第27話 施設強襲〜崩れゆく理想の揺籃で〜

 数分前のことである。我妻天使は、間違いなく空間転移術式を行使した。対象は、『自身』と『コンテナおよびその付随物』。二つ以上の物体を同時に転移させることは非常に高度な術式を必要とするのであるが、熟練した魔術師たる彼には造作もない事だった。




  ところで。魔術式とはプログラミングに似ている。要素から成る術式構文を組み合わせ、プロシージャ<てじゅん>を作成する。それを複数種類掛け合わせ、電気信号の代わりに魔力を流せば、魔術式は処理を開始する。複雑なプロシージャを作れば、ボタン一つでどんな処理も思いのまま。しかし、その中身が複雑になればなるほど―小さなエラーが、命取りになる。




  空間転移を行使した天使は、左足に違和感を覚えた。まず知覚したのは、痛み。その後に感じたのは、魔術的エラーのフィードバック。情報として脳に魔術式ログを叩き付ける構文は、事態の把握を容易にさせた。




 「ちっ…!」




  舌打ちをした彼の体が、クレマトリオムの中に引きずり込まれていく。足に突き立つ杭は、彼自身を対象とした空間転移を不発に終わらせた。彼が熟練した魔術師であり、空間転移の術式を二つ『並列』に走らせたことが災いした。コンテナだけが空間を転移し、彼の体は定義していない杭<拘束>によってこの場所に繋ぎ止められてしまった。




  杭は天使の細く白い足を貫通し、赤黒い血を滴らせていた。彼は歯噛みすると、杭に繋がった鎖に視線を這わせていく。鎖を握っていたのは、鱗を纏った分厚い拳。鰐の頭と大木のような尾を持つ筋骨隆々の男が、憎悪を帯びた瞳で少年を睨んでいた。




 「…ゼーベック」




 「久しいな、女」




 「男だが。『また』ちんちん見せてあげようか?」




  我妻天使は舌打ちすると、二股の鉾―『天逆鉾』を抜き放つ。そして、足に繋がる鎖を断ち切ろうとした。しかし彼の行動は、寸前でゼーベックによって阻まれる。鉾の刃先が触れる瞬間、彼は『能力』を使用し、鎖を霧散させた。スパークが散り、天使の視界が白く塗り潰される。空を切った鉾の先は、床板を切りつけた。




 「これは、あの女の…」




  回転に巻き込んだ床板の破片を振り落としながら、少年は鉾を構え直した。彼は、この能力を知っていた。




  自身を含む物体を通電させ、刹那的に『イオン化』する力。その原理は、電気分解に近い。電気ナマズ由来の器官が生み出す高電圧により、気体中で物体を魔術的にイオン化させる。物質は周囲の気体に溶け込み、形を崩さず霧散する。しかし大気中でイオン化―プラズマ状態は極めて不安定であり、物体はすぐさま元の原子へと姿を戻してしまうが、それを利用すれば敵対者に物体が『すり抜けた』ような錯覚を与えられる。能力発現時に膨大な電気を使用する必要のあるこの能力は、強力だがガス欠が早い。その弱点を突き、天使はこの力の持ち主を何年も前に殺した―そのはずであったのだが。




  電撃を間近で受け、天使のノーマルスーツは焼け落ちてしまった。一枚下の服までしか、魔術で守ることが叶わなかったのだ。青いジャージ姿になった天使を、ゼーベックが睨みつける。




 「我が妻、ネフェリの仇を討たせてもらうぞ」




  ああ、そうだ。彼らは、夫婦だった。そして彼らに真っ当な倫理観など通用しない。この能力は、彼に受け継がれたのだろう。核となる臓器か何かの移植と―考えうる限り最も野蛮で原始的な、共食いという手段によって。




 「一人で?二人がかりでも敵わなかったのに?」




  強がりだ。それは、天使も重々承知していた。寧ろ、一人で二役をしてくれた方が、遥かに戦いやすい。どうか、他に増援がいませんように、と彼は祈った。




 「生憎、そのような騎士道とは無縁でな。悪いが、ここで死ね」




  背後に殺気を感じ、天使は鉾を一閃した。何も無い空中で、火花が散る。金属音と共に、チタン合金製の歯がインプラントされた鰐の頭が二つに割れる。死体から噴き出した赤黒く澱んだ血液が、明滅する無機質な照明の下で伏兵の姿を描き出した。その数、六人。




 「卑怯と言ってくれるな。貴様を殺すためだ」




  天使の祈りも虚しく。六人の神官が、彼を取り囲む。




 「やれ。そいつは今始末する」




  鰐の頭を有する『出来損ない』の神官の一人は、姿を消したまま天使に襲いかかった。彼はゼーベックごと空間転移を試みたが、鰐男は地面に一振の杖を突き刺した。空間転移の失敗を悟った天使は、負傷していない方の足を軸に体を翻すと、襲撃者を吹き飛ばした。




  ゼーベックは扇形の戦斧のついた錫杖を、天使に向けて叩き付ける。少年は舌打ちしながら、それを受けた。天逆鉾と鍔迫り合い、火花が散る。




 「ぬぅ…っ!」




  人知を超えた怪力を以てしても、日本神話が誇る神具の前では殆ど無力に等しかった。鉾を軸中心に、彼は巻き上げられるようにして宙を舞う。




  しかし。ダメージを負ったのは、天使の方であった。雷に打たれたような衝撃に、彼は鉾を取り落としかけた。指先は少年の意思に背いて痙攣し、足から力が抜けていく。




  彼は完全に失念していた。ゼーベックの能力は、『熱電対』。周囲の熱と冷血動物である自身との間の温度差により、電気を生じる力である。体内に埋め込められた増幅臓器により破壊的な威力を放つそれは、彼の妻が持っていた臓器により、更に効果を増していた。




  天使は舌打ちした。熱源は恐らく火花。この程度の熱量でも、瞬間的に発電してくるらしい。




  背後から鰐人間の突貫を受け、彼は羽交い締めにされる。対応しようと試みたものの、電撃により体の自由が効かなかったのだ。逃れようと藻掻く彼に、ゼーベックが迫る。




 「地獄で我が妻に詫びろ、『悪魔』め!」




  彼は戦斧を振りかぶると、力任せに振り下ろした。




  その刹那。少年は、秘匿していた六枚の翼を大きく広げた。仮にも『天使』の翼と呼ぶには『ソレ』は余りにも禍々しく、見る者に不安を植え付ける。例えるなら、それは巨大な深海魚の胸鰭。深い海の底、光の届かぬ闇の中―悠然と泳ぐ、太古の息遣いを彷彿とさせる。




 「やめてよ。僕は『天使』だって、言ってるだろ?」




  彼は威圧するように澱んだ魔力を垂れ流しながら、周囲の敵を牽制した。ゼーベックを含む『神官』たちの目が、天使に吸い寄せられる。目を逸らそうにも、逸らせない。視覚のみなず―全ての五感が、彼の姿に注がれる。それは病的なまでの妄執。瞬きすらも忘れている様子は、彼らが天使の術中に嵌ったことを意味していた。




  『天使』。誰かに付けられた名前ではない。彼は何千年も前からその名を名乗っていた。その正体は、天使とは名ばかりの―大悪魔である。そもそも―現在は幽閉機関に接収された『光の輪<ヘイロー>』とは、月面戦争の際に革命軍側についた『悪魔』を討ち滅ぼすための兵器である。勿論のこと―全ての悪魔を滅ぼすことは叶わなかったのであるが。




 「そんなに見られると照れるな」




 「生臭くてな。臭いの元はその羽か?」




 「怒るぞ」




  天使は目を細めると、手近な場所にいた爬虫人類に斬りかかった。魔力が上昇し、出力の上がった回転<モーメント>を以てして、彼は鉾を叩き付けた。天使から視線を逸らさず、彼は後ろに下がった。その影から飛び出してきた別の神官は―鉾を回避した男に激突してしまう。




  『全ての』意識が、天使に吸い寄せられている。その状態で、まともな連携など望めるはずもない。




 「取り囲め!味方の背後に立つな!」




  ゼーベックはそう叫んだ。空間転移を封じているとは言え、我妻天使には豊富な遠距離攻撃の手段がある。このまま能力を使われては、ジリ貧―或いは、味方から撃たれる可能性がある。




 「来なよ爬虫類ども。陸に上がったことが間違いだって教えてやる」




 「精々跳ねていろ、まな板の上でな」




  ゼーベックの号令で、神官たちは一斉に包囲網を狭めた。手にした湾曲剣を一閃した男。彼の直線的な攻撃を回避すると、少年は魔術弾を斉射した。足に刺さった杭が引かれ、天使はバランスを崩した。魔術弾は空を引き裂き、壁に穴を穿った。




 「いい熱だ、いただいていく」




  熱量を伴い白熱した魔術弾の一つが、音を立てて消滅した。ゼーベックの錫杖から、雷が放たれる。不可避の速度で放たれたそれを、天使は天逆鉾で受け止めた。雷撃を電子の流れとして捉えるならば、『向きと回転』を司る天逆鉾で制御できる。それを返送してやろうと踏み込んだ彼は、再びがくりと膝を折った。




  恐らく、杭に魔術的な毒が塗られていたのだろう。総魔力の急上昇によって加速した霊子循環に、ノイズが奔る。それは彼の神経を容赦なくすり減らし、指先にまで張り巡らされているはずの『意識』を奪い取る。彼は感覚のなくなり始めた片足を憎らしげに睨んだ。しかし、彼はすぐさま口元に笑みを浮かべた。




  目の前の神官を狙うと見せ掛け、鎖を切りつけた天使。しかし、ゼーベックは持ち前の観察力で即座に反応した。




  二択、である。鎖を手放すか、或いは―。




  天逆鉾の刃が鎖を掠めたその瞬間。スパークが散り、プラズマとなった鎖の残像を、二叉の刃がすり抜けていく。返す刀で、彼は鰐の頭を二つ切り落とした。




  そのまま、立て続けにもう四つも叩き落としていく。彼らは反応ができない。理由は単純である。『天使』の姿を目に焼き付けようと開き切っていた彼らの瞳孔は、神々しいスパークの光を余すことなく取り込んでしまった。一瞬でも完全な機能停止に陥った相手を見逃すほど、天使は日和ってなどいない。




 「くそ、何人残った!?」




  眩んだ視界に、狼狽したゼーベック。その隙に漬け込むようにして、するりと天使の細い体が滑り込む。




 「『二人』。…ああ、ごめん、今一人になった」




  簡単な探知魔術で、件の発電臓器の場所は完全に看破することができた。深深と、二叉の鉾が臓器を貫く。




 「お、のれ…」




  最愛の妻の唯一生きていた部分。それが、完全に機能を停止した。怒りに任せ、彼は不遜にも天逆鉾を掴む。




 「二度も、ネフェリを殺したな…っ!許さん、貴様だけは…っ」




 「許してなんて言わないさ」




  そう言って、彼は二叉の鉾を作動させた。破壊的な渦が刃を中心に発生し、ゼーベックの体を内側に巻き込むようにして圧壊させる。降り落ちた血の雨ですら、その渦に絡め取られ、やがてひと塊に溶けていく。天使は『ゼーベック』であった肉塊を無造作に投げ捨てた。




 「僕も、君を許さない」




  殺し、殺され、奪い、奪われ。戦争とは、そのような悲惨なものである。我妻天使は、かつての月面戦争の時に、ゼーベックによって大切な友人を奪われていた。




  彼は煙草を懐から取り出すと、魔術で火をつけた。もう一本、彼は煙草を取り出し、口に付けることなく着火すると、血の滴る肉塊に突き刺した。紫色の照明の下、線香のように煙が宙に伸びていく。




 「僕からの手向けだ。せめて、二人安らかに眠るといい」




  くすりと笑って、彼は煙草を吸い込むと、大きく息を吐いた。そして、一際大きく咳き込んだ。嫌に息苦しいと思った、どうやらシャッターに穴が空いているらしい。誰だ、あんな所に穴を開けたのは。僕か。




  自分でやった気がしてきたので、彼は観念することにした。杭を抜き、治癒魔術を行使する。足を酷使してしまったせいで傷は深くなってしまったが、どうにか応急処置はできた。ヘイローの光が落ちてくる前に、ここを出なければ。




  ここを出て、どこへ。




  彼は、空間転移を行使した。参照先の行で、当然の如くエラーを吐いた。ガーイェグは、既に規定の位置にはないようだ。続いて、彼はノーマルスーツ<宇宙服>を操作したが、何の変化も起きなかった。腰に付けられた拳大のノーマルスーツ展開装置を取り外してみたが、見事に黒焦げになっていた。先程、電撃を受けた際に壊れたことを、彼は失念していた。




 「ああ。そういえば、そうか」




  酸素も尽きかけているのだろう。煙草の火は、いつの間にか消えてしまった。魔力は潤沢にあるが、失血のせいで頭が回らない。




 「…一人で死ぬのは、嫌だな」




  天逆鉾に寄り掛かり、力なく座り込んだ彼の横顔が、青い光に包まれる。




  その、僅か二百メートル先。機械仕掛けの箒に跨った少女は、加速度に意識を朦朧とさせながら月の地表を駆けていた。




  間に合え。『光の輪』から放たれる光が、収束を始めた。ターボ・レーザーの輝きは星空を裂くように降り注ぎ、タワーを崩壊させていく。




 「間に合え…っ」




  天使は恐らく―まだ彼処にいるはずだ。




 「間に合えーっ!」




  最高速度で宙を翔ける彼女を嘲笑うようにして、クレマトリオムは溶けていく。


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