第2話《Aパート》

「翔太ー? 起きてるー?」

 部屋の外から聞こえてきた声を聞いて、翔太はうっすらと目を開けた。

「翔太? しょーうーたー? そろそろ起きないと、遅刻しちゃうわよー?」

 目を開けるとそこは、いつもの自分の家の、自分の部屋だった。

「……今、何時?」

 起き上がってBフォンを起動させると、『7:20』の文字が浮かび上がった。外から聞こえてくる声の言う通り、そろそろ準備をしないと学校に遅刻してしまう。翔太は大きなあくびをして、ベッドから出た。

 いつの間に寝ていたのだろう。翔太はあまり、昨日のことを覚えていなかった。いや、もしかしたら昨日の出来事は夢の中の出来事だったのかもしれない。そう言い聞かせて、翔太は着替えようとタンスに向かって歩く。自分の姿はいつものパジャマ姿。ああ、やっぱり昨日のことは――カードが喋るなんてことは、夢だったんだ。そう納得して、翔太はふう、と安心したような息を一つ吐き出した。

[全く、一体何度起こされたと思ってるんだ、お前]

 ベッドのすぐそばから、誰かの声が聞こえてきた。準備をしようと動いていた翔太の動作が完全に停止する。ぎこちなく首を動かしてベッドを見ると、そこには一枚のブレバトのカードがあった。

[ん? なんだ、その顔は]

 カードの中にいる、ショウが腕を組んで、そして首を傾げた。

「……う、うわあああああああああっ?!」


「朝から元気がいいのはいいけど、そんなに大声出したらご近所さんにも迷惑でしょう?」

「ご、ごめんなさい……母さん……」

 着替えを終え、リビングで朝食を待つ翔太に、母親のまりこが注意を入れる。

「それにしても、何があったの? 翔太があんな声出すの、お母さん初めて聞いたよ?」

「え?! あ、えっと、その、変な夢を見たんだ! それがもう、びっくりするぐらいの夢で!」

「あらあら。それなら、お父さんにも報告しなくっちゃ」

 くすくす、と笑いながらまりこは翔太の前に目玉焼きとトースト、サラダを置いた。

「い、いいよ?! 父さんにはそんなこと言わなくたって!」

「そんなこと言って、昨日の報告、ちゃんとしてなかったでしょう? だめよ、お父さんには一日一つ、なんでもいいから報告するって決めたでしょう?」

「う、うん……」

「じゃあ、朝ごはん食べたらお父さんへの報告ね」

 まりこが言うと、翔太はしぶしぶ、と言うように返事をしてトーストをかじった。

 それから食事を終えた翔太は、リビングにある写真台の前に座って手を合わせた。

「えーっと、父さん。昨日の報告が遅くなりました。昨日は……あ、体育の授業で、50メートル走して、一番になりました! あと……譲に言われて、ブレバトを始めました」

「あら? それ、お母さんは初耳だけど?」

「ちょ、ちょっと勝手に聞かないでよ!」

 翔太の後ろから、まりこが笑いながら言うと、翔太は怒ったような、慌てたような表情でまりこを睨んだ。それでもまりこは楽しそうに微笑んでいる。

「ブレバト、最近流行ってるみたいだもんね。面白そう?」

「まだ、全然ゲームもしたことないからわかんない……今日、譲とする約束だけど」

「そうなんだ。じゃあ、譲くんにいろいろ教えて貰わないとね」

 そう言って、まりこは自分のBフォンを操作して、時計を映し出した。

「はい、時間」

 表示された『8:00』の文字に翔太は「あっ?!」と声を上げた。

「やば、遅刻しちゃう! い、行ってきます!」

 翔太は鞄を肩にかけてばたばたと家を出て行った。

「行ってらっしゃーい。さて、私も部屋の掃除しないとね」

 まりこは言いながら、先ほどまで翔太が手を合わせて報告していた写真を見る。たくましい体つきの、笑顔の男性。――まりこの夫であり、翔太の父である、日村ひむら雄一ゆういち

「今日も見守ってあげててね、あなた」

 まりこは写真に微笑みかけ、リビングを出た。


「おはよう翔太! 昨日、ちゃんとルールブック読んだ?!」

 学校に到着するなり、翔太にニコニコと満面の笑みで声をかけてきたのは譲だった。その譲の言葉を聞いて、翔太はびく、と肩を振るわせた。

「え?! え、ええっと、ま、まあ……ちょっと……」

「ちょっとー? 何だよ、ちゃんと読んでないのかよー」

「いや、その、読んでみたんだけど……やっぱりよく、わかんなくて……」

「まあそうだよなあ。じゃあ、今日、シャインで一緒にプレイしようぜ! ほら、ちゃーんとオレも持ってきたし!」

 譲はそう言って、カードケースを翔太に突き付けるように見せた。

「あ、そういえば翔太ってアルターカード決めた?」

「え、あ、えっと……まだ……」

「まだかよー。じゃあ、それも今日決めような。別に一つにしなくてもいいけど、最初のうちは一枚決めて強化させた方がやりやすいし」

「う、うん……」

 翔太はちらり、と自分のポケットに目を向けた。その中には、譲が見せているものと同じようなカードケースが入っている。もちろん、カード――『剣の勇者 ショウ』のカードも入っている。

「翔太? なんか、さっきから変だぞ?」

「え?! な、何が?!」

「いや、なんていうか……オレの話聞いてる?」

「き、聞いてるよ!」

「そうか?」

 譲の疑う様な視線に翔太はぶんぶんと首を振って否定する。

「んー、それならいいけどさあ。じゃ、今日の放課後楽しみにしてるぜ!」

 にっと歯を見せて笑う譲に、翔太は苦い笑みを浮かべるしかできなかった。


 授業中、翔太はポケットの中にあったカードケースをこっそりと取り出し、中から一枚のカードを出した。『剣の勇者 ショウ』――今は全く動く様子を見せず、ただのカードと化している。

「やっぱり……夢、だったのかなあ……」

 昨日の夜、そして今朝。翔太の目の前で、このカードの中のショウが動いて、そして、喋った。しかし、朝の一件の後、ショウは喋ることなくそこに描かれているだけだった。

「――日村!」

「は、はい!」

 ぼんやりと考えていた翔太の耳に、大きな声が届いた。

「教科書、45ページから、読んでー」

「あ、は、はい!」

 担任の教員に言われ、翔太はポケットの中にカードを収めて教科書を読み始めた。


 そして、放課後。

「こんにちはー、真澄さーん!」

 翔太と譲はカードショップシャインにやってきていた。

「いらっしゃい、譲くん、翔太くん」

「こ、こんにちは」

「真澄さん! どっかバトルテーブル借りてもいいー?」

 店内に入ると、真澄が笑顔で二人を迎えた。まだカードショップに慣れていない緊張の表情の翔太と対照的に、慣れた様子で譲は店の奥に入る。

「今は誰も居ないから好きなところ使ってもいいわよ」

「ありがとー!」

「すごい、店の奥でバトルできるんだ」

 昨日入った時には気付かなかった翔太は、商品棚の奥にあるバトルスペースを覗き込む。そこには4台のバトルテーブルがあり、誰でもカードゲームができるようになっている。

「なんか、本格的って感じ」

「だってカードショップだからなー。けど、シャインってブレバトのアーケードは入れてくれないんだよなあ」

「仕方ないでしょう? ああいうのを入れるのもなかなか大変なのよ?」

 譲のぼやきに、真澄がはあと大きく溜息を吐き出した。翔太は首を傾げて、譲に尋ねる。

「アーケードって?」

「ブレバトのアーケード。ブレバトって、ネットワークのゲームと、ゲーセンでできるのと、普通にアナログでできるんだぜ」

「な、なんかすごい……」

「そうねえ。私も最初、ブレバトが出たときはびっくりしたもの。今まで、こんな風に連動したゲームってなかったからねえ」

 驚く翔太の横で、しみじみ、と言った様子で真澄が頷く。

「あ! 翔太、ゲームする前にパック買ってもいい?」

「え、あ、うん」

「今日さあ、ニュースの占いでオレの運勢大吉って出ててさあ」

 と、譲が翔太の方を見ながらカードコーナーに向かおうとした時、譲の進行方向に誰かが立っていた。大柄な人影に気付いた翔太が声を上げる。

「あ、譲!」

 その直後に譲と誰かはどん、とぶつかってしまった。

「わっ!」

 譲はぶつかった勢いで尻餅をついてしまった。その拍子で、ポケットの中に入れていたカードケースが飛び出て、中からカードがばらまかれてしまった。

「譲! 大丈夫?」

「ああ、うん……えっと、すみませ……」

 翔太が譲の元に駆け寄る。譲も顔を上げてぶつかった人物に謝罪をしようとした。が、その人物を見て、譲の表情がこわばった。

「何で、お前……」

「譲……?」

 学ランを着崩した、モヒカン頭の大柄な男は散乱した譲のカードの中から一枚をそっと拾い上げた。

「へえ、『深海の賢者 マーリン』……強化しまくってんじゃねえか」

「おい! オレのカード返せよ!!」

 譲は立ち上がり、その人物に向かって走り出す。

「ちょっと、譲?!」

「うるせぇ!」

 その人物は、向かってきた譲を突き飛ばした。

「譲!」

「ぶつかってきたことは、このカードでチャラにしてやるよ」

「うっわー、DDマジやっさしー!」

「ガキ、DDの優しさに感謝しろよな!」

 モヒカン頭の後ろから、背の高い痩せた少年と背の低い小太りな少年が現れながら言った。学ランを着崩した三人組はにやにやと笑いながら、倒れた譲とそのそばに駆け寄った翔太を見下している。

「くっそ、DD……」

「DD……?」

「ダイゴくん」

 困惑する翔太の頭上から、真澄の声が聞こえてきた。それは、昨日今日と関わってきた中で聞いたことのない、低い声だった。

「真澄さん……?」

 翔太が見上げると、そこには先ほどまで自分たちに向けていた笑顔とは全く違う、険しい表情だった。

「ここにはもう来ないように言ったはずでしょう」

「何だよ、客が好きに入っちゃいけねえのかよ」

「……譲、あの人は……?」

 真澄とモヒカン頭の間に漂うただならぬ空気に、翔太は思わず隣にいる譲に小声で尋ねた。

「あいつはDD……大門寺だいもんじダイゴ。元はこの店の常連の中学生なんだけど、最近なんかおかしくて……」

「おかしい?」

「いきなり人のカード取ったり、大声で脅して来たり……それまで普通にブレバトしてたんだけど……」

「きゃあ!」

 どんっ、という音と真澄の悲鳴が、翔太と譲の耳に届いた。真澄が床に倒れ込み、そのそばにモヒカン頭――ダイゴが迫っていた。

「ほら、どうしたんだよ? 俺を力尽くでも追い出さねえのかよ?」

 下品な笑い声をあげながらダイゴとその取り巻きの中岡と小山が真澄を取り囲んだ。

「まあいい。とりあえず、今日はこのカードが手に入ったから、出ていってやるぜ」

 にやり、と笑いながらダイゴは先ほど拾った『深海の賢者 マーリン』のカードを真澄に見せつけた。それを見た譲がはっと目を開いた。

「オレのカード……!」

 立ち上がろうとする譲だったが、二度も突き飛ばされた痛みで動けずにいた。真澄も同じような状態で、店から出ようとするダイゴを止められる様子ではない。翔太は動けない二人と、店を出ようとするダイゴたちとを何度も見比べる。

「どうしよう……」

[お前は、どうしたいんだ]

 翔太の耳に、声が聞こえてきた。翔太は目を見開く。

「どう、するって……」

 大柄なダイゴの前に、自分が敵うはずはない。けれど、このままでいいと思えるはずもなかった。

「待て!!」

 その声に、ダイゴの足が止まった。それに釣られて、中岡と小山の足も止まる。

「DD?」

「どうしたんっすか?」

 二人が不思議そうにダイゴを見るのを無視して、ダイゴはゆっくりと振り向いて翔太を睨んだ。

「何だ、ガキ」

「……と」

「あァ?」

 俯きながら言う翔太に、ダイゴが威嚇するような声を上げた。翔太はぎゅっと左手で拳を握り、右手をポケットに突っ込んだ。そして、カードケースを取り出し、それをダイゴに見せつけて言った。

「おれと!! ブレバトで勝負しろ!!」

 まっすぐにダイゴを見つめて、翔太ははっきりと言った。

「……ハァ?」

「おれと勝負して、おれが勝ったら! 譲のカードを返して、もうこの店に来るな!」

「じゃあ、俺が勝ったら、このカードも、お前のカードも全部まとめてもらっていいんだな?」

 にやり、と、不気味な笑みを浮かべるダイゴを見た翔太はごくり、と喉の奥を鳴らして、それからしっかりと頷いた。

「ハハハ! いいぜ、やってやるよ! まあ、どうせ俺が全部もらうんだけどなぁ?」

 ダイゴが高笑いを上げるのと対照的に、翔太の表情は、固いものとなっていた。

「なら、ゲームは準備をするから五分後でもいいわね、ダイゴくん?」

 そこで、ゆっくりと身体を起こした真澄がダイゴに提案を入れた。

「ハァ? ……まあ、好きにしろよ」

 怪訝そうな顔をしていたが、「どうせ勝つのは俺だしよ」と言いながらダイゴは先にバトルスペースに入った。

「……しょ、翔太……?」

 先ほどからダイゴに向かった姿勢のままで固まっている翔太に気付いた譲が、翔太に声をかける。

「……しよ、う」

「え?」

「おれ、ど、どうしよう……?」

 ゆっくりと譲の方を見た翔太の表情は、今にも泣きだしそうなもの。

「……だ、大丈夫……じゃ、ないよな……」

 譲はただ、それだけしか言えなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る