第25話 目覚めた英雄
「うっ……知らない天井だ」
目を覚ますと、見慣れない天井が目に入った。
寝台に横たわり、体の感覚が徐々に戻ってくると同時に、妙に清潔な香りが鼻をくすぐる。
「ふふっ、冗談を言えるほどには、元気そうね」
その声に顔を向けると、リリスが微笑んで立っていた。
リリスの微笑みには安堵と優しさが混ざっていて、心がほっとする。
「リリス? ここは……?」
「ここはアルカティナ。ここであなたは治療を受けていたのよ」
「そうなのか……どれくらい眠っていたんだ?」
リリスはほんの少し視線を逸らし、ため息をついてから答えた。
「1週間よ。心配したんだから」
「1週間……? そんなに……。すまん、心配かけた」
「本当よ、無茶ばかりして。あなたがこんな状態になるなんて……」
リリスの瞳が微かに潤んでいるのを見て、胸が締めつけられるような感覚に襲われた。
「そうだ……アシデッドはどうなった?」
すると、部屋の奥から威厳のある声が響いてきた。
「それは私が説明しよう」
驚いて視線を向けると、そこには美しい装飾が施された衣装を纏った白髪、中年の男性が立っていた。
落ち着いた雰囲気と鋭い眼差しが、ただ者ではないことを物語っている。
「えっ……アーデルハイト様?」
「いかにも。この私がアーデルハイト・アルカティナだ」
俺は急いでベッドから体を起こし、頭を下げた。
「えっと……はじめまして、レオン・アルブレイブです」
アーデルハイト様は笑顔を浮かべ、やわらかな声で言った。
「あははっ、そんなに畏まらなくていいよ。リリスの許嫁なんだから、君は僕にとっても息子のようなものさ」
「いえいえ、そんなこと……戦場では、戦神の化身と謳われた、一国の王様を前にして畏まらないわけにはいきません」
俺の緊張した態度に、アーデルハイト様はさらに笑みを深める。
「ふむ、アルドリックに似て頑固なところがあるねぇ」
その言葉に俺は内心驚いた。
彼は俺の父、アルドリックと知り合いだったのか。
「だけど君には感謝しなければならない。本当にありがとう。君のおかげで、ネクロムの長を取り押さえることができた」
「いえ! あの、頭をお上げてください!」
俺の言葉にアーデルハイト様は再び朗らかに笑った。
「あははっ。やっぱり君は英雄だね」
「え?」
「その年頃の男の子なら、これほどの手柄は自慢したくなるものさ」
ちょうどその時、ドアが開き、父のアルドリックと母のリディアが入ってきた。
父は憮然とした表情で俺を睨みつけている。
「レオン! この馬鹿者が! お前はいつも無茶ばかりして……!」
「も、申し訳ありません……」
父の言葉が終わる前に、母が無言で駆け寄り、俺に抱きついてきた。
リディアの腕の温かさに、心がふわりと安らぐ。
「母上……」
俺がそう言うと、父が突然、拳を振り上げて俺の頭にゴツンと一撃を入れた。
「いったっ……マジで痛いんだけど!」
「お前、もう少し考えて行動しろ……!」
母はそんな父にクスリと笑みを浮かべながら、優しく俺の頭をさすってくれた。
その様子にアーデルハイト様が目を細め、父に向かって言う。
「息子は父親と違って言葉遣いが良いみたいだねぇ、アルドリック」
「黙れ、この女たらしが」
「なっ……君には言われたくないさ」
彼らの軽口のやり取りに、少しずつ平穏な日常が戻ってきたのを感じる。
そして、しばらくして、エマやダリアンといった友人やパーティーで知り合った女子達も見舞いに来てくれた。
リアムは来なかった。
久しぶりに賑やかな時間を過ごし、俺の心も癒されていく。
こんなにも俺を心配してくれる人たちがいることが、ただただ嬉しかった。
部屋中が笑顔と笑い声に包まれる中、アーデルハイト様が再び話しかけてきた。
「英雄色を好むとは言ったもんだね」
「え、えぇ……」
その言葉に苦笑いを浮かべながらも、アーデルハイトの口調にはどこか真剣な響きがあった。
「君に話しておきたいことができたんだよ」
「いったい何のことでしょうか?」
アーデルハイトの表情が少しだけ険しくなる。
「アシデッドのことだよ。奴が捕えられて以来、君が来るまで一言も話さないって言って口を割らないんだ。ほんのちょっとだけ困っているんだよね。」
「アシデッドが……そのようなことを……?」
アーデルハイト様は少し首を傾げ、まるで様子を探るように微笑む。
「まぁ、無理にとは言わないが――」
「行きます」
俺はすぐに答えた。
アーデルハイト様は少し驚いたように眉を上げ、そして満足そうに頷いた。
「ほう、そうかい。じゃあ、お願いしようかな。」
「はい。」
ふと、アーデルハイトが茶目っ気を含んだ視線で俺を見やり、冗談交じりに言う。
「それと、英雄君。まだリリスに手を出すなよ」
「えっ……? そ、そんなこと、俺は別に……!」
彼の含みのある笑みに、思わず頬が赤くなる。
アーデルハイト様のペースに完全に乗せられている気がして、どうにも調子が狂う。
しかし、彼の雰囲気には嫌味がなく、むしろ温かみさえ感じられる。
こんな日常がいつまでも続けばいいなと、ふと心から思うのだった。
アシデッドとの死闘の前、俺はひそかにアルカティナに匿名で一報を入れておいた。
報せの内容はただ一言。
「ネクロムの長(大司祭)がフィリオスフィードにいる」
この情報に反応し、来てくれるかどうかは賭けだったが、結果的に姿を現した。
俺が戦うかどうかに関係なく、アシデッドはいずれ追い詰められるのは避けられない運命だったのだろう。
戦いの後、意識が遠のくなかで、俺はアシデッドの記憶に触れた。
目の前に流れ出したのは、暗く歪んだ彼の過去。
そこには惨憺たる光景が広がっていた。
アシデッド――いや、前世での彼は、狡猾で残忍な殺人鬼だった。
ターゲットは幼い女児ばかり。卑劣な趣味を持つ彼は、やがて捕まり、終身刑を宣告された。
しかし、何十年も服役した後、わずかな例外で仮釈放された。
だが、その釈放の後、彼はかつての被害者の父親に刺され、無惨にも命を絶たれた。
目を覚ました彼が異世界にいたのは、その死の後のことだ。
この世界で、彼はスラム街で生き延び、盗みと残飯で育った。
体が成長すると、今度は傭兵として手を汚し、己の悪に磨きをかけていった。
ある日、彼の前に謎めいた人物が現れる。
フードで顔を隠したその人物は「ネクロム」という組織と、アシデッドにとって理想的な悪行の舞台を与えた。
それから彼は、まさに悪事の限りを尽くす日々に浸っていったのだ。
そして、あの戦いの最中、俺は彼が持つ「リバイブレリウムのかけら」を見つけた。
それは暗黒の輝きを放つ魔石のような物体で、俺はふとした衝動に駆られて、それを手に入れ、意識が薄れゆく中でのみ込んだ。
リバイブレリウムのかけらを体に取り込むと、俺の体に変化が起きた。
身長が伸び、体の内に宿るオーラが一層強くなり、全身に馴染んでいくのが感じられる。
今までよりもずっと自在に力を操れる感覚に、俺はしばし酔いしれた。
さらに、リバイブレリウムのかけらは、俺の感覚を鋭くし、まるで遠くからでもリバイブレリウムのかけらの位置がわかるような妙な感覚が備わっていた。
だが、1つ後悔することがあるとすれば、もっと早くこのかけらを飲み込んでいれば良かったということだ。
アシデッドとの死闘でおった呪いや火傷も完全に回復した。
かけらには、毒や呪いなどあらゆる害を浄化し、回復する特性があったのだ。
だから、この力を完全に体に馴染ませて成長させた後に取り出すのが得策だと考えた。
この世界では、ゲームの中で使っていた「マップ機能」が使えない。
その不便さに最初は戸惑ったが、いつの間にか状況に慣れてきた。
そして、俺は新しい力を確かめつつ、次に備えようと心を決めた。
――
薄暗い石壁に囲まれた牢獄で、冷えた空気がじんわりと染み込むように漂っていた。
部屋の中央に立つ3老帝の1人、セレナの姿は、まるでこの冷たさそのものが具現化したかのように、鋭く美しかった。
目の前には、かつての威圧感がどこか欠けているアシデッドが、未だ戦いの傷跡を残しながらも苦々しい表情で捕らえられている。
セレナが冷たく見下ろし、挑発するように口を開いた。
「なんて様かしら。これが『俺は世界最強になる』なんて言っていた男の末路かしら」
その一言は、アシデッドの誇りと自尊心に鋭く刺さった。
彼は顔を歪め、屈辱に耐えかねるようにして低く唸り声をあげる。
「……あのガキは今のうちに、始末しておいたほうがいいですぞ。あいつがどれほどの化け物になるか、分かりません」
その声には、抑えきれない怯えと怒りが滲んでいた。
アシデッドの中で、彼と戦ったときの恐怖と苛立ちが、冷たい恐怖として蘇る。
しかし、セレナは微笑んだ。アシデッドの懸念など意にも介さぬ様子で、むしろその弱気な姿勢を楽しむように、唇を歪ませている。
「あら、心配してくれているの?」
セレナの言葉に、アシデッドは口を引き結び、少しの間言葉を失った。
彼の拳が不自然に震えているのをセレナは見逃さなかった。
「奴は化け物です、成長すればどんな障害になるか分かりません。必ず……その前に始末するべきです」
その言葉には強い決意と恐怖が入り混じっていたが、セレナはただ嘲笑を浮かべるだけだった。
「ふふっ。負けたぐらいで、随分と弱気じゃないの。その程度のことで、何をそんなに怯えているの?」
アシデッドは、屈辱に歯を食いしばりながら顔を上げる。
自分の恐れを見透かすかのような彼女の眼差しが、彼の心をさらなる焦燥へと駆り立てた。
「一度手を合わせれば、分かります。奴の力は……普通ではないのです」
「うるさいわね」
セレナは突然鋭い声をあげ、アシデッドの言葉を制した。
その美貌とは裏腹に、冷酷さを湛えた彼女の表情は、容赦なくアシデッドを打ち据える。
「私は、私のやりたいようにやるわ。あなたの意見なんて、関係ないの」
彼女の冷徹な一言に、アシデッドの顔が強ばる。
しかし、彼はまだ諦めてはいなかった。彼の瞳に宿る執念は、単なる復讐心や屈辱ではなかった。
これ以上レオンが成長することが、彼女の立場を危うくするという本能的な危機感だった。
「……一度だけ、チャンスをください。私が、あのガキを殺してみせましょう」
アシデッドの懇願に、セレナはふと、興味を引かれたかのように目を細める。
彼女は静かに息を吐き、その場で考え込むように視線を遠くに向けた。
そして、やがてふわりと薄笑いを浮かべ、彼に答えた。
「ふっ。考えておくわ」
セレナが再び無関心を装うように答えたことで、アシデッドの表情がさらに焦りと苦痛に満ちていくのが分かる。
しかし、セレナはその様子にさほど関心もなく、すでに興味を失っているようだった。
「……後悔しますぞ」
アシデッドが捨て台詞のように呟くが、セレナはその言葉に微塵も動じなかった。
彼女は冷ややかな目で彼を見据え、静かに口を開いた。
「少なくとも、6年は手出しできないわ。私も今、かなり疑われているから」
その冷然とした口調には、アシデッドの焦りや怒りをまるで他人事のように切り捨てる冷酷さが滲み出ていた。
彼が懸念しようと、彼女は揺るぎない決意と、彼を圧倒する冷たい威厳を持って、自分の道を進むつもりだった。
「……6年は、我慢しなさい」
セレナはそれだけ言い残し、アシデッドに背を向けて、静かに部屋を立ち去った。
その姿が消えた後も、冷たい静寂だけが残り、アシデッドは一人、深い焦燥と怒りに包まれていた。
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