第50話 弱い奴から死んでいく
その少女は、まるで頭を出した『杭』のように、月の大地から『生えて』いた。可憐にして妖艶、瑞々しくそして円熟な彼女は、愛の女神の娘。その名前を、泥田善子。亡き父から『善くあれ』と願われ付けられたその名に見合わず、傲岸不遜。彼女はどこまでも人を小馬鹿にしたような笑顔で、臨戦態勢の爬虫人類に相対していた。彼女はその細く美しい指先で、レベッカの握るスタンバトンを指さした。
「くすくす。お姉さんは、『でんきタイプ』―ですね?」
何を言われているのか理解出来ず、レベッカは首を傾げた。その様子に気が付いていながら、善子は芝居がかった態度で言葉を続けた。
「私、苛立ってたんです。私<あく・じめん>の相手って、大体ひこうタイプとかこおりタイプとか、でんき・かくとうタイプとかばかりで…」
運が悪すぎて、負け越してます。彼女はそう付け加え、肩を竦めた。翻訳装置の故障を疑うほど全く話についていけず、蛇と蜥蜴は顔を見合せた。
「だから漸く、手玉に取れる『よわよわのカス』の相手ができて、嬉しいです〜。何も出来ずに蹂躙されてくださいね〜♡」
長年月を拠点にしていた二人が、地球のビデオゲームに詳しいはずもなく。二人は最後まで話の内容を理解できなかったが―馬鹿にされたことだけは、理解出来た。
「べらべら喋ってるけど、よく分かんなかったわ。そんなに一人語りがしたいなら、壁とでも話してれば?」
同じ土塊どうし気が合うんじゃないかい、とレベッカは笑った。そんな彼女に、善子はふるふると細い首を振る。
「それじゃあつまらないです〜。だって、壁は『悲鳴を聞かせてくれない』でしょう?」
音もなく。レベッカたちの足元から、石の槍が伸びる。無慈悲に伸びたそれは、彼らを串刺しにするために善子が作り出したものである。
「ちぃ…っ」
「ふむ」
それを避けたレベッカと、刺さる前に足払いで破壊したレプハーン。前者は顔を顰め、後者は妖しく笑って舌舐りをした。
「良い能力です。是非欲しいですね」
襟巻きを広げると、その男は恭しく礼をした。
「申し遅れました。私の名はレプハーン」
『食事』の前には必ず名乗る男。レプハーンは、善子に頭を下げた。その様子に失笑すると、善子は返事をした。
「泥田善子です♡お見知り置きを♡」
レプハーンを牽制しつつ、彼女はレベッカに襲いかかる。蛇女の前に現れたのは、泥田善子の華奢な体からは想像も出来ないような―巨大な槌。月の岩で作られたそれは、地面から伸びた大きな『手』に掴まれていた。それは力任せ、といった体に大槌を振り上げると、レベッカに向けて振り下ろした。咄嗟のことに反応できず、彼女は大槌による殴打を受ける。スパークと共に彼女は吹き飛ばされると、地面に倒れ伏した。
「ええっ、この程度で死んじゃうんですか〜?」
間髪入れず突き出されたレプハーンのスピアを避けると、彼女はざぶりと岩に潜った。そのまま、レベッカが倒れていた位置を、石の槍で突き上げる。手応えは無い。恐らく、避けられた。
「まさか!」
顔を出した善子の頭を狙って、レベッカはボールを蹴るようにキックを繰り出した。筋骨隆々の体から繰り出される蹴りを受ければ、善子の首は一溜りもないだろう。
それを間一髪避けると、善子はハンマーを振り抜いた。巨大な岩の塊が、再びレベッカの体を吹き飛ばす。手応えはあった。しかし、ダメージは通っていないだろう。着弾の瞬間、レベッカの体は青白い光を放つ。それが何らかの『防御』となって、彼女の体を守っているようだ。
む、と善子は眉を顰めた。蛇女の能力は電気装甲―与えられたエネルギーを電気変換して放出、否―相転移でしょうか。いいえ、アニメの見すぎですね。キモオタの海咲さんなら兎も角、私がそんな些事をごたごたと考察する必要はありません。雑魚の能力を一々解明したがるのは、二流の仕草ですから。
「そぉれ♡」
ぶん、と大振りに。レベッカの頭目掛けて、槌が振り下ろされる。彼女はそれを、青白いスパークと共に受け止めた。
「効かないねェ!」
青白いスパークは、言わば大規模な電気アンマ。数万ボルトの電圧は、彼女の膨大な筋繊維をゆるゆると解した。元より柔軟性のある骨格<フレーム>では、槌の一撃は受け止めきれず、そのまま彼女の巨体は押し潰される。しかし、本物の蛇のように細くなった彼女は、槌と自身の装備の隙間をするりと抜けると、何事もないように立ち上がった。
「何処に行った、土竜女!叩き潰してやるよ、『出る杭』はァ!」
彼女は苛立っていた。執拗に自分ばかりを狙われているのは、何故なのか。レベッカは本能的に、その理由を察していた。
舐められているのだ。私は、あの小娘に。
体に触れられ、レベッカは視線を落とした。土のように黒い肌に、爛々と光る赤い瞳。コントラストのはっきりとした白い衣装が、態とらしく美しい。その薄いレースに包まれた細い腕が、レベッカの脚に巻き付いている。
「出る杭、打てますか?貴女如きに♡」
足を取られた。何が来る。槍、槌―いや、別の何かだろうか。目まぐるしく回転した彼女の思考。しかしそれを嘲るように、あらゆる衝撃を吸収するレベッカの体は、岩の中に沈んでいく。
「何、この…っ、離せクソガキ!」
泥田善子の顔面を、レベッカはスタンバトンで殴りつけた。常人であれば即死ないしは重篤な障害が残るような高電圧が、善子の脳髄に流れ込み―そしてその全てが、地面に流れる。唯一、逃がしきれなかった電気が、彼女の左目を覆う椿の花飾りを焼き焦がした。ぼとりと堕ちた眼帯の奥。そこには、何も無い。落窪んだ眼窩の底は、深い深い闇のよう。それは、レベッカの行く末を暗示しているようであった。
「効きません♡泥なので〜♡」
恐怖に駆られた彼女は、善子の頭を何度もスタンバトンで殴りつけた。しかし―正に『泥田を棒で打つ』とはこの事だ。泥田善子に、打撃は通用しない。殴打の度に泥田善子の体は土のように大きく変形し、そして何事もないように元通りになる。
「くすくす、じめんタイプにでんきは効かないって、世界中の小学生が知ってる常識ですよね〜?あ、もしかしてホイ卒<最終学歴保育園>ですか〜?」
べらべらと嘲りを口にしながら、善子はレベッカの身体によじ登っていく。太い腰に手を回し、舐るような仕草で首筋に噛みつき―生き血を啜る。その頃には、レベッカの体は地面に半分以上が埋まり、岩石によって拘束されていた。
「…ホイ卒の貴女に教えてあげます♡『雑魚<弱い奴>』から蹂躙<死ぬ>のは、自然界では常識ですよ〜♡」
レベッカの耳元で囁かれたのは、嘗て自身が夢沢渡里に送った言葉だった。今この場において、被食者は―自分自身。彼女は、『弱者』と見なされていた。
「助け…っ!レプハーン!」
少し遠く。善子による苛烈な妨害の嵐に塗れながら。乱立する石槍の柱の奥で、レプハーンは笑っていた。爬虫類特有のその嫌らしい微笑みは、レベッカに向けられていた。
泣き叫ぶレベッカの体は、月の中に飲み込まれていく。軋む音、叩く音、砕く音。それらが激しく響き、そして五秒と経たず静かになった。改造人間とて生き物であるならば、多少蓋の類があるとはいえ、口から肛門までは一直線の管である。蓋の空いた瓶のように―悲鳴を上げながら岩の中に沈められれば、その中が岩石で満たされるのは、想像に難くない。
ぷかりと水に浮かぶように。善子の手を離れ、岩の中で『溺死』した遺体。その陰から、艶の良い銀髪が顔を出す。
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