第6話《Bパート》
「……で、どうしてオレたちはここにいるんだ?」
「さ、さあ……」
ところ変わって、場所は江藤家の道場。その中央で、舞と一瀬が道着に着替えて、テーブルを挟んで向かい合っている。その様子を、先ほどまで練習をしていた道場生たちと一緒に翔太と譲が見ていた。練習が終わったばかりの蒸し暑く、汗臭い空気の中で、完全にアウェーとなっている翔太と譲はひきつった表情を浮かべている。
「江藤家家訓!!」
そんな二人の背後から、怒声のような大きな声が響く。思わず、翔太と譲の身体が跳ね上がった。
「いかなるものでも、勝負は常に真剣に!! そして!! 家族の中での勝負の場は、神聖なる、この、道場であるべし!!」
大声で言ったのは、充蔵だった。充蔵の言葉に、道場生たちが一斉に「押忍!」と勇ましい声で返事をすると、道場内の空気がびりびりと震えた。
「しょ、勝負って……ぶ、ブレバト……なんですけど……」
はは、と乾いた笑いを浮かべながら譲が呟くと、充蔵がぎろり、と譲を睨んだ。その視線を受けた譲が「ひぇっ」と悲鳴のような声を上げる。
「先ほども言っただろう、いかなる勝負でも真剣に、と。それが例え、ブレバトであっても」
充蔵は視線を譲からテーブルを挟んで向かい合う自分の子どもたちに変えた。真剣な充蔵の言葉に、翔太も譲も固唾を飲んだ。辺りに緊迫した空気が流れる中、充蔵が小さく息を吐き出した。
「……ところで、ブレバトって何かね?」
充蔵の疑問の言葉に、舞と一瀬以外の一同が、がくりと肩を落とした。どうやら、勝負という言葉だけを聞いて、充蔵はこの道場を開けたらしい。
「ええっとですね、ブレバトって言うのは……」
「説明は不要だろう」
譲が説明しようとしたが、それを一瀬が静かに遮った。眼鏡のブリッジを上げて位置を調整した一瀬が、向かいに立つ舞を見る。道着に身を包んだ一瀬は、制服姿の時の知的な印象は残したまま、その腕や胸元から見える筋肉から鍛えられている様子が伝わってきた。一方の舞の道着姿も、少女の身体とアンバランスというわけではなく、むしろ着慣れている様子が翔太にも感じられた。
「……舞さん、がんばれ……!」
翔太は拳を握りしめて、舞を見つめた。
「……あたし、お兄ちゃんには負けたくない。あたしだって、やりたいことがあって、やれることだってあるの。だから、この勝負に勝ったら! あたしがやることに、もう文句を言わないで!」
「なるほど。なら、俺が勝ったら、もうブレバトもダンスも諦めろ」
一瀬の言葉に、翔太が「え?!」と声を上げた。しかし、言われた舞の方はにやり、と強気な笑みを浮かべている。
「何言ってるの、お兄ちゃん。あたしが負けるわけないじゃん」
そう言って、舞はテーブルの上に置いてある自身のデッキから、一枚のカードを引いた。
「アルターコール! 『踊る拳士 ミーコ』!!」
テーブルの上に設置された簡易バトルシートの上にある、スマートフォンの上に舞はミーコのカードを置いた。スマートフォンからホログラフ映像が出て、そこにミーコの姿が映し出される。
「……アルターコール、『天水の巫女 レイカ』」
同じように、一瀬も自分のデッキから一枚、アルターカードをスマートフォンに置いた。映し出されたのは、明るい茶色の髪に青い瞳、腹部を露出した赤い服とミニスカートに身を包んだ少女――レイカだった。その姿からは、『巫女』という印象は薄く、活発な少女のように見えた。
「いざ! 尋常に勝負!!」
充蔵の宣言と共に、舞と一瀬がカードを引いた。
「チャージ! ドロー! ……あたしは、一枚カードをレイズ」
「同じく一枚レイズ」
「パーティーコール!」
舞の言葉と共に、二人が同時にカードを表に返した。
「あたしは『煌めきの獣 レーア』をコール!」
ミーコの前に、黄金色の毛並のいい狼が現れる。じゃれるようにミーコのそばによると、ミーコも微笑みながらレーアの頭を撫でた。
「俺は『天翔ける姫 オリヒメ』をコール」
一瀬が出したのは、朱色の長い髪をなびかせる女性。モチーフは織姫のようで、羽衣を身にまとっている。妖艶な笑みを浮かべて首を傾げる姿に、その場にいた男性陣は思わず頬を赤らめた。
「アクション! あたしは『レーア』でアタック!」
「俺はディフェンスだ」
ミーコが前方に手を出してレーアに指示を出す。オリヒメに向かって飛びかかったレーアだが、オリヒメは羽衣を前に振り上げてその攻撃を避けた。そしてレーアとオリヒメの姿は光に包まれて消えた。
「よっしゃあ! 次!!」
舞は勇ましく叫び、拳を前に突き出した。その表情は、やはり、楽しげなもの。
「……笑う余裕がよくあるものだな」
一瀬は冷たい視線を舞に向けた後、カードを一枚引いた。
「チャージ、ドロー。レイズ」
「行くわよ! 『頑強な拳 ブロンズ・フィスト』をコール!!」
舞が宣言すると、ミーコの右手に銅をベースに宝飾が施されたグローブが装着された。
「『プラチナコーデ スパーキング・スクールドレス』をコール」
一瀬がカードを出すと、ホログラフのレイカの姿が光りに包まれる。何事か、と一同は驚いたように見ていると、レイカの服が先ほどの赤い服から、黄色の学生服のようなものと変わった。ところどころに星のモチーフがあしらわれている服に身を包んだレイカの表情が、どこか引きつっているように翔太には見えた。
「ブレバトって、あんなカードもあるんだね」
翔太が苦笑いを浮かべながら譲に尋ねると、譲は首を傾げてレイカの姿を見ていた。
「譲? どうしたの?」
「いやー、あのカード……何かで見たことある気がするんだけど……」
「そうなの?」
「うーん……何だっけ……」
腕を組み直し、譲はまた首を傾げる。どういうことだろう、と思っていた翔太の耳に小さな声が聞こえてきた。
[おい、翔太]
「……ショウ?」
[戦況はどうなってる? ちょっと、見せてくれ]
「え、あ……う、うん」
ショウに言われ、翔太はデッキからショウのカードを取り、周りに見えないよう手の隙間からショウにもバトルの様子を見せた。
「エフェクト、『きらめきオン・ステージ』でチャージを二枚増やすことができる」
「残念ね、お兄ちゃん! あたしは『ブロンズ・フィスト』でアタックよ!!」
舞の宣言と同時に、ミーコは軽やかなステップを踏む。たん、と跳躍すると、レイカの視界からミーコの姿が消える。
[なっ?!]
[こっちよ、アイドルさん]
レイカが振り向くと、目の前にミーコの姿があった。ふっと穏やかに微笑む姿からは想像できない衝撃が、レイカの腹部から全身に走る。
[きゃあああっ!]
レイカの身体は勢いよく吹き飛ばされる。悲鳴を上げながら、レイカが地面に叩き付けられると、ドレスが光りに包まれて消えて、また赤い巫女装束へと戻った。
「与えるダメージは2! さらに『ブロンズ・フィスト』でアタック成功したとき、効果『たゆまぬ成長』が発動! これであたしは手札を二枚増やす!」
「……」
舞が宣言し、デッキから二枚カードを引いた。一瀬は自分のBフォンに映し出された『8』という数字を確認した。
「次だ」
「よーっし! ドロー! チャージ、ドロー! えーっと……カードをレイズ!」
「いちいち騒がしい奴だ。カードをレイズ、パーティーコール」
大声で言う舞に対し、一瀬はため息交じりに言いながら、カードをセットした。
「俺は『未熟な歌姫 ぷち・でぃーば』をコール」
「あたしは『永久の舞姫 ナターシャ』をコール! もういっちょアタック!」
「少しは学習したらどうだ。ディフェンスだ」
レイカの前に出た小柄な少女がマイクを持って大声を出す。空気が揺れ、レイカに向かって駆けていたナターシャが吹き飛ばされた。
「『ぷち・でぃーば』がアクションを成功させたとき、チャージを一つ増やすことができる」
「むう……でも、ライフはお兄ちゃんの方が少ないんだからね?」
「さあ、どうだろうな」
一瀬は自分のチャージゾーンにカードを置きながら舞の言葉に静かに返した。そしてドローとチャージを終え、二人はパーティーカードをコールした。
「あたしは『大地の守護 ガイア』をコール! ディフェンス!」
「『屈強な拳 シルバー・フィスト』をコール。アタックだ」
銀色のグローブを装着したレイカがミーコに向かって駆けるが、ミーコの前にガイアが現れ、両手を広げて守りの姿勢を取った。舞も、確信のような笑みを浮かべる。
「このアクションは失敗ね、お兄ちゃん」
「『シルバー・フィスト』のアタック時効果、『ガードブレイク』。このカードは、ディフェンスされない」
「え?!」
一瀬の宣言を受けたレイカが、にやりと笑う。シルバー・フィストがぎらぎらと輝き、美しいフォームでレイカがガイアと、その後ろに立つミーコに拳を振るった。
[さっきのお返しよ! ダンサーさん!!]
[きゃあっ?!]
悲鳴を上げ、ガイアが光となって消える。そして、ミーコも地に叩き付けられた。
「そ、そんな効果あり?! っていうか、お兄ちゃんもそのカード持ってるとか聞いてないんだけど?!」
舞は自分のBフォンのライフが7に減っているのを見た後、一瀬に向かって叫んだ。
「言う必要もないだろう。俺がどんなデッキで、どんな戦法を使おうが、俺の勝手だ」
「それならあたしだって同じじゃん! あたしがブレバトやろうがダンスやろうが、あたしの勝手でしょ?!」
「何度も言わせるな。自分のことがまともに出来ていない奴が、自分のことを決められるはずがないだろう」
再び、舞と一瀬の間に見えない火花が飛び散る。一方、ホログラフ上の女子二人の様子も、穏やかな空気ではなかった。
[へえ……ただ歌って踊るだけの女の子かと思ったら、意外とやるのね?]
立ち上がったミーコが、乱れた髪を整えながらレイカに言う。言われたレイカは腕を組み、仁王立ちでミーコを見た。
[言っとくけど、アタシはアイドルなんかじゃなくて、巫女だから]
[あら? 巫女って言う割には、あんまりお行儀がよくないんじゃないの?]
[そういうオバサンこそ、歳の割にはよく動くんじゃない?]
[……へえ、オバサン……?]
レイカの発言に、ミーコの眉間に深い皺が刻まれる。ミーコの堪忍袋の緒が切れる音が、翔太とショウの耳に届いた――ような気がした。
「……なんか、大変なことになってる気がする……」
[おれも、そう思う……]
震える声で、翔太とショウは小さく呟いた。
ラウンドは進み、舞のライフは4でチャージが6枚、一方の一瀬のライフは5でチャージが8枚という状況になっていた。
「……舞、いい加減わからないか」
一瀬に言われ、舞は表情を歪ませる。
「わかるって、何が」
「今の状況だ。お前は、負ける」
はっきりと一瀬に言われ、舞ははっと目を開いた。
「お前は、父さんたちや俺の言うとおりにしていればいい。それで何も問題ない」
「何なのそれ! ふざけないで!! あたしにはあたしのやりたいことだってあるんだよ?!」
「やりたいことをして、失敗したらどうする。無駄に終わったらどうする。ダンスも、ブレバトも」
一瀬の言葉を聞き、譲はむっと表情を曇らせた。
「何だよあいつ、舞さんがする前から失敗する、みたいに言いやがって」
「うん……でも……」
譲の怒る気持ちも理解できたが、翔太は視線を一瀬に向けた。その目は確かに鋭いものだが、しっかりと舞を見つめている。
「多分、それだけじゃないと、思う」
「……え?」
翔太の言葉に譲が不思議そうな声を上げた時。
「パーティーコール!! あたしは『王女の涙 クイーンズ・ティア』をコール!」
舞が宣言し、ミーコの頭に紫の宝石が輝くティアラが乗った。ミーコはティアラを乗せた状態で、拳を握って相手の攻撃に備えて構える。
「アクション! ディフェンス!!」
「ブレイク」
一瀬の宣言に、翔太と譲が目を見開いた。
「舞さん!」
翔太の声を聞いても、舞は動じた様子を見せない。それどころか、口元に笑みを浮かべているように、翔太には見えた。
「『ラストライブ・ミラクルステージ』。チャージを7つドロップすることで、相手に4のダメージを与える」
一瀬が表に返したブレイクのカードは、キラキラとホログラム加工されているもの。中に描かれているのは、大勢のアイドルが踊っている姿だった。
「これで終わりだ、舞」
同時に、ホログラフで映し出されていたレイカの周りにキラキラとした光が当たり始める。レイカが目の前に現れたマイクを持つと、その周りに一瀬が先ほどコールした少女たちが一斉にあらわれた。
[ライブ、スタート!]
レイカが天に人差し指を向けて言うと、スマホから音楽が鳴り始める。その曲に、翔太はどこかで聞き覚えがあった。
「この歌……何の歌だっけ……」
[ミーコ!]
翔太が思考を巡らせようとした時、ショウの叫びが思考を遮った。
[これでライブもバトルも、終わりよ!]
レイカの宣言と同時に光がミーコの周りに現れる。
[フィニッシュ!!]
あたりが強く光った後、ミーコのホログラフが暗闇に包まれた。しん、と同乗の中が静まり返る。
「終わったな」
一瀬はそう言って、眼鏡のブリッジを上げた。が、
「まだ、ステージは終わってないよ、お兄ちゃん」
舞ははっきりと言った。その言葉を聞いて、一瀬は眉を歪めたが、舞のホログラフに視線を移して表情を変えた。
「……何?」
暗闇の中、紫の輝きが一つ。その光は強くなり、中からミーコの姿が現れた。
「『クイーンズ・ティア』の効果! アクションに失敗してダメージを受けるとき、ライフ1を残すことができる! これが、『最後の涙』!!」
舞の宣言が終わると、ミーコの頭の上からティアラが光となって消えた。ミーコを見ていたレイカの表情が険しく歪む。
「ねえ、お兄ちゃん。あたし、やっぱりブレバトやりたい」
「何?」
「だって、こんなに楽しいんだもん!」
舞はキラキラとした瞳を一瀬に向け、はっきりと言った。その言葉に、一瀬ははっと目を開いた。
「あたし、こんな風にお兄ちゃんとバトルできて、嬉しいよ! それに、翔太くんや譲くんとも、忍ちゃんともまた遊べて! 楽しいの!」
そう言って、舞はカードをセットする。その姿を見て、一瀬は「ああ……」と小さく声を漏らしていた。目を閉じて小さく息を吐き出した一瀬の表情は、それまでと、違っていた。
「私はチャージを五枚、レイズ! いくよ、お兄ちゃん!!」
「ああ」
一瀬がカードをセットし終えると、二人は同時にカードを表に返した。
「パーティーコール! 俺は、『駆け出しアイドル 風奈』をコール! アタック!」
「お兄ちゃん、覚悟! ブレイク!!」
舞が宣言すると、ミーコのホログラフが再び闇に包まれた。
「『幕引きの輪舞 ラスト・ダンス』! チャージを5レイズすることで、相手に5のダメージを与えることができる! ミーコ、踊るよ!」
舞は一瀬に向かって指をさして叫んだ。同時に、ミーコの姿がスポットライトに当てられたように照らされる。目を閉じて立つ姿は、スポットライトに照らされて、静かに輝く。
[さあ、これが本当の……ラストステージよ]
ミーコは目を開け、レイカに向かって駆けだした。それに向かって一瀬がコールした風奈が立ち向かうが、ステージの暗闇の中、風奈の姿は消えた。その直後、レイカの目前にミーコの笑みがあった。
[なっ……?!]
[Shall we dance?]
レイカの耳元で、ミーコが囁く。そして、周囲にどん、と、低い音が響いた。レイカの腹部に、ミーコの拳が、真っ直ぐに入った。
[きゃああああ!!!!]
レイカの身体は勢いよく吹き飛ばされ、地面に叩き付けられた。ミーコはくるり、と一回転して、深く礼をした。
一瀬は自分の右手につけているBフォンを見て、小さく息を吐き出した。
「ライフはゼロ……俺の、負けだ」
視線を画面から舞に向ける。舞も、兄の顔をじっと見つめていた。
「お兄ちゃん。あの、あたし」
「確かに今回俺は負けた。だが、お前のデッキはまだまだ未熟だ」
一瀬はそう言うと、眼鏡のブリッジを上げた。レンズが一度反射した後、映し出された一瀬の瞳は、柔らかな笑みを浮かべていた。
「もっと、強くなれよ」
「……お兄ちゃん!」
「勝負あり!」
充蔵のはっきりとした声が、道場内にぴんと響いた。その言葉を聞いた一瀬と舞、そして道場生たちは背筋を伸ばして気をつけの姿勢を取った。
「この勝負、江藤舞の勝利! 互いに、礼!」
「ありがとうございました!」
舞と一瀬は互いに向かって、深く礼をした。その光景に、翔太がポケットの中にショウのカードを収めた後、拍手を鳴らした。最初は翔太だけだったが、充蔵、譲、そして道場生たち全体に渡り、道場の中は拍手の音で溢れた。
「素晴らしい勝負だった。俺はこのゲームのことは全く知らないが、それでも舞も、一瀬も、真剣に勝負をしていた姿勢ははっきりと伝わった。互いの思いをぶつけ合い、思いを伝え合う。これこそ、真剣勝負というものだ!」
充蔵が叫ぶように大きく言うと、道場生たちが一斉に「押忍!!」と叫んだ。充蔵のそばにいた翔太と譲はまだ慣れない様子で、大声にびく、と肩を震わせていた。
「でも……本当に、すごかった。舞さんも、一瀬さんも!」
「ああ! でもなあ……あのカード、どっかで見たことあるんだけど……なんだっけ……」
譲が翔太の言葉に頷きながらも、先ほどの一瀬のカードのことを思い出せない様子で首を傾げていた。そういえば、と、翔太も一瀬のブレイクで流れた曲について考え始めた。
「一瀬さんのブレイクの時の曲……なんか聞き覚えがあるんだけど、どこで……」
翔太と譲、二人はうーんと唸りながら思考を巡らせていた。ドレス、歌、ステージ、アイドル、――あの、輝くステージへ!
「ああああっ!!」
思考が一致したのか、翔太と譲は同時に声を上げた。
「思い出した! あのカード!! ドリライとブレバトのコラボカードだ!!」
「あの曲!! ゲームセンターで聞いた!! ドリライの曲だ!!」
もちろん、二人の叫ぶような声は舞の耳にもしっかりと届いており、「え?!」と驚いたような声を上げて目の前の兄を見た。
「ど、ドリライ?! って、え、お兄ちゃん、どういうこと?!」
「……」
舞の問いに、一瀬は舞から視線をそらしただけで、答えようとしない。道場生たちも、さすがにドリライの存在は知っているようで、困惑の表情を浮かべてひそひそと話している。そして、唯一状況を理解していない充蔵がむっと表情を歪ませていた。
「何だ。その、どりらい、というのは」
「ドリライって言うのは……」
「そ、それ以上言うな!!」
譲が説明しようと口を開いた直後、遮るように一瀬が叫んだ。それを見た充蔵が、ぎろり、と一瀬を睨む。
「一瀬! お前、父親に言えぬような行為をしたと言うのか!!」
「ち、ちが……」
「あらー? 舞と一瀬の勝負はもう終わっちゃったのかしらー?」
充蔵と一瀬の間の緊迫した空気を砕いたのは、道場に入ってきた女性の声だった。
「あ、あれは……」
「お母さん!」
誰か、と翔太が問うよりも先に舞が答えを言った。一瀬と舞の元に歩いてきたのは、二人の母親である、江藤
「で、勝負はどっちが勝ったの?」
「あたしが勝った!」
加代の問いに、舞が手を上げて言う。加代は「あらー、よかったわね!」と舞の頭を撫でた。茶色のふわふわとした髪と、丸い瞳は、舞によく似ていた。
「本当によかったわね、一瀬。舞と一緒に遊べて」
「……え?!」
ふふ、と笑いながら言う加代の言葉に、舞は驚いたような声を上げた。
「だって、一瀬はずっと舞と遊びたかったんでしょう?」
「なっ?!」
加代の次の言葉には、一瀬が困惑したような表情で叫ぶように声を上げた。
「忍くんが道場辞めて、一瀬も受験勉強。舞が寂しくしてるの知ってたから、次に遊ぶときは舞と一緒に遊べるもの、って言って私に『最近の女の子が好きなものは何だろう』ってお母さんに聞いてきたんでしょう?」
「えっ、いや、その」
「お母さんも舞の好みの事、ちゃんと知らなかったから、最近流行ってるって言うドリライの話をしたらねえ……まさか一瀬がハマっちゃうとは思わなかったわ」
「何でそれを知っている?!」
一瀬が顔を真っ赤にさせて叫ぶ。加代はくすくす、と楽しげに笑っている。
「あらー? あなたの部屋の掃除、毎日誰がしているのかしらねえ」
「うっ……」
「お兄ちゃん……今の話、本当なの?」
そして一瀬と加代のやり取りを聞いていた舞が、ようやく口を開いた。ぱちぱち、と瞬きをしながら尋ねる舞にようやく視線を合わせ、一瀬は諦めたようにため息を吐き出した。
「……ああ」
肯定するように、一瀬はゆっくりと頷いた。
「ずっと、お前の相手が出来なかったからな……だから、また」
「また、ブレバトしてくれる?」
舞は一瀬の元に駆け寄り、尋ねた。その言葉に、何と返事をするか――考えるまでもなかった。
「ああ、もちろん」
「あの!」
ぱたぱた、と駆け寄ってくる足音と声が一瀬の耳に届いた。舞の隣に、翔太と譲が立った。
「……一瀬さん、本当は、舞さんのことが大好きなんですよね」
「え?」
翔太の唐突な言葉に、一瀬は目を丸く開いて声を上げた。
「あの、舞さんにダンスの事とかブレバトの事とか言ってたのって、その、失敗して舞さんが傷つくのを心配してたんですよね……って、おれが、勝手に思っただけ、かもしれないんですけど……」
翔太はおどおどと、不安げに一瀬に言った。一瀬は小さく首を振り、そして穏やかに微笑んで「ありがとう」と言った。それから、一瀬は視線を舞に向けて、その頭を優しく撫でた。
「ブレバトを通して、いい友達ができたようだな、舞」
「……うん!」
舞が返事をすると、翔太と譲は顔を合わせて、にっ、と笑った。
「それでは今日の練習はここまでとする!」
充蔵が宣言すると、道場生は一斉に深く礼をして、「ありがとうございました!!」と叫んだ。やはり柔道生たちの圧倒的な大声に慣れない翔太と譲は、本日何度目か、と言うように肩を震わせた。道場生たちがぞろぞろと道場を去る中、どうしたらいいのかわからない翔太と譲はきょろきょろとあたりを見ていた。
「さあて、今日の勝負も終わったことだし、お茶にでもしましょう! クッキーを焼いたから、二人も食べていかない?」
ぱん、と手を軽く鳴らして加代が翔太と譲に声をかけた。二人の表情はぱあっと明るくなり、「はい!」と元気よく返事をした。
「それじゃあ、家に戻ろう。舞、一瀬、行くぞ」
「はーい!」
「はい」
にこり、と笑いながら充蔵が言うと、舞と一瀬が返事をして充蔵の後ろを歩いた。
「ところでお兄ちゃん、ドリライどれぐらいやってるの?」
「……今は、トップクラスアイドルだ」
「何?! 全然わかんないけどすごそう!」
「そうだ、そのドリライだとか、ブレバトだとか、説明してもらおうか」
「そうねー。お母さんも二人が好きなもの、いろいろ知りたいわ」
江藤一家のそんなやり取りを、一歩後ろを歩く翔太が見つめていた。
「翔太? どうしたんだ?」
「……ううん。なんか、こういうの、いいなあって、思っただけ」
譲が不思議そうに首を傾げるが、翔太は首を振って、「なんでもない」と答えた。
「翔太くーん! 譲くーん! 早く来ないとクッキー、全部食べちゃうぞー!」
「あ、はーい!」
「オレだって食べたいー!!」
舞の言葉に、翔太と譲は手を振りながら答えて、道場を駆け抜けた。
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