第27話 背負うべきもの

 アシデッドの鋭い視線が、夜の暗闇の中で不気味に光っている。


 その目に、いつも通りの敵意と、どこか虚ろな悲哀が混ざり合っているのが分かった。


「なぜそんなことを俺に話す?」と問いかけると、アシデッドは鼻で笑った。


 その笑いには何かを諦めたような、投げやりな響きがあった。


「言っただろう、奴は怪物だ。俺にとってもな」と、低い声で返す。


 まるで長年溜め込んできた感情を吐き出すように。


「一種の反抗ってわけか」


 アシデッドは静かにうなずく。


 アシデッドが言いたいことを理解しようとするように、表情を変えずにその目を見据えた。


 アシデッドは肩をすくめ、かすかに自嘲するような笑みを浮かべた。


「まぁ、そんなもんさ。くだらねぇと思うかもしれないが、これが俺の選択なんだ」


 気づけば、外は闇に包まれ、空には満月が浮かんでいた。


 月の光が冷たくアシデッドの顔を照らし出す。


 その光の中で、アシデッドはまるで鎖に繋がれた狼のように見えた。


 凶暴さを内に秘めながらも、自由を奪われているその姿に、どこかしらの悲壮感が漂っている。


「この最高の世界で、俺は俺のやりたいようにやるさ」とアシデッドは静かに呟く。


 その声には、夢と絶望が入り混じったような奇妙な響きがあった。


 俺は冷ややかに微笑み、肩をすくめながら一言、投げかける。


「お前はそこがお似合いだ。じゃあな、ワンコロ」


 アシデッドの目が険しくなり、冷たい怒りがその瞳に宿った。


「次は殺す。俺がここを出たら、その時がお前の最後だ」


 その言葉は、ただの脅しではなく本気の意思を感じさせた。

 

 だが俺は、そんな彼の挑発には微動だにせず、少し口角を上げてみせる。


「楽しみだな。またPvPできる時があったら……まぁ、たまにはここに来てやるよ」


 そう言い残し、俺は振り返り、静かにその場を去った。


 背後に残るアシデッドの気配が、満月に照らされた夜の中で静かにゆらめいていた。


 その執念と絶望が絡み合い、重い空気が闇夜に溶け込んでいくのを感じながら、俺の心には新たな戦いへの覚悟が静かに宿っていた。


 

 翌日アルカティナの訓練所にて。

 

 薄暗い空気が立ち込める中、ダリアンと向き合っていた。


 ダリアンは息を切らし、額には汗が滲んでいる。


 ダリアンの視線がこちらに向けられ、その目には揺れるような迷いや焦燥が映っていた。


「はぁ……はぁ……レオン君って、なんでそんなに強いの?」


 ダリアンが苦しげに問いかける。その質問には、彼なりの真剣さが込められているのがわかる。


(なんで強いのか? ……前世でも、何度もそんな風に聞かれたことがあったな)


 俺は思い返し、口の端を少しだけ上げてみせた。

 答えなんて、ひとつしかなかった。


「これが楽しいからだよ。たまらなくな」


 その言葉を聞いたダリアンは、一瞬呆気に取られたように沈黙する。


 そして、視線を伏せながら苦笑した。


「そう……なんだ。レオン君を見てると、自分が情けなくなるんだよ」


 ダリアンの言葉は小さな囁きのようで、それが真剣な悩みであることが伝わってくる。


 俺はダリアンの肩に手を置き、少しだけ温かみを込めて言葉を返した。


「ダリアンは、よくやってるよ」


 その一言に、ダリアンの顔がほころんだ。


 少しの間、俺たちはただ静かにそこに立っていた。


 マギエール同士の手合わせを、そして、共に歩んできたことで、無理なくタメ口が出るほどの間柄になっていた。


 

 帰りの準備を始め、ふと気を抜いていると、不意にダリアンがこちらを振り返る。


「レオン君!」


 俺は振り向きながら彼を見つめる。


「なんだ?」


 ダリアンは少し緊張した様子で言葉を紡いだ。


「リリス様のこと、どう思っているの?」


 その質問に、思わず眉を寄せる。


「なにそれ? 何が聞きたいんだ?」


 ダリアンは少し頬を赤らめ、言葉を選びながら続けた。


「その……リリス様のこと、愛していますか?」


「愛……か」


 その言葉が俺の心に重く響いた。


 考えたことがなかったわけではないが、愛というものが何なのか、明確に答えられる自信はなかった。


 俺は少し考えてから、素直な答えを口にした。


「俺には愛が何なのか分からないけど、リリスは大切だと思っているよ」


 ダリアンはその言葉を聞くと、少しほっとしたように微笑んだ。


「そ、そうですか」


 俺は目を細めて、からかうように尋ねてみる。


「何? リリスのことが好きなのか?」


 ダリアンは慌てて顔を赤くし、しどろもどろに言葉を紡いだ。


「えっと、その……秘密にして……ください」


 その反応が微笑ましくて、俺は思わず笑ってしまった。


「ははっ、そうなんだ。いーよ。ただし、エマにも優しくするんだぞ」


 ダリアンは頷き、力強く答えた。


「もちろん!」


 そして、俺は肩の力を抜いて大きく伸びをしながら言った。


「じゃあ、今日はもう帰るわ」


 荷物をまとめて出ようとした瞬間、廊下から微かな足音が聞こえた。


 ドアを開け覗いてみると、廊下の向こうに小さな後ろ姿が見える。


(ん? 誰だ?)


 薄っすらと見えるシルエット……まさか、リリスか? 瞬間、俺の胸が一瞬だけ高鳴るのを感じた。


 その背中がゆっくりと消えていくのを見つめながら、なぜか視線がその場に釘付けになってしまっていた。


 

 夜。


 俺は「アルカティナの病棟」に姿くらましで移動し、リアムの元に辿り着いた。


 リアムが今どんな状態であるか、その目で確かめたいという一心だった。


 病室に入ると、重々しい静寂がそこに満ちていた。


 リアムは細く荒い呼吸を繰り返し、まるで微かに揺れる蝋燭のように儚い姿だった。


 その肌は不気味に青白く、血の気が失せ、リアムの瞳にはかつての活気はもう見られなかった。


「よう! リアム、調子はどうだ?」


 俺はできる限り明るく声をかけたが、リアムは弱々しく微笑むだけだった。


「最悪ですね。でも、英雄様を最後に一目見れてよかったです……」


 リアムの声は途切れ途切れで、まるで今にも消えてしまいそうなほどだった。


 俺は眉をひそめ、リアムの苦しそうな姿に胸が締め付けられる。


「ちょっと失礼」と一言告げ、インフォグラスをかけてリアムの体を診察する。


「ふむ……」


 インフォグラス越しに映るリアムの体内は、まるで黒い霧に覆われているかのようだった。


 体内の血液は異常な変質を見せ、全身に蔓延する奇妙な瘴気が彼の体力を蝕んでいた。


 その姿は、もはやただの病ではなく、呪いとも呼べるものだった。


 リアムは微かな声で続ける。


「もう私は長くありません……エマとダリアンを……どうかよろしくお願い――」

「諦めんな!」


 俺は彼の言葉を遮るように声を張り上げた。


 リアムの虚ろな目が驚いたようにこちらを見つめる。


「俺が治す。……数年かかるかもしれない。だが、絶対に治してみせる。それまで頑張ってくれ」


 リアムは一瞬驚いた表情を見せ、やがて微笑みを浮かべた。


「ふふっ……分かりました。あなたを……信じます」


「そうだ。俺を信じろ。絶対に諦めるんじゃないぞ」


 リアムの病、名は「ミルブロス症」。


 これはかつて「血を汚す呪い」とも呼ばれた不治の病だった。


 リアムを苦しめるその症状は、ただの病とは一線を画している。


 この病は、血液の異常な変質が特徴的だ。


 全身に倦怠感が付きまとい、常に貧血と疲労感が襲う。


 さらには免疫力が極端に低下し、どんな小さな感染症でも致命的になりかねない。


 リアムの肌は次第に青白く変わり、微熱が引かず、日に日に体力が奪われている。


 だが、その悪化は血液にとどまらない。


 病が進行すると、やがて精神にまで影響を及ぼし始める。


 幻覚や精神の混乱、異常行動を引き起こすことが多くの例で確認されている。


 そして最終的には、体が衰弱しきって命を失う……それがミルブロス症の運命だ。


 さらに厄介なのは、一般の治療法や薬草では完治させることは不可能だということだ。


 特殊な魔力や秘薬によって一時的に延命はできるが、それも限界があり、数ヶ月から長くて6年程度と言われている。


「リアム、この病を治すには、どんな病も癒すという伝説の秘宝『浄光の涙』が必要だ。必ずそれを手に入れて、お前を救ってみせる」


 リアムは静かに頷き、再び目を閉じた。


 リアムは全てを俺に委ねる覚悟をしたようだった。


 その姿に、俺もまた固く誓った。


「それまで待っていてくれ、リアム。俺は諦めない。お前も絶対に諦めるんじゃないぞ」


 静かに立ち上がり、病室を後にしながら、俺は固い決意を胸に秘めた。


 どんなに困難な道のりだろうと、この呪われた病を打ち破り、リアムを救ってみせると。

 


 陽光が柔らかく差し込むアルカティナの館の客間(アルカティナでレオンが過ごしている自室)に、俺は静かに足を踏み入れた。


 客間の窓からは、穏やかな光が優しく部屋全体を包み込んでいる。


 壁にかけられた絵画や重厚な家具の一つひとつがこの屋敷の品格を物語っているが、今日はその静謐な美しさが、どこか重苦しくも感じられた。


 その中に佇むダリアンの背中は、一際小さく、そして悲痛な影を帯びていた。


 彼の表情は険しく、肩はわずかに震えている。


 まるでリアムを救えなかった事実がその体ごと押しつぶしてしまいそうな、そんな無言の悲しみがそこにはあった。


 リバイブレリウムのかけらの力か。

 

 リアムを救えなかった世界線のダリアンだ。

 

 俺は黙って彼の背後に立つ。


 ダリアンの瞳はどこか遠くを見つめているようで、彼の心がいかに深い喪失感と後悔に苛まれているのかが、その一挙手一投足から伝わってくる。


 リアムを失ったことが、彼にとってどれほど辛いことだったか。


 そんなことは、俺にだって痛いほどわかっていた。


「……リアムのこと、気にしてるのか?」


 俺は静かに問いかける。


 だがダリアンは応えない。


 ただその場に立ち尽くし、肩を震わせるだけだった。


 息を整えるように、彼はゆっくりと目を伏せ、そして、苦しそうに口を開く。


「俺は……俺はリアムを救えなかった。あんなにも苦しんでいたのに、何もできずに……ただ見ているしか……」


 彼の声はかすれていて、弱々しかった。


 ダリアンにとって、リアムはただの仲間ではなかった。


 その存在は彼にとって、家族同然だったに違いない。


「ダリアン」


 俺は彼の肩にそっと手を置く。


 「お前が背負ってきたもの、その重みは俺も知ってるつもりだ。だが、リアムを救えなかったことを、お前一人が抱える必要はない」


 ダリアンの瞳が揺れる。そこには、俺が口にした言葉をどう受け止めたらいいのか、迷いと戸惑いが映っていた。


「お前の代わりに、俺がやる」


 俺は断言するように告げた。


「リアムが苦しんでいたこと、お前が背負うべきだった想い、そのすべてを俺が引き受ける。ダリアン、お前がリアムにできなかったことを、俺がやり遂げてみせる」


「でも……それは、俺の責任なんだ。俺が引き受けなきゃいけないことで、そんな……お前に背負わせるなんて……」


 ダリアンの言葉には、彼がこの責任から逃げたくないという強い意志が込められていた。


 それでも、俺には確信があった。


「俺がこの『リバブレリウム』を完成させるし、浄光の涙でリアムを治す」


「リバブレリウム……」


 ダリアンの瞳が少し光を取り戻す。彼も知っている。


 リアムが夢見た理想郷の存在を。


「リアムは、誰かが自分の夢を見続けてくれることを望んでいた。彼の理想、彼の思い、それを俺がこの手で実現させる。リアムが救えなかったことで、どうしようもない後悔があるなら、それを力に変えればいい」


 ダリアンは一瞬目を伏せた後、静かに頷いた。


 その顔にはまだ迷いが残っているが、どこか安堵のようなものも見える。


「ダリアン」


 俺は彼の名を呼び、まっすぐに彼の瞳を見つめる。


「お前にはお前の戦いがある。だからこそ、俺に任せてくれ。リアムを必ず治す。お前が背負うべきだったものを、俺が背負っていく」


 彼は何も言わず、ただ小さく頷いた。


 そして、ほんの少しだけ微笑んだ気がした。


 そのダリアンは光のように霧散していった。

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