第31話 恐ろしき『ガグ』
海咲たちは、再びクレマトリオムへと戻っていた。クレマトリオムに勤めていたイオクの案内の元、彼女たちは蒸発した地上部分を掘り進み、最低限の予備電源しか作動していない地下の廊下へと辿り着いた。油断すれば呑み込まれてしまうような闇の中を、少女たちは光魔術の心許ない灯りを頼りに進んでいく。
蛇が出るか、或いは怪物が住み着いているか。暗い廊下には、獣の息遣いが満ちているようだった。例えるならば、真夜中のジャングル。這いずる音、走る音。そして、何かが壁を引っ掻く音。小心者のウォンには、それらが堪らなく恐ろしかった。
彼らが探しているのは、貨物列車。此度の輸送時にも用いられるはずであった、公爵勢力が誇る重武装列車である。それは地下六階の格納庫にて、発車準備の整った状態で起動の時を待っているらしい。
探索に向かったメンバーは、海咲、天使、ウォン、そして案内役を買って出たイオクの四人である。彼らは海咲の震電にワイヤーを取り付け、ウェイクボードの要領で、施設の跡地まで運搬されていた。月の弱い重力が為せる、やや無理のある手法である。その間に一部戦士は揚陸艇にてフレドリッヒ基地へと向かい、善子ら残りの面々はガーイェグ内で待機していた。
潜入班の人数を絞ったのは、何が出てくるか分からない地下に、余計な人員は割けない―という天使の主張に沿っている。成程、この辺り一帯は『ハンター』の縄張りであるようだ。先程から、絡み付くような殺気を、海咲は感じていた。
「元々、地下最下層はシェルターとしての役割を持っていた。核攻撃にも耐えられる仕様だ、ヘイローの攻撃程度ではびくともしない」
手元の地図を見ながら、イオクはそう言った。話していないと気がもたないといった素振りで、男は地図を持つ手を震わせていた。
全く、とんだ貧乏くじだな。でも彼は月ジャンケンで負けたのだから、仕方がない。それが例え不戦敗だとしても―などと考えつつ、海咲はくすくす笑った。
「貴方たち職員のためのシェルターならいいんだけど」
地上が焼かれ、制御を失い、地下の隔壁が全部開いてしまった。そうやって作られた月の生物多様性のどこを、シェルターとして使うつもりだったのか。それは彼らレン民族を餌として使うための、調子の良い嘘である気がする。公爵たちは単に、悪辣な『研究成果』を守りたいだけなのだろう。
「何にせよ―畢竟、シェルターは崩壊して、地下にいたハンターは解き放たれたってワケね。ここは『ノストロモ号』な訳だ」
「やめてくれ、海咲。今、『エイリアン』の話は聞きたくない」
ウォンがそう呟くや否や―廊下に銃声が響く。一本道の突き当たり、ビームブラスターの閃光が人影を映し出す。複数人の怒号―悲鳴。数瞬の攻防、引き裂かれる音、土砂降りのような水音の後―辺りは静かになった。
「…ここの地下には、『ガグ』もいるってね?」
「マジか、かくとう・むし複合か。お客様の中にひこうタイプは?」
「君だろ」
溜息まじりに、天使はそう言った。彼は勘弁してくれとばかりに、ノーマルスーツのパネルを操作した。
「酸素濃度はギリギリ…連中も生存できそうだ。予備電源が落ちれば、酸欠で死ぬとは思うけど」
「死んでいてくれ」
頼むから、とウォンは続けた。彼らは周囲を警戒しながら、奥へと進んでいく。ふと、何かの気配を感じ、海咲は頭上を見上げた。ダクトの中を這いずっている、大きな節足動物。息を潜めているそれは、こちらが油断する時を窺っているかのようであった。
「上…」
彼女は天使の肩を叩き、ダクトに潜む怪物を指し示そうとした。しかし、彼女は直ぐに目線を下に降ろした。先程銃撃戦をしていたレン人たちの死体に、躓いたからだ。余程強い力で引きちぎられ、投げられたのだろう。その『肉塊』は、最早人型を留めてはいなかった。酸素を無駄にすることも厭わず、大きく溜息を吐き出した天使は、呆れたように笑った。
「ガグだね。完全に…」
「…た、助けてくれぇ!」
少年の言葉を遮るようにして、生き残っていたレン人が、曲がり角の向こうから走ってくる。全身を血の赤色に染めた彼の姿は、戦いの苛烈さを伺わせる。
「…ちっ」
舌打ちをして、天使は結界魔術を行使した。周囲の霊子が壁のようにして固まり、レン人の男を廊下の奥へと押しやった。こちらに来ようとして藻掻く彼は、文字通りのムーン・ウォークのまま遠ざかっていく。
「おお、これが本当のゼログラビティ」
何も考えず発言した海咲は、自身の安易な感想を後悔した。
曲がり角から、ぬっと毛むくじゃらの手が伸びる。それは男を鷲掴みにすると、ぎりぎりと締め上げていく。身の毛がよだつような悲鳴に、海咲は宇宙服の集音機能をオフにした。少々デカダン趣味の花崎海咲と言えど、人の断末魔<デス・メタル>を好き好んで聞く趣味はない。
「ガグは大型の熊だと思ってくれればいい。獲物に執着するタイプなんだ」
だから、安易な気持ちで『獲物』を拾うと痛い目を見るよ―と彼は付け加えた。目の前で同胞が引きちぎられる様を目の当たりにして、ウォンとイオクの二人は言葉を失っていた。
「メンヘラだね」
オープン・チャンネルに乗せられた天使の声に相槌を打つと、海咲は再び集音機能をオンにする。
「どうする?迂回しようか」
天使の言葉に首を大きく振った二人のレン人を他所に、海咲はずんずんと一人で歩いていく。その様子を見て、我妻天使は呆れた顔をした。
「その蛮勇、妬ましい限り。そいつの毛皮、霊子通しにくいよ。それに熊より硬いし速いし…って聞いておられる?」
「ええ。それだけ狩りにくいのなら、『良い手土産』になるでしょう?」
今しがたしゃぶり終わった骨を投げ捨てて。『それ』は姿を現した。毛皮に覆われた四本腕の巨人。狂気に血走った目は爛々と輝き、縦に割れた口は無数の牙で覆われていた。体長は六メートルほどで、廊下を四つん這い―ならぬ『六つん這い』の状態で移動しているようであった。
彼は新しい餌の登場に、にんまりと笑った。そして、翻訳魔術にもかからない原始的な雄叫びと共に、少女に向けて突進する。対する海咲は、片手を『ワルサー』の形に象らせた。造形はしていない。形状に紐付けされていない魔術式を扱う際は、造形エーテルを介さない方が効率が良いからだ。
「―第一節、破棄。
逆巻き逆巻け焔の忌辰 行けど行けども三隣亡 泥犂に堕ちれど花一つ 咲かせて死にましょ "簡易詠唱"『赤口黄泉路』」
一息に紡がれた詠唱の後。ぱちん、と火花が散るように。指先から放たれた青白い稲妻が、暗闇を引き裂いた。それは屈曲しながらガグの口の中に吸い込まれると、その姿を消してしまった。
「おい、避け…っ」
そう叫んだウォンは、目を覆った。ガグの体が、突如として光り輝いたのだ。
「…魔術を通さないって言うのも、考えものだな」
天使はくすりと笑った。
例えるならば、魔法瓶。内部で輻射熱を反射するようにして、ガグの対霊子性能の高い毛皮は、体内で海咲の魔術を反射し続けてしまう。特に彼女の放った『赤口黄泉路』は、標的の体外へ抜けるまで、体内で幾度となく屈曲し内部構造を焼き尽くす代物である。魔力の許す限りガグの臓器を破壊する青い稲妻は、霧散するまでその仕事を全うした。
「上手に焼けました。ぶい」
そう言うと、海咲はガグの死体を物色した。臓器と筋肉だけが焼け焦げており、逆に目立った外傷は無い。
良かった。目論み通り、肝心の脳髄<手土産>は無事なようだ。
彼女は数歩後退すると、天使たちの見守る中で膝を着いた。
「何だ…?」
「…知らない」
「あとにしてよ、先を急ぎたいんだけど」
散々なブーイングを受けながら、海咲は手のひらを上にして、土下座のような格好で頭を下げた。彼らの認識とは異なり、この奇怪な儀式は、何も花崎海咲<へんじん>の奇行というだけではない。これは、『彼ら』にとって正当な、盃を交わす儀式である。
ガグに隠された廊下の向こう側から、がしゃん、という音が響いた。金属音である。恐らくは、ダクトか何かが外れて落ちたのだろう。
「何してるんだ…巫山戯てる場合じゃあ」
海咲を窘めようとしたウォンを、天使は制した。余計な犠牲を出す必要は無い。『交渉役』は一人で十分だろう。
「二人とも、決して腰の銃を抜かないように。『連中』は音と敵意に敏感だ」
『連中』と聞いて、二人の顔から血の気が引いた。ガグを目の当たりにした時よりも、である。ひたひたとガグの体を伝って現れたのは、月においても最も嫌われる種族。土星の秘奥『サイクラノーシュ』の言葉で『忌み星』を意味する『ヴ=ヴァール』の出身にして、フォーマルハウト星系の奉仕種族。その名を、『レヴォール=ク』。骨を削り出して作られたスピアを手に、彼らは這い寄ってくる。著しく後頭部が伸びた紡錘形の頭部。胴体は人と似ており、下半身はシャコのような甲殻類。きちきちと耳障りな鳴き声を奏でながら、半ば退化した3対の目で此方を睨んでいる。
いつの間にか、ウォンたちは彼らによって包囲されていた。如何に文明の遅れた知覚種族といえど、この数に襲いかかられては一溜りもない。空間転移のある天使以外は、纏めて彼らの食料になってしまうだろう。
「ど、どうする…?」
「知らんけど」
肩を竦めた天使に、ウォンは絶望した。凡そ考えうる限り、最悪の死に方である。これなら、ガグに食い殺された方が万倍マシだ。
レヴォールは海咲へと忍び寄り、スピアを振りかぶった。そして、彼女に向けて振り下ろす。
少女の頭の二十センチ横。音を響かせながら、槍が地面に突き刺さった。そして、丸腰になったレヴォールは、ガグの後頭部にぬらぬらと光る口吻―口内に隠された針状の器官―を突き刺した。流動食を啜る不愉快な音が響く。『食事』を終えると、彼は一度立ち上がった。そして、海咲と丁度鏡合わせになるように―彼もまた、手のひらを宙に向け、頭を垂れた。
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