第11話 《Aパート》

 いつもと同じようにカードショップシャインに向かう翔太の足取りは、重かった。

「……譲に、お礼……」

 翔太は言いながら、ポケットに手を入れた。中には、昨日譲が持ってきたというカードパックが入っていた。それは、まだ、開けられていないまま。

「……」

 翔太は俯いて歩きながら、考えていた。これから先も、ブレバトを続けるか、どうか。

 先日のシャドウとの戦い。ショウが戦うディス・パレイドとの戦いであることは解っていたが、それでも翔太はブレバトをすることに対してまだ、抵抗があった。ダメージを受けた時の痛みは、まだはっきりと翔太の中に残っている。

 普通にブレバトをする以上、そんな経験をすることなどないと、わかっていた。それでも、翔太の中で何かが引っかかって、またブレバトをしよう、という気持ちにはなれなかった。

「……譲に、言おう」

 ごめん、譲。おれはもう、ブレバト、できない。

 頭の中で譲に言う言葉を考えながら、翔太は重たい足を、シャインに向けて進めた。


「いらっしゃーい。あら、翔太くん」

「え、翔太?」

 シャインの店内に入ると、いつもと同じ真澄の声と、その後に驚いたような要の声が聞こえてきた。

「要さん?」

「翔太、お前一人か?」

 店内で忍とバトルをしていた要が手を止めて、入り口にいる翔太の元に駆け寄った。翔太は「はい……」と消え入りそうな小さな声で返事をした。

「譲とは会わなかったのか?」

「譲? 来て、ないんですか?」

 要の言葉に、翔太が瞬きをしながら訊きかえす。

「あいつ、翔太の家に行くんだーって言いながら朝からさっさと家出て行ったんだぞ?」

 どこに行ったんだか、と言いながら要が言う中、翔太はちらり、と視線をポケットに向けた。譲からもらったまだ開けていないパックを思い出しながら翔太は小さく息を吐き出した。

「譲、いないんだ……」

「翔太」

 もう帰ってしまおうか、と翔太が一歩足を後ろに引いたとき。バトルテーブルから、忍が翔太の元にやってきた。

「お前、”Shadow”とバトルしたのか」

 忍に問われ、翔太はびく、と肩を震わせた。その反応から、譲が言っていたことが事実であることを忍も要も理解した。

「……はい」

「マジかよ、翔太……。あの”Shadow”と……」

 翔太の言葉に、要は小さく驚きの声を上げた。レジで話を聞いていた真澄も、一瞬、驚きの表情を浮かべていた。

「お前、もうブレバトをしないつもりか?」

 忍は、翔太に静かに問うた。その問いに、翔太ははっと目を見開いて顔を上げた。忍は、じっと翔太を見つめていた。

「なっ?! おい、忍! お前何言ってんだ?!」

「違うのか、翔太」

 要が忍の肩を掴んで止めようとするが、忍はその手を振り払って、翔太にもう一度尋ねた。翔太は忍から視線を逸らそうとしたが、真っ直ぐに自分を見る忍の視線から、逃げられなかった。

「……はい」

 そして、思いを、零した。

「おれ……もう、ブレバト……できない、って、思って」

「……そうか」

 翔太の震える声を聞いて、忍は静かに頷いた。それから忍は、翔太の肩に手を乗せ、視線を合わせるようにしゃがんだ。

「忍さん……?」

「ここでやめるのは構わない。だが、それでお前は、本当に後悔しないのか?」

 翔太の身体がびく、と、揺れた。両肩に手を乗せている忍にも、その翔太の震えは伝わっていた。

「……後悔って」

「お前は、もう、俺たちや……譲とバトルしたくないのか?」

 忍は、首を小さく傾げて、翔太に問う。翔太は眉を歪めて、苦しげな表情を浮かべた。

「……でも、おれ……」

「悪かったな、翔太」

 翔太から手を放し、忍は翔太に背を向けてバトルテーブルの元に歩いて行った。呆然とする翔太に、今度は要が声をかけた。

「翔太。もしも本当にお前がブレバトやめるなら、……もう一度、あいつとバトルしてからにしてくれ」

 翔太は顔を上げ、要の顔を見た。苦い笑みを浮かべる要を見た翔太は、何かを言わないと、と小さく口を開けたが、言葉が出てこなかった。要はそれ以上何も言わず、忍がいるバトルテーブルに戻って行った。

「……ねえ、翔太くん」

 レジから、真澄が翔太に声をかける。翔太がゆっくりと視線を真澄に向けると、真澄がレジカウンターから出て、翔太のそばに近づいた。

「翔太くんは、本当にブレバトやめたいの?」

 真澄に問われて、翔太は声を詰まらせる。

「……おれ、は」

「ごめんね、こんなこと聞いて」

 そんな翔太の様子を見た真澄が、苦い笑みを浮かべて謝罪する。

「でもね。私、翔太くんがブレバトしてる姿、すごく楽しそうだなあって思ってたよ?」

「……」

「私は、また譲くんと翔太くんがブレバトをしているの、見たいなあ」

 真澄がふっと微笑みながら言う。ゆら、と、翔太の視界が歪んだが、翔太は小さく首を振った。

「ごめんなさい……今は、ちょっと」

「大丈夫。今じゃなくてもいいよ。また、いつでも待ってるから」

 そう言って、真澄はしゃがんで翔太と視線を合わせ、そして頭を優しく撫でた。

「ありがとう、ご……ざいます……」

 おれは、また、ここに戻れるのかな。

 真澄の言葉に、翔太は心の中に不安が浮かんだ。ポケットの中にあるデッキケースに指先だけ触れて、翔太はぎゅっと目を閉じた。

――だれ、か

 聞こえてきた声に、翔太は顔を上げた。翔太の様子の変化に気付いた真澄が、首を傾げた。

「……翔太くん?」

「今の、って……」

 店内はカードゲームをする客の会話の声で溢れているが、翔太の耳に届いた声を出すような人物はいない。そして、その聞こえてきた声の感覚を、――翔太は知っていた。翔太ははっと目を見開き、真澄の元から忍とブレバトをしている要の元に走った。

「要さん!」

「え? な、何だ?」

 突然やってきた翔太のただならぬ様子に、要が目を丸くして手を止めた。向かい合っていた忍も、ぱちぱち、と驚いたように瞬きをしている。

「譲って、要さんよりも家、先に出たんですよね?! おれの家に行くって!」

「え、あ、ああ……、そうだけど?」

「でも、おれとすれ違ってないって……それに、まだここに来ないって……」

 翔太に言われ、要は視線をBフォンに向ける。譲が家を出てから、時間が経っていた。そこで、要は翔太が言いたいことを理解した。

「あの……バカ! 忍!!」

「わかってる」

 要と忍はテーブルの上のカードをすぐに片づける。それから、要は翔太に問う。

「翔太、心当たりはあるか?」

「わからない、です……」

「そうか……。とりあえず、手分けして探すぞ!」

 要の言葉に、忍と翔太が頷いて、店を出た。慌ただしく出る三人に、真澄が不安げな視線を送った。

「……何か、あったのかしら……?」


 心当たりがある場所と言えば、公園か、ショッピングモールのゲームセンターか。しかし、翔太が行った先には譲の姿はなかった。

「譲ー!」

 翔太は譲の名前を叫びながら、当てもなく走り回った。学校からショッピングモールの道中、商店街の細い通路を一つ一つ覗き込むが、そこに翔太が望む姿はなかった。

「……譲、どこ行ったんだよ」

 翔太の胸の中に、焦りばかりが募る。先ほどシャインで聞いた声が、頭の中から離れない。

――だれ、か

「……!」

 再び、その声が翔太に届いた。掠れた小さな呼び声。翔太はあたりを見渡した。

「どこだ……?!」

 ごく当たり前の、いつも見慣れた商店街。何も変わったところはないと思った翔太だったが、地面に落ちている何かを見てはっと、目を見開いた。

「あれって……!」

 翔太は地面に落ちているそれに向かって走る。そこに落ちていたのは、黒いカード――ブレバトのカードだった。

「このカード……」

 黒い裏面から表に返すと、そこに描かれていたのは青い鱗の半魚人の賢者――『深海の賢者 マーリン』の姿だった。

「マーリン?! どうして……!」

 翔太がカードを見て声を上げた直後。近くの細い路地からうめき声が聞こえてきた。はっ、と翔太が視線を路地に向けると――

「ダイゴさん?!」

 路地の壁に寄りかかって倒れるように座っているダイゴの姿。その周辺には、ブレバトのカードが散乱していた。

「ダイゴさん! ダイゴさん!! しっかりしてください!!」

 目を閉じて俯いているダイゴを見た翔太は、慌ててダイゴに駆け寄り声をかける。翔太の声に気付いたダイゴが小さなうめき声をあげて、目を開けた。

「しょ……、翔太……?」

「ダイゴさん……よかった……」

 翔太の姿を認めたダイゴが、ぼんやりとした瞳のままで翔太の名を呼ぶ。翔太はダイゴが目を開けたことにほっと安堵の息を吐いた。

「何でお前……ここに……?」

「それは、……ダイゴさんこそ、何があったんですか……?」

 ダイゴの問いに上手く答える理由が見つからなかった翔太は、ダイゴに訊き返す。訊かれたダイゴは「俺は……」と言いかけて、突然、眉間に皺を寄せて苦しげなうめき声を上げた。

「うっ……!」

「ダイゴさん?!」

「いや、大丈夫だ……。俺は、……よく、覚えてないんだ」

 翔太の心配する声に乾いた笑みを浮かべるが、ダイゴは小さく首を振った。しかし、記憶を絞りだして思い出すように、ダイゴは言葉を続けた。

「ただ……シャインに行こうとしてたら、譲がいて……」

「譲?!」

 翔太の声に、ダイゴは、今度はしっかりと頷いた。

「そう、譲がいたんだ。それで、あいつがいきなりバトルしようって言い出して……それから……」

 再び、ダイゴは頭を押さえてうめき声を上げる。まるで思い出すのを遮るかのような頭痛に、ダイゴは表情を歪めた。

「ダイゴさん……あ、あの」

「何だ……?」

「もし、覚えてたら……譲、どっちに行ったかわかりますか……?」

 翔太が恐る恐る問うと、ダイゴは小さく首を振った。

「悪い。譲とバトルしたんだろうけど……覚えてねえんだ。気付いたら、この状態で……」

「そう、ですか……」

 ダイゴが申し訳なさそうに言うと、翔太も小さく俯いた。その時――翔太の手の中に青い光が見えた。

「え……?」

 翔太の手にあるのは――先ほど拾った、『深海の賢者 マーリン』のカード。それが、間違いなく青い光を灯していた。

「これって……」

――誰か……

 また、翔太に声が届く。その声の主が誰か、翔太はようやくわかった。

「この声、マーリン……?!」

――誰か……譲を……

 カードの中から聞こえる、マーリンの声。そして、カードから放たれていた青い光が、すう、と伸びてある方向を指し始めた。

「翔太、どうした……?」

 翔太の様子の変化に気付いたダイゴが、起き上がろうとしながら声をかける。が、まだ力が入らないのかダイゴの身体はずる、と壁に縋ったまま落ちる。

「ダイゴさん! ちょっと待ってください……忍さんと要さんに……」

 翔太はスマートフォンを取り出し、忍と要にダイゴの居場所をメッセージで送った。

「ダイゴさん、もう少ししたら忍さんと要さんがここに来ます! だから、それまでここにいてください!」

「翔太……? お前は、どうするんだ……?」

「おれは……」

 ダイゴに問われた翔太は、手の中にあるカードを見る。青い光が、どこかを――譲の居場所を示している。

「おれ、譲を探しに行かないと」

 そう言って、翔太はダイゴに一礼をしてその場を走って去った。


 青い光が差す方向に向かって走る翔太。光は少しずつ強さを増しているように翔太には見えた。

「こっちに……こっちに譲がいるんだよね……!」

 不安が、焦りが、翔太の足を速める。急がなければ、と翔太が進む先にあったのは、取り壊しが決まった古いアパートだった。

「……ここに……?」

 周辺も古い建物しかなく、あたりはしんと静まり返っている。異様な空気を肌で感じながらも、翔太は譲を探すため、声を振り絞った。

「譲ー!! どこだー!!」

 翔太の声は、空っぽな廃アパートに響く。反響する自分の声に、翔太は表情を歪める。

「譲……ここじゃないのか……」

 と、翔太があたりを見渡した時だった。翔太の手の中のカードが、青い光を強く放った。

「うわっ?!」

 一瞬翔太の視界が青く染まる。そしてその光が消えると、カードから一本の長い線の光が伸びた。それは、アパートの入り口の奥を指していた。

「……あそこに、譲が……」

 手の中にある『深海の賢者 マーリン』のカードは、青い光を灯したまま。翔太はその光の先の暗闇を見つめ、小さく頷いた。

「譲……、待ってて……!」

 そして、翔太はアパートの中へ――暗闇の中へ入った。

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