ノーフェイス 〜元世界1位のニートが転生したのはゲーム世界の最恐悪役〜
小川 裕
プロローグ
プロローグ
どこか遠くで、低く唸るように雷鳴が響いていた。
窓ガラスに打ちつける雨音が、その轟音に応じるかのように強さを増していく。
外の世界は、まるで俺の胸の内を映し出すかのように、暗く重く、沈んだ闇に包まれていた。
俺の名前は
年齢は32歳。
自称プロゲーマー。
古びたゲーミングチェアに身を沈め、無造作に転がっていた缶ビールを掴んで口元に運ぶ。
舌に絡む苦味。
少し残っていたぬるい酒が、喉を通る。
何本目かもわからない。
部屋中には、飲み干した缶がいくつも転がり、空っぽの自分を映すかのように鈍く光っていた。
食事なんてもう忘れた。
眠る時間すら惜しい。
部屋の外で済ませる排せつですら。
ゲーム以外の行為は無駄だと感じるようになっていた。
VR
14年前、女性をメインターゲットに開発されたこのゲームは、気づけば多くの男性プレイヤーを惹きつけ、異色の人気を博していた。
このゲームは小説を元に作られた。
そのため、魅力は、紛れもなく、丁寧に紡がれたストーリーにあった。
そんなゲームに13年前、PvP要素のアップデートが入った。
俺が唯一の世界一位、誰にも負けない場所。
13年前から俺は負けなかった。
あの世界でなら、俺は神だった。
ランキングのトップに君臨し、全てのプレイヤーが俺を見上げる。これだけが、俺の全てだった。
ただ、「それ」だけに溺れていた。現実なんて、もうどうでもいい。
その夜、情報収集をしていると。
ふとこんな記事が目に入った。
[最恐のNPC、ノーフェイスを操作できるバグを発見]
「マジか、なんだこれ」
その瞬間、俺の胸は高鳴った。
もはや眠る時間さえ惜しい。
俺はそのバグを試すことにした。
また、俺の世界へと向かう。
だが。
「なんだこれ」
目の前が闇に包まれ、手足が動かないことに気づく。
「バグったか?」
「はぁ、ログアウトするか」
ウィンドウをタップし、ログアウトを押そうとしたその時だった。
「もう限界や!」
突然、廊下から父親の怒声が響く。
バーンと勢いよくドアが開かれた。
そして。
起き上がる間も無く、机の上のパソコンが大きな音を立てて倒れた。
父親がバットでパソコンを壊しやがった。
大事な俺の命綱が、一瞬にして粉々になった。
「ぐぁぁ」
強制終了の負荷が脳にかかり、声が出た。
「何してんだよ、クソッ!」
怒りが爆発し、俺は父親に掴みかかった。
「いつまでこんな事しているんや!」
父親が叫ぶ。
「いいかげん現実と向き合えや!」
俺は泣きながら必死で抵抗した。
揉み合いになった。
だが、体格で圧倒されている。
突き飛ばされ、距離が空いた瞬間、ローキックが俺の左太腿を直撃し、しゃがみ込んだところに、バットをフルスイングされた。
崩れ落ちた俺に追い打ちをかけるように、父親の声が冷たく響く。
「出ていけ。」
俺は力なく床に転がったまま、父親を見つめる。
情を買おうと無様に泣きじゃくってみたが。
着の身着の壗家を追い出された。
こんなにも脆い。現実はまたこんなにも俺を簡単に砕く。
気がつけば、冷たい雨の中をよろよろと歩いていた。
左太腿と頭がズキズキと痛む。
目の前にはぼやけた街灯の光。
何も考えたくない。
何も感じたくない。
ただ、ここじゃないどこか遠くへと行きたい。
季節は秋の初め、湿った冷気が肌に染みる。
雨が容赦無く俺の化粧を崩していく。
「やり直せればな……」
ぼそっと口から出た言葉は、雨音にかき消された。
もし、全てをやり直せたら。
もし、あの時に戻れたら。
何度も何度も、そんな考えが頭の中を巡る。
だが、それが叶うわけもないと、心のどこかで理解していた。
――
俺が
小学生の頃、俺は他の子供たちと同じように、夢を持っていた。
少なくとも、あの頃の俺は今よりはずっと良かった。
頭がいいと言われ、クラスの中でも注目されていた。
ゲームが得意で、勉強もそこそこできて、友達もいた。
だが、俺には1つの大きなコンプレックスがあった。
「顔のせいで、何もかもが台無しになった」
俺の顔立ちが、良くなかった。それは、小学校の終わり頃から強く意識するようになった。
中学に入って、俺はそのコンプレックスを埋めるためにメイクを始めた。
少しでも、自分を変えたかった。
高校に入ってからは、メイクを駆使して、完璧に近い姿を作り上げていた。
新しい学校では、みんなが俺を注目してくれた。
だが、それも束の間だった。
高校2年、修学旅行での一件が全てを変えた。
素顔を写真に撮られ、それがクラス全体、学校全体に広まった。
瞬く間に、俺の居場所は消え去った。あいつらは俺を「妖怪」と呼び、嘲笑の対象にした。
それだけならまだ耐えられたかもしれない。
悔しいがあと一年の辛抱だ。
俺はあんな奴らに負けたくないと必死で学校に通い詰めた。
そんな俺に普段と変わらず接してくれた子がいた――
茶髪の髪を肩までのばし、明るく大きな目は見る者を掴んで離さない。
1人で町を歩けば10人中10人が振り返る清楚系美人だ。
俺にとってエクサリウム・オンラインを共に楽しむ、唯一心を許せる友人だった。
卒業式を控えた冬の終わり。
楓――はいじめのせいで自殺をした。
と警察は言った。
いや、あれは自殺なんかじゃなかったのかもしれない。
あの容姿に嫉妬して殺害した奴がいたかもしれない。
だが、俺と親しかったがゆえに、楓も標的になったのだ。
俺のせいだ。俺が、楓を殺した。
それ以来、俺は学校に行かなくなった。
引きこもり、エクサリウム・オンラインの中に自分を埋めた。
現実から逃げるために、あの世界だけが俺の居場所だった。
父親は、そんな俺に「頑張れ」と言い続けた。
だが、どうしろと言うんだ?
俺には何も残されていない。
現実世界には
もう何も。
俺は父親を、現実を、拒絶した。
断固として引きこもった。
エクサリウム・オンラインは、全てを忘れられる場所だった。
エクサリウム・オンラインはヒロインのエマがコンプレックスを持つ顔を、アイテムで素顔を隠し、主人公のダミアンやその友人ライアンと三角関係を展開していく。
その素顔がバレるかどうかでストーリーは変わるが。
そして、失った友人、リアムをレバイブレリウムの石と言われる何でも叶えてくれる秘宝で蘇らすために冒険するストーリーだ。
そんなコンプレックスを持つヒロインに酷く共感していた。
あれからどれだけ歩いたのか、気づけば国道沿いの暗がりを彷徨っていた。
街灯の薄い光が雨に揺らめき、足元をぼんやりと照らしている。
顔を上げると、遠くに見覚えのある影が見えた。
傘を差した女性――その姿は、どこか楓に似ていた。
思わず足が止まる。
あれは……楓なのか?
まさか、そんなはずがない。彼女はもういない。それは分かっている。
だが、俺の足は自然と彼女の方へ向かっていた。
彼女の後をつけていると。
家の前で、彼女は誰かと口論をし始めた。
男だ。
その光景を遠くから見つめながら、俺の胸に何かが引っかかった。
楓に似た彼女が、知らない男と口論している。
俺の胸に嫌な予感がじわじわと広がっていく。
その光景が、俺の中で眠っていた感情をかき乱した。
あの日も、楓は俺を夜の街から連れ戻そうと必死だった。
幸い俺は酒に強く。
VRを買いたくてキャバクラのボーイをしていた。
歌を歌うのが好きだったことと、メイクで優れた容姿をゲットしていた俺はかなりイケイケだった。
そんな俺に夜職を辞めるよう何度も楓は夜の街に出てきていた。
「もうやめなよ」
「あともう少しで新作のVRが買えるんだ!笑」
「夜職して、学校はどうするのよ」
「なんとなやってるじゃん」
「だから――「ひゅーかわいいねぇ。ここのキャストさん?」
酒臭い息を漂わせ、鼻の下のちょび髭を撫で回しながら楓に近づいてきた。
俺の働いていたキャバクラ――CLUB Heavenでは同じボーイ同士で、訪れてくる珍客達にあだ名をつけて遊んでいた。
そんな数ある珍客の中でもBest10入りするほどキャストに嫌われていた人物がいた。
CLUB Heavenの名物客、通称パンツハゲオヤジ
年齢は30代後半で、160cm前半の身長に体重100キロは優に超えていそうな体。
鼻の下にはちょび髭を蓄え、黒縁の丸眼鏡をつけ。
頭頂部の髪が後退したイカれオヤジだった。
気に入ったキャストを見つけてはパンツを贈る。
「マジモンの変態・アフター要求・パンツ贈呈・イカれオヤジ」とキャストには呼ばれてたっけな。
「やべぇパンツハゲオヤジだ!逃げようぜ!」
俺はすぐに楓の腕を引っ張り、夜の街を駆け出した。
雨に濡れた路地を走り抜けながら、俺たちは何も言わずに笑いあった。
あのままどこか話せる場所に行って、二人で腹を割って話していれば、何か変わっていたかもしれない。
楓が苦しんでいることを気づいてあげられていれば何か変わっていたのかもしれないのに……
少し泣きそうになって、誰にも見られていないか、キョロキョロとしていると、
急な坂の上からトラックがスピードを上げて彼女に向かって突っ込んでいくのが見えた。
また、運転席にいるべきはずの人物がいなかった。
サイドブレーキの踏み忘れだ。
楓に似た女性は気づいていなかった。
くそっ
危ない!
「楓!」
名前が自然に口から出た。
全身が震え、汗が噴き出す。
走れ、走れ!
だが、俺の足は思うように動かない。
父親に蹴られた左太腿が痛む。
だが
それでも俺は走った。
走れた。
あの日の楓の死を、もう二度と繰り返したくない。
楓をもう二度と失いたくない。
見ると男はすでに気づいたようでその場から逃走していた。
「クソが」
楓に似た女性はきょとんとした顔でその場に立ち尽くしていた。
体が動いたのは本能だった。楓に似た女性を突き飛ばし、俺は無我夢中でトラックの進行方向に立ちはだかった。
次の瞬間
視界が歪み
音が遠くに聞こえた。
トラックのライトか?一瞬眩い光が見えた気がする。
俺の全身が鋭い痛みに貫かれ、意識が遠のく中、ふとエクサリウム・オンラインの事が浮かび上がった。
楓と共に冒険し、笑い合った記憶が、走馬灯のように脳裏に流れていく。
あぁ。
こんなにも味気ない。
心の奥底で、ただ願っていた。どうか、来世でもう一度。
エクサリウム・オンラインで、楓と共にいられますように。
そして。
俺の体は外壁とトラックの間で潰れて死んだ。
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