第40話 月の狂気
月面都市『ウボス』の宇宙港。本来は密航者を拘留するために用意されたアクリル製の檻の中に、同盟の戦士たちが詰め込まれていた。その中には、ヒライの姿もある。
フレドリッヒ基地の戦いは、一方的であった。初めは、採氷用の坑道に隕石が落ちたのだと思われていた。それが艦砲射撃であると気がついた時には、兵士の侵入を許していた。公爵一派には、知られていない筈の基地である。誰かが情報を流したことは、明白だった。基地には最低限の警備しか残されておらず、幽閉機関の戦力の前に蹂躙された。非戦闘員は残さず捕らえられ、ムーン・ビーストの持つ宙駆ける巨大なガレオン船―通称『奴隷船』に連れ去られた。その後、連絡を受けたヒライたちが到着したのだが、彼らは『何故か彼らの動きを把握していた』幽閉機関の対地攻撃艦の襲撃を受け、何一つとして反撃できぬまま壊滅した。元々ゲリラ戦法を得意としていた集団である。つまり正面から戦艦と向き合うには、余りにも無力。結局彼らは降伏し、ウボスに捕らえられていた。
拘束された彼らの前に運び込まれたのは、一台の立体モニタ。野球のホームベースに酷似したそれは、起動と同時に『公爵』の姿を描き出した。虚空に投影された公爵は、その醜悪な肉体を晒すと、尊大な態度で礼をした。
「お久しぶりです。レン民族解放同盟司令、ヒライ殿」
「公爵か…っ」
くつくつ、と公爵は笑った。下品な装飾品に身を包んだ彼は、懐から何かを取り出した。
ヒライは、それに見覚えがあった。幽閉機関に潜り込ませていた、若い男の頭である。
「あんなところにまで、基地を設けていたとは。驚かされてばかりですよ、皆さんの生命力には」
「貴様…っ!民は無事だろうな!」
激昂したヒライに、公爵は困惑した様子であった。彼には理解が出来なかったのだ。何故、自分がレン人の安全を保証すると思ったのだろう、と。
「いえ?半分は食品加工施設に送りましたが。戸籍にも登録されていませんでしたから。全く、管理しないと直ぐに穴を掘って増える。まるでレヴォールのようです」
「外道め…!貴様らの品性はレヴォールにも劣る…っ」
ヒライの怒りを、公爵は笑って流した。まるで自分たちが、毎朝のパンに慈しみを感じているかのような物言いであったからだ。
「それは文化の違いですよ、ヒライ殿。我々とて、食なくして生はない。ああ、貴方がたよりも更に下等な生物を食せばよい、などという議論に付き合う気はありませんよ。知覚種族だろうが、そうでなかろうが―食料として貴賎はありませんから」
それよりも、と彼は言葉を続けた。
「私は貴方と話に来たのではありません。最早舌戦に意味がないことは、聡明な貴方ならご承知のはずだ」
「では、何を…」
「お別れを、言いに来たのです。貴方には、いい加減飽き飽きしました。自らの異常性を自覚せず、周囲の人間まで『イデア』から遠ざけようとする醜悪な精神。捕らえて観察しようなどと、過去の浅慮を悔いるばかりです」
彼は、レン人の兵士に指示を出した。兵士は敬礼をすると、緊張したぎこちない回れ右をして去っていく。彼は壁に埋め込まれた端末を操作すると、再び敬礼をした。
もうもうと、アクリルで区切られた部屋の中に煙が充満する。咄嗟に息を止めたヒライの部下たちであったが、ガスは目や耳の粘膜から侵入し、彼らの痛覚に訴えかけた。苦痛のあまりのたうち回る者、汁という汁を顔から垂れ流しながら苦しむ者。その姿を見て、公爵は微笑んだ。
「だから、ここで処分させていただきます。腐った月桃<タオ>は、レンの民のためになりませんからね」
「…ふっ、はははは!これで終わったと思うなよ。私の意志を継ぐ者は、再び現れ…」
ガスに負けじと吠えたヒライは、途中で言葉を止めた。彼らの前に、一人の男が現れた。その男は、不気味なマスクで顔半分を覆っており、人工声帯のずるずるとした不愉快な声で『唯一の肉親』に語りかけた。
「…現れんよ。二度とな」
その男は、フライ。ヒライの実の弟にして、幽閉機関に潜り込んでいるスパイ―のはずだった。彼は、二重スパイ。彼の主は公爵であり、所属は嘘偽りなく―幽閉機関である。
「フライさん。フレドリッヒ基地の情報提供、ありがとうございます。そして、長きに渡る任務、ご苦労様でした」
公爵にそう労われると、フライは跪いた。その姿を見て、同盟の戦士たちも察することとなった。自分たちを助けるための演技ではない。正真正銘、彼は『敵』なのだ、と。
「身に余る光栄です、公爵陛下」
「何か褒美を取らせましょうか」
「十分です。この男の死を見届けられれば」
冷ややかな目で、彼はそう告げた。そうですか、と返事をすると、公爵は何かを見上げた。高揚感が抑えきれないという風に、彼は嬉々として言った。
「…それでは、私は別の仕事がありますので。フライさん、兄君を看取りましたら、残存兵力の掃討をお願いします。クレマトリオムを襲撃した者たちが、まだ生きているそうですから」
「御意」
「…おのれ、月の狂気に取り憑かれたか!」
咳き込みながらも、ヒライは吠えた。その哀れな様子を嘲笑いながら、公爵の姿が薄くなっていく。端末の消灯と共に、公爵は姿を消した。その場に残ったのは、数人の兵士とフライだけである。
「兄上。それは、お前とて同じことだ」
「げほっ…何を…っ」
まるで縋るように―アクリルの檻に手を付いたヒライ。ガスに冒されながらも気丈に振る舞う彼の顔に、フライは拳を叩き付けた。彼らの間を隔てる透明の板が、大きく揺れる。
「また、悪戯に兵士を死なせたな」
ヒライは知る由もない。先の戦い、幽閉機関の対地攻撃艦『ゼフィランサス』にて、指揮を執っていたのは、フライであった。兄の無謀な特攻作戦により、自らの手で同胞を虫けらのように屠らねばならなかった彼の悲憤は、想像を絶するものであった。
それ故に。彼は、決意を固めたのだ。兄―ヒライを裁き、自らの手でこの戦いを終わらせる、決意を。
「ヒライ・カナフ。革命義勇軍の亡霊め、お前のせいで何人死んだ?これ以上、同胞の血を流させてなるものか」
啜るような音で、彼はそう口にした。彼らが戦いに身を投じたのは、第二次月面戦争。彼らの故郷<サルコマンド>が崩壊するきっかけとなった、ムーン・ビーストによる侵略戦争―それを遥かに超える規模で行われた『大戦』である。革命の大義のもと幾つものドームが崩壊し、何百万人ものレン人の命が失われたその戦争の果て、彼ら兄弟は妹を失った。それからである。ヒライが、勝ち目のない戦いに妄執するようになったのは。
「何度も言わせるな。私はただ手向けたいのだ、死んだ者たちに―勝利と未来を」
ヒライの言葉を、フライは一蹴した。
「本当のことを言ったらどうだ、兄上。ミライを失い、後に引けなくなったのだろう?お前がしていたことは、復讐だ。ミライは死んだ。同胞<レンの民>を何人犠牲にしようとも、彼女は戻らないのだ、兄上。それとも。我々兄弟の戦いに他人を巻き込むことを、彼女が望んだとでも?」
いつも冷静沈着であった、参謀にして実弟。その彼が、感情を剥き出しにしている。それは、ヒライの心を少しだけ落ち着かせた。彼は小さく息を吐くと、ガスに負けて咳き込んだ。
「ごほっ…そうだな、認めよう。これは、復讐だ。しかし、ミライのためではない。彼女が愛し、そして彼女の死と共に失われた―同胞たちの『未来<明日>』の弔いだ」
「…幾ら『明日』を望んでも。朝日を迎える者が居なくなれば、彼女の理想は無に帰してしまう。それが何故分からない、兄上」
フライは、顔を上げた。兄の瞳を見つめ、そして彼は踵を返した。牢の中で動いていたのは、ヒライだけだ。そして彼も―今倒れ伏した。
「これで俺たちの『革命』は終わりだ。もうこれ以上、俺に同胞を撃たせないでくれ」
軍靴の音を響かせながら、彼は部屋を後にした。ぎくしゃくと冷や汗を浮かべながら端末を操作していた男は、フライが退出すると同時に、ガスを止めた。そして、懐の電話を取り出すと、恐る恐るボタンを押下する。
「へ、兵站部より業務連絡です。第二留置場オキシゲン・タンクの容量が空になりました。『タンク』の交換をお願いします」
数分を待たずして。空の台車を引いた、兵士たちが現れる。彼らは『積荷』を台車に乗せると、シートを掛けて運び去ってしまった。
牢の中には、誰もいなくなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます