第24話 死闘

 4つ目の拠点を壊滅させた直後のことだった。


 

 足元に転がるネクロムの一員の遺体から、突然、微かに脈打つ魔力の波動を感じ取った。


 思わず足を止め、目を細めて凝視する。


 まるでそれを待ち構えていたかのように、遺体がかすかに震え、その胸元から漆黒の欠片が浮かび上がる。


「リバイブレリウムのかけらが反応している?」


 遺体から放たれた不気味な光が、ゆっくりと膨らみ、空間を裂くように広がっていく。


 緊張が全身を駆け巡る。


 まさか……本当に奴が現れるのか?

 直感が告げる。


 次の瞬間、光の渦の中から現れたのは――。


「……アシデッド……!」


 そこに立っていたのは、重厚で荒々しい威圧感を纏った男だった。


 金色の瞳が鋭く光り、肩にかかるほどの乱れたブロンドの髪が風に揺れている。


 その瞳は冷たく、戦士としての研ぎ澄まされた殺気が滲み出ていた。


 アシデッドの姿はまさに獣――否、獣そのものと言っても過言ではなかった。


 そう、アシデッドは「狼人間」、この世界での魔法生物との子供、亜人種。


 かつてゲームの中で、この狼人間との戦いがどれほどのプレイヤーを苦しめ、引退に追い込んだか。


 満月の夜にしか出現せず、アシデッドは月明かりの力を借りてバフを受け、初心者どころか中堅プレイヤーさえも圧倒してきた。


 そんな初見殺しのボスが、今目の前にいる――しかも真昼間に、堂々と。


「やはり……こいつも転生者か」


 思わず息を呑み、後退しようと考えたその瞬間、視界がぐらりと暗転した。


 昼の光が一瞬で消え去り、辺りが不気味な暗闇に包まれていく。


 直径100mほどが闇に包まれる。

 そして変装が解ける。


 だが、完全な暗闇ではない。ぼんやりとした青白い光が空に浮かび、まるで満月の夜にいるような幻想的な光景が広がっていた。


「自世界――!」


 驚愕に目を見開く。

 

 これはPvPにおける必殺技の1つ、「剣囲自世界」だ。


 8サークルのオーラを極めた者のみが生成できる特殊な空間。


 8サークルとオーラを極めたものは自分の世界を具現化し、領域を支配できる。


 領域の中では自身へのバフと、敵の魔力を分散させる特性を持つ。


 まさに魔法使い殺しの領域。その場に足を踏み入れるだけで、あらゆる魔法やパッシブスキル付与されたスキル以外のスキルを阻害するのだ。


「あいつが剣囲を……真昼間に……!」


 通常、アシデッドはゲーム内で魔法を使うことはなく、狼人間として純粋なオーラを纏った突進技で戦う。


 オーラを纏い、ナイトブリンク(NB)と呼ばれる瞬間移動からの体当たりを駆使し、瞬く間に間合いを詰めてくる。


 狼のごときスピードで、油断すれば即座に致命傷を負わされる。


 それは初心者が最も苦戦するボスの1つであり、初見では対処が難しいほどの猛威を振るっていた。


「ちっ。姿くらましは使えないか」


 その矢先だった。

 アシデッドが素早く足を踏み出し、瞬く間に距離を詰めてくる。


 その速度と威圧感はまさに狼の王。


 鋭い瞳が俺を射抜き、巨大な剣を構えた姿は、戦場で幾度となく死線を潜り抜けてきた者の風格が漂っている。


「なんだ。まだ、ガキじゃねぇか」


 低く冷たい声が響く。

 

 アシデッドの口元が歪むと同時に、アシデッドの体が一瞬にして俺の前に現れる。


 瞬間移動――ナイトブリンクだ。俺の背後に回り込み、刃を振り下ろしてくる。


 間一髪でかわし、身を翻した。


(こいつ! PvP慣れしてやがる!)

 

 アシデッドとの戦いは一瞬たりとも油断を許さない、まさに死線そのものだった。

 


 気がつくと、俺の顔のすぐ横を緑色の閃光がかすめ、強烈な呪いの力を感じる。


 死の呪い――相手の命を絶つ呪いだ。


 その閃光が俺の視界を裂いた瞬間、すべての感覚が研ぎ澄まされ、冷や汗が背筋を伝う。


「ちっ、外したか……」


 アシデッドは不満そうに呟きながら、またも死の呪いを放とうとしている。


 あの呪いを使うのは、ゲーム内の設定ではNPCのみが使用できるはずだった。


 インフォグラスの記載には「死を超えた者」が使えると書いてあった。


 まさかアシデッドもその術を使えるとは……やはり転生者なのか。


 次の瞬間、アシデッドの死の呪いが再び俺に向かって撃ち出された。


 俺はすかさず死の呪いを発動し、その緑の閃光を撃ち返す。


 2つの線がぶつかり合い、眩いばかりの緑色の光がその場を照らし出した。


 その閃光の中で、アシデッドが驚愕の表情を浮かべる。


「お前……やっぱり、ノーフェイスか!」


 どうやら俺の素性がばれてしまったようだ。


 俺はアシデッドの視線を受け流し、咄嗟に死の呪いの線を横に振る。


 その先には神殿があった。

 

 呪いの光が神殿に直撃し、天井が崩れ、瓦礫がアシデッドに降り注ぐ。


「くっ……!」


 瓦礫の下からアシデッドが呻き声を上げ、俺はすかさずその隙に距離を取った。


 呪いを使い、体力が削られるのを感じる。

 だが、このまま長引かせればこちらが有利だ。


 パッシブスキルの超再生のおかげで長期戦に持ち込めば逃走するチャンスはある。


 自世界は相当なオーラや魔力を消費する。個人差はあるが、持続時間はそれほど長くない。


 だが、心の中で苛立ちが募る。


 まさかネクロムのボスがこんなところで出てくるとは……。

 

 せめて大幹部レベルの相手から始まってくれよと、皮肉にも思わずにはいられなかった。


 

 瓦礫が崩れる音が響き、アシデッドがその下から姿を現した瞬間、アシデッドの体に異変が起き始めた。


 アシデッドはゆっくりと顔を上げ、遠くに輝く満月を見つめると、アシデッドの口から低い唸り声が漏れる。


 そして、そのまま頭を上げ、満月に向かって遠吠えをあげた。


 その遠吠えは冷たく、森の奥深くまで響き渡るような、不吉な気配を帯びていた。


 アシデッドの体が痙攣し始め、肌の下から熱が沸き立つように見えた。


 筋肉が膨れ上がり、アシデッドの形が徐々に歪んでいく。


 指先は細長くなり、やがて鋭利な爪へと変わり、濃い灰色の毛が全身を覆い始める。


 アシデッドの乱れたブロンドの髪はさらに長く伸び、荒々しい毛皮に変貌していく。


 顔つきもまた凶暴さを増し、鋭く尖った牙が覗く。


 そして、瞳はまるで闇を裂くように黄金の光を放ち、人間の理性は完全に失われ、本能だけに突き動かされる野獣の目へと変わっていた。


 アシデッドは、完全に狼人間としての姿を顕にし、ゆっくりと俺に視線を向けてくる。


 その冷酷な瞳は、獲物を逃がさないと誓う狩人のような光を宿していた。


 喉の奥から低いうなり声が響き渡り、その一瞬で全身に緊張が走る。


(いきなり第2形態かよ。そして、初のPvPだ。ちょっと緊張するな)

 

 突然、アシデッドがナイトブリンクを発動し、俺の前に現れた。


 次の瞬間、猛烈な体当たりが俺に向かってくる。


 だが、俺は素早く剣を抜き、その突進に対してジャストパリィで応戦する。


 防御を成功させると、アシデッドが一瞬驚いた表情を見せた。


 アシデッドの攻撃は凄まじく、俺にとって即死級の威力を誇る。


 だが、俺はゲーム内、全てのキャラクターの攻撃モーションを記憶していた。


 それが、この瞬間的な判断力と反射神経を支えている。


 ジャストパリィ。

 それは、1/60秒の一瞬を捉えたパリィ。

 

 猶予はわずか1フレームしかなく、パリィをその短いタイミングに止めることで成立する。


 成功すれば相手の攻撃を完全に防ぎ、さらにカウンターのチャンスが生まれるが、今の状況では、失敗すれば即座に致命傷を負う。


 通常のガードでは行動を制限されるリスクも伴う。


 ジャストパリィは高度なスキルを要する、まさに初心者には使いこなせない芸当だ。


 アシデッドの鋭い牙が俺の首元に迫り、再びジャストパリィで受け流す。


 動きは速く、隙は少ない。


 だが、俺は一瞬も目を逸らさず、アシデッドの次の攻撃に備え続けた。


 この一瞬一瞬の攻防が、まさに死闘の如く張り詰めた空気の中で繰り広げられる。


「次は、こっちの番な!」


 気を引き締め、こちらからの反撃のチャンスを狙う。


 ジャストパリィで防いだ瞬間の隙をついて、剣を振り下ろす。


 アシデッドもまたそれに反応するが、技の硬直で動けない。


 攻撃と防御の応酬は続き、アシデッドの体力が少しずつ削られていくのがわかる。


 アシデッドの目は再び鋭く光り、その獰猛さが一層増している。


 アシデッドのパッシブスキル、月光狼人。


 満月の光に触れるだけでアシデッドの傷は回復していく。


 こちらは1撃もらうだけで、死。


 あちらは攻撃を受けても回復する。


 アシデッドとの戦いは、緊迫した緊張感に満ちていた。


 だが、アシデッドの攻撃パターンは、狼化の影響か単調になっている。


 それを見抜き、俺は次々とジャストパリィで防御し、隙をついて反撃を加え続けた。


 しかし、頭の片隅には1つの懸念が残っていた――それはアシデッドが放つ「超必殺技」だ。


 超必殺技の一撃は、相手のHPを確定で3割も削り取る。


 さらに、クリティカルやバフが重なることで、その威力は計り知れないものとなる。

 

 俺の懸念はこの技の「パナし」だ。


 PvPでは、ガード以外の行動に勝つ強力な無敵技をぶっ放す行動のことだ。


 超必殺技は溜めることもできるし、即座に放つこともできる。

 

 ガードされれば隙をつかれてしまうリスクがあるものの、使いどころ次第では戦況を一気に逆転できる強力な一手でもあった。


 そのため、慎重な駆け引きが求められるが、相手が「パナし」を発動するタイミングを誤れば命取りだ。


 俺は過去にすべてのキャラクターの攻撃パターンを記憶しているため、モーションさえ見ればガードできる自信があったが、それでもこの戦闘はかなりの緊張感を伴うものだった。


 時間が経つにつれ、アシデッドの攻撃が苛烈さを増していく。


 数分間、このヒリヒリする状況で攻撃と防御を繰り返していると、とうとうアシデッドが第三形態へと移行した。


 今のアシデッドはまさに獣そのもの――人間としての冷静さを完全に捨て去り、獰猛な狼としての本能で戦いに挑んできた。


 第三形態のアシデッドは、通常なら攻撃後の硬直で隙が生じるタイミングでも、暴走するかのように鋭い爪を振り回し、容赦なく連続攻撃を繰り出してくる。


 その攻撃パターンは完全にランダムで、予測が難しい。


 しかし、落ち着いて対処すれば恐れることはない。


 アシデッドの攻撃の手数が増えている分、体力の消耗も激しいはずだ。


 やがて、アシデッドの狼化が解ける兆しが見えた。


 毛皮が薄れ、人間の姿に戻りつつあるアシデッドの顔には、明らかな疲労の色が浮かんでいる。


 やはり、長期戦はこちらの方が有利だ。


 このままなら勝利は目前だが、アシデッドを完全に倒し切る火力が、今の俺には不足していた。


 アシデッドは息を切らしながら、荒い呼吸を整え、俺に向かって嘲笑うように言い放った。


「はぁ……はぁ……化け物め……てめぇ、少なくとも上位ランカーだったな」


 その言葉に心の中で小さく応える。


(あぁ。世界1位だったよ)と。


「だったら何だよ?」


 アシデッドは少しも怯むことなく、不敵な笑みを浮かべると、超必殺技の準備を始める。


「ここで消しておかなきゃならねぇようだな」


 アシデッドが自世界を閉じて、攻撃に集中する様子を見て、アシデッドの隙を狙えることを理解した。


 この状況なら姿くらましで逃げることも可能だ。


 しかし、俺は自分が世界1位であることへの誇りとプライドが、ここでの退却を許さなかった。


「今ここで殺す!」


 アシデッドの超必殺技は闇のブレス。


 闇属性の攻撃には浄化や回復といった光属性が有効だ。


 俺は迅速にインベントリを開き、光属性の魔法が込められたスクロールを取り出す。


 そして、そのスクロールに全身のオーラと魔力、さらに呪いの力をも込め、準備を整える。


 アシデッドと俺の間に張り詰めた緊張が走る。互いに必殺の一撃を放とうと、力を蓄えている。


 空気が軋むような圧迫感が辺りを包み込むなか、ついにその瞬間が訪れた。


「死ね!」


 俺はスクロールの魔法を操り「ホーリーソード」を放ち、アシデッドも「闇のブレス」を解き放つ。


 闇炎と聖なる光の剣が激突し、凄まじい衝撃波が周囲に広がった。


 衝突点から閃光が迸り、アシデッドの脇腹を俺のホーリーソードが貫いた。


 だが、同時に俺も闇のブレスの余波をまともに浴びてしまう。


「ぐっ……!」


 二人とも瀕死の重体に陥り、その場に崩れ落ちた。


 体中に激痛が走り、視界が揺らめく。


 アシデッドもまた同じく倒れ込んでいるが、その目にはまだ敵意が残っているように見えた。


「ははっ。化け物が」


 この一撃で仕留め切れなかったことに対する焦燥感が胸を締め付ける。


 その時、視界の端に数名の聖騎士が現れるのが見えた。


「な、何が起きている!」

 

 彼らは整然とした歩調でこちらに向かってきている。


 俺は朦朧とする意識の中で、どうにか再び立ち上がろうとするが、体が重く、限界が近いことを悟る。


「あれ……これやばいかも……」


 意識が薄れ、暗闇が視界を覆い尽くしていく。

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