第1話《Aパート》

「位置についてー」

 ジャージを着た中年男性が、手に持った赤い旗を掲げる。横一列に並ぶ体操着姿の三人の少年たちは、互いの顔を見合った後、走るための姿勢を取った。

「よーい」

 旗が振り下ろされる、ばさりという音が少年たちの耳に届いた。と、同時に三人は一斉に駆けだす。

「頑張れー!」

「走れ走れー!」

「いけー!!」

 少年たちが走るレーンの外側から、彼らの様子を見ている同級生たちの応援の声が響く。三人のうち中央のレーンを走っていた少年が、速度を上げる。

「おりゃあ!!」

 威勢のいい声とともに、ゴールラインを踏んだのは、中央を走っていた少年だった。それから数秒遅れて一人、また一人とゴールに到着した。

「一位、日村翔太ー」

「やったあ!」

 男性教員に言われ、少年――日村ひむら翔太しょうたは走り終わった直後とは思えない勢いで飛び跳ねた。が、足は走り切ったせいで力尽きたのか、着地に失敗して派手に転んでしまった。

「日村?! 大丈夫か!」

 駆け寄る教員に、翔太は苦笑いを浮かべて頭をかいた。その様子を同級生たちがくすくすと笑う。

「全く……じゃあ走り終わったら向こうの列に並んで。次行くぞー!」

「はーい!」

 やる気があるようなないような、というようなばらつきのある返事を聞きながら、翔太は走り終えた集団の列に入った。翔太が地面に体操座りをした前にいた同級生が、くるりと振り向いた。

「本当お前って足だけは速いよなあ」

「だけってなんだよ」

 からかう様な言葉に、翔太は頬を膨らませて不機嫌な顔を浮かべる。それを見て同級生――市村いちむらゆずるは楽しげに笑った。

「褒めてる褒めてるー!」

「バカにしてるだろ!」

「こらー、市村、日村! 授業中だぞー!」

 教員の怒鳴り声に、翔太と譲は同時に肩をすくめた。


 体育の授業が終わり、着替えを終えた翔太は大きなあくびをしながら席に着いた。

「なあなあ、翔太!」

 そんな眠気眼の翔太に声をかけたのは、体育の後でも疲れた様子を一切見せない譲だった。

「何?」

「今日の放課後、暇?」

「何で?」

「ぜひ君に紹介したいものがあるのだ」

 腕を組んでどこか誇らしげに笑う譲に対し、翔太はあまり興味のないような表情を浮かべる。

「どうせブレバトでしょ」

「なっ?! 何でわかった?!」

「譲がそういう顔するときは大体ブレバトの話だから」

 頬杖を突きながら翔太が言うと、譲は翔太の机の前にしゃがみ、上目遣いで翔太を見た。

「ねえ、翔太」

「やだ」

「まだ何も言ってないのに?!」

 譲が提案する前に翔太は拒否の言葉を放った。譲が大げさに困惑した様子を見せるが、翔太はそっぽ向いて譲から視線を逸らした。

「どーせ、またレアカードの応募券集めの為に一緒にカード買おう、とかそんなのじゃん」

「そんなんじゃねえよ! いっつもおれが行ってるカードショップが今セールだからさ! 一緒にブレバトやろうよ?!」

 翔太の視界の端に、懇願する譲の姿が入る。

「だって、翔太とブレバトしたら絶対面白いと思うもん。翔太だって、前興味あるって言ってたし」

「でもおれ、カードゲームとかやったことないから……」

「大丈夫だって! わかんなかったらオレが教えるから!」

 だから、と譲が両手を合わせて翔太に向かって深く頭を下げた。

「一緒にやろう!」

「……で、本音は?」

「あわよくばパック買ったときに出た応募券をオレにください」

 予想通りの譲の反応に、翔太はがくりと肩を落とした。

「もう……」

「えへへ。でも、翔太とブレバトしたいのはマジだぜ? 絶対、お前もハマるから!」

「わかったよ……そこまで譲が言うなら、一回やってみるよ」

「やったー!」

 翔太の諦めのような言葉に、譲が嬉しそうに飛び跳ねる。


 そして、放課後。

「ここ! ここが、オレがよく行く店!」

 翔太は譲に連れられ、学校近くの商店街の中にあるカードショップの前にやってきていた。

「カードショップ、シャイン?」

「さーて、入るぞー!」

 不思議そうに首をかしげる翔太を置いて、譲は慣れた足取りで店の中に入る。

「あっ、ちょっと待ってよ!」

 先に進む譲を見て、翔太は慌てて店の中に入った。

「いらっしゃーい。あ、譲くんじゃない」

「こんにちは、真澄さん!」

 店に入ると、女性が譲に声をかけてきた。その女性に慣れた様子で譲が挨拶をするのを、翔太は譲の後ろに隠れるようにしながら見ていた。

「あら? 今日はお友達も一緒なの?」

 女性が視線を合わせるように屈んで、翔太の顔を覗き込んだ。見知らぬ人に、近い距離で見られることに慣れていない翔太は驚いたように目を丸く開いた。

「あっ、あ、えっと」

「こんにちは?」

「こ、こんにちは!」

「お名前は?」

 首を傾げながら、女性は笑顔で翔太に尋ねる。

「えっと、日村、翔太です」

「翔太くんね。私はここ、カードショップ『シャイン』の店長、田崎たさき真澄ますみよ」

 女性、真澄は「よろしくね」と微笑みかけながら、立ち上がった。いつの間にか譲はショップの手前にあるカード売り場を見ていた。

「真澄さん、今セール中なんだよな?! あれも欲しいし、これも買わないとだし……」

「買うのはいいけど、またお小遣いなくなっても知らないわよ?」

 目をキラキラと輝かせながらカードのパックを選ぶ譲に、真澄は苦笑いを浮かべる。そんな譲の横で、翔太はぼんやりとカードを見ていた。

「いろいろあるんだなあ」

「翔太くんは、ブレバトやったことないんだっけ?」

「えっと、あ、はい」

 真澄に尋ねられ、翔太はぎこちなく頷いた。緊張しきった翔太の顔を見て、真澄はくすりと笑う。

「そんなに緊張しなくていいわよ。それで、今までこういうゲームはやったことある?」

「全然やったことなくって……」

「でもブレバト覚えたら簡単だって!」

 苦笑いを浮かべる翔太の横に、カードのパックを選び終えた譲が立った。

「だから試しにデッキ買ってみろよ!」

「デッキ?」

「これを一つ買えばすぐにゲームができるカードの組み合わせよ。こっちにいろいろあるから見てみて」

 真澄が手招きをして、別のカードが置いている棚へ誘導する。翔太と譲はそれについて、デッキコーナーへ行く。

「うわあ、いっぱいある」

「真澄さん、初心者だったら何色が使いやすいかなあ?」

「うーん、人にもよるけど……」

 譲が相談するように真澄に声をかけると、真澄は視線を翔太に向けた。

「翔太くんは、何色が好き?」

「え? えーっと……赤?」

「じゃあ、赤デッキとかどうかしら?」

 翔太の答えを聞くと真澄は棚を指さしながら説明をした。

「赤?」

「ブレバトには、カードの属性の色って言うのがあるの。それによって戦い方は変わるんだけど、まあ最初は好きな色から始めてみたらいいんじゃないかしら」

「真澄さんテキトーだなあ」

「あら? これと同じようなやり方で青デッキを使っている男の子を私は知ってるんだけど?」

 真澄にからかう様な声をかけた譲だったが、真澄の言葉に「うっ」と言葉を詰まらせた。

「このあたりに赤のデッキがあるけど?」

「じゃあ……」

「うわあああ?!」

 翔太が言いかけたその時、店内に男性の悲鳴のような声と、ばさばさと何かが派手に落ちる音が響いた。

「ちょっと、ヒロ?!」

「ヒロさん?! 大丈夫ですか?!」

「……ヒロ?」

 音のした方に真澄と譲が慌てて駆け寄る。状況が呑み込めない翔太は、首を傾げながら二人の後を追った。

「もう、そんなに無理して荷物運ばなくていいでしょう?!」

「いやあ、ちょっとぐらいならいけるかなあって思ったんだけどねえ……」

「あなた、もうちょっと自分の非力さを知ったらいいんじゃないの?」

「ひ、ひどいなあ真澄!」

 真澄が両手を腰に当てて見下ろす先には、散乱する大量のカードパックを拾い集める眼鏡の男性の姿があった。どうやら先ほどの音は、彼のすぐそばにあるいくつかのダンボールからカードが落ちて際に響いたものらしい。状況を把握した翔太は、既にパックを拾うのを手伝っている譲と一緒にパックを拾い集めた。

「いやいや、済まないねえ君たち……」

「お客さんに手伝わせて、情けないわねえ……。譲くん、翔太くん、いいのよ。あとは私たちがやるから」

 譲と翔太の手の中にあったカードをひょい、と取ってダンボールの中に収めた。それから真澄と男性がいそいそとカードを集める。その様子を見ていた翔太は譲のそばに寄り、小声で尋ねた。

「譲、……あの人は?」

「ああ、ヒロさん。えっと、ここの副店長さんだよ」

「おや……そういえば、初めて見かける顔ですね?」

「えっと、はい! 日村翔太です!」

 そんな譲と翔太の会話が聞こえたのか、眼鏡の男性がパックをダンボールに入れた後、翔太の顔を見た。

「初めまして。ここの副店長の、田崎たさき弘明ひろあきです」

「ごめんね、うちの旦那が迷惑かけちゃって」

 自己紹介をする男性――弘明の横で、真澄が謝罪をしながらダンボールを一つ持ち上げた。

「ほら、ヒロ。早くそっち持って!」

「ああ、はいはい……」

「返事は一回!」

「は、はい!」

 ダンボールを抱えて先を往く真澄を追いかける弘明の姿を、翔太と譲は笑いながら見ていた。

「で、翔太? お前、どのデッキにするか決めたのか?」

「あ、うん。えーっと……」

 譲に訊かれ、翔太は先ほど真澄に教えてもらったデッキコーナーを見た。

「これに、しようかなって」

 翔太が手に取ったのは『赤の勇者デッキ』と書かれたものだった。パッケージには炎に包まれた剣を持つマント姿のシルエットが描かれている。

「お、勇者デッキかー。なんか翔太好きそうな感じだな」

「そういえば、譲ってどんなカード使ってるんだっけ?」

「ほほう、ようやく聞いてくれたか」

 譲はにやりと笑って、鞄の中から小さな青い箱を取り出した。

「それが譲のデッキ?」

「そうそう。で、オレのアルターはこれだ!」

 じゃーん、と自分で効果音をつけながら譲は翔太に一枚のカードを見せた。そこには青い鱗の肌に青緑の髪、魚のヒレのような耳、本来白目の部分が黒くなっている黄色の瞳の男性という、まるで半魚人のようなキャラクターが描かれていた。

「えっと……『深海の賢者 マーリン』?」

「そうそう。オレはこいつを中心にした、賢者デッキを組んでるんだ!」

「なんか譲っぽくないな……てっきりドラゴンとかそういうの使ってるかと思った」

 へえ、と返事を返しながら翔太は譲にカードを返した。

「ふふふ……力だけがブレバトの世界じゃないんだぜ? ま、その辺はそのデッキの中にあるルールブック読んだらわかると思うから! とりあえず今日はそれを読んで、明日試しにブレバトしようぜ!」

「う、うん」

「真澄さーん! これ買いまーす!」

 翔太に言い終えた譲は、荷物を片付け終えてレジに立つ真澄の元に走った。その背中を見た後、翔太は自分の手の中にあるデッキを見る。

「勇者デッキ……」

 どんなカードがあるのか。そんな期待に胸を膨らませながら、翔太もレジに向かった。

「翔太くんも決めた?」

「はい、これください!」

「ありがとう。それじゃあ……おまけにこれをあげるわ」

 そう言って、真澄はレジの後ろにある棚から銀色の小さな袋を取り出して翔太に渡した。

「これは?」

「強化カード入りのパック。今あるデッキだけでもゲームはできるんだけど、この中のカードも組み合わせたらいろいろ面白いことができるわよ?」

「えー! 真澄さんずるーい! オレにもちょうだいよー!」

「あら、譲くんにも前にあげたでしょう? 今回は初めての人サービスよ」

 不満を言う譲に対し、真澄は穏やかに返しながら翔太にカードデッキを渡した。

「ようこそ、ブレバトの世界へ。これからよろしくね」

「あっ、はい! よろしくお願いします!」

 深く礼をする翔太に、真澄はにこりと笑顔を返した。


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