第7話 地雷女<ファム・ファタール>
問題は、如何にして宇宙船を手に入れるか、である。海咲は以前にも月を訪れていたが、その時はドライバー同伴だった。
「どーしよ、人攫いでも攫うか?」
都合よく、適当な人攫い<タクシードライバー>でもいてくれればいいが。ミイラ取りもミイラになるのが昨今のトレンドだ。なるほど、人攫いが攫われるのも自然の事だ。ボールに入れて連れ去るなりしたら、あとは脅して歩道でも何でも走らせて、幻夢境に戻ればよいだろう。
「いたぞーっ!」
「いたぞーっ」
背後から聞こえた声。山彦のようにそう言い返すと、海咲は声の方へと振り返る。数は二人。うち一方が発砲すると同時に、海咲は手にした拳銃―ワルサーで迎撃した。その時、敵の放った弾丸が、かつんと音を立てて跳弾する。咄嗟に渡里を庇い、海咲の頬を赤い血が伝った。
「ひ、ひぃ…!」
腰の引けた人間を守るのが、これほど難儀するとは思わなかった。細心の注意を払いつつ、彼女は追っ手を片付けていく。
「ほら!走る走る!いちに!いちに!美容の基本は一日十五分以上の有酸素運動だよ!」
あんよが上手、とばかりに渡里は追い立てられる。平常時ならいざ知れず、このような緊急事態にまで適当な言説を垂れ流されると、少し腹が立ってきた。
「ど、どこかに隠れるとか…っ!」
「隠れても無駄!走らざる者食うべからず!」
「ダイエットの話は…ぜぇ、聞いてない、ての…っ!」
二十分ほど闇雲に走り続けて、渡里は息を切らしてしまった。降りてきた隔壁をどうにか潜り抜け、彼女は倒れ込む。
「なにを、目指して…!こんな、無駄な体力…」
「何ってそりゃあ…完璧なスタイルだが…」
パーフェクトボディでごめん、と海咲はくびれたウエストを自慢した。確かに、体のラインが浮き出る卑猥な服を着こなす程度には、彼女はスタイルが良い。二重の意味で腹が立ったので、渡里は思わず舌打ちで返してしまった。そんな彼女に対して、海咲は周囲の風景を指し示す。
「着いたよ」
気がつけば、そこは宇宙船の発着場。彼女たちが収容されていた建築物の、ヘリポートに相当する。そこには、円盤状の宇宙船―攻撃機が、整然と並べられていた。幾つかは整備中のようだが、目の前にある一つは発進の準備ができているように見えた。エンジンは焚かれており、駆動音が響いている。発着場のハッチは開け放たれていて、物理的なゲートの代わりに気圧用の霊子シールドが展開されていた。海咲であれば、パイロット含めて容易く制圧して、逃げ出すことができるだろう。渡里はその様子を見て、目を輝かせた。
「う、宇宙船…!これで…」
地球に、帰れる。溢れる思いで、渡里は頭がいっぱいになった。随分と、遠くに来てしまった。まずは、地球に―それから、家に帰りたい。こんな薄っぺらい布一枚じゃなくて、私の匂いがする寝間着を纏って、慣れ親しんだベッドで眠るのだ。これは、全部悪い夢なのだ。目が覚めるまで、あと少し。これに、乗り込みさえすれば―。
「いけよやーっっ!」
その一隻が、急加速して飛び出していく。機体には、いつの間にか翼のような部品が付いていた。それが海咲の魔術によるものだと気がついた頃には、船は外へ飛び出していた。
「なんでぇーっ!?」
流星の如く真っ直ぐに駆け抜けて行った宇宙船。それは数秒もしないうちに炎に包まれた。地上からの対空砲火により、蜂の巣にされたのだ。
呆然とする渡里の横で、海咲はちらりとピアスの空いた舌を見せた。
「パイロットくんは犠牲になったのだ…偽装の犠牲にな。でもこれで分かったな、ここで飛ぶのは無理なのだわ」
あの世までひとっ飛び、と海咲は付け足した。
「安易に逃げるのは無理ってワケ。他の方法を探そう」
「…ええ…」
この人、軽くサイコ入っているんじゃなかろうか。本当に信じていいのか、再び不安になる渡里であった。
渡里の不信感など気にも留めず。さてと、と海咲は相方の手を引いた。 そしてそのまま、するりと近くのコンテナに身を隠す。数秒遅れて、警備兵たちがぞろぞろと発着場に現れた。
「ここがどこだか知る必要があるな。渡里、自分を買ったやつのこと知らない?」
最後の記憶は、レベッカの嫌らしい微笑みと、スタンガンの青白いスパークだ。『買い手が決まっていた』という話であるが、会ったこともない自分の所有者が誰かなんて、知りようもない。渡里が首を横に振ると、海咲は少し考え込んだ。
「元いた部屋の辺りに戻ろう。やっぱり必要だわ、協力者<賑やかし>」
そう言うと、海咲はぱちりと指を鳴らした。音に気がついた男の一人が、銃を構えて近づいてくる。
「海咲…!?何をして…」
焦燥を隠そうともせず耳打ちしてきた渡里を無視して、海咲は無遠慮に歩き始める。彼女は渡里の手をがっちりと掴むと、堂々と男の前に躍り出た。
血の気の引いた顔で男の前に立った渡里。しかし、男は怪訝な顔でコンテナの陰を確認すると、首を傾げてほかの隊員たちの輪に戻って行った。
「認識阻害系は割と得意なんだ」
「友達少なそうだしね」
ノータイムで答えてしまい、渡里は口を覆った。海咲は態とらしく口を窄めて抗議した。ぶんぶんと腕を振り、相方の体を引っ張り回す。
「今日は友達と来てるが〜〜??」
二人はそのまま、元来た道を駆けていく。
『脱走者二人は、哀れなパイロットを脅して逃走を試みたが、あえなく撃墜された』。それが、海咲の書いたシナリオらしい。これにより、兵士たちは死体確認などに数十分ほど費やさねばならず、渡里たちは暫く追撃をかわすことができた。
「前にもこういう経験が?」
渡里がそう尋ねると、少女は頭を振った。
「いや?アニメでみた」
もう、死は覚悟しておいた方がいいかもしれない。渡里は心の中で念仏を唱えた。
道すがら、二人は作業者用の備品倉庫に辿り着いた。全くの偶然であったが、海咲は予定通りとばかりに躊躇なく備品を漁り始めた。兵士や作業員と鉢合わせにならないか、監視カメラはないか―などと気を張りつめていた渡里を他所に、海咲は嬉々として何かを取り出した。
「はいこれ」
そう言うと、少女は相方に向けて黒い作業着を放り投げた。
「え、服を探しておられたのですか…?この緊急事態に…?」
「そのセクシー・人民服が気に入った?よろしい、ならそのままでいるといい、ミス・ムッツリドスケベ」
そう言って、海咲は見るからにXLサイズらしきジャケットを羽織ると、下は履かずに胸元までチャックを締めた。
「ジラジョは黙ってオーバーサイズ。古事記にも書いてある」
適当に伸ばされていた髪を、ローツインにまとめ直す。仕上げに真黒な安全靴に足を通せば、即席ながらサブカル風味のアウトドアコーデの完成である。ついでに、近くにあった赤いリボンを短く切って、右腕のチャックに結びつけておく。ワンポイントも忘れない、細やかな拘りは雰囲気サブカル地雷女の嗜みである。
「さてと」
海咲は自分に翻訳魔術を掛け直すと、それを渡里にも使用した。取り敢えず、効力は一時間ほどで良いだろう。これで、渡里も『彼ら』と意思の疎通が図れるはずだ。
「さ、いざ鎌倉」
「まず地球に帰らせてよ」
軽く冗談を滑らせると、二人は元来た方角へと戻って行った。まずは、情報収集。ここが何処で誰の居城なのか、知る必要がある。
海咲曰く。先程彼女は闇雲に走っていた訳ではなく、探知結界を展開しつつ『敢えて』手頃な兵士に攻撃を仕掛けていたそうだ。渡里もその目的については同意できた。少しでも巡回の兵士は減らしておいた方がいい。海咲は、他の囚人たちを巻き込んだ、暴動を画策しているようであった。
「次を右。廊下を進んだ先に『例の区画』に着く」
彼女達の囚われていた部屋。その奥にも、複数部屋があるらしい。収監されているのは恐らく、二人の同僚に当たることだろう。探知結界には、膨大な数の揺らぎ<人影>が観測されていた。彼らにまだ『やる気』があれば、混乱に乗じて逃げられる可能性も上がるはずである。
「着いた」
端から一つ目の部屋。海咲は右手を銃の形に象らせる。
「デトロ!開けロイト市警だ!」
そしてそのまま、魔術弾で鍵を破壊し―ネットミームと共に突入した。
恥ずかしいので本当にやめて欲しい。
共感性羞恥で死にたくなった渡里を、幾つもの視線が射抜いた。部屋の中には、複数の男性。看守たちと同じ、浅黒い肌の亜人種であった。その中の一人、取り分け傷の多い初老の男が、眼光鋭く二人を睨みつけた。
「…変態共が、懲りないものだ。私は…」
変態共。もしかして、夜這いだと思われてるのだろうか。こっち視点は新鮮だな。確かに私の守備範囲は、おじ様くらいまでだけど―と海咲は思った。
「期待させてごめんなさい。申し訳ないけど、今は気分じゃないの」
そう言ってくすりと笑うと、剽軽者の少女は鎖に繋がれた男性の前に跪いた。そしてそのまま、扉の横に銃口<ゆびさき>を向ける。撃ち放たれた魔術弾は、ガムのように開くと、点滅していたカメラに貼り付いた。
「私はイリス入国管理局の執行官。花崎海咲と申します。レン民族解放同盟の戦士とお見受けしますが」
突入前とは打って変わった丁寧さで、海咲は一礼した。男は少し考え込むと、重々しく口を開いた。
「如何にも。して、イリス入国管理局が何用だ。ここは月の裏だぞ」
「囚われてしまいまして。脱出したいのですが、警備が手厚い」
「我々に囮になれと?」
周囲の男たちの視線が、露骨に険しくなった。渡里は、小さく悲鳴をあげる。それは、昨日まで現世に住んでいた女子校生が浴び慣れていないものだ。剥き出しの敵意に、彼女は萎縮してしまった。
「そういうことです。このままここで燻って燃え尽きるのと、勇ましく戦って火花のように散るの、どちらがいいでしょう」
臆することなく、寧ろ挑発的に。入国管理局の執行官は、口元に指を当てて微笑んだ。『交渉は過剰なくらいの余裕を見せて』。過去、海咲が友人から賜った、ありがたいアドバイスである。彼女は、悠然とした素振りを心がけているようであった。
「小娘が、我らに犬死をしろと―」
「聞いていますよ」
海咲は、くすりと笑った。
「―近々、大規模な反抗作戦があるんでしょう」
反抗作戦。それを聞いて、男性の目が見開いた。
「貴様、どこでそれを」
「情報筋から」
自信満々に、海咲はそう言い放った。
これで、交渉の決着はついた。『でまかせ』も言ってみるものだ、と彼女は笑った。この人物が解放同盟でどのポストを占めているのかは不明だが、少なくとも拷問を受ける―情報の引き出しが多い立場ではあるらしい。そうなれば、いざと言う時の『恫喝』も上手くいく。計画の存在を盾に取って、交渉を優位に進められるだろう。計画をエサに、この施設を支配している『月の化け物<ナメクジ>』と交渉するよりは、万倍楽なはずだ。
「司令」
若い男性が、口を開く。
「このままここに留まることこそが、犬死ではないですか」
そうだそうだ、と声が続く。
「生きるために戦っているわけじゃない」
「また飼われるくらいなら、戦って死なせてください」
解放同盟は嘗ての月面戦争に於ける、革命軍パルチザンの残党。構成員は士気が高く血気盛んで、勢いがあると聞く。活火山の如く苛烈な戦士たちが、この狭い籠に囚われる事を良しとする道理は無い。ここまでくれば、あとは一押しだ。まるで娼婦のように狡猾で淫蕩な微笑みを湛え、海咲は彼ら<ほのお>に薪を焚べた。
「さあ―どうされますか、司令官」
海咲のことを、こう呼ぶ者は多い。
「月の化け物に、一矢報いません?」
地雷女<ファム・ファタール>、と。
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