第25話 施設強襲〜天使なお節介〜

 天使は造形魔術でエーテル造りの台車を作ると、その上に、自力で動けないレン人たちが積み込んでいく。そうして、彼らは何とか虜囚たちを引き摺っていこうとした。




 「いたぞ!」




  その時だった。角から現れた兵士、その数は六人。彼らはビーム・ブラスターを構えると、即座に発砲した。天使は咄嗟に結界術を行使し、ビームを弾いた。




 「こんな時に―」




  台車は造形途中であった。ここで止めれば、余計な時間が掛かることは必死。遠距離魔術で仕留めるか―。そう考えた天使の前に、ハイペリオンが仁王立ちする。




 「司教!?」




  彼は腰を引き、そして打ち付けた。宛ら、後背位のような腰使いである。ただし、彼が腰を打ち付けたのは、尻ではない。この空間に満ちる、気体である。




  突風。兵士たちは、風によって吹き飛ばされる。みしり、と音を立てて、後方の建材がひしゃげた。兵士たちの体は壁に打ち付けられ、押し付けられ、全身の骨は無惨にも粉々になった。




  上位の風魔術に匹敵する威力。それを、司教は詠唱ではなく腰使いでやったのけた。あまりの衝撃に、天使は思わず、ハイペリオンの方を見た。彼は、立って―否、『勃って』いた。




 「これが、『勃起』ですよ。天使さん」




 「司教…っ!」




  天使は薫陶を受けた。陰茎とは、勃起とは。そして、『雄』とは。こういうことなのだ。態々、陰茎を見せびらかしていた自分が恥ずかしい。『能ある鷹は爪を隠す』とはよく言ったものだ。宇宙服の上からでも分かる、男性器の膨らみ。これが、力でありパワーなのだ。




 「興味があれば、是非入信<挿入>を」




 「…前向きに検討するよ」




  下らないやり取りを挟みつつ。彼らは漸く、入口に辿り着いた。台車を全員でどうにか運び、兵士の攻撃を躱しつつ、何とか無傷でやり遂げたのだ。彼らは揚陸艇のハッチを開き、手際よく虜囚を中に入れていく。




 「急げ!」




  天使は叫んだ。基地が大きく揺れた。もうあまり持たないだろう。事実この砲撃で、先程いた場所には穴が空いたようだ。地響きのように、破片が外に吸い出される音が響いた。




 「ちっ、正しく使い捨てか。惨いな」




  イシュバランケは唸った。砲撃目標は、『岩山』だけで良い―にも関わらず。どうやらこの施設は、完全に放棄されるらしい。公爵派のレン人兵士たち共々、この一帯は焼き尽くされるだろう。何故、こうなることが分かっていて、彼らは所属を誤ったのか。




 「いたぞ!奴らだ!」




  通路の向こう側から、レン人の兵士たちが現れる。ジャガーは体勢を低くすると、獲物に向かって跳躍した。狙いは、先頭を走る男。喉笛を噛み切って、残りを処分する。




  しかし―畢竟、彼の牙は誰も切り裂くことはなかった。




 「待ってくれぇ!」




  兵士たちは、皆武器を捨てて平伏した。その様子は、戦士のものとは程遠い。イシュバランケの黒曜石の瞳には、彼らの姿はどこにでもいるような、臆病な若者の姿に映った。




 「乗せていってくれ!俺たちはそちらに付きたい!」




 「何でもする!頼む!」




 「こんなところで、犬死はしたくない!」




  ジャガーは唸り声をあげた。戦士以外を牙にかけることは、彼のプライドが許さない。されど、彼らのような蝙蝠野郎共には、虫唾が走る。




 「貴様らは…っ!」




  あれほどの惨劇を見て見ぬふりしておいて、この態度か。これを傲慢と言わずして、何と言うか。




 「恥を知れ!貴様らの命、この場所で死んで行った同胞たちへの手向けとしろ」




 「そ、そんな…」




  レン人たちは、顔を青くした。踵を返したジャガーを、船から顔を出した天使が呼ぶ。




 「イシュバランケ、早く!出るよ!」




 「今行こう」




 「君たちも!乗りなよ」




  我妻天使は、そう言って兵士たちに手招きした。彼はイシュバランケと違い誇りある戦士ではなかったし、どこまでもお人好しであったのだ。




 「か、かたじけない」




 「この恩は必ず…!」




  そう言って、兵士たちは揚陸艇に駆け込んでくる。元々倍以上の人数を想定していた格納庫には、まだ余裕があった。しかし、時間には余裕がない。基地は再び大きく揺れ、警報の音すら聞こえなくなる。このままでは、シャッターを力尽くで開かねばならなくなるだろう。




 「天使さん、『ヘイロー』からの狙撃が始まりました。さっさと逃げ帰って来て貰えます?」




  善子からの通信に、天使は頷いた。




 「ようし、シャッターを開く!さっさと戻るよ!」




  そう叫んだ天使は、空間転移で開閉ボタンの元へと飛ぼうとした。その時、どこからか男たちの声が響く。




 「この通信が届いている者!誰でもいい!助けてくれ!」




  音の出処は、兵士たちが持っていた、通信装置。集音機能<マイク>どころか全回線を遮断していたそれが、喧しく音を立てる。イシュバランケは、顔を顰めて唸った。




 「ま、まだ仲間が…!」




  全兵士の持つ通信装置のチャンネルを強制的にオープンできるのは、今は亡き中央司令室と―中央監視室のみ。この通信は、後者からのものであった。




 「こちらは中央監視室!中央棟地下二階、監視室だ!ドアがロックされた!空調も壊れて…ゲホっ、息が…!ひい!レヴォールが!地下から出てきたレヴォール共が徘徊して…静かにって、無理ですよ!」




  切羽詰まった様子が伝わってくる。酸素の残量に微塵も猶予のないことが分かっていながら、恐慌状態にある彼は大声を出さずにいられなかったのだ。




 「…放っておけ、明日は我が身だぞ。自分可愛さに民族全体を裏切った薄情者共を、助ける義理はどこにある」




  ジャガーがそう言うと、天使は笑った。




 「そういう論理的な思考は妬ましいけれど。正直僕は、裏切りを強要させられた人まで責め立てる気にはならないな」




  彼は空間転移を使うと、開閉ボタンの前に出る。気密用の霊子シールドが展開され、重い駆動音と共に、シャッターが開いていく。外の様子は、正に火の雨。満天の星空は、赤と青の火花で彩られていた。




 「よっ」




  戻ってきた天使は、船の外装に手を触れた。そしてそのまま、空間転移を行使する。パッと、揚陸艇が姿を消した。シャッターを開いたのは、何もこの砲撃の雨の中船を走らせたいからではない。目視で『岩山』を確認し、指定座標まで揚陸艇を転移させるためだ。




  揚陸艇は、旗艦『ガーイェグ』の格納庫に着地した。少しばかり鉛直方向の座標がずれてしまったため、船は勢いよく岩造りの床板に叩きつけられた。




 「救護班!」




  天使の号令と同時に、虜囚たちが船から下ろされていく。彼はそれを見届けると、ハイペリオンに声をかける。




 「僕は戻るけど。司教は?」




 「お供します。私にはまだ『仕事』があるので」




  司教の言葉に頷くと、天使はジャガーを呼び出した。




 「約束の時間まで二十分か―OK、十五分で戻るよ。この艦をここに置いてくれるよう、善子に頼んでもらえるかな」




 「…心得た」




  『無駄なことをする』とでも言いたげに、彼は喉を鳴らした。イシュバランケを見送ると、天使はハイペリオンの手を取った。二人は宇宙服のヘルメットをアクティブにする。首の後ろから飛び出したマスクが、二人の頭を包んだ。




 「さて、やりますか。人助け」




  バイザー越しに司教とアイコンタクトを交わすと、天使は魔術を発動した。




  転移先は『岩山』の上、二十メートルほど。二人は手を離すと、月の弱い重力に引かれて落ちていく。




  そういえば、と天使はハイペリオンの方を見た。司教の能力の詳細は知らないが、彼が『気体』を操るらしいというのは、先程<腰振り>の様子からも明らかだ。しかし、ここは月面。操られるべき気体はほとんどない。もしや彼は、ここでは飛べないのではないか。




  天使の心配など露知らず。彼は悠々と飛んでいた。否、何も無い空間を跳ぶように走っていた。我妻天使は知る由もないが、ハイペリオンは気体を操る訳ではない。彼は自身の能力を他人に説明する際、『プレスマシン』を例えに出している。アトラス神の権能<天の物体化>により仮想上の『パンチ(上型)』を作成し、ハイペリオン神の権能<足場の生成>による『ダイ(下型)』に向けて射出する。上から押さえつければ仮想質量を有する天が対象を押し潰し、横軸に『天<パンチ>』を飛ばせば気体を弾丸のように打ち出せる。そして生成した足場に空を打ち込み続ければ、反作用により高く飛び上がることができるのだ。




  今回に関して狙い撃ちにされることを避けるため、ハイペリオンは低空に逃げていく。スポーツに熱心だったのだろう、美しいフォームで駆けていく彼と、天使は目が合った。




 「天使さん、幸運を」




  バイザー越しに、ハイペリオンの口が動くのが見えた。彼に、司教は縦一文字を切った。男根を模した、天空教の祈りのハンドサインである。




 「…?肛門?」




  読唇術に一切の才能がない天使は、ハイペリオンの唇からそう読み取った。『低資産肛門ヲ』、意味の分からない単語に首を傾げつつ、自身は再びの空間転移でシャッターの内側へ滑り込む。そこに『何も無い』のは確認済みである。帰りはどうしようか―などと考えながら、我妻天使は地下への階段を下って行った。




  『中央棟』の表記を見つけてから監視室に辿り着くまではそう時間はかからなかった。長い廊下は空間転移で飛ぶだけである。途中、何度か公爵側の兵士と遭遇したが、既に彼らは戦意喪失していた。




 「ここから逃がしてあげる。六番シャッターへ、急いで!」




  そう伝えると、兵士たちは我を取り戻したように走っていく。あまり時間はないし、彼らを運ぶ方法も思いつかないが―何とかなると信じたい。




  まとめて運ぶとなると。例のコンテナの一室―レン人たちが監禁されていた部屋に纏めて押し込んで、丸ごと転移させるのは、どうか。行けそうな気もするが、ダメそうな気もする。複雑に拘束されている場合、空間転移で指定ができない恐れがあるからな。コンテナ単体なら話はもっと簡単だけど。ううむ、難しいぞ、これは。




 「一回戻って船をかっぱらってくるしかないか」




  そう独り言を呟くと、彼は最後の空間転移を発動した。彼の目の前には、ひしゃげた金属製の扉。確かに、これでは人力で開かないだろう。




  彼はバイザーを被ると、扉の上部に鉾を突き立てた。二股の鉾は猛烈に回転し、金属を穿っていく。




 「お〜い、聞こえる?助けに来たよ」




 「…っ、かたじけない!」




  扉の向こうで声がした。良かった、間に合ったようだ。天使は一先ず胸を撫で下ろしつつ、扉を破壊した。金属板が倒れ、監視室の様子が明らかになる。上から崩落したのだろう、天井が崩れ、真上のフロアの天井が覗いている。火が煌々と燃え上がり、至る所で断ち切れた電線からスパークが散っていた。




 「…て、敵!?」




  中にいたレン人の男たちは、天使の姿を見るなり銃を構えた。その様子を見て、少年は吹き出した。




  訓練された無能力とは、この事だ。この状態で、敵が来たら銃を抜くなどという反復動作をやってのけられる単純さが妬ましい。きっと、物事を深く考えるタイプではないのだろう。




 「やあ、敵だけど。どうする?死にたいなら今ここで殺すけど」




  くすくすと笑った天使に、上官らしき男が頭を下げる。




 「馬鹿!銃を下ろせ!」




  上官―現司令官代理に叱責され、彼らは漸く状況を理解した。施設はまた大きく揺れた。この場にいる彼らは知らないことだが、岩山の一つが半壊したのである。




  時間が無いな、と内心で歯噛みしつつ、我妻天使は柔和な表情を浮かべた。




 「状況が悪いのは、理解してる?」




 「しているつもりだ。最早―我々は死人も同然。同盟側に受け入れられるのなら―そうしたい」




  少なくとも私は、と言いながら彼は周囲を見渡した。幸い、この空間には『公爵』に絶対的な忠誠を誓っている者はいないようであった。




 「いいカリスマしてる、妬まし。おっけー、じゃあ引率してあげよう」




  彼は魔術を行使する。淡い光の波として発振されたその魔術の目的は、レン人たちのボディチェック。本人たちにその気がなくとも、自爆テロをされる可能性を否定し切れないからである。幸い、彼らの中に不本意なインプラントを施された者はいなかった。




 「何故、我々を助けに…?」




 「気まぐれ〜」




  のほほんとそう答えつつ、彼は思索を巡らせた。人数はのべ二十人ほど。一度に運ぶには、それ相応の箱が必要になるだろう。ここまで、約六分。時間的な猶予は、一切ない。




  更に五分かけて、彼らは廊下を駆け抜ける。天使たちが度々利用していた六番シャッターには、他の兵士たちも集まっていた。




 「こ、ここからどうする!?」




 「ちょっと待ってて〜三十秒で戻るから。そそくさ」




  恐らく、揚陸艇は空になっているだろう。やはり、一度戻るに越したことはない。そう思い、彼は空間転移を行使する。




  しかし、魔術は発動しなかった。その原因<エラーコード>は、セーフティ。転移先を変えて、天使は何回か魔術を使用した。しかし、そのどれもが不発に終わる。




  彼の額に、冷や汗が流れた。約束の時間までは、まだ少しある筈だ。ならば何故、ガーイェグが動いている。




 「…それは、酷いな」




  一番付き合いの長い海咲ですら、出会って数時間の関係。もしかすれば―もしかする可能性もある。既に、目的は達しているのだ。それなら、撤退をしない理由は無い。




  基地内に轟音が響く。鳴り止まない砲撃の衝撃では無い。それは、作戦が次の段階へと移った合図だった。




  置いていくのは、ナシにしてほしいな。少年は、下唇を噛み締めた。

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