第8話 『レン民族解放同盟』
そこから先は瞬く間に事が運んだ。海咲は男性たち―『レン民族解放同盟』の同志たちを解放すると、カメラの異変を察知し集まった体制側の兵士たちを返り討ちにした。同盟の戦士たちは同じレン民族の兵士から武器を奪うと、海咲を旗印に兵士の詰所を襲撃した。その道すがら、海咲は解放同盟から施設に関する情報と、月の情勢について聞き出すことに成功した。
この施設は、『公爵』という名の月の怪物<ナメクジ>―種族名は一般に『月棲獣』『ムーン・ビースト』などと呼ばれている―が支配している。彼は奴隷商人たちを束ねており、恐らくリウたち一派もその配下であった。銀河中から生物を掻き集めるその目的は、非道な人体実験であるらしい。レン民族解放同盟は、同胞が変態趣味<サディスト>の享楽に付き合わされていることを知り、救出のためこの城に攻撃を仕掛けたようだ。しかし、志半ばで裏切りにあい、大規模作戦を目前にして将軍『ヒライ』が捕らえられてしまった。
それにしても、と渡里は呟いた。
「海咲、月の事情に詳しいんだね」
素人目からしても、見事な交渉だったと思う。彼女が説き伏せたのは司令官である初老の男性ではなく、周りの若い兵士たち。彼らを乗せてさえしまえば、上官と言えど首を縦に振らざるを得ない。そこで逃げようものなら、士気どころか信用に関わるだろう。
「彼らの―レン人の皆さんの機密情報まで知ってるなんて」
それも、入国管理局からの情報なのだろうか。やはり、公務員というのは優秀だ。親から言われ過ぎてうんざりしていたが、私も公務員になろうかな―と渡里は思った。しかし、そんな彼女を裏切るように。
「知らないよ?」
飄々と。海咲は意地悪く笑って舌を出した。
「全部でまかせ。運良く当たっててラッキー」
「…は?」
渡里は唖然とした。もう何も分からない。サイコにも程がある。期待して損した。
「…嘘だよね?」
「お、敵さん三名様ご案内。鉛玉はお吸いになられますか〜?」
真相をはぐらかし、渡里の前にハニカム構造の盾型防御魔術を展開する。海咲は遭遇した兵士に火属性の弾丸をくれてやると、煙に巻くようにずんずんと進んでいってしまう。
彼女たちは次々に虜囚を解放していった。途中幾度となく遭遇戦が起こったが、暴れ狂う囚人たちを抑えるには、施設に常駐していた兵士は少なすぎた。
海咲が駆けずり回って始末した人数、怪我人も含めて十三人。その人数は、この区画の警備担当の四割にあたる。
「司令官、下の区画には誰が住んでるか知ってます?」
「…恐らく、同胞たちだ」
ヒライは重々しい口調で、そう述べた。この施設には、同盟の戦士以外にも多くのレン人が収容されている。彼らは公爵によって拉致された者たちで、男女問わず『食用』あるいは『研究用』に飼育されている。解放同盟は過去に、この施設から公爵の庭たるクレーター『モスクワの海』への輸送列車を襲撃したという。その際、意識あるまま食用肉に加工された同胞を目の当たりにしたらしい。彼らレン民族解放同盟は、公爵による残虐行為から同胞を解放するべく、義憤に燃えていた。
「他に、人型以外の生物も収容されているようだ。恐ろしいガグもいる、という報告も受けている」
聞き慣れない単語を、渡里は反芻した。口ぶりからして、猛獣の類いだろうか。視線を感じて、海咲は渡里に『ガグ』について教えてやる。
「四本腕の怪物。熊とゴリラを足して二で割って、縦に割れた口をつければ出来上がり。おっかないよ」
要するに。筋骨隆々の四本腕の体に、ぱっくり縦に裂けた口。なるほど、それは恐ろしい怪物に違いない。
頷く渡里を他所に、海咲はヒライに問い掛けた。
「『レヴォール』は?」
海咲の問に、彼は溜息で返した。
「やめろ。『忌み名』を容易に口にするな。月の飲み屋でその名前を出してみろ、店から叩き出されるぞ」
悪い『人』たちじゃないんだけどな、と口を尖らせた海咲に、ヒライは顔を顰めた。
「レヴォール共を『人』呼ばわりとはな。地球人の感性は理解出来ん。最下層に何匹もいるがな、とてもおぞましくて思い出したくもない」
「へえ、いるなら協力を―」
「こちらから願い下げだ。野蛮な甲殻類と手を組むつもりはない」
取り付く島もない様子に、海咲は唸った。その横で、渡里は似たような扱いを受ける地球の生物を一種類、思い出した。
ゴキブリ。宇宙にも、『奴ら』のような種族がいるのだろうか。それなら、叩き出されても仕方がない。口では幾らでも綺麗事を並べられるが、正直私はゴキブリを同じ地球の仲間とは思えない。
渡里の表情を察してか、海咲は『差別主義者め』とでも言いたげに口を窄ませた。
「私の知ってるレヴォールの女王ボ=ド様は、そんな野蛮な…」
振る舞いはしない、と言いかけた海咲に、ヒライは首を振った。勘弁してくれ、ということらしい。
「そうですかそうですか、ふーんだ。レン民族解放同盟は、レン民族を解放するんですもんね」
蜘蛛とか蛇とか蠍とか、海咲は好事家向きの所謂『蛇蝎』を好む傾向にありそうだ。それ故に、その『レヴォール』なる種族にも偏見がないのだろう。渡里はそう思った。
「ところで、『レン民族解放同盟』って正式名称なんです?皆さんって自分らのこと何で呼ばれてるんですか?」
レン民族を解放<フリーに>するのだから。『葬送の』って言わないかな。海咲は密かにそう期待していた。
「『ズィアーリ』。我々の言葉で巡礼者を意味している。いずれは―今は亡き我らの国、遥かレン高原の王国に帰還し、我らの聖地を巡礼したい。そう願った連中と―私のような革命軍の敗残兵、その寄合だ」
「『フリーレン』、ね」
「誰も言ってないよ、そんなこと」
花崎海咲劇場を軽く流すと、渡里はヒライに尋ねた。
「ヒライさん、あとどれ位で脱出できますか?」
「ここを抜ければ最後の区画だ。増援が来る前にカタを付けよう」
隣を走る老人に向け、海咲は強く頷いた。
「前衛より伝令!」
少し先、吹き抜けのある小広場で、レン人の若者が声を張り上げていた。前衛より伝令、意図せず踏んだ韻は心地が良い。そんなことをぼんやりと考えていた海咲であった。しかし、彼女は突然、顔色を変える。
若者に向け、銃を構える。そのまま、迷いなく射撃した。ヒライと渡里は、咄嗟のことに反応できなかった。二人が海咲の考えを理解できたのは、その一秒後。
若者の顔の真横で、魔術弾が炸裂する。スパークと共に、何かが吹き飛ばされた。戦士たちの間にどさりと落ちたのは、透明な『何か』。
「司令、道を変えてください。―あと二人いる」
目を白黒させていた若者の首が、静かに落ちる。三人の五メートル先は、一瞬にして血の海になった。戦士たちの体は、見えない何かに切り刻まれていく。錯乱して銃声をぶちまけた戦士は、誤って味方を撃ち殺してしまった。それを嘲笑うようにして、翼を持つ『それ』は戦士の体を宙に持ち上げる。天井へと姿を消した男性は、悲鳴と共に落下し、床と溶け合った。
「渡里くん、こちらに。海咲くん、頼めるか?一階の車庫で落ち合おう」
「ぶい」
軽快にブイサインを出すと、少女は振り返った。ターゲット、ロック。生存者はゼロ、ならば火葬も兼ねて盛大に。彼女はノータイムでロケット・ランチャー『パンツァーファウスト』を後ろ手に構えると、そのまま前方へ向けて射出する。
しかし。爆風は途中で阻まれた。襲撃者の輪郭が、煤に塗れてぼんやりと浮かび上がる。前方には、鋭利な刃物<つめ>で武装した、亀のような甲羅を持つ人型の生命体。その奥には、翼竜のような翼を持つ個体が天井に張り付いている。そして、海咲が最初に吹き飛ばした敵は、マムシとコブラを掛け合わせたような首が付いていた。
「あの孤独なsilhouetteは…?」
ネットミームをお見舞いされると、蛇頭の生物は大きく仰け反った。そして弓のようにしなって毒液を噴射した。彼女はそれを、魔術の盾によって防いでみせる。お返しとばかりに打ち出した魔術弾は、甲羅によって阻まれたようだ。
「蛇に亀に翼竜に…なんだろ。玄武と吉弔…は羽がないもんな」
伝承上の生物―ではない。神秘性の欠片もなく、魔力も感知できない。どちらかと言えば、科学的な産物だろう。
地上で見たあの怪物。あれは、月から来たものだと聞かされていた。彼らは、その仲間なのだろうか。
海咲は、前方に高射砲の砲身を出現させる。魔術的に造形されたのは、高射砲『8.8cm Flak37』。『アハト・アハト』の愛称で知られるそれは、水平方向に用いれば対戦車砲としても、その貫通力を遺憾無く発揮することで知られていた。
アハト・アハトに弾丸が装填される。海咲はエーテルに質量を付与し、轟音と共に弾丸を撃ち出した。模倣とは言え、西側諸国の重装甲戦車を悉く葬り去ってきた砲撃。最初のロケットランチャーで罅の入っていた甲羅の守りごと、人型の爬虫類は上半身を吹き飛ばされた。
仲間がやられるや否や、甲高い鳴き声とともに残り二人が飛び出してくる。しかし爆風と共に巻き上げられた血飛沫に、彼我の視線は覆われた。おまけとばかりに、煙幕を撒いた海咲。
「よく見えるよ、お二人さん」
二人の姿は、完全に煙の中へと消えたにも関わらず。海咲は熱感知魔術によって位置を把握し、先手を打つことに成功した。
「ピット器官は、蛇だけの専売特許じゃないんでね」
突然目の前を覆ったスモークに動揺した、二人の敵。その二つの頭に、それぞれネイルの手入れされた五指が添えられる。
「ヒートエンド…ってね!」
そして、ゼロ距離から熱線を叩き込んだ。海咲自身の腕も壊れかねない、高出力の一撃。それは完璧に、刺客たちの脳髄を頭蓋骨ごと蒸発させた。
床に落ちた死体は、ゆっくりと色を取り戻していった。形そのものは、人間に近い。しかし、全身に鱗が生え、指の本数も異なっていた。
「―やっぱり」
死体の首元には、文字が刻まれていた。イリスのホストクラブにいた怪物も、ここで生産されていたのだろう。
海咲にとって見慣れない言語であるが、ヒンドゥー語やアラビア語に近い文体であることは、彼女にも理解できた。 レン民族の故郷であるレン高原は、幻夢境に流れ着く前はモンゴルから中央アジア諸国にかけて存在していたとされている。これは恐らく彼らの文字なのだろう、と少女は予想した。
海咲は思索を巡らせてみる。『公爵』とやらは何を作ろうとしているのか。宇宙において『ヘビ人間』はメジャーな存在だ。態々、金を掛けて劣化版を作る意味は無い。彼らが求めるものは何だろう。
『月に行く前に渡里を殺せ』。上司に言われたことを思い出す。彼は何を恐れていたのだろう。渡里に何の利用価値があるのだろうか。人攫いが私に殺される覚悟をしてまで、渡里を奪おうとしたのは何故だ。月の化け物たちは何故、渡里を求めているのだろう。
それ以前にも、不自然な点がある。私を撃墜した連中は、何故私を回収したのだろう。それに、ここの連中は何故―捕らえた私を殺さなかった?
思索を巡らせる海咲の思考回路は、半ば強引に点同士を繋ぎ合わせていく。何枚もの有り得そうな図版を描いたのち、彼女はそれらしき仮説へと辿り着く。
しかし、彼女は自ら立てた推論を嘲笑った。
「…陰謀論だな」
実際はまだ、点の状態だ。闇雲に繋いだところで仕方がない。しかし、この仮説は必ずしも外れてないと思う。もし、渡里が私と同じ『器』たりえるとしたなら。『スペア<わたし>』を殺さなかったことにも、説明がつく。繋いで出来たのは星座のようなこじつけだが、こういう悪い勘は大抵の場合当たるのだ。
「渡里…っ」
刺客は放たれている。渡里の元に戻らなければ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます