第19話 魔道具屋

 セバスがひざまずき、声を震わせながらロザリアに報告する。


「もう一度言ってみなさい」という冷ややかな声に、彼の表情が一瞬で恐怖に染まる。


 その場にいる誰もが息を潜め、二人のやり取りを見守っていた。


「……レオンとの決闘で敗北いたしました。」


 震える声でそう告げると、次の瞬間、鋭い音が響き渡った。


 ロザリアの手が鋭くセバスの頬を打ち、彼の顔がその衝撃に歪む。


 周りの侍女や近衛たちは、見てはいけないものを見てしまったかのように顔を背けるが、目はどうしても二人に釘付けだ。


「レオンの影響力がこれ以上広まるのを手助けするなんて……信じられないわ。」


 ロザリアは息を荒げ、冷たい怒りを抑えることなくセバスを睨みつける。


 その視線には、母としての愛情のかけらもなく、ただ失望と苛立ちが滲んでいる。


「セバス、決闘という勝手な行為をなぜしたのかしら?それになぜ敗北しているのかしら?」


 セバスは震えながら必死に言い訳を口にしようとするが、口が乾き、うまく言葉が出てこない。


「も、申し訳ありません……母上。」


 それがやっとの思いで出た言葉だった。


 だが、ロザリアはその謝罪を聞いても満足するどころか、冷ややかに顔を歪める。


「謝罪が聞きたいのではないわ!」


 彼女は苛立たしげに手元の木刀を握りしめる。


 その瞳は暗く、冷酷な光を放っていた。


 次の瞬間、彼女はその木刀でセバスの背中を力強く打ち据えた。


「お、お母様!」


 セバスの苦痛の声が空気を切り裂く。


 しかし、ロザリアは一切の容赦を見せず、無言で再び木刀を振り上げる。


 周囲の侍女たちは恐怖で顔を背け、衛兵たちもただ静かにその場に立ち尽くしている。

 

 彼らにとっても、これは見慣れた光景だった。


 セバスが失敗を犯すたびに、彼はこうして母親からの「罰」を受けてきた。


 母の厳しい叱責の下で、彼は弱さや情けを許されず、ただ期待と恐怖に押しつぶされる日々を送っていたのだ。


 ロザリアの瞳は冷たく、そこにはどこか狂気じみたものが宿っている。

 

 彼女にとって、この息子は単なる駒であり、自分の計画に欠かせない存在であって、それ以上のものではない。

 

 失敗は許されないし、失態は容赦なく罰するべきだ――それがロザリアの信念であり、セバスに対する教育方針でもあった。


「レオンに遅れを取るとは……恥を知りなさい、セバス。」


 ロザリアは冷たく言い放ち、再び木刀を振り上げる。

 セバスはうつむき、ただ耐えるしかない。

 その顔には痛みと屈辱が入り交じり、母への恐怖が表れていた。


 ――

 夕暮れが差し込むフィリスフォードの城の客間にて、俺は一人静かに、式典の三日間を振り返っていた。


 短いながらも密度の濃い日々だった。


 スキル発現式を皮切りに、さまざまな行事が俺の前に立ちはだかり、そのひとつひとつが俺に達成感と深い疲れを与えていた。


 今、全てが終わり、静けさが戻った城内には、一抹の寂しさと満足感が漂っていた。


 だが、そんな穏やかな余韻に浸っている暇もなかった。俺の胸には、どうしても消えない1つの懸念があった。


 それは、“ネクロム”という存在だ。


 闇の勢力とも言える彼らは、フィリスフォードアカデミーの校長であるルカが示唆していたように、近年ますます勢力を拡大し、着実にその影響力を広げていた。


 今のところ対抗勢力である”ルーメン”は動きを見せていないものの、あのリリスが攫われた一件で、ネクロムの危険性を改めて痛感したばかりだ。


 表向きには静かに見えるが、その暗部で何が進行しているのかはわからない。

 この脅威を無視するわけにはいかないだろう。


 さらに、気がかりなのは、ゲームのシナリオから逸脱した出来事がすでに現実に起き始めていることだ。

 

 ネクロムの動きもその一例だが、この世界が自分の知っているストーリー通りに進むとは限らないのだと、嫌でも理解させられた。


 予測不能な事態が今後も発生するかもしれない以上、危機感を持つべきなのは明らかだ。


「さて、今後の指針を決めるとしよう……」


 俺は一息つき、決意を新たにした。

 まず第一に、マギエールサークルの強化と呪いの研究、俺自身の力を高めること。


 次に、ネクロムの弱体化を図る。

 あるいは逆に、いっそ俺がネクロムに入り込むことも考えられるが、その場合はリスクが大きい。


 ゲーム内での記憶を辿れば、ネクロムの拠点や重要な神殿の位置はおおよそ把握している。


 そこを叩き潰していけば、ネクロムの力は確実に削られていくだろう。


 ネクロムの長、"アシデッド"がリバイブレリウムのかけらを所持しているという情報も、今後の手掛かりとなるかもしれない。


 だが、心の奥で迷いが残る。

 ネクロムは確かに都合の良い組織だ。

 最恐の存在となるためには、いずれ接触することが有利になる可能性もある。


 だが、俺はネクロムが気に入らないし、組織に縛られるのも性に合わない。

 

 いずれ滅ぼすにしろ、まずは弱体化に専念し、いずれ訪れる対決に備えるのが賢明だろう。


 最後に、ゲーム内での主人公やヒロインたちとの関係を築くことだ。


 今のところ彼らとはすれ違うたびに挨拶をする程度の交流に留まっているが、ここで友情を深めておくことで、いざという時の味方にもなり得るだろう。


 幸いなことに、ダンジョン遠征を指揮しているアルドリックの帰還はまだ先だと聞く。


 しばらくフィリスフォードに滞在する時間が確保できる以上、今のうちに彼らと関係を築くチャンスは存分にある。


 これら3つの方針が今後の俺の道筋だ。


 決意が定まったことで、心が少し軽くなったような気がした。

 さて、こうと決まれば、じっとしている暇はない。


 俺は軽く伸びをして立ち上がった。変身して周囲を探索し、次の行動への準備を進めることにする。


「善は急げ、だな……」


 猫の姿になり、城の周りを軽く探索してみることにした。

 

 猫の姿で街中を探索していると、見知った姿が視界に入った。


 ダリアンとエマだ。彼らは二人並んで歩きながら楽しそうに会話を交わしている。


 その微笑ましい光景に一瞬見入ったが、俺はそっと距離を保ち、後をつけることにした。


 数分ほど影のようについていくと、やがて二人は軽く手を振り合って別れ、それぞれ別々の方向へ歩き出した。


 どちらについて行こうか迷ったが、今日はダリアンと手合わせをして、少し距離が縮まったように感じていたので、エマを追うことにした。


 エマとの交流はまだ浅く、気になることも多かったからだ。


 エマはフィリスフォードでそこそこ有名な魔道具屋の娘で、その店は街中でも評判だった。


 父親は男爵で、母親はかつて優れた魔法使いだったと聞く。


 特に母親は「魔女」として知れ渡り、フィリスフォードの住人に少なからず畏敬を抱かれているようだった。


 その影響もあってか、エマは街の中でも独特の存在感を放っている。


 そんなエマが向かったのは、立派な装飾が施された屋敷だった。


 これがエマの家か。


 フィリスフォードの中でも、かなりの規模を誇る屋敷だ。


 迷わず猫の姿のまま、敷地内に忍び込んだ。


 草木に隠れつつ、彼女の足取りをじっと見守る。


 

 エマが玄関の扉を開け、家に入るやいなや、エマの容姿に変化が現れた。


 モーファセスが解除され、本来の姿に戻ったのだ。


 エマがモーファセスを使っていることは知っていたが、変装の変化はほんのわずかだ。


 そばかすが少し増え、輪郭が若干丸みを帯び、瞼が一重になる程度の違いしかなかった。


 それでも彼女が変装をしている理由がいまひとつ掴めず、俺は内心で首を傾げる。


「前世の俺がしていたメイクはエマに比べるとマジで詐欺だな」


 そう心の中で呟きながら、俺はさらに屋敷の中を見渡した。


 エマは入浴の準備をしているようだった。


 さすがにエマのプライベートを覗くつもりはないので、俺は家の中を探索して待つことにした。


 魔道具屋の屋敷だけあり、館内にはさまざまな魔道具が並べられていて、興味をそそるものだった。


 棚には大小さまざまな魔道具が並べられ、その中でも特に目を引いたのはアイテムボックスだ。


 これまでの冒険で俺が使用してきたインベントリに似た機能を持つものだが、こちらは簡易版といったところか。


 最近知った事実だが、どうやらインベントリを持っているのは、俺とリリスのような「プレイヤー」だけらしい。


 現実世界の住人には、インベントリは存在しないのだ。


 アイテムボックスはその代用品として機能するが、容量も操作性も、インベントリに比べて劣るのが難点だろう。


「……それでも、こうして大量に揃えているあたり、さすが魔道具専門店ってところだな」


 棚の1つに手をかけると、僅かに埃が舞った。


 使い古された感があるものもあれば、未使用のように新品同然のものもある。


 その多様さに目を奪われつつ、俺はそっとエマの帰りを待っていた。


 潜入は思ったよりも簡単だったが、ここに入り込んでからの行動を考えていなかったことに気づき、少々焦る。


 エマは以前、街で猫の姿の俺を見ているし、「この猫、実は僕です」とでも言ってみるか? 


 なんて軽い冗談が頭をよぎるが、実際にどう説明するかを決めるのは難しい。


 そんなことを考えながら館内を探索していると、エマが入浴から戻ってきたようだ。


 チャンスだ、早速エマの部屋に向かってみよう。


 そっと忍び足で廊下を進み、エマの部屋の前にたどり着いた。


 心の中で少しだけ息を整え、ドアの下の隙間をくぐり抜けようとしたその瞬間、突然「ボンッ!」と小さな爆発音が響き、視界が一瞬霞んだ。


 次の瞬間、体に違和感が走り、猫の姿から元の姿に戻ってしまっていた。


「なっ……!」


 俺は思わず声を漏らし、慌てて辺りを見回したが、すでに遅かった。


 ドアの外から駆け寄る足音が聞こえ、護衛の兵士が勢いよく部屋に入ってきた。


「何者だ!」


 兵士が警戒心を露わにし、鋭い目つきで俺を見据える。


 その視線が俺の顔を認めた瞬間、兵士は明らかに動揺を隠せない様子で、口元を引き締め直した。


 「れ、レオン王子……?」


「あ、あはは、えーと、ちょっとした失敗がありまして……」と笑ってごまかそうとするが、その場の緊張は一向に解けない。


 そこへさらに、部屋の奥からエマが現れ、驚いたように声を上げた。


「レオン様……?どうしてここに?」


 不意の登場に呆然としているエマの視線を受け、俺はさらに言い訳を考える、次から次へと足音が聞こえてくる。


 最後に、威厳ある立ち振る舞いを見せる一人の男性が部屋に入ってきた。


 エマの父親であり、この屋敷の主人だ。


 彼は厳しい表情を崩さずに俺を見据え、落ち着いたが冷静な声で尋ねてきた。


「レオン様?ここで何をしていらっしゃるのですか?」


 

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