第6話 セバッチャンの過去

 「私の名前はセバッチャン。あのクソ王子のような名前……ふぅ、失礼。どうか気にしないでください。」


 名前を呼ぶとき、いつも胸の内に密かに湧き上がる苦い感情を押し殺さなければならなかった。「セバッチャン」と名付けられた私の人生は、皮肉と悲嘆に満ちている。

 

 私の生まれ育った地、アルカティナ。

 聖なる騎士がかつて守り抜いたとされるこの土地で、私は平凡とは程遠い日々を過ごした。


 母は、私が幼いころから何かが少しおかしかった。小さな家の中で、彼女が語るのはほとんどいつも「パトリアーク」のことだった。彼女の旦那、つまり私の父親だ。母の話しぶりは、恋する乙女のように浮かれている。その顔は今でもはっきりと覚えている。目が輝き、口元にはかすかな微笑みが浮かぶ。彼はアルカティナの聖騎士だったと。まるでその話の中のパトリアークが、彼女の憧れそのものであるかのようだった。


 しかし、ある日、何かが壊れてしまったように、母の微笑みは急速に消え失せていった。母が街の仕事を失ったのがきっかけだった。ネクロムと呼ばれる呪いの宗教団体から麻薬を手に入れていたのがばれてしまったのだという。そこから私の生活は一変した。馬小屋で彼女を介抱しながら、仕事へ通い詰める日々。幼いながらも、私は母の無力な姿を目の当たりにし、やるせない気持ちを抱きながらも黙々と働き続けた。


 ある夜、いつもは「おかえり」の声が迎えてくれるはずが、不気味に静まり返っていた。不安がよぎり、母の名を呼びながら馬小屋の隅々まで探し回ったが、母親の姿はどこにもなかった。嫌な予感が胸を締めつける中、私は町を走り回った。そして、とうとう見つけてしまった。


 その男は、ネクロムの一員だと一目でわかった。肩には半月のタトゥーが刻まれ、片手には私の母の首が、無残にぶら下がっていた。その姿を目にした瞬間、私の心は凍りついた。

 男はまるで自らを救世主とでも言わんばかりに「彼女を救ってやったんだ」と、笑みを浮かべて、言い放った。


 その時の私の感情は、いまだ言葉にはできない。10歳の少年だった私は、無意識のうちに近くの店先で包丁を掴んでいた。スキル式も出ていない、自分のスキルがなんなのかも知らない。だが、小さな手に握られたその刃は、意外なほど自然に馴染んだ。何度も何度も、何も考えずに男を突き刺した。抵抗もせず、ただ腕を広げて死を受け入れるように倒れる男の口からは、薄気味悪い囁きが漏れる。

 「アシデッド様、先に逝きます」と。


 その日を境に、私は一人、傭兵として生きていくことを決めた。10年もの歳月が過ぎ、数えきれない戦争の中で生き延びた私の道は、ついにアルブレイブとの戦争にたどり着いた。そして、その戦場で目にしたのが、アルブレイブ王・アルドリックだった。彼の圧倒的な力と堂々たる姿に、私は叩きのめされた。

 しかし、彼は不思議と私を気に入り、私の道は彼と共に歩むことになった。


 

 正直に言って、私は今までたくさんの兵士、騎士、戦士と関わってきた。それも、命を削りながら生き抜く術を磨き上げた猛者ばかりだ。しかし、あの方――レオン様のような存在には、出会ったことがない。彼は、天が与えた奇跡のような才能を持っている。私は彼を「神童」と呼ばずにはいられない。


 訓練の最初は、体力トレーニングが中心だった。これだけで、普通の兵士なら尻込みするような苛酷な内容だ。砂袋を背負い、山道をひたすら登らせる。砂嵐が吹き荒れる中、ひとりで何時間も走らせる。全身が痛みで悲鳴を上げ、体が鉛のように重くなる過酷な試練だ。それでも、レオン様は一度も諦めなかった。痛みに耐え、何度倒れようと、決して屈することなく再び立ち上がる。彼の姿勢は、まさに不屈の精神そのものだった。


 訓練のたびに、彼の根性と意志の強さを感じずにはいられない。ある日、雨が激しく降る中、重い鉄製の鎧を着せたまま、泥まみれで地面を這いながら鍛えさせたことがあった。彼の手足は震え、血と泥で汚れながらも、ひたすら這い続ける姿には目を見張るものがあった。泥にまみれ、額には汗が滲んでいるのに、彼は顔を上げ、私を見つめながらこう言ったのだ。


「セバッチャン、俺はまだやれるよ。」


 その瞳には、不安も迷いもなかった。ただ純粋に、自らの成長を信じて疑わない鋭い光が宿っていた。その姿には、私自身も心が揺さぶられた。厳しい試練に対する恐怖を一切感じさせない彼の姿に、いつしか私の方が恐れを抱くようになったのだ。


 そして数ヶ月が経ち、ようやく剣術の訓練に入ることになった。体力も根性も鍛え上げられた彼の姿に、私はすでに期待以上のものを見ていた。


 しかし、それでも剣術となると別物だ。


 体力と根性だけではどうにもならない領域がある。剣の技術は、数年にわたる修練と、経験からくる鋭敏な勘がものを言う。ましてや戦場では命がかかっている。私は、彼がこの訓練でどれだけ成長するかをじっくり見守るつもりだった。


 最初の授業で、私は基本中の基本を教えるため、剣を抜いた。重心の取り方、足運び、相手の隙を読むタイミング――1つ1つ丁寧に見せ、繰り返しながら教え込んでいく。


 最初は、まるで石像のようにじっと動かず私の動きを見つめていたレオン様だったが、ふと、私が剣を振る軌道に気付いた瞬間、彼は同じ動作を模倣し始めた。


 その瞬間、私は震えた。

 まるで鏡を見るように、私の動きを完璧に再現しているのだ。剣の角度、力の入れ具合、足元の細やかな動き――すべてが完璧だった。

 一を教えると十を覚えるとはこのことかと、私は驚愕し、まるで神業を見るかのような感覚に陥った。レオン様の剣は、力強さとしなやかさが同居し、無駄のない動きができあがっていた。


「すばらしい……」


 思わず、声が漏れた。彼が私の剣を忠実に再現しただけでなく、そこに独自の柔らかさと鋭さを加えていたのだ。まるで生まれながらに剣を握っていたかのような自然さがそこにはあった。まさに天賦の才と言える。


 その後も訓練は続いた。レオン様の成長は、日を追うごとに著しく、半年も経たぬうちに、彼は私のすべての技術を吸収し尽くしてしまった。戦場で磨き上げてきた私の技が、まるで彼にとっては日常のお遊びのように吸収されていくのを見て、私はある種の畏敬の念すら覚えるようになった。まさに神童――この世で同じ年で彼に匹敵する者など存在しないだろう。


 ある日、訓練が終わった後、レオン様は剣を収め、私に向き直った。


「セバッチャン、ダンジョンに行ってくるよ。母上を守りたいんだ。」


 その言葉には、まだ幼さの残る彼の中に秘められた決意と覚悟が感じられた。彼の背には、国を背負う者の責任と重圧がすでに備わりつつあったのだ。


 ――

 昼食を終え、私は訓練の準備を進めていた。太陽の光が穏やかに差し込み、屋敷の廊下は静けさに包まれている。


 そんな中、控え室の扉が不意に開き、華やかな衣装を身にまとったロザリア様が、艶然とした微笑みを浮かべて立っていた。彼女の髪は深紅色に輝き、その瞳には冷たい知性が宿っている。


「やあ、セバッチャン」


 と彼女は、まるで古い友人に声をかけるかのように話しかけてきた。だが、その笑みに隠れた冷ややかさを私は見逃さなかった。


「何かご用でしょうか、ロザリア様」


「少し話があるの。入ってもいいかしら?」


 私は彼女を部屋に招き入れた。ロザリア様がゆっくりと椅子に腰掛けると、微かに香る甘い香水が空気を満たす。その香りは一瞬、私の警戒心を緩めさせるような力を持っていたが、私はすぐにその罠に気づき、心を引き締めた。


「あなたの経歴を調べさせてもらったわ」


 と、彼女は穏やかな口調で切り出した。


 私は無表情を保ちながらも、心中に冷たい怒りが広がっていくのを感じた。あまり触れられたくない過去だ。ロザリア様がそれを手に入れ、何をしようとしているのか、その意図が読めない。


「単刀直入に言うわ。私の側近になりなさい」

 

 と、ロザリア様はまっすぐに私を見つめ、まるで私の返事など最初から決まっているかのように言い放った。


「お断りします」


 私は冷淡に答えた。彼女の意図が分からないまま従うほど、私は愚かではない。


 ロザリア様は微かに眉をひそめ、驚きを隠せない様子で再び尋ねた。

 

 「どうして?」


「私の過去をご存じでしたら、お分かりかと」


 と私は冷静に答える。私の過去には、彼女が期待するような忠誠心や野心の片鱗すらないはずだ。私は、過去の汚れを糧に戦い、忠義を尽くす相手を選ぶ覚悟を持っている。それが私の誇りなのだ。


 彼女は一瞬、考え込むように沈黙したが、再び口を開いた。

「待って。私はネクロムの幹部と仲が良いわ。私の側近になれば、ネクロムの情報をあげるわ!ネクロムの情報が欲しいのでしょう?」


 その瞬間、私の胸の奥に冷たい怒りが再び沸き上がった。彼女が知っている「私の過去」とは、結局その程度の理解でしかないのだ。ネクロムという名を聞いただけで、あの日の情景が鮮明に蘇る。私から母親を奪った組織、その汚らわしい悪意にまみれた教団。彼らが「救済」と称して行った行為が、いかに卑劣で無情だったかを、ロザリア様は理解していない。


「二度も言わせないでいただきたい」


 私は冷ややかに応じた。


「私はネクロムなどという組織とは関わりたくありません。お断りします」


 ロザリア様の表情が一瞬険しくなり、唇を強く引き結んだ。彼女の怒りが、その美しい顔の奥に押し込められたのがわかった。彼女にとって、私の断固たる拒絶は予想外のことであり、自らの思惑が初めて崩れた瞬間だったのかもしれない。


「――っっ。後悔するわよ」

 

 彼女の声は、まるで冷たい刃のようだった。その視線は氷のように冷え切っており、その瞳には底知れぬ怒りが宿っていた。彼女が私に向けたその怒りは、拒絶されたという屈辱と、計画が狂わされたことへの苛立ちが入り混じったものだった。


 私は、微かに笑みを浮かべて応えた。


 「ロザリア様も、後悔なされませんように」


 その言葉を最後に、ロザリア様は踵を返し、足早に部屋を去っていった。彼女の立ち去る姿を見送りながら、私は心の中で深く息をついた。美しさと冷徹さを兼ね備えた彼女は、確かに多くの者を手玉に取れるだろう。だが、私は彼女のような者に心を支配されるつもりは毛頭ない。


 彼女が去った後、部屋には再び静寂が訪れた。だが、その静けさの中に、妙な圧力が漂っているようにも感じられた。ロザリア様が去る際に残した言葉が、まるで警告のように響き続けていた。彼女は決して諦めないだろう。彼女のような野心家は、一度手に入れたいと願ったものを容易に諦めることはない。


 そして私もまた、彼女のような闇の勢力に屈するつもりはない。

 

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ノーフェイス 〜元世界1位のニートが転生したのはゲーム世界の最恐悪役〜 @Ogaw_Yu

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