第12話 ネクロムの襲来

 神殿での謎めいた出会いは、まるで心の中に小さな嵐を残していったかのようだった。


 その余韻がまだ胸の奥でざわついている中。


 一行は南西の魔法使いの帝国、エルメティアへと辿り着いた。

 

 フィリスフォードに向かうためには、どうしてもこのエルメティアのワープゲートを通過しなくてはならない。

 


 エルメティアは活気に満ち、華やかな街並みが広がる帝国だ。

 

 石畳の道沿いには露店が並び、色鮮やかな商品が並べられている。

 魔法生物や人々が行き交い、笑い声や取引の声が飛び交う様子は、まさに繁栄する帝国の一端を見せつけている。


 しかし、今日はその表の賑わいの奥底に、何か不穏な気配が隠れているような気がしてならなかった。


 通りを進んでいると、突然、前方から怒号が聞こえてきた。


 数十人の冒険者たちが道端で何かを巡って激しく口論している。


 険しい表情で腕を組み、声を荒げる男たちの姿は、周囲にいる人々に一種の圧力をかけているようだった。


 彼らの一部が乱暴な手つきで通行人を突き飛ばし、騒ぎに巻き込まれた人々が慌てて立ち去るのを見て、胸に警戒の色が浮かんだ。

 

 リリスが不安げに俺に近づき、「レオン、大丈夫かしら?なんだか妙な雰囲気ね」と小声で話しかけてきた。


「大丈夫だよ、リリス。でも、少し気をつけよう」


 そう言って彼女の肩を軽く抱き、周囲に目を光らせた。


 冒険者たちの中で、一人の男が目に留まった。

 

 黒ずくめの服に身を包み、鋭い視線をこちらに向けている。

 その視線には、敵意とも警戒ともつかない何かが含まれているようで、背筋が冷たくなった。


 ふと彼の腕に目が行った。その肌に、半月を模した小さなタトゥーが彫り込まれているのを見つけた瞬間、心臓が一拍高鳴る。


「……ネクロムの一員か……」

 

 彼はネクロムという組織に所属しているらしく、その名は近年、闇の勢力として暗躍しているという噂が絶えない。

 

 セバッチャンは剣を握る手に力が入ってるのが目に見えてわかった。

 

「セバッチャン?大丈夫か?」


 俺はセバッチャンに問いかける。

 

「ええ。大丈夫です」


 セバッチャンは気長に立ち振る舞っていた。

 

「ねぇ、あの人たちって……ただの冒険者じゃない気がする」


 リリスが不安げに囁く。


「俺もそう思う。彼らには何か裏かあるかも。まぁ何かあっても俺が守ってみせるさっ」


 リリスの不安を和らげるため、力強く微笑んで冗談ぽく答えたが、その胸の内には警戒心が高まっていた。

 

 この時俺は知るよしもなかった。

 まさかあんなことが起きるとは。


 

 その後、一行は共に近くの宿に入ったものの、あの黒服の冒険者の不穏な視線が頭から離れない。


 まるで、こちらの行動を見張っているかのような気配が感じられた。


 

 次の日、一行はフィリスフォードへ向かうために、エルメティアにあるワープゲートの前に集まった。


 式典に向かうため、アルドリック国王、母リディア、第1王妃ロザリア、第1王子のセバス。そしてセバッチャンも同行している。

 

「では、先に失礼するぞ」


 とアルドリックが静かに言い、リディアやロザリア、セバスと共にワープゲートの中へと消えていった。


 その背後には、まばゆい光の残響だけが残され、次は俺たちが続く番だった。


 だが、次の瞬間、予想外の事態が襲った。


 リリスが突然後方から何者かに引き寄せられ、まるで闇に吸い込まれるように姿を消した。

 

 見えたのは一瞬、リリスが驚きの表情を浮かべる顔だった。その次には、彼女の姿は完全に掻き消えてしまっていた。


「何!?」


 セバッチャンが目を見開き、驚愕の声を上げる。

 その場で立ちすくむ間もなく、セバッチャンは即座に動き出した。


 俺もすぐに反応し、リリスが連れ去られた方向へと駆け出す。心臓が胸を打つ音が響き、焦りと怒りが交錯していた。


 俺のすべきことはただ一つ、リリスを取り戻すことだ。この場にいる誰よりも、リリスを守るべき立場にあるのだから。


 足音をたどり、曲がりくねった通路を抜けた先には、昨日見かけた冒険者たちが待ち構えていた。


 彼らは全身黒ずくめの装束に身を包み、無造作にリリスを抑え込んでいる。

 

 中心に立つ男は、昨日こちらを嘲笑うような目で見ていたあの黒服の男だ。

 彼は冷笑を浮かべながら、俺たちに向かって皮肉めいた言葉を吐き出した。


「おやおや、王子様に従者さん。まさかこんなに簡単に引っかかってくれるとはね」


「貴様ら、よくもリリス様に手を出したな!」


 セバッチャンが剣を抜き、低く険しい声で男を睨みつける。

 その冷徹な瞳には、相手に対する激しい怒りが宿っていた。

 俺も彼に並んで立ち、強い意志をその眼差しに込める。


 黒服の男が手を振ると、仲間たちが徐々に包囲網を狭めてくる。

 彼らの間に広がる緊張感は一触即発の様相を呈し、今にも激しい戦闘が始まりそうだった。


 しかし、俺は決して怯まなかった。リリスを取り戻すためには、何があっても立ち向かう覚悟ができていた。


 戦いの火ぶたが切って落とされた瞬間、俺は素早くリリスを押さえている黒服の男に狙いを定めた。


 インビンシブル不視の風刃を解き放つと、鋭い刃の風が彼の体を貫き、鮮やかな赤が宙に舞う。

 

 リリスを抱えた男は呆然としながら崩れ落ち、その隙を突いてリリスを引き寄せた。


「リリス、無事か?」

 

 驚きと安堵が入り混じる声で問いかけると、リリスは弱々しくも小さく頷いた。


 だが、次の瞬間、周囲には新たに敵が溢れ出し、鋭い視線をこちらに向けてきた。


 敵は想像以上に多く、このままでは捕まりかねない状況だ。

 

 咄嗟の判断で、俺は3キロほど先にあるダンジョンの入り口を思い出した。


 8分ほど走った。

 

「セバッチャン、急げ!」


 俺はリリス抱えて、ダンジョンへと走り込む。


 薄暗い入口を抜けると、急に冷たい空気が頬に触れた。


 まるで生き物のように息づくその場所に足を踏み入れると、湿った苔の香りと静寂が包み込み、かすかな恐怖が全身を走った。


「ここで撒くんだ、急げ!」


 セバッチャンとリリスもすぐ後ろに続き、俺たちは迷路のように入り組んだダンジョンを進む。

 

 このエルメティアのダンジョン。


 血の洞窟は、かつて冒険者たちが幾度も探索を試みたものの、その奥深さから真の終着点には至っていないとされている場所だ。


 ダンジョンの壁には奇妙な紋様が刻まれ、不気味な気配が漂っていた。


「はぁ……はぁ……。セバッチャン、ここまで来れば撒けているはずだ」


 息を切らしながらセバッチャンに言うと、セバッチャンは鋭い目で周囲を確認し、神経を研ぎ澄ませていた。

 

「はぁ……はぁ……このダンジョン、そう簡単に抜け出せる場所じゃないですよ」


 セバッチャンが険しい表情で言う。

 

「大丈夫だよ。ついでに経験値でも稼いでいくか。それにこのダンジョンはフィリスフォードの近くに繋がっているよ」


 洞窟の奥深くに進むと、少し広がった空間にたどり着いた。

 ここは他の場所よりもわずかに安定した空気が漂い、わずかながらも休息に適した場所に思えた。


 天井の岩肌から冷たい滴がポツリ、ポツリと落ち、静寂が辺りを包んでいる。


 遠くで風のような音が響き、それが洞窟の重苦しい空気をわずかにかき混ぜていた。


 3人は岩場に腰を下ろした。


 一息つくと、自然と先ほどの激闘の記憶がよみがえってきた。


 胸の奥にはいまだにざらりとした不安が渦巻き、意識すればするほど自分の手のひらが微かに震えていることに気づいた。


「……俺、さっき……人を殺したのは初めてだ」


 ぽつりと口をつく言葉に、重苦しい静寂が落ちた。


「それなのに、なんでこんなに冷静でいられるんだろう」──何かが欠け落ちたような、自分でもわからない奇妙な感覚に囚われながら、まるで独り言のように呟いた。


 すると、隣でじっと聞いていたセバッチャンがふっと息を吸い込み、重い眼差しをこちらに向けた。

 

 セバッチャンの視線には、戦いをくぐり抜けてきた者だけが持つ深い重みと、言葉では表せない経験が滲んでいる。


「……あの状況では、やむを得なかったんです」

 

 セバッチャンの言葉は静かで、まるで何かを飲み込むかのように低く響く。

 その声に無言の慰めが込められているのがわかり、わずかに心が軽くなるのを感じた。


「本当に……ごめんね」


 震えがちな声で、リリスが謝罪の言葉を漏らす。


 俺はその言葉に何も答えず、ただ静かに座ったまま、そっとリリスに寄り添っていた。


 リリスの視線は優しく、黙ったままの存在が逆に温かい気持ちを与えてくれる。

 リリスは何も言わないが、その沈黙には深い理解が込められているように思えた。


 一度気持ちを落ち着かせた3人は、改めて顔を見合わせ、ゆっくりと頷き合う。


 それぞれに覚悟を確かめるかのように深く息を吸い込み、意志を新たにした。ここで立ち止まっているわけにはいかない。


 背後にはまだ脅威が潜んでおり、さらに奥には未踏の地が待ち受けているのだから。


「行こうか……」小さく呟き、また歩み始める。

 

 

 湿った冷気が肌を刺すように伝わってきた。周囲の壁や地面には赤い苔がびっしりと生え、洞窟全体が血の色に染まっているかのように見える。


 かすかに漂う毒の甘ったるい臭いが鼻をつき、ここが一筋縄ではいかない場所であることを強く感じさせた。


「気をつけてください……ここはバイパーファングとヴェノムバットの巣です。奴らの毒が空気中に蔓延しています」と、セバッチャンが低い声で警告する。


 セバッチャンの目は鋭く光り、周囲に潜む危険を見逃さないように集中している様子だ。

 

「大丈夫だよ。俺たちに毒は効かない。そういえば。2人ともこれを飲んで」

 

 俺は素早く毒耐性のエリクサーを取り出し、リリスとセバッチャンに手渡した。


 リリスは何も言わずにポーションを飲み干し、セバッチャンも少しだけ躊躇したもののリリスに続いて飲み干す。

 

 奥へと進むにつれて、天井や壁の隙間からコウモリが次々と飛び出し、羽ばたきの音が耳元で鳴り響く。


 奴らの体からは毒の胞子が散らばり、目に見えない細かい粒子が空気中に漂いはじめた。

 ここはヴェノムバットと呼ばれる猛毒のコウモリたちの巣だ。

 ヴェノムバットはグリームスピリットと同様アンデット系の魔法生物だ。


「範囲浄化のスクロールを持ってくれば良かったわ……」


 リリスが息を詰まらせながら呟く。


 俺はインビンシブルで出てくるコウモリを処理していく。


 さらに奥へと進むと、細い通路が見えてきた。そこには無数の蛇がとぐろを巻き、睨みを利かせている。


 バイパーファングだ。

 長い牙には赤黒い液体が滴り落ち、僅かに地面を焦がしている。


「バイパーファングです!奴らは鋼のように硬い皮膚と恐ろしい毒を持っています。気を抜かないでください」とセバッチャンが指摘するが。


 その直後、地面から突然矢のように毒の針が飛び出し、セバッチャンの足元をかすめていく。


「大丈夫さ、俺たちには通用しない」


 俺は気丈に言い放ち、インビンシブルで目の前の蛇を次々と斬り捨てていく。風刃の一閃が走るたびに、バイパーファングは呻き声を上げながら倒れていく。

 

 やがて、洞窟のさらに奥で巨大な空洞が広がっているのを発見した。


 中央には奇妙な光を放つ泉があり、周囲には毒の霧が立ち込めている。


 泉の縁には、バイパーファングの脱皮した皮が散乱しており、まるでここが彼らの神聖な場所であるかのように見える。


「あと40キロほど進めば転移トラップがある。それを使えば、フィリスフォードの近くに出れる」


 俺は2人に告げ、次なる行動に備えた。


 リリスとセバッチャンは俺の言葉に頷き、洞窟の冷たい空気の中で静かに覚悟を固めた。

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