第30話 勝利の余韻と二回戦
「死ぬかと思った」
止める医者をあしらいながら、天使は咥えた煙草に火をつけた。アルコールがないのが残念だ、と彼は付け加えると、点滴に繋がれた手でナッツを摘んだ。厳密にはナッツ類ではなく、ダンゴムシに似た甲殻類を煎ったそれは、ピスタチオに似た味がする。ピスタチオより幾分か薄い殻は、歯触りによいアクセントを与えていた。
「私も、死ぬかと思いました〜。報酬、弾んでくださいね〜?」
血が足りてないからか―食欲旺盛な二人は、ガーイェグに積まれていた糧食でちょっとしたビュッフェ気分を楽しんでいるようだった。勿論、イシュバランケによるトウモロコシの供給も滞りなく行われており、海咲はそれをポップコーンにして遊んでいた。
「報酬は弾むよ。もろちん天使くんにもね」
私は払わないけど、と海咲は付け加えた。出来上がったポップコーンをひとつまみしつつ、彼女は立ち上がると、デスクに着いていたウォンに声をかける。
「ウォンさん、ヒライさんとの連絡はついた?」
ガーイェグは現在、その場に停留していた。作戦結果の報告が出来次第、フレドリッヒ基地を目指すことになっていた。目的は達成されたものの、渡里を含む大多数の虜囚は未だ公爵の手の中だ。彼らは合流し、次の手を練る必要があった。それに、一応契約上は―善子たちの仕事はここまでである。これ以降は続ける義理もない―と仕事を放棄したところで、彼らを責める理由はない。諸々の指示を仰ぐため、彼らはン=グィに駐留しているヒライに報告しようと通信を試みていたのだが、繋がらない。
「ダメだ、全然繋がらない。今、代わりにフレドリッヒに掛けてるが…出ないな」
ウォンは頭を振った。それはよくないな、と海咲は思った。彼らは戦い慣れたゲリラだ。連絡は密にするだろうし、万が一のための通信ネットワークは如何なる場合でも機能するはずだ。フレドリッヒ基地などはその典型で、いざという時のために通信技官は常駐しているはずである。それが、繋がらないということは―。
海咲の心配を他所に、数分のコールの後、フレドリッヒ基地との通信が繋がった。胸を撫で下ろした海咲たちであったが、声を聞いた途端、彼女たちに緊張が走った。
「もしもし」
それは、子供の声。聞き覚えがある。基地で、ミントをくれた女の子の声だ。海咲はウォンの代わりに、マイクに声を吹き込んだ。
「もしもし、聞こえる?」
「…ひらひらの服のお姉ちゃん?」
レースの付いた袖を、海咲は口元へ当てる。嫌な予感がしたからだ。今にも泣き出しそうな少女の声色。電話の向こうの少女を窘める大人はおらず、時折混じるノイズは、『破壊』の影をちらつかせる。
「周りに、大人の人はいるかな?」
首を振ったのだろう。返答は、一拍遅れた。
「いない。私だけ」
彼女は、嗚咽の混じった声でそう言った。寂寞とした月の裏側、岩肌に隠された基地。そんな場所に、子供が一人、取り残されている。心細くて、たまらないだろう。海咲は、心が締め付けられるようだった。
「皆、連れていかれちゃった!」
わぁ、と少女は泣き出した。
通信は繋いだまま。少女の鳴き声が響く管制室で、彼らは状況を整理することにした。
「助けに行くよ、いい子で待てる?」
「やだあ!」
「じゃあ、寂しくないように、お姉ちゃんがお話をしてあげよう。桃から産まれた男の子の話を知っている?」
「何で月桃(ウボス近辺で採れる菌糸類の瘤)から子供が産まれるの!?怖いよう!」
「桃太郎って月じゃ恐怖の対象なんだ。じゃあ竹から産まれた女の子の話は?」
「ひっ…」
「ふはは、怖かろう」
子供の相手をする海咲を横目に、残りの面々はホワイトボードに状況を書き留めていく。
「プランCがあったってことか」
「と、言いますと?」
ハイペリオンの問いかけに、天使は煙草を灰皿に押し付けながら答えた。
「前提―儀式には蜥蜴野郎を誘き寄せる生贄が必要。その生贄は施設に囚われていた。当初の予定通り、施設組を全員捧げるのがプランA。代わりに、救出作戦の裏をかいて、ン=グィのレン人居住区等から強制徴収するのがプランB。そしてプランBを警戒したこちらの裏をかき、フレドリッヒ基地を襲うのが―プランC。
あの基地に防衛能力は殆どない。襲撃するならいつでも出来たが、されたことはなかった。つまり、今日この日までは、公爵は基地の存在を知らなかったのだが―」
最悪のタイミングで、フレドリッヒ基地の存在を公爵に告げた者がいる。天使は、そう言葉を続けた。
「内通者か…。これまで何人もいたが、フレドリッヒ基地のことを告げ口した奴はいなかった。くそ、一体誰が…!」
ショックを受けたのか、怒りに満ちた声色でそう述べたウォン。諭すようにして、海咲は彼の言葉を遮った。
「ウォンさん。一先ず、内通者のことは置いておこうよ。誰にだって動機はあるし、突き止めることに意味はない。犯人探しより、これからどうするかの方が大事じゃない?」
「同意見です。海咲さんにしては良いことを言いますね〜。それで、どうするんです〜?」
「拐かされた先は、件の祭壇。恐らく、彼らは罠を張って誘い受けに徹するつもりでしょう。然は然り乍ら、我々の戦力はこの船だけです。正面突破は難しい」
「縮んじゃった?」
くすり、と笑った海咲に、ハイペリオンは大きく首を振って応えた。
「まさか。むしろ勃起<武者震い>しています。天空神ウラノスの名にかけて、あのような惨劇を引き起こす連中を、野放しにはできません」
「同意見だ。連中は人の命を弄び過ぎだ。誉なき生贄など、犬死にも劣る」
イシュバランケのバックボーン、マヤ文明では、生贄の儀式が盛んに行われていた。そんな彼だからこそ、『生贄の意思』を度外視する公爵のやり方は気に触るのだろう。
どうやら、契約更新は必要なさそうだ。墓穴を掘る前に、話を進めてしまおうか。
「天使くんは?」
「行くよ、勿論ね。再誕だろうが複写だろうが、蜥蜴野郎の復活は許さない。絶対にだ」
うんうん、と海咲は頷いた。
「私ももろちん、渡里を助けに行くよ。彼女は弱っちいので、今頃一人で泣いていると思うのです。だから、私が行かないと」
独善的、と言われてしまえばそこまで。しかし、今の彼女には私しかいない。私が彼女を見捨ててしまったら、地球の虚像を望む月の裏に、彼女の味方はいなくなってしまう。それは、とても悲しいことだ。だから、私は一人でも―渡里を助けに行くのだ。それがどんなに困難だとしても、投げ出していい理由にはならない。
海咲は決意を固め直すと、(彼女の主観では)自分よりひねくれている少女に尋ねた。
「貴女は善子?」
呆れたように。泥田坊は息を吐いた。
「はあ…。現実的じゃないですよ、状況わかってます?自殺しに行くなら、ご勝手に〜って、言いたいところですが」
ですが、と彼女は言葉を繰り返した。暫くぱくぱくと口を動かすと、彼女はくすりと笑った。
「少し考えてみましょう。コケにされたまま、とはいきませんから」
「沽券に関わるしね」
「まあ、滑稽な人。焼き鳥がお望みですか?」
串に見立てたペンを構えた泥田坊の意図を悟り、少女はくすりと笑った。
「鶏<とり>も鳴かずば撃たれまい」
こけこっこ、と鳴いた海咲は、善子にペンで撃ち抜かれた。
「銀河級の鳥頭<おバカさん>は置いておいて〜」
鼻先を抑えて蹲る海咲に微笑みかけると、善子はホワイトボードに書き込んでいく。
「さて。検討事項を挙げて、優先度をつけましょう。ゴールの設定はどうされます〜?」
「儀式の阻止―完全破壊だ。もし間に合えば、生贄も取り戻したい」
天使はもう一本、煙草を抜き出すと、口に咥えた。
「逆じゃない?元々は連れ去られた人を助けるために…」
そう反論した海咲を、天使は一蹴した。彼は煙草に火をかざすと、大きく吸い込んだ。
「違うね。すぐに儀式を再開できるんじゃ、『プランD』もできるだろ」
プランD。生贄の出処に、最早意味は無い。公爵が形振りを構わなくなれば、『ウボス』の無辜の民が強制挑発されるだろう。従ってこの場合、作戦遂行における『必要条件』は儀式そのものを行えなくすることで、生贄そのものの救出は『十分条件』である。
「でも…」
幾らこれ以上の犠牲を止めることが出来たとしても。いざと言う時はレン人を切り捨てる―という考えは、彼女にとって受け入れ難いものだった。
天使は冷静に海咲を睨めつけると、静かな声色で告げた。
「でも、じゃない。そもそも、君の目的は『夢沢渡里』の奪還だろう。見ず知らずのレン人にまで手を差し伸べるヒーロー精神は結構だけど。本質を見誤ると、被害は拡大する。それに昔から言うだろ?『二兎を追う者は一兎をも得ず』、だ」
月に於いてもね、と天使は続けた。海咲は、過去の経験を思い出す。
彼の言う通りだ。繋がりの出来た人間全てを、守りきることは難しい。一人でも多く、手の届く限りを。そうやって余計な色気を出したことで、新たな犠牲を生んでしまうことは、想像に難くない。そんなことは、私が―花崎海咲が、誰よりも承知している。
「…っ」
それでも―。そう口を開きかけた海咲を、善子が制した。彼女は海咲に目配せをすると、自分の話す番だ、とばかりに語り始めた。
「それでは、第一目標は儀式の破壊で。祭壇或いは儀式に必要な『器』を、奪うこととしましょう。第二目標は、攫われたレン民族の救出です。ヘイローの目を掻い潜りつつ、ガーイェグに乗せられるだけ、助け出しましょう」
そして、と彼女は言葉を続ける。
「目下課題は―『ヘイロー』『艦隊含む敵戦力に対抗しうる兵力』『儀式完了のタイムリミット』『取り残された子供』―他には?」
「司令官の生死は?」
イシュバランケの問いかけに、ウォンは首を振って応えた。
「歯痒いが…確認する術がない」
「ヒライ司令官たちに関しては、次いでに助けるしかないね。生きてれば、だけれど。因みに、『ウボスの湖』っていうのは、ドームの中にあるのかな?」
その場合は、ドーム内に潜入する工程が必要だ。仮に功を焦ってドームに穴でも開けてしまったら、文字通りレン人をこの世から『解放』してしまうことになる。可能であれば、ドーム近辺での戦闘は避けた方が無難だ、と天使は思った。
「いや、あの一帯は大気がある。邪神のテラフォーミングによって、地球相当の重力が働いているんだ」
ウォンはそう言うと、モニタに地図を表示した。クレーター『モスクワの海』内の一区画が、赤くハイライトされている。それは、重力圏を表していた。
「ウボスの湖はこの範囲だな。ドームからも離れているし、誤射は考えなくていい」
「それはよかった」
泥田善子は一連の話を受けて、ホワイトボードの隅に『司令官の生死』と『祭壇周辺の環境』について書き加えた。全体を俯瞰して、彼女はこつこつとペン先でボードを叩いた。
「やはり一番キツいのは―ヘイロー含む兵力差ですかね〜。ここを埋めないことには、土俵にすら立てません。特に、ヘイローです。救出の時、どうしても地表にガーイェグを曝け出す必要があります。私なら、そこを狙います。だって、生贄は死んでも、代わりがいますから。でも、ガーイェグの代わりはない。一撃で、全部が決まります。海咲さん、お分かりですか?」
「私?」
善子は漸く、海咲に向けていた手のひらを降ろした。ここまでの一連の議論の中で、何か自分だけに関係するものはあっただろうか―と海咲は思索を巡らせた。海咲の様子に溜息を零すと、諭すように言った。
「『それでも』と。そう口にしてよいのは、問題解決能力のある者だけです。小難しいですか?よろしい、では簡潔に。貴女がヘイローを落とせばいいんですよ。そうすれば、レン人の救出は容易くなります」
「それは…」
それが出来るなら。最初からやっている。しかし、瞬きと同時に落ちてくる光の槍を掻い潜り、どう一矢を報いれば良いのだろう。皆目見当もつかず、海咲は思考を放棄したくなった。
「方法については、こちらでも少し検討しましょう。まあ、精々足りない頭で考えておいてくださいな。貴女とレン人、貴女と夢沢何某を計りにかけながら」
肩を竦めてみせた善子に、海咲は視線を落とした。ヘイローは、人の身で挑むものではない。竹槍で爆撃機と戦うようなものだ。善子の提案に対し、海咲は言葉を紡げなかった。
少し、自己嫌悪。私も結局、自分が惜しいのだ。私が死んだら『渡里が』『仲間が』『彼女が』―今この瞬間、私は何回も自分を正当化しようと試みてしまった。それで、レン人を助けるために他の仲間まで危険に晒そうというのだから、虫が良すぎると思う。
「…ちょっと、考えさせて」
「考える必要あります?腰抜け♡」
善子の罵倒に、海咲は力なく苦笑した。
「…話は終わった?うむ。敵の艦隊に関しては、僕がどうにかしよう。『月の守り神』が誰なのか、分からせてやるぜ」
場を和ませるように、飄々とした態度。ふんす、と胸を張った天使に、一同は生暖かい視線を送った。
「あ、信じてないな〜。も〜、信じないものは救わないぞ」
むくれた天使を宥めた海咲たちは、ドアの開く音に振り返った。そこに立っていたのは、天使が基地から助け出した、中央監視室監視部部長―『元』クレマトリオム防衛隊長代理―その更に代理である。殆ど外傷のなかった彼ら投降兵は、先ず発信機の類を徹底的に調べられた。その後ボディチェックとごく一時的な軟禁状態の末、解放された。部長―名前をイオクという―は頭を下げると、海咲たちに礼を述べた。
「生き残ったクレマトリオムの全職員を代表して、感謝の意を表したい。我々は昨日まで、貴君らの指導者を捕らえていたというのに…」
謝罪の言葉を紡ごうとした彼に、天使は笑いかけた。それほど、自罰的になる必要はない。彼らは『強いられた』だけだ。自らの意思で、そうした訳じゃない。
「いいよ、気にしないで。それよりも、相談に乗ってくれない?」
「…応えられることであれば」
解放同盟<ズィアーリ>は深刻な人手不足だ。助けて貰った恩を、命を以て返せ―そう告げられることを予期して、部長は額に冷や汗を滲ませた。しかし、畢竟そのような過ぎた要求がされることはなかった。
「戦艦とかの心当たりって、あったりしない?」
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