第8話《Aパート》

「えー?! 譲、またやり直しテストなの?!」

 とある放課後。翔太は譲に向かって怒りと呆れの入り混じったような叫びをあげた。譲は「えへっ」と悪びれた様子もなく笑っていた。

「もう……今日はちゃんとテストあるって言われたやつだったのに……」

「いやあ昨日さあ、家でデッキ調整してたんだよ!」

「譲……」

 ニコニコと笑いながら言う譲に、翔太は呆れのため息を大きく吐き出すしかできなかった。

「ってことで、オレはテスト終わったらシャイン行くからさ!」

「はーい。じゃあ、テスト頑張ってね」

「おう!」

 にっと歯を見せて笑う譲に、翔太はやれやれ、と思いつつも手を振って教室を出た。放課後になり、帰宅する者や遊びの約束をする者、クラブ活動に向かう者と廊下はごった返していた。そんな中、人とぶつからないように器用によけながら、翔太は小走りで廊下を進んでいた。

「今日は忍さんや要さん、いるかなあ」

 早くシャインに行きたい、と思いながら走っていると、廊下の曲がり角から、誰かが出てきた。

「え?!」

 足を止めようとした翔太だが、時はすでに遅かった。勢いのまま、翔太と曲がり角から出た人物はぶつかってしまった。

「うわあ?!」

 どん、という激しい音を立てて、翔太は尻餅をついた。相手も同じように床に尻餅をついていた。その周りには、彼の荷物であるプリントが散乱していた。

「うわ?! ご、ごめんなさい!!」

「……」

 翔太は慌てて自分のそばにまで落ちたプリントをかき集める。一方のぶつかった相手は、ゆっくりと身体を起こし、足元のプリントを拾い上げた。

「だ、大丈夫ですか……? ごめんなさい、おれ、ちゃんと前見てなくて……」

「……別に」

 翔太は自分が集めたプリントを相手に差し出しながら言う。相手の少年は、翔太に視線を合わせることなく、手元のプリントだけ見て一言返した。

 黒い髪に伏せられた黒い目。黒いインナーと灰色のパーカージャケットにジーンズ。同級生か、それとも一つ年上の六年生か。いずれにせよ翔太は彼に見覚えがなかった。少年は立ち上がって、ジーンズについた埃を払った。その拍子に、彼のポケットから何かが落ちたのを、翔太は見逃さなかった。

「あっ」

 ひらり、と地面に落ちたそれは――カード。

「あの、これ」

 と、翔太が拾い上げようとしたが、それよりも相手が先に素早く取った。その勢いに翔太の伸びかけた手が、びく、と震えた。

「触るな」

 低い声が、翔太の頭上からかけられる。翔太が顔を上げると、少年の黒い瞳がじっと翔太を見つめて――睨んでいた。その鋭い視線に、翔太の背筋にぞくり、と悪寒が走った。一瞬、息をするのも、忘れるほど。

「おーい、篠原ー? こっちだぞー!」

 廊下の向こう側から、翔太の聞き覚えのある声が聞こえた。視線を声がした方に向けると、翔太のクラスの担任教諭である浅井あさいせい一郎いちろうがこちらに向かって手を振っていた。翔太がその様子を見ている間に、少年はカードをジャケットのポケットの中に収め、それから浅井の方に向かって歩いて行った。

「……今の、って」

 翔太は立ち上がり、去ってゆく少年の背中を見ていた。先ほど、床に落ちたカードは間違いなく、Break×Battleのカードだった。

[翔太、大丈夫か?]

 そんな翔太の様子に気づいたのか、カードの中からショウが心配そうに声をかけた。翔太はズボンのポケットからデッキケースを取り出し、ショウのカードを出した。

「う、うん。大丈夫だよ」

[そうか? しかし、ぶつかった翔太が悪いにしても、あの態度はどうなんだ]

 むす、とした表情でショウが言う。どうやら、翔太と少年のやり取りは聞こえていたらしい。翔太は苦い笑みを浮かべ、もう一度少年が去って行った方を見た。

「あの子も、ブレバトするのかな……」


 そんなことがあった後、翔太はいつものようにカードショップシャインに来ていた。

「へえ、それは翔太も災難だったな。じゃあ俺はアタック」

「別に災難っていうレベルでもないだろ。まあぶつかった相手の方は失礼だと思うけど……ディフェンス、アクション効果で反撃」

「げ?! またかよー!」

 ちょうどブレバトをしていた要と忍に、何気なく先ほどの出来事を話すと、そんな返事があった。二人ともブレバトをしながら話を聞いていたため、本当に内容が入っているかどうか翔太は不安だったが、反応を聞く限り、ちゃんと話は聞いていたらしい。

「別に学校で会う奴なんていくらでもいるし、人とぶつかることもあるし、お前がそんなに気にしなくてもいいんじゃないか?」

 忍がカードを引いた後、翔太を見ながら言う。バトルテーブルの端で頬杖をついている翔太は忍の言葉に「うん……」と歯切れ悪く返事をした。そんな翔太の様子に気づいて忍が不思議そうな顔を浮かべる。

「どうしたんだ?」

「え?」

「納得してない、って顔だぞ」

 忍に指摘されて、翔太は「へっ」と声を上げた。それを見ていた要がくすくすと笑う。

「翔太、もしかしてそいつとブレバトしたいんじゃねえの?」

「え? えっと……」

 要に言われて、翔太は目を丸く開いた。言われて、そうなのだろうか、と首を傾げて翔太は考える。そんな様子を見て、要はまた楽しそうに笑った。

「図星だな」

「ええっ?! い、いや、でもうん……できるなら、やりたいって思ってます……」

「ははっ、どっかの誰かさんのブレバトバカがうつったか?」

「誰がブレバトバカだ。おい、カード」

 翔太にからかうように言った要の言葉に、忍が表情をむっと曇らせながら、まだカードが置かれていない要のパーティーゾーンを指さした。「へいへい」と答えながら要はカードを置いた。

 翔太は視線をパーティーゾーンから要のアルターゾーンに向けた。そこにいるのは、金髪に白い肌、白い服を身にまとった青年だった。特徴的なのは、彼の耳。普通の人間のものと違い、長く尖った形をしていた。

「要さんのアルターって」

「あれ、翔太初めて見るっけ? 『真理の賢者 フィル』だよ」

 要が微笑みながら言うと、アルターゾーンのホログラフで浮かび上がったフィルが翔太の方に顔を向けた。ぎろり、と鋭い金色の瞳が翔太を睨みつける。その視線に、翔太の肩がびくり、と震え上がった。

「ん? 翔太、どうした?」

 翔太の異変に気付いた要が不思議そうに翔太と、それから自分のアルターゾーンを見る。要の視線の先には、カードと同じポーズで無感情な表情を浮かべるフィルの姿があった。

「い、いえ! 何でもないです! 要さんが賢者ってことは、譲が賢者デッキを使い始めたのって要さんがきっかけですか?」

「んー? まあ、そうなるかな? あいつ、俺の真似するのが好きだからなあ」

 笑いながら言うと、要はカードを一枚引いた。

「おー、いいカード出たぞー。俺は『光の騎士 ランスロット』をパーティコール。アタック!」

「『疾風の忍犬 キバ丸』をパーティコール。アタック」

「『ランスロット』のアタック時効果『絶対なる聖戦』。コストを2支払うことで必ず攻撃することができる。ダメージ3な」

 要は宣言して、チャージゾーンから二枚のカードをドロップゾーンに置いた。忍のBフォンがダメージを受けた、というようにぶるぶると震えた。Bフォンに映し出されたライフを見る忍の目は、いつもと同じ冷めたものだった。

「『キバ丸』の破壊時効果、『疾風の牙』。ダメージ2」

 同じように要のBフォンも震える。要が「うげっ」と低い声を上げた。

 そんな忍と要のやり取りを、翔太は不思議そうな視線で見ていた。いつもと同じような会話をしている二人だが、それでもバトルは着々と進んでいる。今まで自分がやったことのないようなバトルの光景を、翔太は少しだけ、羨ましいと思っていた。

「なんか……すごい……」

 そんな風に翔太が小さく零した時だった。

[――Welcome to The world of ”Break×Battle”!]

 シャインの店内に陽気な声が響く。翔太は視線を声が聞こえた方へ向けると、店内のスクリーンパネルに金髪に白スーツの男性――カリスマブレイバー・ヤマウチの姿が映し出されていた。

[さあ、今週もみんなと一緒にアルターコール! ブレバト情報局、始まるぞー!]

「ブレバト情報局……」

「ん? 翔太あれ見たことないのか?」

 翔太が画面を見上げていることに気付いた要が、声をかけた。

「えっと、はい……」

「まあまあ面白いぞー、あれ。まあ毎週見てるやつもそういないだろうけど」

「そうなんですか?」

「おい要、カード」

 翔太が尋ねたところで、忍が集中しろ、と言わんばかりに横から声をかける。要は「おうおう」と言いながらカードを置いた。

[さて、今週のランキングはどうなっているかな、ナミナミくん?]

[はーい! 今週のランキングトップはまたまた『Shadow』ですね! アーケード・オンラインにおける勝率は圧倒的ですー!]

 ヤマウチの言葉に答えたのは、ピンクのショートヘアのウィッグをつけた新人ブレイバー・ナミナミだった。にこにこ、と笑いながらナミナミが右手を横に向けると、CGでランキングの情報が映し出された。

「うげー、また負けた」

 ぼんやりと翔太が見ていると、横から要の気だるげな声が上がった。要のBフォンに映し出されたライフが0になっていた。

「忍センセー、今日もご指導お願いしまーす」

「誰が先生だ」

「いいじゃん、譲だって教えてやってるんだろ? ついでにその兄ちゃんも教えてくれよー」

「うるせえ……」

 要に言われる忍はまた大きなため息を吐き出しながら言った。そんな忍を見ながら要は笑っていたが、ふと視線をスクリーンに映して「あ」と声を上げた。

「今週もランキング一位は『Shadow』かー」

「ランキングってあるんですね」

「そうそう。アーケードとかオンライン、あと公式大会の勝率とかで集計するみたいだけどさ、この『Shadow』て奴はめちゃくちゃ強いらしくって勝率100%らしいぜ?」

「え?! す、すごい……」

「黒の騎士デッキは攻撃力も高いし反撃効果もあるカードが多いからな。戦いやすいタイプじゃないだろうな」

 要の言葉に翔太が驚きの声を上げていると、忍がカードを片付けながら冷静に言った。

「黒の騎士デッキ?」

「『Shadow』が使ってるって言う噂のデッキ。でも攻撃力が強い分、いろいろややこしい効果があるみたいだけどな」

「へえ……」

 ランキングなどに興味がなさそうな忍ですらここまで関心を示す相手。いったいどんな人物なのか、と、翔太は画面に映し出された『Shadow』の文字を見つめていた。


「譲、今度のテストは大丈夫?」

「大丈夫、大丈夫! 何とかなるなる!」

「そう言ってこの間もやりなおしだったじゃん」

 無事にやり直しテストを終えた譲とシャインでブレバトをした後、二人は家路についていた。翔太の心配をよそに、譲はへらりと笑って「大丈夫、大丈夫」と呑気に言っている。

「あ、そういえばさ。浅井先生が見たことないヤツ連れて歩いてたけど、アレ転校生じゃね?」

「浅井先生が……あ」

 譲の話を聞いて、翔太は今日学校でぶつかった少年の事を思い出した。浅井に呼ばれてどこかに行く姿を、翔太は見ていた。

「何、翔太? もしかしてそいつと会った?」

「うん。でも、……ちょっと怖そうだった」

「そうなの?」

「うん……」

 カードを拾おうとした時に向けられた視線。それは明らかな敵意が、翔太に向けられていた。今まで向けられたことのない種類の視線に、翔太は戸惑い、そして――恐怖した。

「何? そんな感じ悪いヤツなの?」

 翔太が黙って少年の事を思い出している様子を見て、譲が不快そうな表情を浮かべる。できるなら、自分は関わりたくない、と顔から意思表示がはっきりとされている。

「感じが悪い、のかなあ……よく、わかんないけど」

「ふーん。まあ、関わらない方がいいよなあ。っていうかマジで転校生かどうかわかんねえし」

「そうだね」

 譲の言葉に頷きながら、翔太は彼の視線を忘れようとした。

――黒い、底が見えない闇のようなその瞳を。


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