の観閲式にも参加しており、祝賀行事などにも華を添えている。

「俺、乗ってみたいんだ!ブルーインパルスのT-4に!」

「俺はF-15!あれ、イーグルって言うんだぜ!強そうじゃん!!」

「それだったら僕、“こんごう”がいい!!あれが一番かっこいい!」

「一番って言ったら、203mm自走榴弾砲だよ!あれが1番!」

「ブルーが1番!」

「F-15が絶対1番!」

「“こんごう”だよ!」

「榴弾砲!撃ってるとこ見たら絶対1番って言えるぜ!」

 類は友を呼ぶとはよく言ったもので、4人とも各自衛隊が好きなようである。

 ただ、それが原因で喧嘩になるのはよくない事だと思う。

 平和を願う自衛隊。

 彼等を応援する側も、同様に平和的に応援していただきたいものである。


 ○同上空約1100ft(330m) 世界協定時UTC2243:日本時間JST0743


 地上の浮ついた雰囲気と違い、C-1輸送機の貨物室内では緊張した面持ちの陸上自衛隊の隊員達が、“その時”を迎えようとしている。

 航空自衛隊のコ・パイロット(副操縦士)がコースを慎重に取りつつ、ある作戦場所へと向かう。

 今は三島市から、ほぼ真北の裾野市上空で進路をやや北北西に修正しながら、あるポイントへと飛行している。

『コスモ、現在コースよしのまま進入』

 地上班からの適切な無線での誘導により、同一高度を維持しつつ作戦行動のポイントへと近付いていく。

『コスモ、少し左』

 左右それぞれのドアに近い空自のロードマスター(空中輸送員)が扉を開けて陸自の降下長に合図すると、列の先頭の隊員達が開けられたドアの開口部に立ち、後ろにいる隊員達も少しずつ前の方に詰めてくる。

『そこで機首直して』

 その間も陸自の隊員たちは、日頃の行動の一巻として装備の最終点検を進め、不備がないようにしている。

 そして、市街地から林のような土地の上空を飛んでいると、樹木のない開けた土地が先の方に見えてくる。

 空挺隊員の降下ポイント『東富士演習場』が間もなくのようである。


『コスモ、コースよし、コースよし、用意ヨーイ、用意、用意、降下降下降下!』


 地上班の合図により陸自中央即応集団第1空挺団の隊員達は、一定の間隔でパラシュートを自動開傘させて、C-1輸送機から落下しながら後方に流れていく。

 最後の空挺隊員が降下すると空挺の降下長もすぐに続いて降下して、C-1輸送機のカーゴベイ貨物室には空自隊員のみが残される。

 地上を見ると他の部隊も演習中のようで、FH-70に軽装甲機動車や高機動車などの姿のほかに、ヘリも数機、落下予定ポイントより離れた場所に見える。

 演習場の空域を離れつつあるC-1の機内では、ロードマスター達が扉を閉めたり機内を確認していたりしており、機長とコ・パイロットは当初のフライトプラン通りに、埼玉県にある入間基地の北側から、滑走路RWYランウェイ17ワンセブンに進入させるため、北の群馬県寄りに向かうコースをとろうとする。

 ところが旋回が終わった直後、入間から気象情報が入り、急遽、南側である東京都寄りのRWY35スリーファイブから着陸するように連絡が入る。

 奥多摩や秩父の周辺の大気の状態が不安定になりつつあり、事故防止の為にRWY35から着陸せよとの事だった。

 彼等が飛行前のブリーフィングを行った際、入間気象隊の予報官から指摘があり、この急な変更も彼等にとっては想定の範囲内に当然入っている。

 機長は心の中で今回担当したベテランの予報官に感謝しつつ、いつもの作業の一つである様にRWY35へとコース変更を行う。

 想定の範囲内のハプニング以外、トラブルらしいトラブルもなく、もうすぐ入間に着陸となった時、機長が手で何か合図を送って、コ・パイロットに軽く注意を促し、ヘッドセットのスイッチを入れる。

「I have control.」

 機長の宣言に対応してコ・パイロットも宣言し、操縦桿を機長に預ける。

「You have control.」

 何事もなく操縦を機長に譲ると、コ・パイロットはすかさず空域の管制と連絡を始める。

 機長はベルトサインのスイッチを入れて着陸に備える。

 とは言っても、先程までいた陸自の乗客は途中で降りてしまっており、残っているのはフライトエンジニア2名と、ロードマスター2名、機長とコ・パイロットの6名のみであり、全員着席してベルトを締めている。

 カーゴベイ後方に座っているロードマスターの春日2曹が、カーゴベイ前方に座る、同じロードマスターの高倉3曹を心配そうに見やる。

 この日は高倉にとって、ロードマスターの資格を取得して初めて行う空挺隊員の人員輸送任務で、フライト前からずっと緊張していたからである。

 しかし、今の高倉の表情はやや明るいもので、それを見た春日は少しだけほっとしている。

 ただ、残念ながら指摘事項も当然あるわけで、春日は先輩として高倉に、到着後どういう風に指導すべきかを考えることにした。

 窓の外の景色で高度を下げているのがはっきりとしてくると、フライトエンジニアの泉沢1曹とロードマスター2名はようやく終わると少しだけ安堵する。

 変わって機長とコ・パイロット、それともう1人のフライトエンジニア・大木2曹の計3名は、着陸に向けていつも通りの手順を踏んでいく。

 入間管制塔タワーからの管制を受けながらRWY35を視界に捕らえると、機長は降下率に注意しながら、ランディング・ギアを出し、着陸に備える。


 地上に目を向けると、望遠レンズを構えて自衛隊機の離陸や着陸、タキシング(駐機場所から滑走路に、またはその逆に移動する事)を撮影しようと、空自や航空ファンがちらほら見える。

 数十分ほど前には飛行点検隊(略称:飛点隊)の固定翼機U-125が、10分前には入間ヘリコプター空輸隊の回転翼機CH-47Jが離陸している。

 その間に、上空を通過しただけであるが、陸上自衛隊のCH-47JAとUH-60JAも何機か行き交っている。

 更に5分前には埼玉県警航空隊所有のヘリコプター・アグスタA109E、愛称『みつみね』も離陸していて、航空ファンは少し興奮気味にこのエアショーを楽しんでいる。

 そして、1人が「被写体来たよ!」と、カメラを南に向けると、通常通り空中の回廊を通って、RWY35に迫るC-1が徐々に高度を落としていくのが視界に入る。

「この時間に帰ってくるって、何があったんでしょう?」

 一見すると高校生か大学生位の若い男性がC-1を撮影しながら、隣の2人に問いかける

「さあ。訓練か緊急かでしょう?」

 白のノースリーブ、ダメージジーンズにスニーカー姿の女性が、素っ気ない感じで手短にしゃべる。撮影に専念したいがための雰囲気のようである。

戦闘機じゃないんだから、緊急じゃなくて訓練だろ。」

 40代位の男性も、C-1をフレームからはずれないように、ファインダーをのぞき込んだまま喋る。

「おっちゃん、また流し撮りするの?」

 女性の言う流し撮りとは、被写体の動きにレンズを動かし、連写で撮影していく技法の事で、この方法で撮影されると、被写体にはピントが合ったまま、その周囲の風景は流れるようにぶれる。

 それにより、被写体に躍動感を与えるような印象の写真に仕上がるのが特徴である。

 彼らがそう言ってるうちにC-1は滑走路に主脚を接地させて一瞬煙を上げ、前脚も接地しかけている。

「好きなんだから良いだろ?」

「あれ、師匠?この前、呉の艦艇の写真家さん達が流し撮り大会してたでしょ?あれの影響かなって思いましたよ?」

「私も見てびっくりしたわよ!桟橋から見えたエイまで『流し撮りしたった!』とか言ってたでしょ?笑っちゃったわよ!どんだけ”流し撮りガチ勢”なんだか?」

「おいおい、俺らは元々から流し撮りしてるだろうに・・・。っと、ずいぶんとまた綺麗なランディングだ。」

「おっちゃん、そんなに綺麗なの?」

 男性の声に思わずそちらを見てしまう女性と若い男性。

 男性は、撮影を切り上げると、撮影のデータを彼女達に見せる。

「これ見てくれ。滑走路の白線に対して、接地が真っ直ぐだろ?機体もセンターラインに対してほぼ中心だ。」

 昨日撮ってSNSに投稿したC-1の写真をスマホから呼び出すと、先ほど撮影した写真をカメラのモニターに映し出し、並べて見せる

 それらを女性と若い男性に比較して力説するが、2人の目には違いがよく分からず、首を捻るだけである。

「ごめん、おっちゃん。私ら初心者には、ぜんぜん違いが分からないよ。でもそんな見方もあるんだ?勉強になるよ。」

「さすが、師匠です!凄いなぁ!」

 腕を組んで感心する女性と、尊敬の眼差しの若い男性。

 男性の方はというと、ふと疑問を口にする。

「ずいぶんと丁寧すぎる気がするけど、機長昇格試験でもやってるのかな?・・・でも朝早くに上がってるんだから、そんなわけないか。」

 事情の分からない者達にとっては些細の出来事であったが、当事者達にとっては緊急事態とも言える状態だったのである。


 時間をアプローチ前まで戻して、C-1の機内を見てみることにする。


 ロードマスターの高倉が、ふと、視線のような雰囲気を感じて辺りを見回すと、春日が気付き声をかける。

「高倉、どうした?間もなく着陸だぞ?」

 ヘッドセットから春日の声が聞こえ、高倉がそちらを向いた瞬間、驚きの顔をするとともに、指を春日に向けて、シートベルトを着用しているにも関わらず立ち上がろうとしてしまう。

「春日2曹、ベンチの下に子供!子供が!」

 大きい声でヘッドセットに向かって叫ぶが、誰の返事もない。

 その様子を見て春日は、自身のヘッドセットのスイッチを入れる。

「高倉、スイッチ入れろ。聞こえないぞ?」

 慌てながらヘッドセットのスイッチを入れ直し、春日の足元を指差す。

「春日2曹!足元!子供!」

 春日に異変を告げる高倉のヘッドセット越しの声は、春日だけでなく全員にも聞こえ、泉沢は思わずカーゴベイを覗き込む。

「高倉、そんな事あるわけないだ・・・ろ・・・?」

 春日はヘッドセットのスイッチを入れながらしゃべっているのだが、座席の足元を自分の近くから見ていって、動きが固まってしまう。

 本来そこにあるべきではない、子供らしき後頭部を見つけてしまったからだ。

「春日!どうした!?報告しろ!居たのか!?」

 泉沢の呼びかけに、春日はすかさず報告しながら、慌ててベルトを外している。

「泉沢1曹!こ、子供です!子供1名発見しました!」

「子供1名発見だな!?」

 そのやりとりをヘッドセット越しに聞き、動揺の色を見せるコ・パイロット。

 彼の飛行時間は、なりたての新人よりは経験しているものの、隣に座る機長と比較するとその差は歴然としている。

「コ・パイ、集中しろ。」

 機長は、勤めて冷静にコ・パイロットに声かけをする。

「も、申し訳ありません、機長!」

「安全に降りてから謝れ。今はそれどころじゃない。」

 しかし、操縦桿を握る機長の右人差し指は、早いリズムでトントンと叩いているのがわかる。

 恐らく機長も心中では、冷静になろうとしているのではないかと思われる。

「Roger!!」

 コ・パイロットは慌てて、着陸手順とゴーアラウンド(着陸復行、着陸のやり直し)の手順を確認し始める。

「春日、聞こえるか?」

「はい、機長!」

「まだ、多少余裕はあるが、とにかく急いでシートに座らせてやってくれ。」

 機長は春日にそう伝えると、機体のコントロールに専念する。

 しかし、子供確保の報告が無ければ、また、あったとしても間に合わなければ、着陸をする事は発見された子供にとって危険になる可能性がある。

 今まで小さかったはずの滑走路RWY35も、先ほどよりも大きく見えてきている。

 機長の脳裏に、いつ入間タワーにゴーアラウンドの連絡を入れるかを考えた直後、カーゴベイから報告が入る。

「機長、子供を座らせました!急いで着陸してください!意識無し!呼吸ありです!」

「了解。コ・パイ、タワーに連絡しろ。要救助者1名で救急車の手配を要請。」

 即座に返答し、コ・パイロットへ入間タワーに連絡を入れさせる。

「了解です、機長。IrumaTower. This is……」

 機長はすかさず春日への現状確認を行う。

「ベルトは着用したか?」

 返答次第ではすぐにゴーアラウンド出来るよう、機長は心の中で準備する。

「今着用中・・・終わりました!」

「機長、すぐに救急車が待機してくれるそうです。」

 春日の返答と直後のコ・パイロットの報告を聞き、着陸に間に合うという安堵を覚える。

「了解した。」

 それと同時に、子供の意識が無い事と、もう一つの事で不安と疑問が湧く。

(なぜ子供がカーゴに?それも意識不明の状態でだ。空挺が乗り込む前?いや、それならロードマスターだけじゃなく、空挺の目もあったんだ。あれだけの人数が、スカスカのベンチシートの下に子供がいるのを見逃すはずがない・・・どうなってる・・・)

 極めて冷静に振る舞う機長だが、どうしても残る疑問を考えてしまう。

(いかん、集中しろ。)

 直ぐに意識を切り替え、機長は着陸の最終段階に備え、ヘッドセットで全員に注意を促す。

「まもなく着陸する。全員備えろ。」

 ヘッドセットから機長の声が聞こえて少しの時間、ジェットエンジンの音だけが機内を支配する。

(意識不明の子供がいる・・・極力丁寧なランディング・・・副大臣を乗せてると思え。)

 機長は未だかつて、経験したことのない出来事に不安に思う。

 しかし、機長昇格前に経験した、防衛副大臣の輸送任務を思い出して全神経を集中させる。 

 主脚が接地する軽い衝撃が機内に伝わり、直後小刻みな振動へと変わる。

 民間航空機でもそうだが、衝撃無く着陸するよりも、やや軽く衝撃があった方が安全に着陸できるとされている。

 機長はカーゴベイの子供の様子を気にしつつ、丁寧に、かつ、早くエプロンにタキシングさせなければと、減速していく機体をコントロールする。

 グランド(地上誘導)担当に引き継がれた管制からの誘導により、速度の落ちたC-1はゆっくりとした速度で滑走路から誘導路へと入っていく。

 機長は誘導担当の整備員を視認すると、その誘導のままにエプロンを進んでいく。

 コ・パイロットがふと、窓から機外を見ると、救急車1台が格納庫付近で停車していて、ちょうど中から衛生員らしき人物が、作業帽を抑えながら横のスライドドアから出てくるが確認できる。

「ロードマスター、停止したらすぐに衛生員が乗る事になっている。合図したらすぐに後部扉を開けろ。」

「春日、了解です。今ベルトを外して構いませんか?」

「少し待て。もう間もなく停止する。高倉もだ。」

「高倉、了解です。」

 春日と高倉は、ベルトのバックルに手をかけたままベルトサインが消えるのを待つ。

 機長はベルトサインを消すと、スロットルをアイドリング状態にして、停止処置をとる。

 春日と高倉は、はやる気持ちを抑えながらバックルを外す。

 春日は座ったまま子供のバックルを外して、高倉に後部扉を開ける準備をさせる。

 高倉は指示に従い、準備を進めるのだが、何気なくベンチの方を向くと春日によって横にされた子供が目に入る。

 子供の様子はというと血色は良さそうで、遊び疲れて寝ているようにも見える。

 そして同時に、この子供が着ている服装に気付き、目を見開いて一歩後ずさる。

「春日2曹、この子、フライトスーツ着てるじゃないですか!?」

 彼らと同じつなぎの航空機搭乗員用の作業着『フライトスーツ』を着ている。

「驚くのは後にしろ!」 

「はい!」

 しかし、高倉はつい気になってしまい、ちらちらと横にされた子供を見やる。

「ロードマスター、後部扉いつでも良いぞ。」

 ヘッドセットに機長の声が響くと、高倉はすぐさま後部扉を開け始める。

「春日、子供の様子はどうだ!?」

 コックピットを大木に任せ、泉沢が早歩きで近付いてくる。

「泉沢1曹!まだ、意識ありませんが、呼吸はしっかりしているみたいです。顔色も悪くありません。」

「そうか。ちょっと良いか?念のため脈を診ようと思う。一応、衛生さんへの引き継ぎもあるしな。」

「了解です。ここどうぞ。」

「悪いな。」

 そう言いながら、寝かせている子供の頭の側に腰掛けると、自身が着用しているアナログ時計を見ながら、微かに胸を上下させている子供の右手をとる。

 手首の親指の付け根あたりに人差し指と中指をそろえて、脈を診ようとする。

「ずいぶんと手が冷たいな?顔色良いのにどうしたんだ?」

「泉沢1曹、そんなに冷たいですか?」

 フライトエンジニアである彼が脈を診るのは些か不自然にも思えるが、救命の講習を受けたばかりであるのと、意識が無いのを気にして脈が弱っていないかを診て、衛生員に引き継ぐ程度のつもりであった。

 所が、泉沢は目を見開いたかと思うと、少しずつ顔色が悪くなり、狼狽えている様子を見せる。

「お・・・おい・・・こりゃ、まずいぞ!坊主、聞こえるか!?坊主!戻ってこい!」

 しきりに子供に話しかけながら肩を叩き始める泉沢の様子に、尋常でない雰囲気を感じ取り、高倉が反応して声をかける。

「泉沢1曹!」

「脈がない!急いで衛生呼んでこい!」

「高倉、頼む!」

 自身が開けた後部ドアから飛び出すように外に出る高倉。

「春日どけ!蘇生だ!」

 泉沢は春日を退かすと、子供を仰向けにする。

 そこへ停止措置を終えて、機長が春日の側に駆け寄る。

 コ・パイロットと大木はまだスイッチ類や計器類の確認を続けている。

「泉沢、何があった!」

「脈がありません!心マ(心臓マッサージ)行います!」

 叫ぶように機長に報告すると、胸に組んだ手をのせようとする直前、子供の口から「う・・・ん・・・」と聞こえ、唇が微かにその声に合わせて動く。

 そのタイミングで、後部ドアから高倉と空自の男性衛生員が飛び乗るように、駆け込んでくる。

「連れてきました!」

「患者はこの子ですか!?」

 高倉と衛生員が同時に叫ぶ。泉沢は、子供の口がさらに動くのが見え、左手を後部に向けると「ちょっと黙ってくれ!」と静止をかける。

「・・・こ・・・こ・・・は・・・い・・・」

 左耳を子供の口元に近付けると、一つ一つ聞き取り、周りに伝えていく泉沢。

「・・・る・・・ま・・・えあ・・・べーす・・・です・・・か?そうだ!ここは入間だ!」

 機長は険しい顔つきで子供を見つめている。

(この子供、全体が日本語なのに基地だけ“エアベース”?どういうことだ?“入間”でも、“入間基地”でもなく・・・“入間エアベース”・・・)

 機長達の疑問をよそに、泉沢、春日、高倉は子供が意識を取り戻したことに歓喜する。

 後部ドアの外側には、空自が所有する白い救急車が、誘導されながらバックしてくるのが見える。

「無事着いたんだぞ、坊主!良かったな!!」

 泉沢のその声が切っ掛けだったように、子供はゆっくりと目を開け、最初に目の前の泉沢を見てから、横の方にいる春日や機長達を見回すと、体を起こそうとする。

「坊主!無茶するな!衛生さん、診てやってくれ!」

 泉沢は場所をあけると、衛生員を手招きする。

「わ、わかりました!僕、横になったままでいいから、ちょっと手を出してもらえるかな?手首で脈を数えさせてもらうね?」

「わかりました。」

 ベンチシートのそばに衛生用のバッグと、AEDが入ったオレンジ色のバッグを置きながら跪くと、子供の右手首を取りながら腕時計を見る衛生員。

「・・・ちょっと手が冷たいかな?・・・ん?・・・」

 手をとった瞬間、子供の手が冬場に外で遊んだ時のような冷たさになっている事に、違和感を感じながら脈を探っているのだが、衛生員の顔が曇る。

「んー?ごめんね、ちょっと位置ずらすね?・・・あれ?・・・僕、ごめんね?左手出してもらっていいかな?」

「左手・・・ですね?どうぞ。」

 人差し指と中指の位置を変えては脈を確認するのを何回か繰り返すと、左手に変えて脈を診始める。

「あ、足の様子、診させてね?い、痛いところが、あ、あったら言ってくれるかな?」

 と、今度は子供の足首を出して触診を始めるのだが、踝のあたりをしきりに触っていて、怪我の様子を探っているようには見えないし、心なしか動揺しているようにも見える。

 機長が不審に思い、「どうした?」と声をかけると、衛生員は立ち上がり「申し訳ありませんが、ちょっと」と言いながら、機長をコックピット側へ連れて行く。

「なにがあった?」

 後部側に背を向けながら、小声で衛生員に声をかける機長。

 衛生員の額には玉のような汗が大量に浮かんでいる。

「機長、脈が・・・とれません。橈骨とうこつの左右ともに触れていません。念のため足首でも脈を確認しましたが確認出来ませんでした。更に手足の体温が異常に低いです。しかし・・・」

「しかし、彼には意識もあり、しゃべってもいる、か?」

 衛生員は小さく頷くと続ける。

「はい。ただ、子供の血管は大人に比べて細く、橈骨が触れていても分かりにくい場合が0ではありません。もう少し診てみます。」

「分かった。とりあえず俺だけに結果報告出来るか?」

「了解です。」

 衛生員は機長から離れると子供の側に置いたバッグの中から聴診器と、手のひらに乗るくらいの小さな白い箱を取り出す。

 春日と高倉は、外に集まっている他の隊員達に現況を説明している声が聞こえる。

「お待たせ、僕。お胸の音聞かせてもらいたいんだけど、それと一緒にこの箱を付けてもいいかな?注射みたいには痛くなくて、指に挟むだけなんだよ?人差し指でいいかな?」

「お願いします。」

 その白い箱はクリップのように指を挟むことができ、衛生員は差し出された右手の人差し指に箱を付けると、フライトスーツのチャックを下ろし、シャツの裾から中に手を入れ、聴診器を当てる。

「冷たいだろうけどちょっと我慢してね?息吸ってくれる?・・・息吐いてぇ。上手だね。はい、吸って・・・吐いて・・・」

 聴診器を動かしては止めて音を聞きを繰り返すと、衛生員は子供の指から測定が終わったのか、箱を外して素早くしまう。

 子供のフライトスーツのチャックを上げると、今度はペンライトと、アイスの棒を長くしたようなものを個包装したものを取り出し、子供に視線を合わせる。

 その個包装の袋には、緑色の文字で【滅菌済み個包装舌圧子(1本入り)】と書かれている。

「まだ、寝っ転がったままでいいからね?ちょっと首を触らせてくれるかな?それとこれで口の中も見せてね?出来るかな?」

 子供は小さな声で、「はい」と答えると少し顎を上げるようにして首を見せる。

 衛生員は両手の親指で喉を軽く触れると、手を離し「それじゃあ、お口の中見せてもらうね?」と、舌圧子の個包装を破きながら言う。

「あの、口を開ければいいんですか?」

「そうだよ?この棒でちょっとだけベロを押さえるけど、少しだけ我慢してね?」

「わかりました。」

 子供は軽く頷くと口を開ける。

 衛生員は、「すぐ終わるからね?」と言いながら、ペンライトの光を口の中に当てながら、舌圧子で舌を抑えながら口内を覗き込む。

「『あー』って声出してくれるかな?」

「あーー」

「ありがとう。それから、お熱計らせてね?」

 衛生員は舌圧子を処分して、耳で測定するタイプの電子体温計を耳に当てるとスイッチを入れる。

 ピッと音がすると画面で温度を読みとったのか、一瞬眉を上げると、こちらもすぐにしまう。

「申し訳ありませんが、泉沢1曹、彼のそばにいてあげてもらえますか?機長と話があるので」

 衛生員の後ろで心配そうにそわそわしていた泉沢に声をかける。

「分かった。側にいればいいのか?」

「はい、お願いします。」

 衛生員はもう一度機長の側に行くと、連れ立って先ほどとほぼ同じ場所に立つ2人。

「結果は?」

「呼吸音は正常でした。しかし心音が無く、SpO2エスピーオーツーが・・・ゼロでした。しかも体温が28.9℃と低体温・・・有り得ません・・・子供・・・いえ、“人”なんですか、あの子は?」

 衛生員の顔は、真っ青と言うよりも真っ白に近いぐらいに血の気が引いている。

「SpO2は『血中飽和酸素濃度』だったな?俺も低圧訓練受けたからその辺は分かるが・・・0って、器械の故障か、子供だから上手くつかなかったとか?体温計も壊れてるとかじゃないのか?現に彼は生きてるじゃないか。」

「着用については否定できませんが、故障は無いと思います。(パルス)オキシメータも体温計も今朝点検して、正常である事を確認しています。それに、段々と受け答えもしっかりしてきていて、低体温であることと脈が無い以外は普通の子供と変わりがありません。」

 血中飽和酸素濃度・SpO2とは、衛生員が子供の指先に付けていた箱・『パルスオキシメータ』という器械で測定でき、血液中の酸素濃度がどれだけあるのかを0%~100%の範囲で表す。

 平地での一般人のSpO2の値の目安であるが、96~100%が正常、95%未満が呼吸器不全の疑い、90%未満は在宅酸素療法のレベル、80%未満は危険域とされる。

 SpO2は高度が上がれば上がるほど、空気中の酸素濃度も下がるためSpO2の数値も下がる。

 これが高山病にもつながっている。

 そのため高い山(特にエベレストなど)に登る場合、時間をかけて低酸素状態に体を徐々にならしてから頂上にアタックする。

 それでもSpO2は、標高5000m(約16,000ft)を超えると80%を切ってしまう。

 それだけの危険が、高いところを飛行するパイロット達にも降りかかることになり、そのために『低圧訓練』等を受けて、低酸素状態ではどのような危険があるのか、また、その危険を回避するにはどうすれば良いかのすべを学んでいるのである。

 その事を踏まえたうえで、この子供のSpO2は『0%』、『低体温』で、心音も『無く』、脈も『無い』。

 つまり、この世の人間の常識に当てはめて導き出される答えは、『通常ならば生きているのが不思議な状態』、言い換えれば『死んでいてもおかしくない状態』なのである。

 機長と衛生員が話し込む中、寝ている子供の視線に合わせて跪く泉沢は、タイミングを逃してしまったのか、無言のままでいる。

 どさくさに紛れてしまったが、彼から聞かなければならない事が山ほどあるわけで、泉沢は少し言いにくそうにしながらも、子供に問いかける。

「坊主・・・少し話をしても、良いか?」

「はい、大丈夫です。体、起こしますね」

 そう言うと子供は体をゆっくり起こし、足を下ろしてベンチシートに座る。

「体起こして大丈夫か?気分悪くなったら、すぐに言え?遠慮は無しだからな?」

 泉沢も子供の左側に座りながら、気遣う言葉をかける。

「はい。ありがとうございます。」

 先ほどよりは元気そうな声で、返事を返してくる子供に、ほっとした泉沢は笑顔を作りながら、質問する。

「良い返事だな。それで、いつまでも坊主じゃ失礼だから、そろそろ名前、教えてくれるか?」

 子供は、泉沢を見上げて笑顔になると、はっきりとした声でこう答えた。


「はい、僕の名前は、C-1シーワンです。」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る