第5話 月世界へ

「海咲…!?」




  怪物じみた三百CC『トライアド』が、唸りと共に疾走する。バイクの背部には、彼女の愛箒『震電』が外付けのブースター・ユニットとして取り付けられている。その破壊的な噴射により、ろくに舗装されていない道路が、土煙を巻き上げた。




  呆れた声色で、レベッカは笑う。




「いくつだっけか、このスタンバトン。そっちの単位で」




「二千万ボルトだよ、化け物め」




  助手席から、グレネードが放られた。爆発と同時に数百万ボルトの電圧を辺りに巻き散らかす、炸裂スタングレネードである。それは地面に落ちると、その性能を遺憾無く発揮した。




「え、また?」




  スパークが弾け、トライアドに直撃する。常人であれば意識どころか命まで刈り取られかねない衝撃であるが―海咲の駆る大型三輪は、その程度歯牙にも掛けなかった。ライト部分に設置されたジェネレータから展開されたのは、電磁パルスフィールド。淡く輝くそれは、炸裂スタンガンの電気を完全に無効化してみせた。




「嘘だろ」




  この程度で抑え込まれるようでは、入国管理局のエージェントなど務まらない。ハンマーを振り回す別の星の雷神であろうが、宇宙を警備する巨人であろうが、不法に入国したのならお帰りいただくのが彼女達の仕事である。




「お生憎様、十万ボルトは最近よく浴びててね。家庭の事情ってやつ」




  左グリップのキャップを外し、ボタンを押す。緑、緑、青。誤動作防止の、三段認証。本来は街中で使うような兵器ではないが、面倒なので仕方がない。座席横から飛び出したシリンダが回転し、長く伸びる。展開されたのは、刃渡りにして三メートルを超える『馬上槍』。その照準は、前方に。




「試作型複合衝角『紫電』―」




  そのまま、フルスロットル。スクーターそのものの最高速度は、およそ時速百二十キロ。道は直線、今なら群衆の巻き込みもなし。




「―吶喊します!」




  爆発音と共に、三輪車が急加速する。背部ユニットのスーパー・チャージャーが火を噴き上げ、動力を強引に駆動させる。一瞬で簡易的な儀式魔術と同等の魔力を消費するそれは、幻夢境において無尽蔵に近い燃料<まりょく>を有する海咲にのみ扱える、文字通りのロケットブースター。




「ロイド!かち上げてやれ」


「応よ!」




  このままでは、車体右半身を食い破られておしまいである。しかし、瞬間的とはいえ時速三百キロを超えた追っ手から、逃げ切るのは難しい。そこで彼らが採用したのは、非常に冴えたアイデアだった。




「およ、お空を飛んでるみたい」




  体が宙に浮く感覚に、海咲は呆気に取られた。いつの間にか空を飛んでいたらしい。多様性の時代なのだ。地雷系だって、空を飛んでもいいじゃないか。




  などと上の空になっている場合か、私。




「…やられた、異能力者か!」




  サイドミラーに映っていたのは、土造りの巨大なジャンプ台。地面からせり上がったそれは、海咲と彼らの間に聳え立っていた。




「撒けた!距離は!?」




  一度走り出したものは、簡単には止まらない。子供でも知っている、物理法則である。遥か彼方に飛び去った執行官の姿を確認し、リウは勝利を確信した。 郊外の安い港に泊めた宇宙船までは、あと少し。




「出せ!」




  部下に指示を出し、後部のハッチから車ごと乗り込んだ。円盤形の高速輸送艦は、下部のスラスターを吹かし空に浮き上がる。




「か、頭!その子はそのままでいいので?」


「いいから行け!孔雀が来てる!」




  過去に同僚を入管の手で亡くしていた操舵手は、すぐさま配置に着いた。慌てて、ランを除く四人も、座席に移動する。事態は一刻を争う。うかうかしていると、戻ってきた入管のエージェントに、コクピットを焼かれる羽目になる。




「停泊中の輸送艦に告ぐ。人間<ホモ・サピエンス>の星外への輸出は禁じられています。ただちに積荷を放棄し―」




  鳴り響くアナウンスを無視して、船は空へと上がっていく。




「渡里さんはこっちに」




  ランに手を引かれるまま、渡里は質素なシートに座らされた。そして再び、彼女はベルトを締められる。




  もしや―と思ったが、予想は全くその通りであった。感じたことのない、凄まじいGが身体に掛かる。吹かされたブースターは、輸送艦を忽ち大気圏まで押し上げた。




「ここまで来れば…」




  ぼそりと、ランが呟いた。




  それにしても、NPOの活動にしては、随分命懸けだ。彼らにとってそれほど、人助けが大事なのだろうか。心の奥底で、何かが引っかかっている。




  湧いた疑念は、優しく握られた手に―ランの体温に、掻き消されてしまう。それは振り回されるばかりの渡里の精神が、今一番求めているものであるからだ。




「これで、助かったんですか…?」




  か細い声で、渡里はそう零した。安堵のあまり、彼女は泣き出しそうになっていた。




「…いや、まだみたい」




  けたたましい音と共に、アラートのランプが光る。何者かが、船体を覆うシールドに一撃を食らわせたのだ。




「はあ!?まだ追ってくるのかよ!」




  レベッカの怒声と同時に、船は大きく揺れた。




「―当たった」




  海咲は、ハンドルを強く握りしめた。バイク形態から、全身を覆う小型戦闘機形態へ。車輪を格納し、結界術を応用した流線型の簡易的な外装を展開する。酸素タンクは最低限、十五分以内であれば―大気圏外での活動も可能であった。




  彼女は衝角の先端から、ビームを発射する。霊子を活性化しある種の指向性を与えたそれは、同じく霊子で満たされた宇宙空間では急速に減衰する。しかし、この距離ならば、輸送艦のシールドを破る程度なら造作もない。




「逃がさないよ」




  ドッグ・ファイトをしながら、二発、三発と円盤にビームが当たっていく。あと一撃当たれば、エンジンの片方を撃ち抜けるだろう。誘爆を防ぐには実弾が相応しいが、持ち合わせがないので仕方がない。




「これで、終わり―っ!」




  一閃。真上から放たれた熱線は、円盤後部のエンジンを吹き飛ばした。自動的に切り離されたエンジンは、燃料に引火し音もなく爆発する。




「やられた!」




  悲痛な声で泣いた操舵手を、リウは励ました。その表情には、余裕があった。それはまさに、勝利を確信した笑いであった。




「―いや、よく持たせた」




  輸送船前方から迫るのは、ターボ・レーザーの一斉射。特殊な粒子を砲身内で加速させ、ある種のガスを用いて音速の数倍の速度で射出するそれは、文字通りの艦砲射撃。宇宙空間でも減衰しない、本物の『兵器』である。




「『幽閉機関』!?」




  巨大な戦艦を前にして、ロイドは取り乱した。検挙されたことはないにせよ、通常は彼らを取り締まる側の公安組織である。




「幽閉機関月面支部!?何で!?」




  動揺したのは、ロイドたちだけではない。海咲は咄嗟に、身を翻した。『本来は』味方であるはずの―『人類種の地球外への進出阻止』を目的とした勢力から、無警告での攻撃を受けたのである。




「アハト・アハト担いでるからって、第三帝国<月の裏のやつら>の仲間とは限らないと思うんですけど!」




  射程外からの一方的な攻撃。如何に入国管理局のエージェントとはいえ、彼女は経験の浅い『インターン』である。 突然の裏切りに狼狽し、海咲は慌てて機首を反転した。




  その刹那。知覚外からの一撃が、トライアドに直撃した。月の外縁部に浮かぶ、小惑星。それを中心に展開された砲台が、火を噴いたのだ。




  環状機動砲台『ヘイロー』。それは月の内外に睨みを効かせる、無慈悲な天使の輪。月の光を背に受けながら、偏光シールドを有する子機が、親機の周囲を回っている。収束レーザーの青白い輝きと共に、周辺の霊子が巻き上げられた。それは毒々しい火花のように、宇宙空間を彩っていく。




「…ターゲット、撃墜。監督に連絡、ブツはこちらで回収すると伝えろ」




  ノイズの混じった、酒で焼けついたような不快な声。薄気味悪い言の葉が、幽閉機関月面支部旗艦『ゼフィランサス』の艦橋に響く。




  青白いスポットライトに照らされて。破壊されたトライアドの破片に包まれながら、一人の少女が宇宙空間を彷徨っている。牽引ビームに吸い寄せられるように、海咲は艦艇に収容された。




  その様子を確認した後。リウは大きく息を吐いた。


「ミッションクリアだ、皆。追っ手は来ない」




  ようやく発せられたその言葉に、船内は喝采に包まれた。渡里もようやく、胸を撫で下ろす。これ以上ドッグファイトを仕掛けられていたら、彼女は確実にサンドイッチを戻していた。シートベルトを外され、少女はふわりと浮き上がる。失念していたが、ここは宇宙空間である。リウ達の安価な輸送艦において、人工重力が実装されているのは狭いコクピットだけであった。




「わ、わぁ」




  初めてのことに、渡里は逆さになった昆虫の如き無策で、足をばたつかせた。水中とは異なり、体はくるりと慣性に従って回転するだけだ。




  「よっ―と。怪我はないかい。小さな怪我でも隠さずに言うんだよ」




  そんな渡里を、鱗に覆われた力強い腕が受け止めた。姉御肌の女は、少女をシートに座らせると豪快に笑った。そのヘビ頭の女性は、レベッカと呼ばれていた。本当の名前は別にあるようで、発音されたが渡里にはよく分からなかった。彼女は月から来た宇宙人で、幾つもの傷が入った筋骨隆々な体には、露出の多い革製の服を纏っていた。




「は、はい。ありがとうございます」




  渡里は丁寧に、頭を下げた。その様子を見て、レベッカがくつくつと笑った。何か言いかけた彼女を、横から割って入ってきたリウが制する。




「レベッカ、悪い。渡里に用事があってね、代わってくれ」


「ん」




  レベッカは爬虫類特有の―嫌らしい目付きをすると、そのままするすると宇宙船の奥へと消えていった。その後ろ姿を見送ると、リウは懐から何枚かの紙を取り出した。それは丁度試験用紙のように、一枚目下部に署名欄が用意されていた。




「それじゃあ、申し訳ないけど手続きが必要なんだ。ごめん、英語は難しいよね。上から、『政府ではなく逃がし屋を利用しました』、『ここで見たことは他言しません』、『費用として、これだけの額のお金を請求します』―最後のは、僕らが干上がらないようにしてるだけ。もし、同意が出来るなら―この書類にサインしてもらえる?」




  少しごめんね、とリウは小さな針を渡里の指先に刺す。彼は血の付着した針を、小さなインク入れに浸した。インクの色が変わり、彼は黄緑色になったそれに、万年筆に似たペンを差し入れた。




「魔術的なものでね。こちらのルールなんだ。許してくれ」




  彼は、渡里に書類を読むように促した。しかし当然の事ながら、進学校とはいえ高校一年生の少女に、英語で書かれた契約書など読めるはずもない。彼女は、書類にさっとだけ目を通し、最後まで文章を読み切った。内容は、概ねリウが言ったものと相違ない。少しだけ、渡里はランの顔を伺った。彼女は柔和な表情で、小さく頷いた。




  渡里は、書類にサインする。




「ありがとう、信じてくれて」




  そう述べて微笑んだ、リウの横顔は。渡里には、輝いて見えた。うっとりしてしまうほど、かっこいい。まるで彼女自身が、彼女の書いた小説の主人公になってしまったかのような―。そんな今<げんじつ>に、渡里は酔っていた。




  船は静かに、月面へと着陸した。幻夢境と地球の位置関係は、月を挟んで対照にあたる。つまり渡里たちが降り立ったのは、月の裏側である。




  『ウボス』。月の裏側に於ける最も巨大な都市<メトロポリタン>。その街並みは、黒い。例えるなら、黒塗りされたシロアリの巣。所々穴の空いた灰褐色の巨岩が、幾つも立ち並んでいる。岩造りのビルディングからは、七色の眩い光が零れている。地面を流れる川はコールタールのように黒く、遠くには常に形を変える粘液状の森が見える。




  岩を直方体に切り出して造られた港に、リウたちの船は停泊した。




「降りるよ」




  荷台を引いた車に乗せられて、渡里は月の道路を走っていく。彼女は後部座席の真中に、ランとレベッカに守られるようにして座っていた。月の都に張り巡らされた環状線からは、月の民の暮らしぶりが一望できた。月の住人は、幻夢境の街よりもバリエーションが少ない。遠くから見えるのは、ターバンを巻いた人間と、それを使役しているのだろう、白いヒキガエルに似たエイリアン。他には数は少ないが人間や、幻夢境でも見掛けたエイリアンが数種類、といった構成である。




  治安は、お世辞にも良いとは言えない。至る所に存在する宇宙船の残骸には、居住者がいるようだ。彼らは複数人で眩い火花を放つ焚き火を囲んでおり、スープ・ポットから黒々とした液体を掬っていた。




「あの、ここは月の裏側なんですよね」


「そうね」




  渡里がそう尋ねると、ランは首肯した。彼女は、少し緊張気味なようであった。




「ここから何処に向かうんですか?」


「…それは」


「ラン」




  レベッカに諌められ、日本人の女性は口を噤んだ。何か、言い難いことでも有るのだろうか。




「着いたよ」




  車は、港のある大都市の外れ、物寂しい郊外で止まった。そこには幾つものテントがあり、まるで難民キャンプのように雑然としていた。




「え…」




  窓から見える景色に。渡里は、呆然としてしまった。先程遠巻きに見た、ヒキガエルのような化け物。彼らは、手に鎖を握っていた。それはまるでリードのように伸び―人間たちの首輪と繋がっていた。人種を問わず、性別も問わず。一つ共通している事柄は、胸元に『板』がぶら下がっているくらいだろうか。




  板に書かれた文字は読めないが、読めずとも内容は理解出来る。あれは、恐らく―。




「騙して悪いけど、そういう仕事でね」




  前述のように。日本の義務教育の弊害で、英語に触れて日が浅い彼女には、契約書を読み込むことは難しい。しかし、不自然さには気がついたはずなのだ。たった数単語―『slave』『agreement』『in all life』など、中学生にもわかるような単語を、『うっかり』読み飛ばさなければ。




「リウ…さん?」




  青年は、いつもと変わらぬ笑顔で。




「ごめんね」




  一言、そう呟いた。はっきり分かる。口先だけだ。それだけで、彼が何人を騙してきたのか、推察するに余りある。




「ラン…さん」




  何かの冗談だろう―と、渡里はランの方を見る。彼女は、ふいと目を逸らした。そして、手に持った『契約書』の束―しっかりと渡里のサインが記載されている―を、守衛を務めるターバン姿の男に手渡した。彼は書類に目を通すと、ドライバーにテントの場所を指示する。




「これで君は、公的に『奴隷』の身分になった。日本人をだまくらかすのは、得意なんでね。『異世界転生モノ』?とやらの影響で、ほいほいこっちに来てしまうんだから」




  咄嗟に逃げようと体を捩った渡里を、ランとレベッカが両サイドから抑え込む。見逃がすことはない。そのための席配置だ。




「『逃がし屋』は嘘。本当の俺たちは、人攫いなのさ」




  渡里からすれば、知りようもないこと。彼女のような『迷い人』に、人権はない。当然、イリス政府は管理こそすれど、保護は試みていない。だからこそ、人<ホモ・サピエンス>狩りは―合法のビジネスなのだ。『公安』の仕事は、人類や奴隷商人から『国民』を守ること。『入国管理局』は、人間の捕獲取り締まりが仕事であり、畢竟人身売買から人間を守る省庁ではない。政府が禁じているのは、人間を星外に輸送すること。その点さえクリアしてしまえば、売買そのものは咎められていない。




「人間の奴隷は高く売れんのさ。尤もアンタは、買い手が決まっているんだが」




  車が引いていた荷台は、大きな檻。その中には、五人ほどの人間が力なく座っている。レベッカに抱えられ、渡里はケージの中に放り込まれた。鍵が閉められ、フォークリフトに似た重機で持ち上げられる。彼らは手際よく、自分たちのテントの中に檻を入れていく。渡里以外の被害者は、与えられていた『餌』の影響で、朦朧としているようであった。白痴のような奇声を零し続ける『同居人』の姿を見て、夢沢渡里はようやく、自身が置かれている状況を理解した。




「そんな、奴隷なんて嫌…!裏切り者、信じてたのに…!こんなことをして、何とも思わないの!」




  渡里は恐怖のあまりヒステリーを起こし、我武者羅に鉄格子を叩く。その様子を見て、レベッカはくつくつと笑う。




「何とも思わないね。シンプルでいいだろ?弱い奴から奪われてくのさ」




  さ―っと、渡里の顔が青くなる。『弱い奴』。そうだ。結局、私には何の力もない。この状況を打開できるような―ご都合主義的な『チート』能力など、何一つ。




「…助けて」




  震える声で、渡里は呟いた。知らない世界で、何に祈れば良いのだろう。知らない世界で、誰に縋れば良いのだろう。仮に居たとして月の神様は、私のことなど気にも留めないだろう。押し潰されるような―心もとなさ。それでも、心の折れた彼女は、『誰か』に助けを求めざるを得なかったのだ。




「…誰か…!助けて…!」


  お母さんに会いたい。お父さんに会いたい。友達に会いたい。早く家に帰りたい。




「誰も助けになんか来やしないよ、月の裏まで」




  泣きじゃくった彼女は、すぐに静かになった。




「誰も―あんたのことなんて気にしてないのさ」




  レベッカは、渡里の首筋にスタンガンを押し当てた。そしてそのまま、一切の容赦なく。まるで豚を屠殺する時のような手際の良さで―渡里を気絶させた。




「月の神様以外は、ね」

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