第12話 《Bパート》

 薄暗い通路の中、足音が響く。

「あらぁ、ロベちゃん」

 わざとらしく作られた男の高い声が聞こえると、足音が止まる。

「コッチに戻ってきてたのね? おかえりなさぁい」

 くすくす、と笑いながら言うのはリディック。相変わらず筋肉質な身体を見せるような露出の多い服装に対し、動きはどこか女性らしさを作ろうとしたぎこちなさが見える。そして、そのリディックに声をかけられた人物は足を止めたまま、振り向こうともしなかった。

「あらぁ? せっかくお久しぶりに会えたのに、その素敵なお顔、見せてくれないのかしら? ロベちゃん?」

 リディックは人物に背後から近付き、そっと頬をなぞった。そこでようやく、その人物はリディックの方を見た。

 凍てつくような鋭い視線を送るのは、深い青の瞳。その瞳を隠すような青い縁の、羽根の飾りがついた眼鏡。薄い水色の髪を揺らした青年は、頬に触れるリディックの手を払った。

「不愉快です、リディック」

「あぁん、そういう冷たい態度、嫌いじゃないわよ」

 ふふっ、と笑うリディックに対し青年――『終局の知者 ロベリア』は変わらず冷たい視線を送っていた。何が楽しいが理解できない、とロベリアがリディックに背を向けて先に行こうとした時。

「失敗したんでしょう?」

 リディックが、ロベリアに問う。ロベリアは、もう一度リディックの方を見て、眉を歪めた。明らかな不快の感情を見せるロベリアに、リディックはやはり笑みを浮かべた。

「そうそう、アタシ、ロベちゃんのそう言う顔見るの、すっごく……す、き」

「何が言いたいのですか」

「いいのよ? アッチで貴方の作戦が失敗したことぐらい。コトは着々と進んでるんだから」

「……まるで貴方がしたように言っていますが、オブザーでの作戦は私が進めているということを、忘れていませんか?」

 冷めた視線のまま、ロベリアはリディックに言う。言われたリディックが「あらっ」とわざとらしく肩を上げるのを見て、ロベリアは人差し指で眼鏡のブリッジを押し上げて視線をそらした。

「何もしない者が外から言うのは、簡単ですからね。事を為すことも出来ない者の言葉など、私には不要ですが」

 そう言い放ち、ロベリアはまたリディックに背を向けて歩き始めた。そんなロベリアの背中を、リディックはため息をついて見ていた。

「もう、つれないわねぇ……でも、そんなロベちゃんも嫌いじゃないのよ……」

 唇の端から出した舌で、ずるりと唇を舐めながらリディックはロベリアを見つめる。

 一方、ロベリアは暗闇の中にある部屋に入っていた。

「……哀れな」

 部屋の中でうずくまる影に、ロベリアが小さく零す。ロベリアの声に反応した影が、びく、と震え上がった。ひゅう、ひゅうと、喉を鳴らすような声を聞いても、ロベリアは静かにその影を見下していた。

「ろ、ロベリア……様……」

 怯えるような震える声が、ロベリアを呼ぶ。暗闇の中、薄い金の光が、見えた。

「つ、つぎ……次こそは……必ずや……!」

「ええ、構いませんよ」

 ロベリアはすう、と目を細めて笑みを作る。細く開かれた目の奥、深い青色は間違いなくその金色を見ていた。

「また、機会を与えてあげましょう。その時は必ず、貴方の目的を果たしなさい」

 そう言うと、ロベリアは影に右手を向ける。ロベリアから放たれた青い光が、影を包む。光の中に映し出されたのは金色の瞳をぎらぎらと輝かせた黒の鱗の半魚人だった。



 翌日の七星小学校での話題は、やはり昨日の『ブレバト情報局』に突如現れた“Shadow”で持ち切りだった。

「やっぱりあれって、本物の“Shadow”じゃないの?」

「“Shadow”が出るなら優勝決定じゃん」

「でもあいつってイカサマしてるとか聞いたことあるぜ?」

 翔太が学校に着くと、譲を中心とした少年たちがやはり『ブレバト情報局』についての話をして盛り上がっていた。そんな様子を見ながら、翔太は自分の席について、隣の席を見た。

「おはよう、篠原くん」

 翔太の隣の席に座る玲央は、翔太の声に気付いていないのか無視しているのか――視線を机の上で広げている本に向けたままだった。文庫本サイズのその本がどのような内容か、小さな文字列からは読み取れなかった。しかし、明らかに小学生向けの文庫本ではないことは、翔太にも理解できた。

「えっと……篠原くん、何の本読んでるの?」

 たびたび、翔太は玲央に声をかけたことがある。何の本を読んでいるのか、昨日のテレビを見たか、今日の天気の話まで出したが、玲央は一切反応を示さなかった。授業で指名されれば口を開けて声を聞くことはあるが、それ以外で玲央が誰かと話しているところを翔太は見たことがなかった。今回も、翔太の言葉は玲央に反応を与えることができなかった。やっぱり、と思った翔太だったが、ふと、聞こえてくる譲たちの声にあることを思い出した。

「……そういえば、篠原くんって、ブレバトしてるの?」

 翔太の何気ない問いに、ページをめくろうとした玲央の手が小さく揺れた。

「前、えっと……篠原くんとぶつかった時。あの時、ブレバトのカード落としてたよね?」

 いつもなら反応を示さない玲央を見て諦めてしまうはずの翔太だったが、何故かその時は言葉を続けていた。

「あの、おれもブレバトやってるんだ! だからもしやってるなら、一緒に――」

「黙れ」

 低い声が、翔太の言葉を遮る。その声に、翔太ははっと目を開いた。玲央は視線を本から、翔太に向ける。

「俺は、お前みたいな奴とバトルするつもりはない」

 黒い玲央の瞳が、翔太を写す。今まで聞いたことのないような、はっきりとした玲央の言葉に翔太は動揺を隠せなかった。

「……篠原、くん」

 翔太は絞りだすように、玲央の名前を呼ぶ。が、玲央はそれ以上話すことはないというように再び本を読み始めた。席一つ分の隙間しかないはずなのに、翔太は玲央との間に大きな壁があるように感じた。そして、翔太もそれ以上何も言えず、小さく俯いた。

 一方、譲たちは実際にブレバトのカードを取り出しながら話を弾ませていた。

「やっぱりさー、大会出るならアタックポイント強いカード入れたほうがいいよなー」

「いやいやー。やっぱり防御こそ最強の攻撃って言うじゃん!」

「おれならエフェクトでデッキ崩すのもアリだとおもうぜ!」

「それならチャージを貯めてブレイクで一気に攻撃を決めるのもあるだろう?」

「ああー……って?」

 譲たちの会話に入ってきた、低い声に少年たちは首をかしげる。そして振り向くと、そこには担任の浅井誠一郎の姿があった。生徒たちが持つブレバトのカードを覗き込むように腰を曲げて眺めていたが、誠一郎ははっと目を開いた。

「先生?」

 譲が呼ぶと、誠一郎はわざとらしく咳払いをした。

「お前たち。カードゲームをするな、とは言わないけれど授業が出来なくなるなら学校への持ち込みは禁止になるぞ」

「でも先生、今ブレバトの話……」

「先生は生徒がどんなものが好きか調べて知っているだけだ。ほら、授業始めるぞ」

 誠一郎が言うと、譲たちはカードを片付けて「はーい」と返事しながらそれぞれの席に戻った。翔太も、そんな光景を見ながら机の上に教科書を出した。それから隣の席の玲央を見た。玲央は、静かに読んでいた黒いカバーの文庫本を閉じた。


 放課後。翔太と譲は、いつものようにシャインに向かった。

「こんにちは、真澄さん!」

「いらっしゃい、翔太くん、譲くん」

「あ、やっほー!」

 シャインに入ると真澄の声と、もう一つ明るい声が翔太たちの耳に入ってきた。

「舞さん!」

 入り口からすぐそばにあるレジで真澄と話していたのは舞だった。にこにこと笑いながら、舞は翔太と譲に手を振った。

「珍しいですね、舞さんがシャインに来てるって」

「だって忍ちゃんが嫌そうな顔するんだもん。でも、しばらくはこちらでお世話になるからね」

 譲の言葉に舞は一瞬むすっとした表情を浮かべたが、すぐに楽しげな笑みを浮かべる。ころころと変わる舞の表情と発言に、翔太は首を傾げる。

「お世話、って……?」

「あたしもブレコロのショップ大会、出るから!」

 舞はレジの奥に張られていたショップ大会のポスターを指さして宣言する。翔太と譲は目を丸く開いて「おおっ?!」と声を上げた。

「本当ですか、舞さん!」

「もちろーん! そのために、今日は大会の申し込みに来たってわけ!」

「はい、舞ちゃん。これが参加者のしおりね。こっちはお兄さんの分」

「ありがとうございますー!」

 真澄に言われて、舞はしおりを二部受け取る。それを見て、再び翔太は首を傾げた。

「ん? お兄さん……?」

「うん! お兄ちゃんも参加するって」

「一瀬さんも?!」

 驚いたように翔太と譲が声を重ねる。その時、二人の背後からどさ、と何かが落ちる音がした。

「あら、忍くん」

 翔太と譲、そして舞が視線を入り口に向けると、そこには呆然とした表情の忍の姿があった。忍の足元には肩にかけていたであろうスクールバッグがだらしない形で落ちていた。

「あ、忍ちゃん」

「ひっ、ひと、兄が……?」

 舞の呼びかけに対し、忍は小さな声を口から漏らす。今まで翔太が見たことのないような顔で、今まで聞いたことのない声で、明らかな動揺を示す忍を、翔太は驚きの表情でみていた。隣の譲も驚きを示していたが、どうやら翔太と違う方向で驚いているようで、

「ひと、にい?」

 忍の口から出てきた単語を譲が繰り返すと、忍は慌てて口をふさいだ。しかし、口をふさいだところで先ほどの言葉が取り消されるわけでもなく、譲は興味津々という表情で忍に寄っていた。

「師匠?! 今のどういうことですか?! ひとにいって何ですか?!」

「おっ、俺はそんな事言ってない!」

「言った!」

「言ってない!!」

 忍が逃げるように店の中に入り、それを追いかけながら譲が問いただす。そんな光景を見ていた翔太に、舞が耳元で小さく囁く。

「あれ、うちのお兄ちゃんのことね」

「う、うん……それはわかるけど……」

「忍ちゃん、昔はうちの道場通ってたの。で、その時お兄ちゃんとも仲良かったから、ああやって呼んでたんだよ」

 今は恥ずかしいみたいだけど、と舞は肩をすくめながら、それでも楽しそうに言う。

「そうだったんですね……でも、何で忍さん、あんな顔してたんだろう……?」

「そりゃあ、お兄ちゃんが怖いんだよ」

 舞が苦笑いを浮かべながら翔太の言葉に答えた。

「そういえば、忍さんが道場を辞めたのってブレバトのせいって……」

 舞の表情を見て、翔太は以前舞の家に行った時の出来事を思い出した。舞がブレバトをすることに対して舞の兄――一瀬は否定的だった。その理由の一つに、『忍がブレバトを理由に道場を辞めた』と言っていたこと。翔太が聞くと、舞は「うーん」と眉を歪めて困ったような笑みを浮かべた。

「それに関しては、あたしもわかんないんだ。まあ、忍ちゃんがやりたかったのがブレバトだったって話なんだろうけどさ。あたしは、そこまで気にしてないけど」

「そうなんですか? 忍さんと遊べなくなって寂しいとか、思わなかったんですか?」

 あっさりとした舞の反応に翔太が驚きながら訊き返す。

「寂しかったよ。でも、忍ちゃんがそうしたいって思ったなら、あたしは忍ちゃんがやりたいようにやるのが一番だと思ってるし」

 ふっと微笑みながらいう舞を見た翔太は胸の奥がどき、と鳴ったような気がした。そんな翔太の内を知らない舞は翔太に顔を近づけて言葉を続ける。さらに、翔太の耳の奥で心臓の音が高鳴る。

「そーれーに! 今は忍ちゃんとブレバト出来るからいいの! もちろん、ブレバトで仲良くなった翔太くんや譲くんや、あとお兄ちゃんとも一緒に出来るから楽しくって!」

 翔太の顔が真っ赤になっていることに気付いているのかいないのか、舞は楽しそうに笑って翔太から離れ、くるりと綺麗なターンを決めた。

「さーて! 翔太くん、一緒にブレバトしよう!」

「は、はい……」

 先に入った忍と譲を追いかけるように、舞もスキップ交じりでバトルスペースに向かう。翔太はまだ耳の奥でどきどきと鳴る心臓の音を振り払うように小さく首を振って、舞を追いかけた。


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