第11話 我妻総理の政治論
月の大都市『ン=グィ』。大型ショッピングモール、『アルタエゴ』横。石造りの薄暗い雑居ビル―六階。
「ばーーーか!獣風情がぁ!勝てるわけないんだよ竜種にぃぃ!」
黴臭い骨董品店の暗澹とした店内。モニターの青い光が、少年の顔を照らしている。大人気ダーク・ファンタジーアクションRPG『Dragon Saga VI』、最難関ボスの平均リトライ回数は三十二回。彼の場合は、これで二十二回目の挑戦となる。早めに店も閉め、腰を据えてプレイしたゲーム。遂に追い詰めた宿敵、勝ちを確信した彼は、勝鬨とともにR2ボタンを押し込んだ。
その刹那、爆音。
「…ふぁ!?」
慌てて振り返った彼は、数秒思考を停止させた。彼が目にしたのは、長い髪の人影が、店舗間を隔てる石壁を破って棚に直撃していく様。隣のテナント<雑貨屋>からダイナミックにカチコミをかけてきたその人物は、がらがらと音を立てて崩れた陳列棚に飲み込まれた。遅れて、商品の食器類が一斉に、耳障りな破壊音を奏でた。
「…あ」
一人の経営者として。弁償、保険、その他諸々のことを考えるべきであるが―其の様な些事、今の少年にとっては人影の安否含めてどうでもよいことだった。大切なことは、ただ一つ。
あの近くには―あったはずなのだ。そう、プレステとモニタに繋がる変換器付き延長コード、それが刺さったコンセントが。
恐る恐る振り返る。最悪なことに、モニタがブルーライトを発することはなかった。もちろん、プレステの電源ライトも、である。約束された勝利はなく、敗北すら許されない。ここまでの進捗は全て、電子の海―泡沫の夢と消えた。
「いてて、あの変態トカゲやろ〜」
少年を他所に。海咲は体を起こすと、服についた埃を払った。咄嗟に防御魔術を使わなければ即死であった。恐るべき膂力である。体躯こそ人間とさほど解離しないが、誇張なしに馬力は桁違い。
掟破りの<女の子への>腹パンも辞さない連中だ。人の倫理は通じない。無辜の民ごと消し飛ばすか―否、繋がりが出来てしまった以上、レン人は傷つけたくない。なるべく、余計な犠牲を出さないためには、苦手な近接戦をしなければならないな。ここから先は、ヒーローの辛いところである。
「さてと、ぼちぼち反撃と行こ―お?」
視界が『何か』で埋め尽くされた。それがスリッパの裏だと気がついた時には、既に履物が振り下ろされたあとであった。まるで害虫のように叩き潰された海咲の顔を、間髪入れず何者かが強く踏みつけた。
「沈み<殺され>に来たの?人間<ヒューマン>」
空間転移だ。この前触れのなさを、彼女は知っていた。慣性を無視した、指定座標とのエーテル置換。大魔術に数えられる、神秘である。
そんな秘術を操る相手に、海咲はスリッパを叩きつけられ、顔面を無闇に圧迫されていた。
「んむっ…」
辛うじて見えるスリッパの向こう側。中性的な風貌の人物が、こちらを覗き込んでいる。オーバーサイズのTシャツには、『働かざるものTo be colors』と記されていた。ナイスセンテンスだ。彼女―あるいは彼―は、どちらかと言えばアジア人系の顔立ち・肌色であり、レン人ではないようであった。そして兎にも角にも、めちゃくちゃに怒っていた。そう、めちゃくちゃに。
「…ごめんなさぁい…」
絞り出すようにそう零すと、彼女(?)は足を退けた。この店の店主だろうか。黴臭い古物商のようだが、扱っているもののセンスは良さそうだ。顔の横で割れていた鯨の形のグラスを見て、海咲はそう思った。
「…ごめんなさい、思い切り殴り飛ばされて…」
少年の背後、崩れた石壁から現れたトカゲ人間の一団を、海咲は亀裂の入ったネイルで指し示した。
「あいつらなんですけど」
青筋の浮いた顔に精一杯の営業スマイルを貼り付けて。彼は背後を振り返った。
「いらっしゃいませ、クソレプテリアン。営業時間はとうの昔に過ぎておりますので、明日また御足労願えます?」
「…おっとぉ。貴方―月面戦争でお会いしました?」
一歩。足を進めた近衛騎士団長に、少年は舌打ちする。
「妬ましい、ご機嫌な記憶力をしてますね。知りませんよ、お客様みたいなトカゲ野郎は。僕、動物園にもペットショップにも行かないし」
団長の合図で、トカゲ人間の一人が音もなく消える。海咲は咄嗟に、熱源探知魔術を発動した。その位置は、天井。店主の真上である。
「あぶな―っ」
鮮血が迸る。
翻った白刃は―一瞬のうちに、兵士の体を細切れにした。何らかの魔槍の類いだろう、螺旋状に渦を巻いた二又の鉾。その切っ先に撫でられた刹那、近衛兵の体は文字通り『ミキサー』に掛けられたように、粉々になった。
「汚い足で人の家に踏み入るな。君たちの教義には、最低限の礼儀もないのか?祀られる神の器が知れるな」
近衛兵たちは、横に広く布陣した。リーダーを中心とした、鶴翼の構えである。
「いやはや、敬意や阿りが必要ですか?異教徒の雌に」
「雄だが?」
すかさず、少年が言い返した。
男の子。どうやら、彼は男の娘のようだ。間違えるのも無理はない、だって顔が可愛いもの。私には劣るだろうけど。
ボブカットにまとめられた青灰色の髪に、ちらりと見える青いインナーカラー。睫毛の長い目元には、金色の瞳が怒りに歪められている。メイクは少しサブカルチック。『男がメイクをするな』だなんて、旧時代の考え方である。男の子だって可愛くていいのだ、そういう時代なのだと私は思う。
しかし、当世の価値観など持ち合わせていない爬虫類たちは、見たままの型に彼を押し込んで話を進めた。
「雌でしょう?その弱々しく華奢な体躯から察するに」
「雄だが??ち〇ちん見せようか??ほら」
型の大きなシャツを捲りあげた彼は、そのままボクサーパンツに手をかけた。後ろからではよく分からないが、どうにも彼は馬鹿なことをしているらしい。時の総理大臣でもしなかったのにな、陰茎開示。折角の機会だし、私も見に行くとしよう。
「わあ、○んぽ法案良かったです」
思ったより小さかった。大きさは三センチくらいだろうか。グロテスクな男性器しか見たトキなかったので、これは新鮮だ。小指の先みたいで可愛いと思う。
因みに、態々陰茎<事実>確認の為に立ち上がった私を、彼は怪訝な瞳で睨んでいた。
「ふっ…」
蜥蜴人たちは、各々乾いた鼻息を漏らした。もう少しこう、手心というか。自分たちは二本もあるだろうしな。爬虫類だし。
「…め」
キュートなおちん〇んをしまうと、彼は鉾を強く握った。
「沈めーっ!!」
海咲は自分で見せておいてそれはないよな、と思った。変質者よりタチが悪いと思う。自爆具合と通り魔具合で言えば、口裂け女よりタチが悪いかもしれない。
あとちん〇ん出した手で、その由緒正しそうな鉾を掴むのは大丈夫なのだろうか。どこかの国と国際問題にならない事を切に願う。
目に見えて大雑把に―海咲のような素人でも分かる太刀筋で振るわれた鉾は、容易く受け止められた。爬虫人類の屈強な膂力の前では、少年の力など微風にも等しい。
こんなんじゃ、蚊も潰せない―。
「…え」
―はずなのだが。合金製のスピアでそれを受け止めた近衛兵は、スピア諸共一瞬にして叩き潰された。受け止められた瞬間、鉾は確かに静止した。運動エネルギーは確実にゼロになっていただろう。しかし、静止した直後に鉾は急加速し、尋常でない力のモーメントを蜥蜴人間に叩きつけたように見えた。
素人のような素振りから一転、卓越した槍捌きを見せて、少年は鉾を構え直した。恐らくは油断を誘ったのだろう―否、単に怒りに任せただけかもしれない。
「ねー、君」
少年に声をかけられ、海咲は猫のように背筋を伸ばした。
「はい」
「逃げよ。そそくさ」
言うが早いか、彼は海咲の手を取った。そして即座に空間転移を発動する。転移先は、店の外。
自転する惑星上における遠心力の影響を加味せずとも。詠唱と目視での座標確認を伴わない空間転移魔術では、どれほど抜きんでた天才術士でも五十メートル前後の移動が限界である。海咲たちは、丁度骨董品店の窓から見える、屋上に転移した。
「―ありがと」
一秒前まで海咲達がいた場所に向けて、建物に横付けされたガンシップ<軍用ヘリ>から対人ミサイルが撃ち込まれる。八つの花弁のように開いた射出口から、これでもかと飽和射撃が行われていた。
彼のお陰で助かった、と海咲は胸を撫で下ろした。ただしそれはそれとして、パンツ下ろした手で気安く触らないで欲しい。顔が中性的だから許すけど。
「妬まし。大人気だね、君。何やらかしたワケ?幽閉機関敵に回しても、良いことないよー」
破壊されていく自身の店を前にして、不機嫌そうに遺憾の意を示しながら、彼はガンシップを指さした。少年の言う通り、ガンシップには四角形四つから成る幽閉機関のロゴがペイントされていた。
「じゃ、面倒事は御免だから。そそくさー」
そう言い残して足早に立ち去ろうとした少年の手を、少女は半ば反射的に掴む。
「うぇー、なぁに?恋人は募集してないケド」
顔を顰めた彼に、海咲は微笑んだ。
私が彼のばっちぃ手を掴んだ理由は、二つある。一つは、空間転移による逃走を妨害するため。もう一つは。
「逃亡中の『両名』に告ぐ。こちらは、幽閉機関月面支部」
青白いスポットライトが、二人を照らす。彼女たちは、完全に包囲されていた。真っ暗闇にありありと映し出された二人の姿は、まるで劇場の演目のよう。彼女たちを包み込んだのは、眩い光。月世界の中心を描き出すような―コントラスト。それは誰がどう見ても、共犯者たちのボーイ・ミーツ・ガール。
少年からすれば、冗談のような状況である。
「君、やっていいことと悪いことがあるでしょーっ!?」
「仕方ないじゃん!一人で心細かったんだもん!」
「貴方『方』は、現在指名手配されています。直ちに武装を放棄し、速やかに投降してください」
幽閉機関の球体型ドローン『バトル・ポッド』による牽制射撃と同時に、二人は走り出した。彼女達の後ろを、複数のポッドが追跡する。
「あ、私花崎海咲。海咲でいいよ」
呑気に自己紹介をした海咲に、少年は露骨に顔を顰めた。
「名乗りたくないよーだ。君、僕の名前で犯行声明出しそうだもん」
「思考盗聴された。アルミホイル巻かなきゃ」
海咲はちろりと舌を出した。
「うわーん!疫病神に取り憑かれた〜!」
少年は空間転移を使うと、その場から姿を晦ました。勿論、疫病神<みさき>ごとである。
「甘いぜ、メイプル」
「ふぁっ?!何で着いてこれる〜!?」
海咲は空間転移を扱う同僚との『鬼ごっこ』用に、ある術式を用意していた。それは、魔術糸の付着した対象の空間転移術式に割り込み、タダ乗りする魔術であった。
「有り得ないんだけど〜!?」
不発なら兎も角、利用されるなど。
彼の嘆きも尤もである。使い勝手の良さそうに見える空間転移は、その実制限の多いピーキー魔術として知られている。自身と転移先の霊子を置換することで処理されるそれは、置換先空間が液相或いは固相で満たされている場合、術者の身を守るためExit処理<強制終了>される。自身の体だけに絞って転移させることでさえ、置換先の制約が多く、不発に終わることもしばしばある。だからこそ、非常にローリスク、物理的接触を除き外敵に干渉・利用されにくい魔術である。街中で使用すれば、大抵の場合外敵の『座席』が用意されないからだ。
しかしこの粗暴で品性の欠けらも無い魔術師崩れ<花崎海咲>は、その課題を乱暴な方法でクリアしていた。
再びの空間転移。転移先は、人一人しか入り切らない細い道の間。座標位置の絞り込みを手早く上手くかけなければ、壁の中に転移する羽目になってしまう。前述したセーフティにより術式が不発に終わる可能性の高いその転移を、少年は難なくやってのけた。
「これならどうだ!ばーーーか!………は?」
真横で何かが崩れる音。少年は理解した。彼女の横入り術式は、空間転移魔術による座標指定が行われた瞬間、対象座標の真横を爆撃し、空間を強引にこじ開けるものだ。品性も何もあったものではない。あまりの外法具合に、少年は目眩を覚えた。
「逃がさないぞ☆」
「やぁだ〜!だ〜れ〜か〜た〜す〜け〜て〜!」
情けない声を上げながら、少年は路地裏を走っていく。その背後を追いかけつつ、海咲はバトル・ポッドを撃ち落とした。
その瞬間、ガンシップのスポットライトが二人を照らす。ドローンを撃墜したことで、探知に引っかかったのだ。海咲はくすりと笑って、ポーズをとった。
「忍法、居場所開示の術」
「忍べや!」
馬鹿なの、と少年は喚いた。その様子を見て、海咲は嬉しそうに笑った。彼女の『からかいスイッチ』が入った瞬間である。
「いい事思いついた。注目」
「なんだよ〜!」
嫌々ながら、少年は振り返った。その瞳の先に映るのは、魔術により小さくなったバトル・ポッドの群れ。
「かなぶん」
コインサイズのドローンに魔術糸を付けて遊んでいた海咲の顔面に、少年は反射的に拳を炸裂させた。
「沈め<死ね>!沈ん<死ん>じゃえ!」
「いたーい!傷物にされた!責任取ってよね!」
ガンシップの機銃が火を吹いた。海咲は熱を帯びた盾を形作ると、銃弾を退けてみせる。白熱したエーテル塊に激突した銃弾は、熱組成変形により潰れて地面に落ちていく。
「やだよ〜だ!どう考えても負債じゃん、君〜!」
「え、そんな僕と君は夫妻だなんて」
突然のプロポーズに、照れて見せた海咲。その人を食ったような様子を見て、少年は歯軋りした。
「言ってないが〜!」
怒りの声と共に、鉾がガンシップのコクピット目掛けて放り投げられる。ガラスの割れる音と共に、兵士の身体に鉾が突き立った。きりもみ回転したのち、ガンシップは地面に打ち付けられ爆散する。
「イッてない…不感症?」
「やかましわ!」
追い立てられるまま闇雲に走っていた二人は、徐々にドームの外れ、治安の悪く整備がされていないエリアへと向かっていく。
月の技術力は、空間転移にまで対応しきれないらしい。区画を三つほど飛ばすと、やがて追っ手の姿は見えなくなった。
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